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zoom RSS 「相模原殺傷事件」について その3−2

<<   作成日時 : 2016/08/07 22:52   >>

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その「排除の思想」はどこから出て来たのか(2)



 ここまで書いて筆が止まっていた時(8月2日)、ちょうど東京新聞夕刊に、次のような記事が載っていました。
 見出しは、「ヒトラーと似た考え「施設側指摘で知った」容疑者供述」というもので、2段の小さな記事。

「(略)障害者に対する差別的な考えについて、「ヒトラーと似ていることは、施設側に言われて気付いた」と供述していることが二日、捜査関係者への取材で分かった。」
「施設側によると、植松容疑者が周囲に「障害者は死んだ方がいい」と発言したため、二月十九日に面談。その際、施設関係者が「ナチス・ドイツの考えと同じだ」と非難した。植松容疑者は「そう捉えられても構わない」と反論し、退職の意向を示した。/同日中に緊急措置入院した植松容疑者は翌二十日、「ヒトラー思想が二週間前に降りてきた」と話していた。捜査関係者によると、植松容疑者は発言について、「施設側にそう言われたので措置入院中に言ってみただけ」と説明。自宅の家宅捜査でも、ヒトラーに関する書籍は見つからなかった」
 
 ヒトラーのことは知らなかった。「優性思想」というものがあることも知らなかった。つまり、「障害者は殺してもよい」という考えは、本で読んだりして身に着けたものではない、ということが、この記事から分かります。
 するとやはり、「人の役に立たない人間は生きている価値がない」という考えは、植松容疑者の心に、いつのころからか住み着いていたことになる。
 それが少しずつ形を変えながら、「重度知的障害者は殺した方がいい」というところにいたってしまった。

 視点をひっくり返してみます。
 「人に迷惑をかけるな。役に立つ人間になれ」という言葉があります。
 とりあえずはよく聞かれる、普通の励まし≠ナす。
 ところが、これが、あるとき反転する。
 何をやっても失敗ばかりしている人間(子ども)、何をやっても「よくやった」とほめてもらえない人間(子ども)にとっては、「人の役に立つ人間になれ」という言葉は、「お前は人に迷惑ばかりかけている役に立たない人間だ」という、全否定のメッセージに変換されてしまう。

 そして、「役に立たない人間は生きていても意味がない」という価値観は、植松容疑者の家族の間にあって、強く共有されていたのではないか。そういう推測をも、もたらしてくるのです。
 だからこそ「障害者を殺すことは、家族を助けることだ」という言葉になったのではないか。
 
 家族を激しく疲弊させていたのは、実は植松容疑者自身だったのです。両親とは別居しなくてはならなかった、という事実は、そのことを物語っているのではありませんか。

 植松容疑者にとって、家族から「お前は役に立たない人間だ」という評価を受けることは、もっとも避けなくてはならないことだった。大きな恐怖だった。しかし、教員になることは、とうとうできなかった。福祉施設に就職したけれども、どうもそこでも、自分は「役に立っていない」ようだ。
 「役に立たない人間」という恐怖から逃れるためには、「うまくできずにいる自分」を合理化し、目の前に「役に立たない人間」を作り上げればいい。
 悪いのは自分ではない。やつらのほうだ、というように。おそらく(あくまでもおそらく)、薬物がそうした精神的動因を、激しくジャンプさせた。・・・・・・
 これが、いまもたらされている情報からの、とても限られた情報からの、わたしの描く、植松容疑者の心理的経緯です。

 こうした考えをもったのは、じつは、わたし一人ではなかったようで、前大阪大学大学院のj教授で、非行臨床のスペシャリストであり、自身の相談室を運営し始めたふじおかじゅんこさんからも、次のようなメールをいただきました。許可をいただいたので、お名前ともども紹介します。
 ふじおかさんは、次のようなメールを寄せてくれました。

「心理屋の私の視点としては、植松容疑者は、
自身も「役立たず」と思われることを恐れていたのだろうと考えています。
おそらく幼少時から「良い子」であること、「成果をあげること」、
「親の期待に沿うこと」で自身を縛ってきたような気がしています。
そういう人が大学に入り一人暮らしをすると、
ちょっとした逸脱に憧れて少し生活が乱れますが、
そこまで逸脱しきる気はなく、一応卒業して、
教師になれなくても社会に役に立つ介護職といった選択、
「役に立つ」自分をアピールしようとしたのかもしれません。

