「津久井やまゆり園事件」と新幹線殺人事件(前)

「津久井やまゆり園事件」と新幹線殺人事件(前)――「飢餓陣営47号」より転載
佐藤幹夫


  「私たちの国は事件を記憶しない。
        だから同じ過ちを繰り返す」(森達也)


はじめに

三回目の七月二六日が近づいてくるにつれて、メディアからは、津久井やまゆり園事件について、少しずつ情報が流され始めている。しかしつい先日まで、マスメディアも社会も、そして識者たちも、事件への関心をなくしていると「津久井やまゆり事件を考え続ける会」(以下、考え続ける会)の会合のたびに嘆く声が出された。ほんとうに私たちの国は、忘れるのが早い。

つい一〇日ほど前の新幹線殺人事件のことさえもが、すでにメディからは後景化している。発達障害とか知的障害、自閉性スペクトラム障害、パーソナリティディスオーダーといった精神医療がらみのケースだから尻込みを感じるのだろうが、しかし直視することを拒み、忘れたふりを続けていくことは、必ずや次の「差別・偏見」につながっていく。それは、この二〇数年の間、事件取材を続け、何をここから教訓とするのかと問いかけてきた身にすれば、ひときわ痛感されることだ。

徒労感はしこりのように残るが、こうした現状に異議申し立てを込め、本稿を記していきたいと思う。特集企画の意図はまさに、「なぜ私たちの国は事件を記憶しないのか。だから同じ過ちを繰り返す」である。まずは、事件六日後に書いたブログの文章を転載する。

【相模原の事件から】
 
相模原の事件から一週間ほど過ぎました。
衝撃が大きくて何も考えられない状態が続いていたのですが、いまの時点で、考えられる限りのことを書き留めておこうと思います。

「学際的な専門家チームをつくって、深く掘り下げた解明を!」という意見も出ており、もっともですが、ここではそういう大上段から入るのではなく、もう少し身近なところから考えていきたいと思います。

そこにこそ、見逃せない問題の本質がある、と考えるからです。重大で、衝撃的な事件であればあるほど、身の回りのことから見つめ直していきたい。これは一五年ほど事件取材をしてきた私の、経験則です。

報道では、「重度重複障害者をねらった」といい、彼らは「意思疎通ができず、何を言っても分からないし、何を言っているのかも分からない」とも言っていたといいます。そんな人間は、「生きていても、家族を疲弊させるだけだから、死んだ方がいい」、という発言もあったともいう。

この報道を最初に目にしたとき、施設の支援職員として働くことを希望した人間が、こんな考えを、最初からもっていたのだろうか。途中から、こんな考えをもつようになっていたのだろうか。

被害を受けた方々や家族の無念さに突き動かされるなかで、まず、こんな疑問が湧いてきました。

どんなに「重度の重複障害」をもつ人々でも、「まったく意思疎通ができない」とか、交流ができないということは、あるのでしょうか。五年、一〇年、二〇年、付き合ってきた親御さんたちは、「まったく意思疎通ができない」と感じているでしょうか。あるいは施設職員たち。まったくの意思疎通もできず、感情交流さえもない、と日々感じながら、障害を持った人たちと過ごしているのでしょうか。

私には、信じられません。

どんなに言葉がなくて、重度のひとにあっても、まったく交流が成り立たない、などということはありえない。

表情が柔らかだから今日は機嫌がいいようだとか、体調がよさそうだとか、目が少しきついから、きょうは怒っているのだろうかとか、どこか体調不良なのかとか、表情、しぐさ、行動の様子などの様々なシグナルから、彼らの感情や意思を受け取り、声をかけ、関わっていく。

そういうやりとりをくりかえし、援助職員ひとりひとりの、それぞれのやり方で、意思疎通(らしき交流)をしたり、感情交流(気持の通いあい)をしたりして、日常の、様ざまな身辺活動(食事、入浴、排泄、着替えなど)や、散歩や、レクリエーションが、なされていくはずです。

かならずそこに、交流は生まれます。

援助する側の姿勢がつくられ、援助技術が上がるにつれて、交流は深まっていく。

だから、植松容疑者には、「意思疎通のできない人間たち」「何もできない人間」としか受けとめられなかったかもしれませんが、それはむしろ、植松容疑者自身の問題です。

つまりは、「障害をもつ人たちとの、感情交流」という、支援職員として、まずは身に付けるべき職業的スキルを、ついにもてなかった、もとうとしなかった、ということを示していると思います。けっして「障害」をもつひとたちが、「何もできない」から、ではないのです。

