大澤真幸『三島由紀夫 ふたつの謎』を読む(1/2)

 大澤真幸『三島由紀夫 ふたつの謎』ほかを読む(1/2)

「謎」はどこにあるのか  北明哲×佐藤幹夫



北明 では、『三島由紀夫 ふたつの謎』に移りますが、大丈夫ですか。天下の大澤真幸ですよ。紹介して、軽く褒めてお茶を濁すくらいなら、取り上げない方がいいですよ。

佐藤 ヨレヨレになるかもしれないけど、頑張ってみます(笑)。

北明 では始めます。一読してまず驚いたのは、大澤さんが、全力を挙げて三島由紀夫に取り組んでいることでした。三島由紀夫を、戦後の文学者や思想家のなかで最大の知性と認め、その最大の知性に自身の知力のすべてをかけて挑んでいく、という姿勢がよく出ている本でした。そのことが意外というか、印象深いことでした。

佐藤 そうですね。色々な意味で大澤さんらしいですね。自負もあるでしょうし、自信もあるでしょう。まさに「相手にとって不足なし」という感じですね。ご本人が明言しているわけではないですが。ネット書店を見ると評価が割れているようですが(割れて当たり前なのですが)、よく売れているようです。一種の〝問題作〟だと思います。こういう仕事は、書籍(紙媒体)もまだやれるじゃないか、という気にさせてくれますね。

『三島由紀夫 ふたつの謎』は文芸批評か


北明 それで感想の二つ目は、三島由紀夫を精緻に論じているけれど、これは文芸批評なのだろうかというものでした。そのへんはどうでしたか。

佐藤 文芸批評かどうかは、私はほとんど気にならなかったですね。どこをどう読んでも、思想家・大澤真幸の仕事です。それで十分ではないですか。もちろん、あなたの言いたいことは分かりますよ。映画批評をするならば、映像表現とはどんな固有の特性をもつか、映画の文法や技法はどんなものか、映画作品や作家を論じながら、同時にそれらを明らかにしていくのが映画論である。直接説明する必要はないけれども、自ずとそこには「映画とはなにか」、映画がどういう固有の表現形式か、ということが示されていなくてはならない。

同じように文芸批評も、小説作品に独特の様式や技法、物語構造、歴史性、どんな批評史や研究史をもっているかなど、自ずとそういう内容が立ち上がってくる記述になるだろう。それが私が考える文芸批評です。人生論や感想文とは区別されるものです。もちろん、誰が何をどう書いても自由ですし、村上春樹がかつて盛んに言っていたように、小説の読み方は一つではない、読者の数だけ読み方がある、自由に読まれていい(最近、村上さんもちょっと転向したようですが)。

北明 哲学には哲学的思考があり、経済学にも経済学的思考があり、同じように文学にも文学的思考がある。

佐藤 そう思います。加藤(典洋)さんが『敗戦後論』(講談社)や『戦後入門』(ちくま新書)で、戦前戦後の社会思想史や政治史を書いても、瀬尾(育生)さんが原発や天皇という社会的な発言をしても、発想や思考の核には文学者である、という痕跡と手触りをしっかりと残しています。竹田さんは哲学をベースにするようになったわけですが、文芸批評の発想をうまく保存させている。だから大澤さんが三島由紀夫を取り上げたからといって、文学者の書くような〝文芸批評〟である必要はない。大澤さんにもそんな義理はないでしょう。文学のほうから社会学的記述にアプローチする仕事があっていいし、社会学のほうから文学にアプローチする仕事もあっていい。そういう問題ではないですか。

北明 この議論は、以前『飢餓陣営44』で指摘した、吉本隆明さんと江藤淳さんの対談における〝対立〟に通じるものがありませんか(「北川、村上、吉本、敗戦と戦後をめぐる文芸批評」所収)。

佐藤 吉本さんが、江藤さんの、占領期の検閲の問題を取り上げた仕事に対し、文学者は偉いんだから、そんな学者のような仕事をする必要はないじゃないか、と言ったことに対して、江藤淳が、吉本さんも随分呑気だ、あれは私にとっては文学なんだ、と反論していたやり取りですね。江藤さんは頑強に譲りませんでしたからね。
それで話を進めると、私は大澤さんの本をたくさん読んでいるわけではなく、『虚構の時代の果て』(ちくま新書)とか、『夢よりも深い覚醒へ』(岩波新書)とか、一〇冊程度の新書を読んだ範囲での感想ですが、こんなことを考えています。

