吉本隆明の遺した宿題(3/3) 北明哲+佐藤幹夫

飢餓陣営38」【追悼総力特集】号より転載

吉本隆明の遺した宿題          北明哲+佐藤幹夫
 ――三島由紀夫の戦後と吉本隆明



吉本隆明は批判力を失ったのか

佐藤
 ところが、八〇年代から九〇年代にかけて、社会の変容が加速する。少なくとも吉本隆明にはそのことが強く感知され、思想的に変化が生じていくのですが、たとえば、自己表出の主体を作家個々の文体として捉えるのではなく、〈現在〉という社会の総体に体現されているという仮説を立て、そこからイメージ論が構想されていきます。それが『空虚としての主題』や『マス・イメージ論』になる。

北明
 そうですね。『マス・イメージ論』や『空虚としての主題』は、『言語にとって美とはなにか』の書き換えですね。表出の主体が個々の作家から〈現在〉になる。つまり『空虚としての主題』は、〈現在〉を作者とした、『言語美』における「表現転移論」です。

ちなみにもう少し〝妄想〟をいっていいですか。
『言語美』が『資本論』をベースにしていることは、ご本人も、多くの人も指摘していますね。マルクスの交換価値、使用価値が、『言語美』では自己表主、指示表出に対応することは、皆さんのおっしゃるとおりです。そして『資本論』の要のひとつである、『価値剰余学説』(最初は等価交換だった経済行為から、なぜ価値の剰余が発生するのかをめぐる分析)が、『言語美』では「表出史=表現転移論」になる。「資本」とは交換価値の剰余の累積であり、文学の歴史とは「自己表出」の累積史である、と対応させることができる。これはまあ、ぼくのオリジナルというわけではないです。

で、『共同幻想論』はどう思いますか。

佐藤
 『共同幻想論』の発想の源流は? という問いですか。フロイト?

北明
 その通り。これはバカっ話でいいんですけど、文体の底に、どうも、『精神分析入門』や『症例研究』のにおいがするんですよ。「トーテムとタブー」のような文化論研究とかですね。もちろん「幻想の共同性」という発想はマルクスだし、いろいろな先行者の思想が入ってはいるんだろうけれど(発想や記述のベースに、個人の心的現象をそをそのまま共同幻想に引き延ばしていくことはできない、そこにフロイトの文化論批判の要点があるのだけれど)、でも、フロイトの発想やアイデアや、文体の影響がありそうな気がする。あくまでも、気がする、ですよ。

佐藤
 はい、まあ、そういえないこともない。

北明
 それで八〇年代になると、マルクスやヘーゲル、フロイトはいったん退き、やはりレヴィ=ストロースの構造主義や、ボードリヤールの経済理論や、フーコーの思想が、吉本さんの中で前景化してくるんだと思うのです。それがまた、80年代に吉本批判を始める団塊世代の書き手にとって、いまさら構造主義じゃねえだろう、という批判のタネになるんだけど。

佐藤
 そのあたりの事情も、多分そうだと思います。正直、私のほうは、この時期の現代思想家への読み込みが足りなかったせいで、そこまで十分に理解を伸ばせていないのです。

北明
 あの頃、あなたのほうはもっぱら折口・柳田であり、西郷信綱の『古事記の世界』なんかの古代論であったり、小松和彦さんの『異人論』であったりとか、あの方面に突っ込んでいましたもんね。

佐藤
 そうですね。梅原猛さんの縄文論とかも読んでいましたからね。で、先へ進ませもらっていいですか。

 問題は、ここで多くの人たちが吉本思想と決別していく。かつては吉本さんのどの作品にも強烈にあった、社会総体に対する否定性や批判性、反権力性が、この時期になると薄れている、それどころか現実肯定、現実追随に堕している、吉本隆明は現実における最前線の闘いから退いてしまったのではないか、そんなふうに受けとられたことが理由だった。

そして国家の持つ強大な権力、あるいは国家強制力は、共同の幻想(イメージ)をその本領としていたという六〇年代の『共同幻想論』のテーマは、『ハイ・イメージ論』に場所を変えて展開されることになるのですが、超資本主義論やイメージ論こそが、批判者には、資本主義追随、現実容認の思想にしか見えなかった。

吉本さんにとっては、ここでのモチーフは、「西欧的」なる先端の超資本主義社会においては、「国家」という共同幻想(イメージ)よりも、資本主義そのものがもたらすハイ・イメージの方が先に進んでしまった。したがってこれを解くことが、思想の重要課題となった。吉本さん風に言えば、社会主義の課題はすでに先進資本主義国において達成されてしまったんだ、という評価になるわけですが、こうした見解も、多くの読者には吉本隆明は現実の課題に追随していくだけで、かつての批判力が失せたじゃないか、と受け取られたように思うのです。吉本さん自身も、貧困や差別などの現実の問題は、先進資本主義国にあっては解決され、もはやローカルな課題でしかない、という趣旨の発言をしています。この延長上に、埴谷・吉本論争が勃発するわけですが、それが八〇年代の半ばです。