犯行にいたる事実関係は、あくまでも報道によるものですが、仕事に就いて間もなく、「思い通りにならない、腹が立つ」と考え、「こんな生きていても役に立たない人間は、死んだ方がいい」と考えるようになった、といいます。

こうした〝優生思想〟をどの時点で持つようになったか、現時点で詳しいことは分かりません。

いつ、なぜ、どんなふうに、こんな考えをもつようになったのか、というその解明が、今回の事件の最大のポイントではないかと、私は考えているのですが、ひょっとしたら、やまゆり園での仕事に就き始めた当初は、「障害」をもつ人たちと、うまくかかわれるんじゃないか、自分にも何かできるんじゃないか、そう考えていた可能性が、皆無ではないような気がします。

ところが、それが、まったく歯が立たなかった。なにをやっても、先輩職員のようにはできない。こんなはずじゃない、と思えば思うほど、交流がうまくできなくなっていく。そしてやがて怒りに変わってくる。
 なぜうまくできないのか。

「自分の思い通りにならない」から。
言い換えれば「自分の思い通りにできる(はずだ)」と考え、「(~~をしなさい、~をしなさい、と)思い通りにすること」が、支援というものであり、自分の仕事だと、思いこんでいた節があるからです。

障害を持つ人への支援とは「こうしなければならない」、という信念をもってそれを実行すること、悪く言えば初心者にありがちな間違った思い込みを、訂正できなかった。そして、ますます負のスパイラルに落ち込んでいく。
どんなに重度の「重複障害者」と呼ばれる人であろうと、自分の好き嫌いがあります。この人(援助者)は嫌いだ、合わないと思えば、ますます「思い通り」にならなくなります。「知的障害者だ」などとみくびっていたら、とんでもないしっぺ返しを食らいます。

相手が何をしてほしいか、そのことを丁寧に探りながら、確かめながら、やり取りを繰り返していく。その地道な作業が、いわゆる「支援」とか「援助」とか呼ばれる行為だ、ということを、植松容疑者は、ついに気づくことができなかった。

そこに最初の不幸があったのではないでしょうか。思い通りならないストレスが、どんどん溜まり、そのいら立ちが怒りになり、ほんとうは自分自身にたいするいら立ちや怒りのはずなのに、それが相手のせいにされ、障害をもつ人たちに向けられていった。おそらく植松容疑者は、いたくプライドを傷つけられたはずです。「なぜ、障害者に自分がバカにされなくてはならないのか」とも感じたはずです。

このことが、あれほどの多くの人たちの命を奪う、という行為に直接つながっていくわけではないにしても、大きな要因だったのではないでしょうか。

措置入院の制度の見直し云々、などという方向でこの事件が語られていますが、そんな問題なのですか。

施設の管理職や、法人を経営する人、施設運営を指導する行政の人にお願いです。
現場の支援職員の人たちが、せめて、孤立という迷路のなかで仕事をする、といったことのないような、職場環境を作ってください。うまくできなかったらいつでも相談できる、アドバイスを受けることができる、そんな人間関係の職場にしてください。

もうひとつは、支援スキルをしっかりと身につけ、上達していけるような勉強(研修)の機会を、必ずつくってください。腕が未熟なままノルマだけは増えていく、拘束される時間だけが増えていく、というのでは、人を支援する、ケアするという職員にあっては、ひとたまりもないと思います。

人員不足が解消できない、給料を上げようにも予算が足りない。過酷な条件のなかで運営を強いられていることは、重々承知です。もちろん、好条件のなかで仕事ができるようにしてほしい、と切に願ってはいるのですが、それが難しいのであればこその、お願いです。

精神的なゆとりを奪わない、自分は支えられているという実感がもてる、当たり前のことですが、この二つの条件が、とても重要になります。

(これは、高齢者の介護施設でも同じです)。職員同士の横のつながりと、自由に意見交換ができる(孤立しない)職場環境を。支援技術、支援論などについての、スキルの向上の機会をつくる。この二つならば、明日からでもできるはずです。

このことが、あのような「戦後最悪」といわれる事件の解明に直接役に立つとは、私自身も考えてはいませんが、支援現場をどうよいものにするか。このことを、様ざまな立場の人たちが考えることは、少なくとも措置入院制度の見直しを、などという意見よりも有益ではないでしょうか。
 まずは、こんなことを書き留めておきたくなりました。
【引用ここまで】

これが、事件直後、私の考えたことの一部である。書いているように、事件には激しい衝撃を受けたのだが、しかしこの加害者に何ごとかを反論をしなければと絞り出したのが、右の文章であった。