大澤さんのスタイルは、まず仮説を提示します。着眼がいかにも大澤真幸なのですが、『虚構の時代の果て』であれば、一九九五年、日本で二つの「戦争」が勃発した、一つは阪神・淡路大震災であり、もう一つがオウム真理教による「地下鉄サリン事件」だというものが、大澤さんの立てた作業仮説です。そして「一九九五年の戦争」がどういうものか検証していくわけですが、そのときに補助線が引かれます。複雑な方程式のような問いを投げてよこすわけです。大澤さんらしいのは、その問いが二律背反的で両義的であることです。右にもいけなければ左にも行けない、さあどうするかみたいな問いを提示し、それを解いてみせるその解き方の意外さというか、面白さですね。

北明 大澤マジックですね。

佐藤 『虚構の時代の果て』の目次を眺めているだけでも、「理想を否定する理想」「身体の微分」「右翼=左翼」、「不可能性の実体化」と言ったワードが並んでいる。いかにも現代思想っぽいんだけど、両義的なところに一度問いを追い込んで、そこから検証してみせる。このやりかたにはある効果が生まれる。

一番うまくいっているのが『虚構の時代の果て』だと思うんだけれども、二律背反から始まる論証は、オウム真理教ならオウム真理教というものが、バーチャルで「妄想集合体」のような性格をもちながらも、むしろそのことによって、より現代に特有のリアリティを増幅している、という読後感をつくるわけです。バーチャル(虚)であるがゆえにリアル(実)だというような。その最大の表象が「サリンガス」であると書かれると、恐怖感、おぞましさ、息苦しさが、見えないまま不気味に拡散されていくような、なにか現代社会の表象になる。

3.11の後に書かれた『夢よりも深い覚醒へ』はどうか。タイトルの「夢」は3.11がもたらした「絶望的状況」=悪夢ですね。「覚醒」はそのような中にあって、なお思考することへの強い促しが含意されています。稀有な破局のなかにある、辛いことではあるが、しかし深く思考すること。深い思考こそが覚醒へ、つまりは救いへと導く。
いま「救い」という言葉を使いましたが、この本のもう一つの特徴が、後半になってノアの洪水や創造神話が出てくるように、宗教論議の観を呈してくることです。もちろん一筋縄ではいかないし、ベタな宗教論議ではないのですが、大澤さんの大きな意図は、寓意あるいは寓意的思考そのものを示すことにあるのではないか。なぜ寓話や寓意的思考か。旧約聖書ですね。旧約世界は大破局後に書かれた神の言葉です。神の言葉は寓話や寓意によって示されます。そのゆえ、とても強い力をもって訴えかけてくる。大澤さんは、そのことを強く意識しているのではないか。だから『夢よりも深い覚醒へ』での補助線(問いの立て方)は寓意的です。

北明 確かに大澤さんの発想は、寓意に親和性が高そうですね。

「謎」はどこにあるのか

北明 で、『三島由紀夫 ふたつの謎』に話を戻していいですか。
もうちょっと食い下がらせてもらいたいのですが、大澤さんが、今回の三島読解で提示している二つの「謎」ですが、一つはなぜ最後に、三島があんな愚行をしたのかということ。もう一つは『豊饒の海』の末尾がどうしてあのような終わり方になっているのかということ。この小説にどんな意味があるのかと考えながら読み進めてきた読者にとって、最後の最後でまったく意味はないと書かれてしまうのでは、読者への詐欺行為ではないか」とまで書いています。

二つの「謎」はセットになっているはずで、『仮面の告白』以後の重要作品を丹念に読み解いていけば、この問題は解けるはずだ、と順次検証していきます。それが基本のプロットなんだけれども、でも、なぜそれが「謎」なんだろう。私は『豊饒の海』の終わり方はあれしかないと思うし、三島の自決にしても、「あれが謎だ」というようには考えたことはなかった。

大澤さんは、「三島の行動は、自殺自体を目的としていたわけではない。これは、一種のクーデターか革命の試みであり、はっきりとした政治目的をもっていた。しかも失敗した場合には割腹自殺することは、予定されていた。だから、三島は自殺せざるをえない状況になることを予期していたことになる」と書いています。最後の行動は自衛隊の決起とクーデターが目的、失敗すれば死、失敗したがゆえに三島は自決せざるをえなかった。こういう理解ですね。なぜ失敗と分かっているような愚行を、三島ともあろう人間がおこなったのか。そう問いを立てているけれども、これでは原因と結果が逆ではないか。

