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zoom RSS 青木俊著『尖閣ゲーム』を読む

<<   作成日時 : 2016/02/20 12:44   >>

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 青木俊というはじめての作家の『尖閣ゲーム』を読んだ。
 沖縄を舞台としたエンタメ作品であり、著者のデビュー作だという。
 以下、簡単な紹介と感想を書くが、ネタばれの記述があるのでご注意を。
 
 あらすじ。
 沖縄本島各地で、不明のテロが始まる。オスプレイの撃墜、沖縄県警幹部の射殺、米軍兵の妻と米軍将校の暗殺。・・・これらの「点」が糸でつながれ、「線」が「面」になり、テロの背後で何が起きようとしているのか、少しずつ明らかにされていく。
 一方、事件の発端となったのは、尖閣諸島の魚釣島。
 主人公の姉は、そこでの特殊任務のために無残な死を遂げ、「羅漢」という冊封使が書いたという500年前の記録が、謎として残される。姉はなぜ死んだのか。「羅漢」の謎と、姉の死の謎を追いかけるというのが、本書の基本プロットとなる。
 尖閣付近の海洋には、石油やレアメタルなど、巨大な資源が埋蔵している。「羅漢」には、尖閣の領有をめぐる決定的な歴史的事実が記述されているといい、その争奪をめぐるテロと謀略でストーリーは進む。・・・沖縄は「独立」を宣言するが、もちろん、日本とアメリカは全力で潰しにかかる。沖縄を舞台に米日と中国の戦争もやむなしという決断が、日本国政府によっていったんは下される。そこから終局までいくつかのトリックを経て、エンディングとなる。
 
 以下、思いついたことを書いていく。
 わたしの記憶に間違いがなければ、沖縄を舞台とした近未来エンタメ小説は、これが初めてではないかと思う(中村秀樹の『尖閣諸島沖海戦―自衛隊は中国軍とこのように戦う 』(光人社NF文庫)があるが、これは元自衛隊員による仮想戦記なので、区別しておく)。
 そして、日米安全保障条約(日米の軍事同盟)を正面に据えて描いた近未来小説も、存外に少ないように思う(村上龍が『半島を出よ』で少し触れたくらいしか思いつかないし、麻生幾や手嶋龍一になにかあったろうか。このあたりの点については、どなたかご教示をいただければ幸いです)

 なぜ沖縄を舞台とした本格的な近未来小説が、これまで書かれなかったか。
 本土の人間たちが、沖縄の歴史、政治、軍事などに、正面から関心を向けることがなかったことの証左、という指摘が、ひとまずできるかと思う。では、なぜ関心を持たずに来たのか。
 沖縄戦で壊滅状態になった沖縄があり、占領期、米軍による軍事基地化のため、土地を収奪され続けた沖縄があった。返還後も、その構図はまったく変わらずに維持されている。
 こうした「沖縄」を直視することは、どうしてもためらわれる。直視しないのなら、それは関心がないからだと自分に言い聞かせ、見ずに済ませてきた。この点がひとつである。

 もう一つ、平和憲法の問題があった。
 憲法9条が、沖縄にも適用されているといえるかどうか。沖縄の米軍基地は常時臨戦態勢を取っているというが、そうだとすれば、沖縄全体も、常時「戦時下」に置かれていることになるではないか。
 さらには日米地位協定が、日本国憲法よりも優先されるという事実がある。ということは、少なくとも沖縄にあっては、平和憲法よりも米軍の軍事法の方が優先されることになる。
 つまりは、沖縄を正視すればするほど、日本国は主権国家とはいえないのではないか、という疑念が沸き起こることになる。これはきわめて不都合な真実である。これでは小説のテーマにはなりにくい。

 ところが、不都合な真実に目を背けていることを、合理化してくれる絶妙な装置があった。
 それが、平和憲法である。
 そして、私たちは平和憲法に守られながら、「戦争をしないニッポン」として生き続けてきた、という世界に誇れる自己了解をつくり上げてきた。合理化がうまくいけばいくほど、沖縄は消し去られた。
 これが戦後70年を経ての、日本国の「自己像」であり、沖縄との関係であると思う。
  
 ところがそこに、『尖閣ゲーム』という「沖縄独立」を正面に据えた近未来小説が描かれた。
 最初に結論めいた感想を述べれば、ここでの「独立論」は、決してヤワなものではないと思う。
 もちろん不満はある。結末。日本政府はもちろん、アメリカも中国も、あんなにあっさりと引き下がりはしないだろうし、沖縄が日本の傘下から離れかけた途端、米中、台湾の、あるいは核ミサイルを振りかざす北朝鮮の、猛烈な草刈り場となるだろう。
 独立に向けて動きはじめた場面の叙述は、プロットを回すことに追われ、肉付きを欠き、骨格だけになっている(1行1文で改行されていく文章が、それを語っている)。
 しかしそれをおしてなお、ここまでリアリティをもって描かれた「沖縄独立小説」はなかったし、悪くない線をいっているのではないか、とわたしには感じられた。

 この作品の最大のモチーフは、著者が捕まえた、沖縄の変化・変動ではないかと思う。ここには外的条件と、内的条件の二つがある。

 日米安全保障条約はこれからどうなっていくのか、という問いと不安。
 そして、中国の太平洋・東アジアへの台頭や武力進出はどこまで進むのか、という危惧(当然、韓朝露との主導権争いも、ここに複雑に絡むだろう)。

 こうしたなか、沖縄のポジショニングが動きはじめた。
 沖縄は、いま、現政権にたいして激しく異議申し立てをしているが、これを可能にしたのは、この、沖縄のポジショニングの変化・変動だと思う。東アジアの情勢の変化は、沖縄の位置をも動かす。著者はこのことを如実に感じ取っているように思える。この外的条件が一つである。

 もうひとつは、日本政府への怒りの感情。
 日本国は、軍事拠点としての徹底した政治利用を、いっこうにやめようとしない。
 これにたいする沖縄の「怒り」は、そろそろ沸点に達しつつあるということが、本土の人間の視野にも、わずかずつではあるが映り始めた。

 たとえば、「羅漢」を登場させているが、この「羅漢」とは、歴史のなかで刻まれつづけてきた日本国(ヤマト)への怒り、憎悪、屈辱、悲しみ、絶望、といったものの表象である。評価は、沖縄人と本土人とのあいだで大きく分かれるところかもしれないが、「沖縄独立」がどこまでリアリティを感じさせるかは、この「羅漢」の効果如何にかかっている。そしてわたしの見立ては、すでに述べたようにけっして悪いものではない。
 
 ところで、ここまでわたしは、この作品を「近未来小説」と呼んできた。
 しかし、年代設定は、わたしの見落としでなければ、どこにも記されていない。「5年前、姉が尖閣で死んだ」ことは書かれているが、小説の舞台となるその5年後が何年何月のいつのことなのかは、明記されていない。リアルタイム(同時代)であるならば、2015年と書けばよいが、それもなされていない。
 このことを、どう読んだらいいのだろうか。
 10年後、20年後の「近未来」としてしまえば、作品内のフォーカスに、微妙なずれが生じてしまう。事実関係の整合も崩れるかもしれない。しかし、リアル(同時進行)である必然もないし、やはり時差はある。そのあたりの著者のバランス心理が、無年代の設定とさせたのだろうか。
 
 もうひとつ、尖閣領有権の決定的証拠となるはずだった「羅漢」の記録がどのようなものか、明瞭な明かされ方をしていない。そしてラストの日本政府の首相決定に、「羅漢」の記述がどこまで深くかかわったのか、その点も明らかな記述ではない。
 作品の瑕疵だ、と言えばいえる。しかしわたしの勝手な希望と推測を述べれば、このことは、すでに「独立後」をテーマとした第二部が書かれている、というメッセージではないか。そのようなものとして読んでおきたいと思う。








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