1.なぜ事件は忘れられるのか――森達也、かく語りき

『創』七月号(二〇一八年)を読んでいたら、「極私的メディア論 新潟女児殺害事件」で、森達也が次のようなことを書いていた。

殺人事件の死者は一九五四年をピークに減少を続け、平成二八年度の認知件数(警察が受理した数)は八九五件、実際に殺害された人の数は三三八人で、今年も「戦後最低」を記録した。一方、同年の水難事故は一五〇五件、死者・行方不明者は八一六人。交通事故による死者は三九〇四人。水難事故は殺人事件の二倍以上、交通事故は十倍の人が亡くなっている。しかし事故は、殺人事件のように大きなニュースにはならない。なぜか。森はそう問いかけて、次のように書く。

「やはり答えは簡単だ。憎むべき犯人がいないから。/つまりニュースになるかならないかの判断は、憎むべき対象がいるかいないかにによって、大きく左右されている。/(略)/多くの人が関心を示せば大きなニュースになる。多くの人が関心を示さないのならニュースは消える。これを言い換えれば、ニュースの価値は市場が決める。」

森はテレビの世界に長くいたので、「報道のメカニズムや都合や裏の事情も、「ある程度は」分かっているつもりだ」とも書く。私(佐藤)はテレビや新聞などマスメディアの世界に身を置いたことはないが、それでも、(それなりに)理解しているつもりだ。

ここから森の話題は、自身の作品「FAKE」がオランダのロッテルダムで上映された時のことに移っていく。現地に到着し、部屋でテレビを見ていると、ゴールデンタイムであっても、日本のようなバラエティー番組はない、流されるのは報道番組かディベート番組であり、あとはドラマだという。もちろん民放局である。

「FAKE」上映後のティーチインで、森は現地の人たちに日本のテレビ番組について尋ねられた。なぜ影響力の強いテレビが、あのように一方的に個人を追いつめるのか。揶揄したり笑いものにできるのか。森は答えた。「視聴率が取れるからです」。すると多くのオランダ人が、肩をすくめたり、ため息をついて見せた。「日本人はそういう残酷なショーが好きなのですね」、とつぶやく中年女性もいた。そして森は書く。「僕は無言。反論も弁解もできない。確かにその通りだ。この国のレベルはメディアにあらわれている」。

断るまでもないだろうが、あえて断る。森が書く「この国」とはオランダではない。私たちの国のことだ。政治と政治家やマスメディアに対して言いたいことはうんざりするほどあるが、ここでは批判しない。森はこの論の最後を次のようにまとめている。

「この国ではニュースがはやりすたりのひとつとして扱われている。それは「ある程度は」仕方がない。オランダにも市場原理はある。どこにだってある。でもこの国はそうした傾向が突出して強い。だから記憶できない。同じ過ちを繰り返す。これまでも。そしてきっとこれからも」。

この少し前で書いているように、「津久井やまゆり園事件」も、わずか一年で「そういえばそんなこともあったね」というレベルの記憶になっている。社会のこの忘却の仕方には、常軌を逸しているところがないか。どの事件もこんなものではないか、と指摘されるかもしれない。確かにどの事件もこんなものであり、一ヶ月前や二ケ月前、どんな事故・事件が新聞やテレビを賑わしていたか、記憶している人は少ないだろう。

そんななかにあっても、津久井やまゆり園事件は、被害の甚大さや事件の異様な性格に比し、社会からの忘れさられ方が尋常ではないと感じてきた。メディアも、そして誰もが、表向きでは「忘れてはならない」「風化させてはならない」と口にするが、心の底からそう感じているのかどうかどうにも疑わしい。

いや、あれほどの重大事件を風化させることが何をもたらすのか。そのように問い方を変えてみる。答えは先に出ている。「同じ過ちが繰り返される」ということだ。しかももっと悲惨な形で。森は、加害者への怒りを煽り、増幅させ、それをぶつけるだけぶつけ、すぐに忘れてしまうような報道ではだめだ、いまの日本にはそんな報道しかない、といっている。まったく同意する。何が欠けているのか。

このような事件が引き起こされる蓋然性はどこにあったのか。リスクは何だったのか。個人要因、社会要因。どんな方策を立てれば、同種の事件を防ぐことにつながるのか。事件をゼロにすることは不可能である。しかしこのような議論を積み重ね、広く情報を共有していくことは重要である。「警察機能」を強化せよといいたいのではない。社会防衛的な施策の予算を増やせ、といっているのでもない。

事件の記憶が風化するとは、社会の見えないセーフティネットが綻びを大きくする。不可視のセキュリティネットが、機能不全を起こしていくことに直結する。津波の記憶をすっかり風化させ、思い出しもしなくなった人と、しっかりと記憶して絶えず心のどこかに保存しておく人とでは、実際に津波が襲来した時の対応は大きく異なっていたという。同じことだと思う。