三島という作家には死への強烈な願望があった。それはどう実行されなくてはならないか。戦後のある時期からそのための準備が、周到になされていった。肉体を鍛え上げ、剣のたしなみを身に着け、陽明学や「葉隠」を読み、私兵をつくった。自衛隊の訓練に参加し、やがて来るだろう実戦の機会に備えた。色々とあったようですが、ともあれそれが、一九七〇年一一月二五日の市ヶ谷における決起行動だった。しかし、「軍人行動家・三島由紀夫」というのは、肉まで食い込んではいるけれども、戦後を生きるための仮面ではないですか。ではどこでその仮面をつけたか。文字通り『仮面の告白』からですね。

佐藤 基本的にはそう理解されてきました。なぜそれほど死への傾斜があったのか。幼少期の惨憺たる養育。もうひとつは、死が宿命づけられていた戦中世代が、敗戦によって戦後を生き延びなくてはならなくなったこと。しかも戦後社会は愚劣きわまりなく、そのことへの嫌悪。

北明 『仮面の告白』が書き始められるのが昭和二三年一一月二五日。『豊饒の海』を書き終えたときの日付が一九七〇年一一月二五日。最終稿を預けてから、市ヶ谷に向かうのですね。松本健一さんは『三島由紀夫亡命伝説』(河出書房新社)に、この点を指摘した後、次のように書いています。

「つまり、『仮面の告白』執筆によって始められその二十二年後の自決によって幕を閉じられた三島のフィクショナルな戦後は、いわば日常生活からの亡命であることによって、占領軍と戦後民主憲法によって支えられた天皇制国家の「戦後日本」と鋭く拮抗している。その、占領軍と戦後民主憲法によって守られた天皇制国家の矛盾を、かれは自決を前に激しく指摘することになるだろう」

 徹底して自己を仮構しつづけたわけですね。だから「謎」なんかないじゃないですか。大澤さんは、この二つの「謎」は、これまでほとんど正面から論じられてこなかった、とも書いていますが、そうですか。今の松本さんの文章もそうですが、三島さんを論じてきた批評家たちは、そこに「謎」があるとは考えていなかったのではないでしょうか。

たとえば吉本隆明。三島由紀夫の死後、幾つか文章を書いています(*1)。そのなかの『三島由紀夫評論全集』の書評の、『行動学入門』について触れた文章から引きます。吉本さんは『行動学入門』を読み返し、「かなしいほど真剣に生真面目」に自分の意図する肉体的行動に伴う心理を予言し、根拠づけようとしている、そのことがわかったと書いた後、

「行動思想家としての三島由紀夫が、じぶんの肉体と精神のあいだに何が実現したとき理想の達成とみなしたかは、はっきりしている。じぶんの肉体を賭けた行動が、肉体のすべてを観念の色合いに染め上げようとする意志の実現に当っており、それは同時に無意識の肉体の反射運動が肉体的訓練の最高の成果と合致している瞬間をつくりあげる。それがかれの理想だった。そしてその瞬間のすぐあとには死がひしめいていてもよかった。これは肉体的な行動によって受ける身体の苦痛に最高の価値を与えようとする異様な思想だ。だが、ここまで意志的に肉体の鍛錬と肉体の思考を追いつめていった彼の理路と、死によるその理路の完成には、疑わしいところは何もないというべきだ。むしろ疑わしいところは何もないことに、わたしは乳幼児期のときから囁きかけられたおまえは生きてはならないという声のない彼の無意識の悲劇性を見るべきだとおもえた」

吉本さんは「死によるその理路の完成に疑わしいところは何もない」と言い切っています。加えたいことはありますか。なにか「謎」はありますか。

佐藤 三島由紀夫という作家の基本的なところは、吉本さんや松本さんの指摘で十分に言い尽くされていると私も思います。よく引き合いにだされますが、やはり生まれて間もなく乳母に預けられた太宰とともに、こんな育てられ方をしたら生きて行けという方が無理だという趣旨の発言も、吉本さんはしていますね。私もそういう認識で、太宰や三島を考えてきた(ちなみに私の春樹論では、村上春樹もこの系譜に入る幼少期をもつ、というのがひそかな仮説だったのです。村上さんは伝記的事実をほとんど明かしていませんが、『IQ84』『海辺のカフカ』『風の歌を聴け』に垣間見えると思っています。いずれ)。

『三島由紀夫 ふたつの謎』の意図はどこにあるか

佐藤 戻します。注意したいのは、大澤さんの三島論考からは、幼少期の生育事情への考察がすっぽり抜け落ちていることです。したがって悲惨な幼少期が死への願望をつくりあげ、それが生涯を染め上げた、という発想を採っていない。しかし大澤さんほどの人が、この生育の事情に気がつかない、ということがあるだろうか。

