吉本隆明の遺した宿題(1/3)  北明哲+佐藤幹夫(飢餓陣営38号より転載)

飢餓陣営38号【追悼総力特集 吉本隆明を新しい時代へ】より転載
吉本隆明の遺した宿題          北明哲+佐藤幹夫
 ――三島由紀夫の戦後と吉本隆明



吉本隆明の3・11言論以後

北明哲
 ぼくは吉本隆明の書くものや話すことのすべてを丹念にフォローしてきたわけではないのですが、最晩年の発言には、極力耳を傾けてきました。そこで素朴に感じたことは、吉本さんが「見る(読む)」「聞く」「歩行(移動)する」など、身体があれほど過酷な条件におかれていたなか、なぜ大きなリスクを冒してまで「反原発」に対する異論を述べつづけなくてはならなかったのかということでした。
自説を補足したり反論したりする時間が残されていないことは、ご自身がいちばん承知していたろうし、結局「反『反・脱原発』発言」で晩節を汚し、生涯を閉じた思想家」という評価になってしまうのではないか。そんなふうに言いたい人間はたくさんいるだろうし、それほどのリスクを犯しながらなぜ発言を止めなかったのか。それがとても不思議でした。

佐藤幹夫
 その問題に入るまえに、一つ確認しておきたいのですが、吉本さんご自身は、自分は反・脱原発は認めないし、また「経済的な利益から原発を推進したいという考え方にも私は与しない」と述べていますね。つまり、吉本さんの「反『反原発・脱原発』」の議論は、通常考えられている「原発推進」や「原発容認」という枠に収まるものなのかどうか。そのような疑念があります。

現在(2012年)の風潮として、「反原発」に与しない言論はすべて「敵」、つまり原発推進派と見なす、という排除の政治力学が、巧妙に張り巡らされていないかどうか。もっとも吉本さんご自身は、自分の発言が「原発推進」と受け取られ、批判にさらされるだろうことは、反核異論やオウム発言のときと同様、重々承知していたと思います。まずこの点がひとつです。

それから、いまあなたが言った、吉本さんの、3・11以降のメディアへの露出ぶりを見ると、発言を請われたときは可能な限り対応しようとしていたように思われるのです。発表の場所にも神経質にはならなかった(このあたりのことは確認しないといけない事柄ですが)。大手の新聞や週刊誌のみならず、これまでならばまず登場しないような(また声をかける方も、通常ならば考えつくことさえしないような)保守系の雑誌にも登場していました。

このこと自体については私などがとやかく言うことではないんだけれども、危惧していたのは、談話原稿のゲラチェックなどをどこまで自分でなさっていたのか、という副次的な問題です。私がインタビューをさせてもらったときは、終了後、「ゲラをお送りしますから」と伝えると、「必要ない。あとはすべて任すから」というご返事で、かえってこれはえらいことになったなあ、と思ったのです。

吉本隆明のインタビュー原稿をどう仕上げるか、その全責任が私にかかってしまったわけですから。ただし、「すべて任す」というのは同行してくれた編集者、小川哲生さんへの強い信頼があったからこその措置だろうし、あらゆる取材に同様の対応をしていたかどうか、これまた確認はできていません(小川さんによれば、亡くなった後に刊行された書籍に関しても、生前から作業が始まっていたものには、できる限り、ゲラに目を通そうとしておられた、ということを聞きました)。

そして思うのは、メディアに登場して積極的に発言をするという基本姿勢と、掲載時の原稿チェックが思うようにならないという現状とは、どうしても切り離せない事柄であり、それでも発言は止めないという決断は、考え抜かれた結果だったと思います。どこからどんな批判が出るか、反核やオウムその他、数多くの論争体験からおおよそは予測していたでしょう。

極論を言えば、「ぼくの考えを批判するも曲解するも、場合によっては捏造するも、なさりたければお好きなように」というのが、吉本隆明の最後の思想的構えだったのではないでしょうか。それが、私がたどりついた結論でした。事実だったかどうか以上に、それくらい〝開かれた〟ところに自分を置かれていた、ということが言いたいわけですね。

