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zoom RSS 緊急掲載「『絶歌』を読む」 飢餓陣営せれくしょん3 

<<   作成日時 : 2015/08/18 11:28   >>

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『飢餓陣営せれくしょん3』が、やっと校了に近づきました。9月中旬の刊行予定です(1800円)。

内容は前々回にお知らせしてありますが、緊急特別掲載として「佐世保の事件と『絶歌』を読む」を書き下ろし、巻頭に加えることにしました。目次を再掲載し、この原稿のコンテンツと、「編集後記」を掲載します。

「セラピー」というテーマの下、「少年事件」−最相葉月氏『セラピスト』−滝川一廣氏の「精神療法」−石川恒氏と「かりいほ」の取り組み、とつなげていて、一見、脈絡のない、寄せ集めただけの「せれくしょん」に見えるかもしれませんが、そんなことは全くありません。まずは、下記の【編集後記】をご覧ください。


セラピーとはなにか

【緊急特別掲載】(60枚 書き下ろし)
佐藤幹夫+北明哲■佐世保の事件と『絶歌』を読む

 論議の初めに/佐世保事件の処分決定から/動物虐待から「殺人願望」−どう歯止めをかけるか
 処遇をめぐる問題――「刑罰による再犯の抑止効果はない」/圧倒的な「厳罰推進論」のなかで
 『絶歌』出版について――「更生」が引き起こすねじれ=^第一部と二部のギャップはどこからくるか
 暴力や攻撃性はどこからくるか/「更生」について

【特集1】 セラピーをめぐって

●パート1 『セラピスト』をセラピストたちが読む
・最相葉月■『セラピスト』はどう書かれたか
   1『セラピスト』はどう書かれたか 2ノンフィクションについて

・(討議)最相葉月さんを囲んで■セラピストたちが読む『セラピスト』
滝川一廣/佐川眞太郎/阿久津斎木/富樫健太郎/香月真理子/
  小川正明/清水邦光/斎藤敏郁/尾上義和/大迫久美恵/
  的場由木/竹島正/本田哲也/佐藤幹夫(司会)

・レポーターを終えて■香月真理子/富樫健太郎/感想■;大迫久美恵

・内海新祐■二人に流れる静謐な時間
・編集部編■最相葉月作品の独断的ご案内

●パート2 滝川一廣と精神療法
 ・滝川一廣氏を囲んで■精神療法とはなにか
   滝川一廣/斎藤悦雄(司会)/宗近真一郎/由紀草一/
  夏木智/池見恒則/鈴木一夫/佐藤幹夫


【特集2】人生の折り合いと自分語り ――――――――― (全文語り下ろし)
        ――「かりいほ」の取り組みから

●パート1 当事者が語る「納得」の世界
・石川恒■「自分語り」がなぜ必要か――当事者の語りが伝えるもの/取り組みを終えて
・山田さんの語り(聞き手・飯島恵子)
・川井さんの語り(聞き手・飯島恵子)

●パート2 当事者の「自分語り」を聴く
・西研■「人生の納得」をどう考えるか
・佐藤幹夫■「かりいほ」の自分語りについて/続・かりいほの支援論(転載)


【編集後記】

 最相葉月さんの『セラピスト』が、日本のメンタルヘルス業界に、どれくらいのインパクトを与えることになったのか、なかなか興味深いものがある、と感じてきました。編集人の直感では、ドクターよりも心理臨床に携わっている人や、「こころの相談」の周辺で仕事をしている人たちが、より多く手にしたのではないか。もちろんコアな読者にもしっかりと読まれているようですが。

 この本の最大の効能のひとつは(と、またしても個人的な印象を書くことになりますが)、セラピーという行為を広い観点から捉えるための、格好の視点を提供していることではないでしょうか。つまり自分(たち)のおこなっている治療行為が、歴史的にも空間的にも広い視野から相対化されるわけですが、これは「こころ」などという得体の知れないものに、日々お付き合いしなくてはならない方々にとっては、何よりも、我が身の一助となる観点だろうと思います。