2.「新幹線殺人事件」の衝撃と既視感

この間、あっという間に報道から消えていったもう一つの重大事件があった。

本号の誌面づくりを本格化させているさなかの六月九日。走行中の東京発最終の新幹線の車両内で、二二歳の男が、両脇の座席にいた女性二人に突然刃物で襲いかかり、さらに、助けようとして止めに入った男性を滅多突きにして殺害する、という衝撃的な事件が報じられた。新幹線という舞台以外は、私にはとても既視感の強い事件だった。

報道を見ていると、事件後すぐに、近年まで同居していたという祖母がテレビで語る姿が見られた。翌日か二日後になると、中学生の時に「刃物を持って自分たちの部屋に怒鳴り込んできた息子を、そのときに捨てた、縁を切った」(本人談)という父親が、カメラの前に登場した。おそらくはこの二人からの情報だと思われるのだが、ネットやテレビ、新聞に加害者の情報が溢れ返った。ところが一週間が過ぎた今(六月一八日)、ぴたりと報じられなくなっている。森が指摘したように、数字が取れるうちは流せるだけ流し、消費しつくした途端に見向きもしなくなる、というテレビの生態がよく現れていた(あるいは、何か警察から箝口令や指導のようなものでもあったのだろうか)。

以下は、ほとんど確定的な情報を得られないままでの「感想」になる。

捜査の渦中にある加害者の父親と祖母が、求められるままにテレビカメラの前に複数回現れ、〝饒舌〟に話す姿は、これまではほとんど見られない光景だった。少なくとも私の記憶に残っているのは、大阪池田小学校事件の宅間守の父親が、『新潮45』の取材に応じたインタビューだけである(後記 事件から5年ほどたって、『「少年A」この子を生んで』という手記が出たている)。父親は、「取材に応じることが亡くなった方や被害者に対する、自分たちにできるせめてもの罪滅ぼしだ」と語ったが、この行為に対しては激しい賛否がネットで飛び交った。私見を述べれば、謝罪を願う気持ちは分からなくはない。しかし、そこで語られる内容がどこまで事実かは、担保されていないのである。

ともあれ、加害者本人と両親は早い時期から折り合いが悪かったといい、親に「縁を切られた」加害者は、その後、児童施設に入所し、退所後は祖母と暮らすようになった。長じて職に就いたが、職場での人間関係がうまく作れず、いじめにあったといい、やむなく退職。祖母の元に戻った。通院歴があり自殺念慮をもっていたこと、診断名(障害名)までもが報じられた(報じたのは毎日新聞だが、直後、SNSで強い批判が出されたといい、私自身も違和感を覚えた。ちなみに私の意見は、「出すな」ではなく、「相応の準備と取材の上で出した方がよい。どこかからクレーム等があったとしても、簡単に撤回するような中途半端な対応はしない方がよい」というものである)。

さらには、容疑者が書いたとされるノートの一部がテレビに映し出された。ドストエフスキーの『罪と罰』の文字が見られ、「自分は、世の中のだれからも全く必要とされていない、死にたい」、という記述もあった。つい私は、ドストエフスキーを読了するくらいの知力と意志をもっているのなら、なぜそれをきっかけに文学の世界に深入りしていかったのか、とそんなことを考えてしまったのだった。

独断と偏見で述べる。「世の中のだれからも必要とされていない。相手にされていない。そんな自分が生きていることに、何の意味があるか」という問いに捕まえられた人間こそが、文学を必要としているのではなかったか。かつては社会のなかに、〝そこでしか生きられない場所〟としての文学にたどり着く回路が存在していたはずなのに、いかに壊滅的になっているか、改めて思い知らされた(こんなことは、五〇代以下の世代や文学にカブレなかった人々には、およそタワゴトとしか聞こえないだろうが)。

いま、社会を席巻する価値は生産性と効率であり、生きること自体からいかに無駄を省くか。どうしたら人よりも早く上に昇り詰めるか。富を手にするか。そのような価値観とともに突き進んでいる。本来、文学はその対極にある。生産性も効率も、第一の価値としない。そうした人間は、稀少とはいえ存在するだろう。しかし彼らが生きる場所も人間関係のネットワークも、限られてしまった。「生きづらさ」という言葉は私もときどき使うが、新幹線車内殺害事件の容疑者は、おそらくはこのタイプの人間だった。