北明
 なるほどね。たしかに吉本さんには、老いて不自由になった身体(を含めたすべての自分)を、他者の目から遠ざける、衰えた自分を隠す、という発想は皆無だったと思います。六〇歳代以降の仕事の質と量の豊富さ、発想の独創性は恐ろしいほどのもの、アイデアや最後までまったく枯れることがなかったでしょう。あなたがやらせてもらった宮沢賢治についてのインタビューだって、以前どこかで発表した話の繰り返し、二番煎じではなかったでしょう。

佐藤 あのときはほんとうに驚きました。あれだけたくさん賢治について言及されていながら、まだ新たな見解が出てくるのか、と。とても人間業とは思えませんでしたね。

ともあれ老いをどう開くかという問題ですね。贔屓の引き倒しになってはいけないけれど、やれるうちはやる、歩けない、見えない、聞こえない、というように身体の「老い」が進んだとしても、残っている力を総動員してかんがえ、発信をつづける。人にも自分の姿を隠さない。自分のもとをマスコミなり誰かが話を聞きたいと訪ねて来るうちは、引っこんでしまうことは自分からはしない。そして、その通りに実行していたのではなかったでしょうか。

しかも驚くほど自然体で、ごく普通のことのように、老いた自分を他者の前に〝ひらいて〟いました。改めて吉本隆明の思想は〝老い〟や〝弱さ〟や〝障害〟といった存在に〝ひらかれ〟ていたのだということを感じました。急いで付け加えますが、高齢になった吉本隆明の発言だから、内容の妥当性については下駄をはかせてほしい、手加減してほしいと言っているのではありませんよ。もう発信はしない、世間から引っ込むという選択肢は、吉本隆明にはなかった。思想からいってもなかった。そしてそれを最後まで全うした。そのことを強調したいわけです。

最晩年の講演は、車椅子でなさっていましたね。あのとき吉本さんは「自分はこんなふうに老いたけれどもバリバリの現役だし、まだまだ若い奴には負けないから」と力むわけでもない、「自分もここまで老いた、お聞き苦しいだろうけれども、その点は、免じて聞いて欲しい」と、エクスキューズするわけでもない。淡々と、車椅子の人となった自分の身体を聴衆の前に示し、これまでと同様に、掛け値なしの「吉本隆明」としてその思想を語っていく。いかにも吉本さんだなあと感じさせるものでした。

随分回り道をしてしまったけれど、あなたの最初の問いは、原発論議について、リスクを犯してまで自説を発信しつづけたのはどうしてか、自説を一切変えようとしなかったのはなぜか、というものでしたね。

私の方から逆にお聞きしますが、あそこで、もし吉本さんが自説を変えたらどうでしょうか。それでも吉本隆明だと感じますか。それこそ「戦後の思想転向者を徹底的に批判・弾劾」することで出発した思想家・吉本隆明は、最晩年の3・11原発問題において、自説を撤回して誤りを認め、その生涯を閉じた、という評価を残すことになりませんか。それだと「誰もが反対しない吉本隆明」に収まってしまうわけでしょう。そのような吉本隆明はもはや吉本隆明とは言えない、そう私はそう思うのだけれど。「誰もが反対できないことに反対し続けるのが吉本隆明」でしょう。

北明
 そんなことを言っていると「吉本隆明は単純な間違いを犯しただけなのに、それを過剰に意味づけようとするバカな吉本主義者が後を絶たない」と、吉本嫌いに批判されますよ(笑)。

佐藤
 よろしいんじゃないですか。言わせておけば。

それで、ここは大きく見解の分かれるところだろうと思うのですが、吉本さん流の「老いの超え方」とまったく対極のあり方があって、つまり、自分の老いを自覚し引き受けたからこそ、世間から身を引き、後から来る人に託すという考え方もあるわけです。わが老いを思えばこそ身はさらさない。こういう考え方も強くあって、こちらのほうが、あるいは一般的なのかもしれません。

「老い」の問題、三島由紀夫と吉本隆明

佐藤
 もっと言えば、老いた自分をまるごとテーマとしながら受け容れ、自分の思想をつくっていく、という吉本隆明のあり方を考えるとき、もう一方の極に、三島由紀夫を置いているのです。