ところが、ここで離れていった批判者たちには、見えていない決定的なことがあった。さきほど『ハイ・イメージ論』が、『共同幻想論』の書き換えであると述べていましたが、もしそうであるならば、『ハイ・イメージ論』にあって『遠野物語』や『古事記』に当たるテクストはなんだろうか。もちろんそれは、「現在」がつくりだしてくる様ざまなハイ・イメージがその位置にあるのだけれども、ここにはもう少し補足が必要だろうと思います。

CGの本格的な登場によってあらゆることが可視化され、個体はどこへでも移動可能(観念として)となり、物理的にも観念的にも大きく開かれたわけです。吉本さんはこの時期、超資本主義を基本的に肯定し、その消費を喜びとする大衆を肯定した。さっきもいったように、それまで吉本を評価していた読者のあるひとびとはこのころを境に批判者に転じていくわけですが、しかし忘れてはならないことがあって、もうひとつ、吉本さんが〝高度化する現在〟の先に見据えていたのは、じつは「人間の死」という主題だったのではないかと思うのです。批判者たちには、このことが見えていなかったのだと思う。

 くり返しますが、八〇年代に展開されるイメージ論には、「現在」の高度化を測定するというテーマが語られながら、同時に、「未来」が見据えられていた。世界視線が高度になればなるほど、遠い未来がそこでは見据えられることになり、遠い未来とは、個々人にとっては(「生活視線」のなかでは)「死」の謂いであり、したがって八〇年代以降のイメージ論の文脈のなかで、「死」という主題もまた前景化するわけですね。

『死の位相学』(元版潮出版社)が一九八五に上梓されることは、ご存知の通りです。したがってわたしのマップにあって、『ハイ・イメージ論』と『死の位相学』はセットになり、そして『死の位相学』のなかで臨死体験者が語る死のイメージにひときわ関心を示したのは、この時期の主題である「像としての死」に由来するだろうと思います。重層映像と基層映像は、過去も、未来も、重層的に埋め込まれている画像である。死のイメージは、都市論の、より未来へと向かうハイ・イメージのなかで描かれ、また基層映像のなかでは過去という死者の歴史のなかで描かれることになるわけです。

このように、八〇年代の吉本イメージ論にあっては、「死」もまたもうひとつの重要なテモチーフとなっていたのだったと思います。

北明
 そうか。どうしてあの時期、「臨死体験」に吉本さんが、あれほどこだわっていたのか。映像論との関連で考える必要があるわけか。

佐藤
 ちなみに、国家や革命、政治といった大文字の主題が退いていくこの少し前から、思想の課題として前景化してくる主題が、家族、子ども、性愛(エロス・ジェンダー)、教育、学校といった領域の問題です。このあたりから、本格的に団塊の世代の書き手たちが登場してきます。どうして吉本さんの影響を受けた団塊世代の書き手たちが、こうしたテーマを主戦場とすることになったか。重要なところではあるけれど、話すと長くなるのでカットします。

北明
 そう言わずに一言だけでも触れてください。

佐藤
 あんまり書くと、佐藤と『飢餓陣営』は、吉本隆明と、その影響下にある(と思われている)団塊の世代の追っかけじゃないか、とまた言われてしまうんだけど(笑)。

北明
 いいじゃないですか、いまさら。

佐藤
 では少しだけ。たとえば橋爪さんが黙々と論文を書き続けていた時期、竹田青嗣さんが在日問題で苦闘していた時期、加藤典洋さんが「アメリカの影」を書くまでの時期、小浜逸郎さんが『時の黙示』を自身の「ておりあ」に書き続けていた時期、村瀬学さんが「初期心的現象の世界」の原型を、北川透さんの「あんかるわ」の意発表していた時期、浜田寿美男さんがワロンやピアジェを読み込み、自身で翻訳をなしていた時期、滝川一廣さんが中井久夫さんの下で臨床に没入していた時期、瀬尾育生さんが「鮎川信夫論」にまとめられる論考を書き継いでいた時期、神山睦美さんが漱石論を書き継いでいた時期。それぞれが「後退戦」というのか、それぞれが思想の基盤となる時期を模索する時間経ているわけです。70年代までの、国家や政治というテーマからどう離脱し、自身のテーマを思想化していくか、掘り下げていくか。「後退戦」というのはこういう意味なのですが、みなさん、こういう時期を経ていると、私は受け取ってきたのです。
こんなところでいいですか。