 「こころ」とは、どうも、相対と絶対の適度なバランスを維持することが肝要なようで、そして肝要な分、難しい。「絶対」のほうに振れ過ぎると、「自分は全世界から注視され、地球を一人で支えている」という緊張と恐怖が、耐え難いほど膨らんでしまう。また相対に捉えられ過ぎれば、「わたしはまったく無価値であり、生きるに値しない存在だ」という苦悩と無力にさいなまれることになる。「患者」と呼ばれる人たちは、このバランスの崩れに苦しめられている人たちのではないか。

 そう考えてよいとすれば、援助者は、まずは自分自身のバランスのありようをしっかりと見つめなくてはならない。そうでなければ、とてもではないが「苦しむこころ」と向き合えるものではない。『セラピスト』のなかで、著者が取材を始めてすぐに「自分のことを知らなくてはならない」と言われたのは、この辺の事情に由来するのではないか。――編集人はそのようにあたりを付けているのですが、いかがでしょうか。

 さて、『セラピスト』を『せれくしょん3』の心柱に持ってくることは、編集人のなかで、最初に決まっていました。次に、三番に立ってもらうのは滝川一廣さんで、滝川さんを囲む座談会にすることも、比較的早い時期に決まりました。座談会は、実施からずいぶん年数を経ていますが、滝川さんの立ち位置や基本的な考え方が、まったくぶれていません。討議に参加していただいているのは教育関係の方々が大半で、学校と塾という二つの異なる現場から心理療法にアプローチするという、とてもユニークな内容になっています。しかも宗近、夏木、由紀の各氏は「飢餓陣営」の初期からお付き合いいただいている論客であり、滝川さんへの突っ込みも、なかなか厳しい。したがって、読み物としても抜群に面白いできになっている。言い換えれば、ほとんど古びていないのです。再掲載を決断するのに、時間はかかりませんでした。

 もう一つの理由は私事になるのですが、この座談会が実施されたのは、滝川さんとの最初インタビュー集『「こころ」はどこで壊れるか』刊行の以前であり、滝川さんの論文のコピーを集めては必死にマーカーを引いていた時期の、いわば編集人の修業時代のものになります。一冊のなかに、ひそかに自己史を潜り込ませてもらった次第です。(ほとんど進歩していない? たしかにそうかもしれません)

 さて、では四番の後にすわる五番打者をどうするか。じつは『セラピスト』を中心にすると決めたときから、もう一つの柱は「かりいほ」の「自分語り」を掲載できないだろうか、ということが浮かんでいました。ただし、まだ掲載時の語りの会が実施される前。どんな会になるのか、めどが立っていなかったのですが、それでも、『セラピスト』と「かりいほ」の自分語りを組み合わせて一冊に、という考えは、だんだんと強くなっていきました。

 いってみれば、「援助―被援助」という関係のなかで、援助する側からなされる見方が第一部だとすれば、第二部は、援助を受けてきたご本人たちが、「援助」というものをどう受けとめ、どう感じてきたか。ここでの「援助」の意味を広く取っていただきたいのですが、「援助」というものは、自分の尊厳を守るためになされるもののはずなのに、援助する側の勘違いによって、しばしば尊厳を損ない、ないがしろにするようにはたらいてしまう。援助する側は、そのことをもっと知っておいてよいのではないか。――おそらくこのような問いかけが「自分語りの会」の目的のひとつであり、石川施設長が繰り返してきたことだと理解しています。

……というように、「援助」というものを、鏡のこちら側と向こう側から映し出せないだろうか。もちろん、自由に読んでいただいてかまわないのですが、創り手のほうとしては、そんな目論見をこめています。

 『絶歌』を取り上げたことについては本文で述べており、ここでは触れません。躊躇は大きかったのですが、わずかとはいえ更生保護関係の現場にかかわっている身としては、その立場から何事かを発信しておく必要はあるかもしれない、と腹を固めていった次第です。


 皆さんに掲載の了承をいただいてから、時間が経ってしまいました。それを埋めて余りある内容の「飢餓陣営せれくしょん3」に仕上がったのではないか。仕上がりが近づき、やっとそんな思いにたどりつきました。ご購読下されば幸いです。

 まだまだ猛暑がつづいていますが、本書がお手元に届くころには、いくらか過ごしやすくなっているでしょうか。どうぞご自愛ください。(幹)
飢餓陣営ホームページ http://www5e.biglobe.ne.jp/~k-kiga/

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