この点に関していえば、二人は対極です。『豊饒の海』第四巻、『天人五衰』を読むと、いかに三島が老いを憎み、老人という存在を嫌っていたかが、これでもかというくらい描かれています。詳しく述べるほどの準備はしていないのですが、大正の末に生まれて昭和の戦争をくぐり、戦後を生きた同世代の三島由紀夫を隣に置いて吉本さんの晩年を考えると、三島は徹底して「老い」を遠ざけた、しかし最後まで発言し抜くのが吉本隆明の思想だった、と改めて思うのです。

北明
 「老い」の問題と言えば、ハルノ宵子さん(長女、吉本多子さん)が、『猫びより』(日本出版社)というマガジンに「シロミ介護日誌」というエッセイとマンガによる連載を書いているのですが、そこで報告されている吉本さんの発言も、かなり強烈です。病の床に臥してなお吉本隆明健在なり、と感じさせるエッセイで、そのタイトルが「連れてっちゃったよ」です。どういうことかというあたりは、吉本隆明と猫との驚くべき愛情物語といえば、だいたいのところを推測していただけるかと思いますが、もうひとつの大きなテーマがあり、こちらのほうに驚いたのです。紹介させてもらいます。

亡くなる四、五日前に、「早くうちに帰って来て」と宵子さんが言うと、父(吉本隆明さん)は「○×△□*!」と大声で答えた。けれども入れ歯を外していたので、何を言っているのか聞き取れなかった、それで、亡くなるまでそのままになってしまった。ところが家に戻って少し経ってから、父が何を言いたかったのか、宵子さんは突然理解したというのです。父が何を言いたかったか。「どこだって同じだよ!」と言ったんだ。そのように宵子さんは書いているのです。病院だって家だって、死ぬときは同じだ、と。たしかに吉本さんならば、そう言うだろうと思います。さらに宵子さんの次の一言。

「(略)病院でなく家で死ぬためには――などと、そろそろ自分の身体がアブナクなってきた〝団塊の世代〟が言い出した昨今の生ぬるい風潮に、父はまた最期に、見事に水をぶっかけて逝っちまいました。」

私は、さすが吉本さん、息を引き取る間際まで「吉本隆明」だったのですね、と深い感銘を覚えたのです。

佐藤
 やはり親娘ですね。吉本隆明を、しっかりと理解している。高齢者ルポなどを書いている私も、「水をぶっかけられた」ひとりに入るわけです。最近よく、病院には入らない、延命は要らない、救急車なんかに乗せるな、とか人並みのこと言いだしていますし。で、何の話だっけ(笑)。続けてください。

北明
 ここで取り上げたいのは次のことです。吉本さんが亡くなったあと、茂木健一郎との対談集、『「すべてを引き受ける」という思想』(光文社)が出版されました。吉本さんの没後になって、ずいぶんと相手方の書き込みが増えたんじゃねえかと、ふと感じさせなくもない「対談集」ですが(まあ、ぼくらもあの手この手をいろいろやっているので、それを棚に上げて、人様のことは言えませんが)、ともあれ吉本さんはこの対談の中ではっきりと、ホスピスは認めない、「死を前提にした医療」なんていうのはあり得ない、とおっしゃっています。

先ほどの、ハルノ宵子さんが書いていたという、「○×△□*!」(どこだっておんなじだ)という吉本さんの間際の言葉も、まさにその考えの延長にあるものだと思うのです。吉本さんは現今の高齢者の医療や介護のありかたにたいしては、厳しい見解を述べておられました。『老いの超え方』(朝日新聞社)の中でも、ホスピスについて次のようなことを書いています。

「医者が医学的に死に間違いないというのと、肉親の情感も何もかも含めた感じ方の温度差が、死の判定のずれになっていくと思います。そのずれのあいだに何が介入できるかというと、僕はないと思います。せめてフーコーが言うように、息が止まったからといって死ではない、死んでいくけれどもまだ体温が残っているとか何でもいい、自分を慰めながら看護している肉親が納得したら、延命言装置は外していいということになると思います。つまり、その切実さにかなうようなホスピス、あるいはホスピス的な考え方は、ぼくの実感としてはないと思います。

