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zoom RSS 村上龍著『オールド・テロリスト』を読む

<<   作成日時 : 2015/07/13 11:21   >>

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 村上龍の新作、『オールド・テロリスト』を一気に読了した。語り手(おれ)が『希望の国エクソダス』と同じ人物で、続編のような体裁をとっているけれど、特に関連付けて読む必要はないと思う。本編1篇で、十分すぎるほど独立した作品となっている(もちろん、関連させて読んでもいい。それはそれで、面白い観点を示すことができるかもしれない)。

 とりあえず全体の印象をいうと、次のような感じだ。
 この作品そのものが、現代日本人の、どうしようもなくなってしまった精神状況の暗喩。そして全編を貫く出口なし%I状況は、まさに現代の日本国の置かれた(あるいは自らが招き寄せた)閉塞状況そのもの。龍作品における、いったん、ガラガラポン、にしないと、もうこの国はもたねえんじゃないの? というトーンは、どんどん濃くなっている。

 もう一つの全体的感想。
 これは、著者村上龍の最大の武器だと思うのだが、彼は「小説」という形式に、まったく疑念も不信も抱いていない。100%リスペクトを、一貫して持ちつづけている。そのことを、改めて確認させてもらった。ここまで揺らぎない、というのは、圧倒的才能だと思う。
 こういうことだ。
 村上龍にあっては、小説の形式と想像力とは不可分に結ばれている。小説のアイデアや構成を突き詰めていく作業は、想像力を駆使することであり、想像力を駆け巡らせることは、同時に小説という形式を思考する作業に深く入り込んで行くことになる。そんなふうになっているみたいだ。だから彼は、小説の時代は終わったとか、小説は近代の賜物でありもはや死んだのだとか、絶対に口にはしないだろうし、考えてもいないと思う。

 ここで、少し村上春樹氏の作品と比べてみたい。
 春樹氏の長編前作『1Q84』は、その設定やストーリー、登場人物たちが、いかにも寓話というか、ファンタジーめいたものあった。もっとも春樹氏を、ル=グウインやエンデ、ルイス・キャロルと言った寓意性の高いファンタジー作家の一群にいれて論じても、重要なテーマを掘り当てることができるだろうと思う(たぶんそれは死と時間、再生という物語的主題に帰着するはずだが、ここでは触れないでおく)。

 一方、龍氏の作品は、抽象度は高いが、設定も題材もリアル(現実的)である。社会派≠ニ評しても、不自然さはないほどだ。これは龍、春樹どちらが優位か、ということではなく、「あり得ないことを、目いっぱい面白く、深く、楽しく読ませてくれる作家」が村上春樹だとすれば、いま進行しつつある題材の龍的な組み合わせによって(テロは世界中の問題だし、老人問題も先進社会では共通のテーマになっている)、「これはあり得ることだ、むしろどこかで待ちのぞんでいたことだ」、という無意識の欲望をリアルに示してみせるのが、村上龍である。それが『オールド・テロリスト』の、圧倒的なリアリティをつくっている。

 たとえば、破綻や暴落、壊滅と、常に隣り合わせている、という状況のリアルさ。ページをめくるにつれ、どんどん追い込まれていく主人公の、心理的重圧と出口なし%I状況(これは、メンタルを病んでいく人間の心理が、的確に、時間を追って描かれているような錯覚を受けるほどだ)。

 もう一つ感じたこと。
 前作『歌うクジラ』も主人公の視点は1人称だったが、前述したように、この作品でも「おれ」という1人称が採られている。1人称で描かれながら、しかし3人称世界であるような相対的広がりを獲得しているが、どうしてこれほど立体的で、奥行きをもつ作品構造が可能になったか。この作家の高い能力と、40年間、ハードトレーニングを怠らなかった結果だ、とでも言うほかないだろうが、この間のテーマを、経済、戦争、引きこもり、学校、というように、より社会的なところにターゲットを置いてきたことにも、関連があると思う。社会的なテーマは、それ自体が、3人称的叙述を呼びこむからである。

 作品の立体性を示す1例。
 それは、『オールド・テロリスト』が、見えざるダブルワールドになっている、と感じさせるところだろう。もちろん春樹氏のように明示的に書かれるわけではない。しかし全貌を示さなくとも、その巨大さや不気味さがしっかりと読者に伝わるところが、この作品の達成点のひとつではないかと思った。満州国、世界最終戦争、石原莞爾。その末裔たちが、ひそかなネットワークを張り巡らしながら戦後80年を生き延びてきた。アンダーグラウンド。そして「粛々と」、最終戦争を企んできた。

 私がノンフィクションを書く身だからかもしれないが、この作品の最後、「記録せよ、目の前の事実を記録せよ」というメッセージは、なかなか感銘の深いものであった。カタストロフィの後、当面、必要とされるのは記録作家とジャーナリストである。物語作家の登場は、もう少し時間を経てから。3.11のときが、そうだったように。
                                          (15・7・13)

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