北明 意図的に消し、文芸評論家たちが共有してきた定説を、大澤真幸は封印したと。裏取りの必要はないですか。

佐藤 いや、大澤さんも三島の読解を進めながら、これは三島本人の意図がどうかとは別のことで、読み手が読み込んでいったときにこのように読める、という読み手の側の読解だ、というエクスキューズを挟んでいます。同じことです。仮に、大澤さんに聞いても本当のことを応えてくれるとは限らない。

だから、大澤さんのこの本に対して私が抱いた仮説の一つは、これまで文学者たちが作り上げてきた三島由紀夫の定説に依拠せずに、できるだけ自分なりの検証を進めて三島由紀夫を描いていくこと。これまでの三島像は文学的修辞におおわれているが、一端脇に置く。二つ目は、同じことなのですが、幼少期の生育史の悲惨が死への願望をつくり、文学や人生を規定していったという見解から距離を置くこと。では、文学者たちは三島の死にどんなことを言ってきたのか。

たとえば死後半年ほどして発表された(「新潮」一九七一年二月号)澁澤龍彦の文章。これは当時の文学者に小さくない影響を与え、ある意味では呪縛したと思うけど、こんな一節。

「三島氏もまた、四十五歳の皮膚の下に、つとに肉体という不治の病のひそんでいることに気がついていたればこそ、この病を終焉せしめる唯一の手段ともいうべき、自殺という荒療治に頼ったのであろう。なぜなら、衰えることを知らない死は、永遠であり健康であるからだ。これこそ三島氏自身が明かした、もっとも単純明快な自殺の意味であり、私には、秘密の詮索はこれだけで充分であるようにさえ思われる」(「絶対を垣間見んとして」)

さらに秋山駿(文芸評論家)。

「さて、三島さんの決起と自死の行為について、いまの私はこう考える。その行為の全体、それに連なる言葉のすべてを、そっくりそのまま受け容れること。いかなる解釈も要らない。解釈しない(原文傍点)、ということが、三島由紀夫のこの行為への私の礼儀である。」「死後二十年・私的回想」(*2)

もう一つ、さっきの松本健一の文章も引きましょうか。

「だから澁澤龍彦がその追悼の文章『絶対を垣間見んとして……』に書いているように、三島は政治的な意味での天皇制の強権化をめざして蹶起したのではなく徹頭徹尾「文学者」として死んだのである」(『三島由紀夫亡命伝説』・河出書房新社)

作家の山口瞳(「週刊現代増刊・三島由紀夫特集号)。

「三島さんの死は、一種の〝情死〟だと感じました。それもセクシュアルな情死という印象を強く受けました。(略)文学者の自殺は、どの場合でも、書けなくなったときにあるのです。三島さんの死は、文学的いきづまりと同時に、スターとしてのいきづまりでもあると思われます」

こんなふうに、必要以上に詮索しない、解釈しない、あくまでも文学者の文学的な死である、あるいは文学的いきづまりによる情死である、文学者の死に対し、政治主義的・市民主義的非難は間違いだ、という言説空間が出来上がったわけです。

同時代を生きた文学者たちは、三島由紀夫の突出した才能に圧倒されていたわけだから(秋山駿だって澁澤龍彦だって松本健一だって大きな存在なんだけど)三島由紀夫のやったことに、自分たちが軽々と詮議建てをするのは憚られる、という強い遠慮も、ひょっとしたらあったかもしれない。

江藤淳の強い矜持
北明 でもそれは三島由紀夫が最も嫌ったものでしょう。吉本隆明、奥野健男、江藤淳は、三島由紀夫の死後、激しく批判しています。奥野がどんな発言をしたかは大澤さんが著書で引いていますので、そちらに任せるとして、江藤淳は「文芸時評」で、次のようなことを書いています(*3)。

「死者に対する礼節は守るべき美風である。しかしその死者が文士である場合、死せる文士は当然死後におこなわれるべきあらゆる文学的批判から免責されていない。むしろ逆であって、作者が死んだ瞬間から作品は生前それに付着していたあらゆる夾雑物を洗い流され、より純粋なかたちを曝して生きている文士たちの前に立つのである。これについて心に思うままに語るのは、むしろ死者への礼儀である。まして三島氏の場合、澁澤龍彦氏の指摘する通り、その肉体と死すら「傍若無人な一個の作品」であったとするならば」

この江藤淳の文章は、澁澤龍彦や、他の文学者たちの追悼文へのある意味では皮肉になっているのだけれど、それはともかく、高見順が死んだときに江藤は「文芸時評」に追悼文を書いた。それに対し突然三島由紀夫から電話があった。「君はよくやったね、心から敬意を表します。それだけお伝えしたくて(電話を)かけました」と伝えてよこしたという。それを証するかのように、江藤淳は三島の自決の直後、小林秀雄との対談でこんな発言をしています。結構過激ですよ。