ぼくならそういう余計なことはしないでくれと言いたいけれども、これはほんとに言えるかどうか分かりません」

これを読んで、いかがですか。

佐藤
 引用部分の吉本さんの見解に、異論はありません。医療が判定する「死」と、肉親がそれを引き受ける「死」との間には時間的な距離がある。そこにホスピスなどの第三者が介在する余地はない。――死者を看取るという行為(ケア)についてのこの基本原則は、おっしゃる通りだと思います。そしてこのような基本原則からすれば、まだ命あるうちに医療を放棄するということは、やはり吉本さんには認めがたいことだったのではないでしょうか。ホスピスの何であるか、その動向など詳しい内容はご存じなかったかもしれません。しかし情報不足や誤解ゆえの否定ではなく、吉本さんの思想原則からの判断だったのではないでしょうか。

北明
 『生涯現役』(洋泉社・新書y)でも批判していますね。ホスピスをやるにしても、おおっぴらにやらないで、せいぜい友だち二、三人でつつましくやっていくのが妥当だろう、それをホスピス運動家のようにやるのはよくないというのが、その理由です(p75~76)。ボランティとこみでの批判なっています。もうひとつあって、要するにホスピスというのは、ご老人を安楽に死なせてあげようということなんで、それが気にくわないんだ。そういう言い方になっています。

佐藤
 断定はできないですけれども、どう生まれてどう死ぬか、そんなことは他者からとやかく言われることではない。誰に決められることでもない。死という領域に、家族以外の第三者や医療が介入することは(家族のいない人や独居の人は別ですが)、吉本さんの死生観とは相いれない。生や死を人為的に操作することは、どう考えたって承服しがたいというのが、吉本さんの基本的な考えだろうと思います。そして権力の力を持って、生死を自在にコントロールしようとする所業を、「ナチスにも匹敵する」、といったのでしょうね。

ここまではまあ異論がない。ただ、ではそれで終わりかと言えばそうではないだろうと、私自身は思っているのです。私が、高齢者関係の二冊のルポルタージュで述べたかったことは、死をめぐる問題のあり方が大きく変わりつつあるということがひとつ。社会的にも家族の問題としても、法や制度の問題としても、そして現象としてもこれまで想定されていなかった事態が(あるいは、医師の裁量の中でなんとなくやり過ごされてきた事態が)、法や制度の不備としてはっきりと表面化するようになった。

例えば〝終末期〟の規定が、法的に明確にされていない。そもそも、これを明確にしなければいけないのはなぜか、その共通確認をどうつくるのかという問題があって、そこから芋づる式に、いろいろな問題・課題が出てきているのです。人工呼吸器を装着するなどの延命治療にいったん入ると、その中止の可否の問題が生じ、現在の法律や制度では、医師の単独の判断が、事後、刑事訴追の対象ともなりかねない。だから先ほどの吉本さんがおっしゃった「延命装置を外す」という行為も、現行の法では、厳密には違法行為として刑事訴追をうけてしまう。それから、延命自体をめぐる倫理的・道義的な問題もある。メンタルな問題というか、宗教的な問題とでもいうのか、「死と魂」の問題と言われたりしますが、解決されていない問題がたくさんあるわけです。

吉本さんの見解は、大きな枠としては賛成ですけれども、個別具体の問題に直面したとき、吉本さんの基本理念の外にいったん出て、別途考えなければならないことがたくさん出てくる。そこにぶつかるのです。ホスピスを含めた終末期医療もその一つだと思っています。ちなみに援助職という立場ではなく、私個人のこととして言えば、吉本さん同様、どこで死んだって同じだよ、と思っています。死ぬ場所も、死に方も、自分じゃ選べないでしょ。基本的なところではそう考えています。都合のいいように死ねるなんて考えない方がいいのです。本当は、言っているだけで、分からないところではあるのですが。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

ナイス

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック