吉本隆明の遺した宿題(2/3) 北明哲+佐藤幹夫

【追悼総力特集】吉本隆明を新しい時代へ
吉本隆明の遺した宿題 (2/3)          北明哲+佐藤幹夫
 ――三島由紀夫の戦後と吉本隆明



思想的に決別するということ

北明
 芹沢俊介さんも、吉本さんのホスピス理解について噛みついていますね。

佐藤
 ああ、あの本ですね。

北明
 芹沢さんは吉本さんの晩年、吉本さんのご自宅に、五年ほど足を向けていなかったといいます。その原因となったのが『生涯現役』だった。そこで自分のことを「ホスピス運動家」のようになったと言っているが、根拠のない誤解であり、さらに間違った理解をもとにして「暴走しはじめた」、ホスピスはナチスの優生思想と同じだ、ナチスは悪いことをしていると自覚していたが、芹沢はいいことをしていると思っているから、もっと悪いんだ。そう言っているが、その根拠がまったく分からないし、間違った理解だ、と。

佐藤
 芹沢さんがそう言いたくなるのは、分からなくはないですけれどね。

北明
 でもこんなことも書いていますよ。「吉本さんの発言の真偽を確かめようともせずに吉本隆明の発言だから正しいに違いないとこの本の編集者が判断したとしたら、吉本さんを信仰対象として貶めることでしかない。ずいぶん、無残な事態である」。ここでいう「この本の編集者」って、あなたのことだと勘違いしていませんか。

佐藤
 ああ、あれですか。むかし書いた文章への、お返しのつもりだったのかな。

北明
 「樹が陣営」を探し出したので、その文章を引きますよ。あなたは、こんなことを書いていましたね。

「(9・11テロ後に書かれた芹沢氏の文章を引いた後)芹沢がここで言っていることは「自分の身体はついに9・11のテロを体験することができなかった」ということに尽きる。同時進行的に書くことを強いられた時評家の辛さを差し引いても、ここにある芹沢は無残である。八〇年代に入って、現在的課題とはマス・イメージの重層性を読み解くことにあり、そして国家という課題も未来を予測させるハイ・イメージの中で読み解かれなくてはならないと吉本は言ったが、芹沢はそんなものは体験ではないと言っていることになるがわたしの誤読か(後略)」(樹が陣営23「9・11同時テロ発言から」)

 こんなことを書くから、芹沢さんは「無残」はお前のほうだろう、とお返ししたかったんですよ。

佐藤
 そういうウラの取れない憶測ばかり言っていると、例によって妄想批評が始まったな、と言われますよ。
でも吉本さんが「暴走」したかどうかは別としても、さっきも言ったように、吉本さんの思想原則から考えても、ホスピスは認められないという点ははっきりしています。そしておそらくあの発言は、ホスピス云々以上に、芹沢さんに対する決裂の宣言だと受け取ることはできませんか。

『母型論』の思想が(幻想の「母」と和解することで、存在、言語、死、というような世界との和解を試みた思想が)、『母という暴力』における、タイトルどおりの二元論的な権力批判の思想と、はたして相容れるものかどうか。「母」や「父」など、家族の構成条件をすべて「権力」という否定的媒介として定位させ、そこからの死守を語った「イノセンス」という家族への対抗論理が、芹沢さんの家族批判ですね。その思想が、死者も未生の者も、そしていまある存在も、すべて銀河系のかなたから俯瞰されて語られる「存在倫理」の前にあってなにほどのものとなるかは、芹沢さんご自身が一番御存知だろうと思う。

芹沢さんはずっとそばで吉本さんを見てきた方だから、それまですごく親しかった人でも、思想的に相いれなくなったときには遠慮なく別れていくという場面に、何度となく立会っているはずです。吉本さんの怖さ、ばっさりとやってしまうときの割り切りのすごさは、だれよりもよく知っていたでしょう。芹沢さんが、吉本さんの意識がなくなるまでの五年間、ついに足を向けることができなかったのも、そういう事情を知っていればこそでしょうし、存命のうちに直接本人にお会いして確かめるのがスジだったと思います。でも、できなかったんでしょうね。

北明
 足を向けなかったのは、自分の申し出をすんなり受け入れてくれるとは限らないし、「ののしり合いにまで発展することも考えられた」からだ、と書いています。またお前の妄想批評じゃないかと言われそうですが、もう少し突っ込ませてもらっていいですか。