ただ、そこに、薬物乱用による精神変調と施設での挫折が加重されて、
妄想状態になったのであろうと推察しています。
世間一般に、「役に立つ人」、「達成による評価」、「人より「上」か「下」か」
という基準のみが横行していることの影響も大きいのではないでしょうか?」

 基本的にはまったく同感で、わたしもこうした考えに立っています。
 そしてふじおかさんは、もうひとつ、非常に興味深い考えも寄せてくれました。

「実は、私も高校生の頃、「知的障害者に生きている意味はあるか?」という疑問を抱いたことがあります。
それは自分が生きている意味はあるかということの裏返しだったと思います。
結局、「生きている意味の有無は、私が決められることではない」という結論に達しました。
「裁くことの不遜」は「裁かれる恐れ」、「誰にも受け止められない空っぽさ」からくるのかもしれないと考えています。            ふじおか    」

 この点についても、じつは、わたしも同様のことを考えていました。
 インターネットという匿名前提で、どんな人が、どこで見ているのか分からないような空間で、プライベートなことを書くことには抵抗がなくはないのですが、話の流れ上、必要なことのみ記します。
 
 おそらく、小学校2,3年生のころから、始まっただろうと思います。
 目の前には、いつも体を突っ張らせたまま、ごろん、と横になったままの弟がいます。
 その彼を見ながら、「この人は、何のために生きているんだろう」などと、わたしはときどき考えていたようなのです。もちろん、口には出せません。
 親が死んだあとは、自分が世話をしていくんだろうなということも、ぼんやりと(ほんとうにぼんやりと、ですが)、考えることもありました。ガキらしからぬ、その他いろいろな、大人と世間をめぐるあれこれも。
 だからわたしも、小学校3年生くらいから、重度障害者の弟を見て「生きている意味があるんだろうか」みたいな問いは、抱いていたような気がします。
 
 そして、ひょっとしたら、わたしが考えていたことは、植松容疑者考えたことと、じつはとても近かったかもしれない。そう思い当たったのです。
 生きて、生活の時間を共にしていくということは、きれいごとばかりで済まないのはもちろんです。わたしは幸いなことに、弟をめぐって世間との間で引き起こされる激しい不況和音や、対立、差別などの渦中におかれることはほとんどなかったのですが、それでも、きれいごとだけですまなかったことは確かです。
 ガキはガキなりに、結局は差別をむき出しにしてくる世間のダブルスタンダードや、大人(という権威や権力)などと、闘ってはいたのです。
 いずれにしても、こうした反抗の一方で、「重度の障害を持って生きることに、何の意味があるか」という問いを、誰にも語ることのないままに問い続けていた、という体験は持っていたのです。

 ただし、わたしの場合は、彼(弟)が生きてそこに存在することを、あるいは、これからも生きていくのだろうというその生涯を、意味のあることだと肯定するために、その問いを問い続けていた。問う必要があった。そう思われるのです。

 わたしも、「障害をもって生きるということには、どんな意味があるのか」という植松容疑者の問いを、とても長い時間をかけて考えてきた(どう考えたかは、2003年に出した『ハンディキャップ論』(洋泉社・新書y)にまとめています)。
 ところが同じ問いを、植松容疑者は、まったく逆のほうに、そんな存在は意味がない、そんな人生には意味はない、死んだ方がいい、殺した方がいいという方向に、一気に引っ張っていった。そして実行してしまった。
 つまりは、わたし自身が20年、30年かけてくりかえし考えてきた彼らの生きる意味が、一瞬のうちに全否定されてしまった。自分が受けた激しい衝撃を、少し頭を冷やしてときほぐしてみると、どうも、そのあたりの事情に行きつくようなのです。

 だからこそ今回だけは、書き手として意見表明するには情報が少ないとか、証拠や事実が特定されていないとか、裁判を経て判決が出されるまでは「推定無罪」の原則があるとか、これまで自分のなかで、できるだけ原則としてきたことを脇に置いてでも、言わなくてはならないことがある、と感じてきたのでした。

 もちろん、この程度の記述で、あんな行為がなされてしまうことのすべてが説明できるなどとは、当然思ってはいません。しかし、言葉を積み重ねていくことを職業として選んだ人間として、準備も計画もなに一つとして整っていないこの時期だったとしても、とにかく発信していく必要があると感じています。
(2016・8・7)

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