先ほどの話題を続けると、さて、問題はなにか。思想が現実への否定性をうしない、現実的課題に対してなんら力を持つことができない、という事態は、吉本隆明に固有の問題だったのか、あるいはもっと他のところに課題を見いだすべきか。このことが一つです。

とっとと結論を言った方がいいと思うけど、そもそも前提として、文学や思想に社会的実効性や現実的な生産性を求めるという発想は私にはないですし、「血みどろで闘」って現実を改変することだが思想の役割だとは、思っていないのです。私がどれだけ現実にコミットした場所で仕事をしようとも、思想には思想に固有の役割があり、それは死守されなくてはならないという原則は変わりなくもっています。

深くて強いリアリティをもつ思想は、現実のリアリティをときに凌駕することがある。現実を動かすことも、ひょっとしたらある。だからこそ、両者は厳然と区別されてしかるべきである、ということになるかと思います。つまり辺見氏の吉本批判は、私にとっては、批判として基本的には成り立たないのだけれど、二つ目の問題がある。

再び原発問題について

北明
 わかりました。3・11以後、という問題ですね。

佐藤
 そうなんです。今回の原発問題についての吉本さんの発言に対し、ひょっとしたら、先ほど述べた問題が多くの人を困惑させたのかもしれないと思うのですが、どうでしょう。先ほどの問題とは、つまり誰もが(と言っていいと思いますが)、3・11以降、わずかなりとも自分にできることをしたい、現実に対してなにかアクションを起こしたい、と感じたと思うのです。スタイルはいろいろでしょう。被災地の支援といっても、カンパ、物資支援、労働力としてのボランティア、観光で出かけることや買い物も現地支援だということになった。放射能汚染に対する情報収集とか、自衛行動とかですね。とにかくコミットメントというテーマが、大きく前に出た。

ところが吉本さんの一連の発言は、「何もしなくてもいい」というメタ・メッセージを潜ませていたのではないか。そのように受け止められたのではないか。言うなれば、基本的スタンスは、六〇年代から七〇年代の延長である。実際、今盛り上がりをみせている反原発のデモは、吉本さんは絶対に認めないだろうし、ボランティアだって、自慢げにやるんじゃない、やるんならひっそりとやれ、というでしょう。言ってみれば、国をあげて、何かをしなければならないと感じ、そして行動し始めていたときに、何もする必要はないというメッセージが、改めて吉本隆明から発せられた。またかと思いつつも、多くの人が戸惑い、異和を覚え、払しょくできずにいる。そういうことなんではないでしょうか。

北明
 そうですね。政府も政治家も役人も、だれも助けてくれない。国民の方を向いていないし、自分たちに都合のいい言い逃ればかりしている。だったら自力で危機を脱するための復興を行うしかないし、放射能汚染から自衛するしかない。そのアクションを起こした途端、吉本さんから異論が投げられた。

佐藤
 言っていることはいかにも吉本さんらしいし、一貫している。それは理解できる、しかし今回の発言だけは、ストンと落ちてこないと受け取られた。吉本隆明には自分たちと共通の思想基盤があったと感じてきた人も、修復の困難な溝ができてしまったというような、そんな事態になっているのではないか。これは、結構根深い問題かもしれないとも思います。根深いというか本質的というか。時代の変わり目だからこそできた溝、というか。そしてひょっとしたら、このあたりに私たちに残された宿題があるのではないか。

北明
 それは3・11によって時代が大きな転換を迎え、そのために露出した溝、というふうに理解しているわけですか。

佐藤
 そこが考えどころなんですよ。この特集号をつくりながら、ずっと考えていたのはそのことです。

吉本隆明の遺した宿題

佐藤 時代の進展が、もたらした否応なしの変化なのか、とも思う一方、吉本隆明はいつもそのような発言をしてきたのではなかったか。そういう気もします。歴史を動かすような大きな局面に来ると、吉本隆明は、全存在をかけて社会の大勢にたいして異和をぶつけていく。絶対にそちらの側には付かない。

まだ思い付きを出ない意見だけれども、吉本さんの「反核」や「反原発」への異論というのは、吉本さんによる、全重量を賭けた戦後社会にたいする否定、異和の表明という意味を担わされていたのではなかったか。そう思えてならないところがあるのです。反核もオウムも今回の原発問題も、世間からどれだけぶっ叩かれようと、思想的全重力をかけて異議申し立てをしていくのですが、なぜこれほどのことをしなくてはならなかったのか。最初のあなたの問いですね。