「小林秀雄:(略)そして二人(宣長と徂徠)とも外国の人には大変わかりにくい思想家なのだ。日本人には実にわかりやすいものがある。三島君の悲劇も日本にしかおきえないものでしょうが、外国人にはなかなかわかりにくい事件でしょう。
江藤(淳):そうでしょうか。三島事件は三島さんに早い老年がきた、というようなものなんじゃないんですか。
小林:いや、それは違うでしょう。
江藤:じゃあれはなんですか。老年といってあたらなければ一種の病気でしょう。
小林:あなた、病気というけどな、日本の歴史を病気というか。
江藤:日本の歴史を病気とは、もちろん言いませんけれども、三島さんのあれは病気じゃないですか。病気じゃなくて、もっとほかに意味があるんですか。
小林:いやァ、そんなこというけどな。それなら吉田松陰は病気か。
江藤:吉田松陰と三島由紀夫とは違うじゃありませんか。」
小林秀雄を相手に、これだけ堂々と自説を述べて渡り合える江藤淳という存在も、大したもんだと思います。

佐藤 そうすれば、大澤さんが三島由紀夫について存分に思うところを書くのは、なにも問題がないのではないですか。

北明 思うところを書くか書かないではなく、大澤さんが言うほどの「謎」はあるのか、ということです。『天人五衰』のラストに激しく異を唱えているけれど、もうひとつ、江藤淳を引きます。「文芸時評」の先ほどの続きです。
「「新潮」新年号に遺稿として掲載されている「天人五衰」の最終回を通読すると、作者が小説をつくり上げることに倦んでいる様子がありありとうかがわれる。この作者は人間にも実在にも、ほとんど何の興味も示していない。それも当然であって、作者にとって思想も、政治も、ボディビルも剣道も、小説すら「三島由紀夫」という第二のアイデンティティをつくり上げるための素材にすぎなかったのである」

これで十分だと思われるのですが、ダメですか。浮かない顔をしているので、次にもう一度、吉本さんを引用します。

佐藤 容赦なく攻めて来ますね(笑)。

北明 こんなふうに書いています。

「(三島後半期の)作品の文体は古典主義的な格調をもちながら、儀礼文ふうに空虚で大袈裟になり、少しも現実的な実感をあたえなくなり、風俗の現在の核心にも入りこめなくなった。登場人物の動きはすべて大文字の構えをもった古典人形で、私的な囁きも吐息も感じられない。誇張していうと『春の雪』から『天人五衰』にいたる最後の『豊饒の海』四部作で、わたしの印象にのこったのは、夜の公園の木陰にひそんだ主人公本田老人が、暗闇で若者たちがやっている奔放な性行為の場面を覗くところだけだったといってもよい」

批判の基本的な部分は、江藤さんと通じていますね。あるのは小説をつくっている様式性だけで、登場人物は生きていない、輪廻や「空」というテーマも、小説の中で血肉化されておらず、遊離している。『豊饒の海』は、そんな受け取られ方をしてきましたね。そちらだってそうでしょう。

佐藤 はい。基本的にはそうですね。

北明 だったら、三島には「謎」があって、それはまだきちんと議論されていない、という大澤さんが設定した仮説には異議あり、ということになるんじゃないんですか。
佐藤 どこからどう話していけばいいのかな。文学の側からなされてきた三島由紀夫をめぐる言論は、ものすごく厚みがあることはまちがいありません。私もその恩恵はたくさん受けてきました。けれども、その成果を引いて、大澤さん、そこは違いますよ、こうですよ、という反論の仕方もあるとは思うけれど、門前払いを食わせるようなそういう言い方は面白くないと思うのです。もうちょっと大澤さんのほうに寄って考えてみたい。そうすると何が見えるだろうか。その方がよほど生産的な議論ができるのではないだろうか。

(*1)「檄のあとさき」(『三島由紀夫と戦後』中央公論特別編集・所収)、「情況への発言 一九七一年二月 暫定的メモ」(『「情況への発言」全集成Ⅰ』洋泉社・所収)、『三島由紀夫全評論集成』(『新書物の解体学』メタローグ・所収)、「三島由紀夫の「暗い一生」」(『真贋』講談社文庫所収)、
(*2)『群像日本の作家18 三島由紀夫』(小学館)。「新稿」とされている。
(*3)江藤淳『全文芸時評』(新潮社)

(以下次回)

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