 この芹沢俊介の新著『宿業の思想を超えて』は、吉本隆明がいかに親鸞に比肩する思想家だったか、ということを論じようとした書物ですね。「この「存在倫理」がくわわえられたことで、吉本隆明は、これからの時代を切り拓く不可欠な存在として、現代の親鸞になった、私にはそのように見えてくるのである。」(p25)とあることからも明らかです。で、思ったことを率直に言わせてもらうと、親鸞さんほどの大宗教家でも、誤解をもとに「暴走」しちゃったり、善鸞やそのほかの弟子たちと言い合いをして、「ののしり合いに発展」したりしたんでしょうか。

佐藤
 またそういうことを言う。えーとですね、親鸞は比叡山を下りたり、流罪になったり、破戒して妻帯したり、当時の僧侶としては暴走に次ぐ暴走だったとも言えるのではないですか。それから「ののしり合った」かどうかは分かりませんが、親鸞が温厚一筋の穏やかなだけの宗教家ではなかったはずです。親鸞をきちんと勉強したわけではありませんが、私の知る限りでも、そうとうな戦闘家ですよ。芹沢さんも、吉本さんに対する愛憎の深さにおいて、ただならぬものがあるのだろうと思います。

北明
 どうしたんですか。今日は遠慮していませんか。普段と違うじゃないですか(笑)。

佐藤
 いやいや、そんなことはないです。芹沢さんも吉本さんを失った哀しみが大きくて、この編集者は「無残な事態である」などと、つい八つ当たり気味に「暴走」しちゃったんだと思いますよ。

思想の原則と現実的実効性との距離

北明
 話を戻しましょうか。さっきの、大枠には異論はない、しかし具体論は別だというあなたの言い方は、吉本さんがどなたかと激しい論争になるときと、同じ論理構造になっていませんか。鮎川信夫さんとの「ロス疑惑論争」もそのパターンでしたし、「反核問題」での批判者も、現実に核の脅威にさらされているじゃないか、というモチーフではじめられたものでした。「オウム事件」も、教団の存在自体が社会の安寧を著しく損なう、徹底的に取り締まれという多数派意見と、宗教家を裁くことはそれだけでは収まりはつかないとする吉本さんの原則的な見解。そして今度の「原発事故」。

吉本さんならではの原理思考に対し、もう一方には現実に軸足を置き、原理原則と打開策との妥協点を探りながら〝解決〟を求めようとする思考のありかたですね。原理思考に対して、現実的な調整型思考、というかたちで対比させていいかと思うのですが、その典型例を言うと、吉本さんと鶴見俊輔さんの対談ですね。お二人の対談を読むと、テーマがいつもそこに集約して激しく闘われている、と感じました。

原理思考だけでは現実の問題に手を出せなくなってしまうのではないか、結局それは、何も変わらないことを容認する、つまりは解決を放棄することなのではないか。――鶴見さんによる、これまでなされてきた吉本さんへの批判の重要な点は、そこに集約されるといっていい。そしてこの延長に、吉本批判のひとつの定型があったと思います。

佐藤
 おっしゃる通りです。

北明
 辺見庸氏が『週刊読書人』(二〇一二年七月一三日号)で、吉本さんのその点をついた批判していますね。批判の論点はいくつかあるのですが、辺見氏が気に入らないのは「吉本という思想家が右か左というより、行動しない、闘わない人間たちを肯定してきた」ことであり「昔は俺だってというような、左翼的ノスタルジーを自慢するあわれなオヤジども、つまり団塊の世代の知的お飾りとして吉本隆明は使い回された」ことが苛立たしいようなのです。

さらに「吉本的な思考方法というのかな、結果的に現状肯定になる思惟と不実践の方法みたいなものは、悪い意味で現時点でもまだ受け継がれている」と批判しています。いかにもこの作家らしい物言いですが、この辺の問題につながっていきませんか。

佐藤
 辺見氏のインタビューは私も読みましたが、要するに思想というものは、現実に対するアクションの示唆にならないといけない、現実の変革を目指すものでなくてはならない、というもので、これではオールド左翼の思考そのものではないか、と感じたのです。あの辺見庸がどうしたのかと。

あくまでもインタビューだけでの感想で、それ以上に言えることはないんだけど、考えるべき問題は、橋爪大三郎さんもこれに類した指摘をしていたことです。橋爪さんの場合は批判の文脈ではありませんが、次のように言っていました。吉本さんは徹底的に反権力であり、国家の存在理由や価値を認めなかった、そのための社会思想を、苦労してつくらなくてはならなかった、と述べた後。