さらにもうひとつ、通常、加害者に通院歴がある、診断がついているなど、精神医療が絡むケースには、警察の、捜査とマスコミへの対応は慎重になる。起訴し、公判を維持するに足りる十分な証拠を用意しなければならないからだ。なにせ有罪率が99.9%の国である。意外だったのは、既に述べたが、事件翌日には加害者の生育歴が語られ、本人のノートがテレビに映し出されたことである。普通なら初動の段階で、加害者家族に対して本人の私物の差し押さえや、不用意な発言は禁じておくはずなのに、あれほどの情報が流された。そしてここにきて、メディア報道は、ばたりと止んでしまった。この一連の流れが、私には腑に落ちないのである。

誤解されることはないかと思うが、通院歴があるから、発達障害であるからという理由で、免責されるだろう免責されるべきだとは述べていない。精神疾患の程度・種類の問題と、責任能力の有無と、それが量刑判断にどのような影響を及ぼすかは、一律でも、単純でもない。一つひとつのケースの事情を詳しくたどり、精神鑑定の状況と事件の体を吟味したうえで決定される(はずである。本誌インタビューで、山田和夫氏が興味深い指摘をしているので参照しいただきたい)。

ともあれこの、加害者家族が取材に応じ、極めて重要と思われる加害者の個人的な情報が、事件直後、あれほど簡単に報道を通じて世間に流されたことが、私には特異な印象を残した。このことが一つである。

感想の二つ目は「むしゃくしゃしていた、相手は誰でもよかった」という容疑者の言葉が報じられたが、この種の談話は、近年の加害者が語る(語ったとされる)「動機」の一つの類型になっている。その点で既視感が強くあった。人命が奪われるような重大な事件にあって、被害が深刻なものであればあるほど複雑な背景事情が存在する。「動機」も一筋縄ではいかなくなる。たとえば怨恨、金銭目的、パワーの誇示、隠匿、男女関係のもつれ(わいせつ目的)、……というように、「動機」は類型化されているのだが、丁寧に探っていけばいくほど、この「類型」は役に立たなくなる。

『創』の篠田博之は、「黒子のバスケ脅迫殺人事件」の加害者の手記に、彼が自分の事件に「人生格差殺人」と名付けたというが、これは興味深い指摘であった。
https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20180616-00086575/

かねてより「貧困」は、非行や犯罪へ向かわせる大きな要因であった。大阪池田小の宅間守もまた、這い上がることのできない境遇にある自分と、憧れて止まないミドルクラスとの「人生格差」を呪い続けた。痛ましい大惨事はその結果である。「人生格差」という言葉が前景化するのが、秋葉原事件の加藤智大である。「正規/非正規」の壁が大きくなる。「貧困」へのシンプルな怒りではなく、「人生格差」への呪詛。かつての貧困・困窮であれば、やる気(意志)と機会(チャンス)があれば、リターンマッチができたかもしれない。不合理への怒りも、シンプルだった。ところが「人生格差」は、生まれ落ちた時点ですでに格差が定められており、いかんとも動かし難い。

貧困は連鎖し、学習や食事の機会は断たれ、暮らしの環境は悪化する。衛生面や安全面でも、大きな格差のなかに置かれる。また若い人たちをめぐる労働環境の悪化を示すデータは、これでもかというばかりに送られてくる。この加害者は祖母の年金を引き落としながら生計を立てていたというが、それでも最後は野宿を強いられている。

新幹線事件の加害者に発達障害系の診断が付けられていたように、ここに、個人的資質が複雑に加わってくる。幼少期から言動が人と変わっていて、共同歩調が苦手で、子ども集団に馴染みにくい。いじめや排除のターゲットにされやすい。どんな事情があったかは分からないが、親子関係も不全をきたしていく。引きこもりを余儀なくされ、就職できたとしても環境はすぐには改善しない。再び引きこもり、親子関係はさらに劣悪になり、長期化する。被害妄想が膨らみ、その反転として攻撃感情を激しくさせていく。社会を憎悪していたという。新幹線で事件を引き起こした青年は、友人にも家族との関係にも恵まれず、孤独と孤立の窮まるところまで落ちた。(続く)

3.二つの事件を比較してみる
おわりに― 津久井やまゆり園事件と「優生思想」




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この記事へのコメント

芋田治虫
2019年07月25日 17:14
障害者になって障害者になって当然の奴はいる。
大量破壊を使って大量○人をやった国の指導者や、そういうテロ組織の指導者、内乱罪をやった奴や「犯罪者は皆〇しだ」という選民社会主義者は、障害者になって一生刑務所にぶち込まれろ。
「日本は過去の戦争の反省と償いドイツ以上にしろ」というテロリストはカタワの障害者になれ。

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