「(それは)とても良心的で、潔癖で、野心的な試みだけれども、よしんばこの試みがうまくいったとしても、けっして制度をつくるものにはなりません。政党もできませんし、地域社会もできないし、NGOやNPOもできないし、要するに何もできないのです」(『増補 永遠の吉本隆明』洋泉社・新書y)。そしてそこに団塊の世代の無力感の根っこがある、と指摘しています。橋爪さんは吉本さんの強い影響下で表現活動をはじめた団塊世代のなかで、おそらくこの問題をもっとも早く指摘した一人ではなかったかと思います。

橋爪さんに吉本インタビュー(『永遠の吉本隆明』)をさせてもらった当時、私自身が否応なしに現実の諸問題のドまん中へ引き込まれていく時期でした。いくつかのNPOと深いかかわりの中で仕事をし始めていたさ中で、橋爪さんの指摘は印象深いものとして残ったのです。推測ですが、この問題をどう超えるかというのは、橋爪社会学にとって重要な関門だったはずです。

北明
 事件取材に奔走しているときで、ぼくが、佐藤はどうして「フリージャーナリスト」なんぞという全く似合わない肩書を付けるようになったんだ、と尋ねたときの話ですね。

佐藤
 そう、尋ねたのではなく、カランでいただいたとき(笑)。

吉本さんの「情況への発言」だったと思うのですが、現実の問題にぶつかったとき、どういう態度をとるか、二つの方法がある。ひとつは、その問題の本質が何であるか、徹底して原理的な思考をすること。原理論をつくることですね。もうひとつは、生じてくる個別の事実に向き合い、そのひとつひとつを解決に向けて努力していくこと。この二つしかない。そこで自分は原理的な方法を確立することに精魂を傾けているんだ、という趣旨のことを書いていた。ところが原理的な思考だけでは、現実の課題には触れることができなくなると橋爪さんは言う。じゃあどうすればいいのか。ここは結構考えました。

私は、ノンフィクションやルポルタージュを書くことを自分の仕事として選んだわけだから、そこにしか道はない。ノンフィクション作品にたいして自分なりの方法をつかむ。それ以外、活路を見いだすことはできない。当たり前のことなんだけど、要は、しっかりした作品を書けるようにならないと、話にならないだろうというところに落ち着いていくわけですが、辺見庸氏は、現実をなにも変えることができないという吉本思想の弱点、現実なんか変えなくてもいいんだ、と考える団塊世代の読者をたくさん生みだしてしまったという吉本の罪、という主張をしているわけですね。でもそれは辺見氏自身にとって、何が問題なのだろうと感じたんだけど。

北明
 辺見氏自身のことではなく、こんなふうに批判される吉本さんの思想の特質をどう考えるか、ということを、先ほどから聞いているわけです。

佐藤
 どう考えているかと問われれば、両者は別個のこととして切り離されている。私自身は吉本さんの思想を、直接、現実的解決の処方箋にすることはありません。では完全に切り離されているかといえば、かならずしもそうではない。どこかで出会うことになる筈だ、と思っている。

ひとつは先ほど言ったように、わたしにとってはノンフィクション作品を作り上げていくという具体的な作業の中でしか、解決できない問題ではないか。

そしてもうひとつは、この「飢餓陣営」を編むことで両者の通路をつくろうとしているのだ、と言えるかと思います。どちらからも入れるし、どちらにも出ていけるような装置としての「飢餓陣営」ですね。現実の諸問題から入って思想を鍛え上げようと試みるとき。逆に、いろいろな人の力を借りて良質な思想を示すことで、現実の諸問題への揺さぶりをかけようと試みるとき。両者が機能できる仕掛けとして作りたいわけですね。うまくできているかどうかは別としても、そういう試みをつづけるなかで、辛うじて、収拾のつかない自己分裂は免れているはずなのですがどうでしょうか(笑)。でも、わたしのことなどより、吉本さんに話題を戻しませんか。

コミットメントと自立の思想について

北明
 原理的な仕事の一方で、現実の諸問題とどう相わたってきたのか、という点についてフォーカスして話してください。

佐藤
 そうか、その話ですね。たとえば、一九五〇年代後半から60年代の吉本さんの表現活動や行動を共有している人は、あの時期、吉本隆明は言葉で現実を動かしていた、思想や詩の言葉が、力を持って現実と対峙していた、という強烈な実感が体に染みついているような気がするのです。ここでは、現実と思想の乖離ということは問題にはならない。

もちろんそれを体現していたのは、吉本さんひとりだけではない。谷川雁、埴谷雄高、三島由紀夫、みんなそうだったと思うのです。あの時期の吉本隆明に直に接した人は、あるいは何かしらを共有した人は、ここに吉本評価のスタンダードを置くのではないかと思うのです。たぶん辺見氏も、その一人だろうと思います。彼の文学表現は、身体性の深いところで現実にコミットしていこうという志向性をもっていますね。そういう文学世界を創り上げています。それはよく分ります。

吉本さんの方は、言葉の実践が行動そのもの、コミットメントそのものであるような時期を経て、原理的な仕事にスタンスを移していく。すると読者にとっては、現実とのダイレクトな緊迫関係が見えにくくなるし、おそらく書き手である吉本さんの側も現実の諸問題との緊張関係を保つために、もうひとつの装置を必要とするようになる。それが「試行」のもつ意義ですね。執筆者の存在とそこに生じる交通、読者や書店からのリアクション。これらの一つ一つがあつまり、否応なしに、吉本思想と社会との、緊張関係の総体をつくるわけです。そして「試行」におけるこの時期の「情況への発言」が、ますます重要な意味を担うようになっていく。

ちょっと回り道をしますが、吉本さん追悼の『現代思想』七月臨時増刊号「吉本隆明の思想」が大変面白かった。中でも前田英樹さんと橋爪大三郎さんの論文がさすがによかったのですが、なかで松井隆志さんという人が「「自立の思想」とは何だったのか」、というタイトルの文章を書いていて、おおむね、次のように見解をまとめています。「自立の思想」は破壊力の大きな思想だった、なぜなら抽象性がきわめて強く、具体的提案なしに、自分以外全てに「否」をつきつける思想だからである、という趣旨です。

 しかし私の理解では、松井さんが書かれていることは、自立の思想の「往路(往き道)」です。もうひとつ、「還り道」がある。自分以外のすべてに「否」を突きつける、という「往き道」のために、自分は世界のすべてから否定されてしまうかもしれない。表現し、生きていく道を閉ざされてしまうかもしれない。それでも表現をつづけ、死なずに生きていくための装置が必要である。そのためにも「自立の思想」を用意しなくてはならなかった。全否定の果てに訪れる「和解」とでもいいますか。そういう「還り道」の思想には、「自立の思想」にはある。私にとっては、そういう理解になるのです。

吉本さんはまったく遠慮なしに、ガチで批判や自説を述べる表現者ですから、結果、マスメディアに干されて書く場所がなくなるかもしれない、支持してくれる人もいなくなるかもしれない。時がいたれば、思想的同志である友人知人との離反も決別も辞さない。事実そうなっていくわけですが、まったく孤立し単独になっても、表現活動は止めない。断固として持続する。そのためにはどうすればよいのか。この問いは、吉本さんにとっては理念的に生み出されたというよりも、もっとリアルで、直接的で、具体性のあるものだったと思うのです。止めないためには、自分が潰れず、「敵」に潰されずに持続する必要がある。そのためには、どんな装置があればよいか。それを「自立の思想」に託して理念づけた。いうまでもなく、この実践形が自立誌と呼ばれた「試行」ですね。そういう順番で私は考えていたのです。くり返しになりますが、表現の場所は自らの手で確保する。そうすればいくらメディアから排除されても、敵ばかりになっても、書きたいものを書くことができる。

初期の吉本さんの思想とコミットメントの問題として、指摘しておきたいことはもうひとつあります。孤立したあげく、読者までをも失うのならば、自分のなかに唯一の「読者」を作ればいい。最大の批判者であり、最強の理解者である「読者」を理念として持てば、その読者に向って書き続けることができる。その最大の批判者で最強の理解者としての「読者」が、「大衆の原像」と呼ばれるようになるわけです。「大衆の原像」というのは、吉本隆明にとっての、不可視の読者ですね。

 「自立の思想」も「大衆の原像」も、抽象性の高い原理的な反権力思想ではあるけれど、いま言ったような形で現実と相渡っている。コミットメントの通路を作っている。それが、先ほど述べた橋爪さんの指摘を受けた後、私が考えていった筋道なのです。(第2回)

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