さらに仮説です。
たぶんこの吉本さんの批判の持つ重力は、三島由紀夫が戦後社会への抜き難い嫌悪を、市谷の自衛隊駐屯地に突っこみ、割腹をすることで示してみせた行為と、同じ重さをもつ。あれに匹敵する思想的重力がある。そう考えてよいのではないでしょうか。三島由紀夫はある時期から、その〝とき〟が来たら、損じることなく死するために、「三島由紀夫」という仮構を丹念に丹念に作り上げていった。作風や文体は時代によって変遷を見せますが、個々の作品のすべてが、死するための準備、というところに収斂していく。そしてその通りに実行して果てた。

一方の吉本隆明も、戦後を生きるためにいろいろな思想的装置を必要とした。関係の絶対性にはじまり、自立、大衆の原像、共同幻想、対幻想、知―非知、往相―還相、すべてそうでしょう。やはり吉本さんも時代とともに、それを編み変えていったわけですが、戦後という社会の中で、激しい違和と敵対を抱えながら、自滅せず、敵に潰されもせず、生きて論陣を張っていくために必要とした思想的装置だった。したがってそこには深い陰影がある。

例えば「大衆の原像」にしても、単にパン屋のおっちゃんの話でも大衆べったりの話でもなく、非常に深い陰影があると思う。下町好きの、庶民的なおじさん、というところで収まる話ではないと思うのです。つまり一方で、戦後的価値が危機に立つ重大な局面になると、大衆に向って、全エネルギーを注いで「水をぶっかける」役を演じ続けなくてはならなかった。それくらい深い〝業〟が、開かれた吉本思想のなかに潜んでいた。

もうひとつ気がつくことは、反核、テロ、反原発その他もろもろ、大きな危機によって戦後的価値が揺るがされたあと、かならず吉本さんの意図とは反対の方へ、一歩、時代の風潮は進んでいった、ということです。悪い方へと進んでいくわけです。そして息苦しさを増す。では吉本の批判は無意味なのか。そんなことはない。後になって吉本隆明がそこで闘わせていた言論を振り返り、少しずつ真意を理解し、自分たちが何を失ったのか、やっとはじめて気づかされる。遅れ馳せながら準備を始めると、新たな危機に立ち至る。そういうことになっていたのではないかと思うのです。

くり返しますが、六〇年安保も、反核も、オウムも、反原発も、戦後日本の歩みに深く根差していたし、裏面というか、病理的側面もふくめて映しだしていたわけですが、吉本隆明はその一つ一つの局面で激しく異を唱えてきた。ということは、ずっと奥底の方に戦後社会にたいする異和を根深くもち、それがときに批判として噴出する。三島由紀夫が抱え込んでいたものと、どこか共通する深いニヒリズムが潜んでいる。そのように感じられてならないのです。ニヒリズムというか、「大衆の原像」には、同世代の戦争で死んでいった人間たちの「声」が、じつはその底の方にある。同世代の死者たちによって、支えられている。だからこそ、戦後社会が大きな転換点に来た時、それは資本主義が高度化していき、「人間的なもの」の疎外が(古い言葉だけど)、ひとつずつ苛酷になっていく転換点でもあったわけで、吉本隆明は全身全力で、異を唱えなくてはならなかった。たしかに開かれているし、たぐいまれな肯定性を体現した思想家であることは間違いないけれど、そこにだけ収まるわけでない。

先ほど来、三島由紀夫をニヒリズムの極地のように言ってきたけど、三島さんだって複雑な多面体でしょう。エンターテインメント作品を読むとよく分かる。向日性も、ユーモアも、演歌や浪花節も、ジャズも、一通りのものを取りそろえている。アングラ的な前衛芸術にも通じ、暗黒舞踏の土方巽をまっ先に評価して世に出したのも、三島由紀夫だった。

北明
 でも基本的に三島由紀夫は、戦前の自己をなに一つとして変えないで戦後まで持ち込み、そのまま生きようとした人ですよね。

佐藤
 最も中核の部分は変えなかった。そういってよいでしょうね。

北明
 戦後の価値や慣習には作家としての関心は持ちつつも、自分の中の基本のところでは受け入れなかった。当然、簡単にできることではない。その武装のために、さまざまな様式や美学を取り入れ続けなくてはならなかった。言ってみれば、敗戦まで、吉本さんと三島はとても近いところにいたんだけれども、戦後になって、それぞれが反対方向に向かって走り始めた。そして三島は、これ以上は自分を持ちこたえられないところに来たところで、戦後的価値そのものである平和憲法と象徴天皇を相手取って、水をぶっかけようとした。逆に言えば、自らの命を絶ってみせることで戦後社会そのものの終わりをもくろんだわけです。

仏教の唯識思想は、意識と実体に差などはないし、すべてが刻一刻とうつろいゆく「空」そのものである。場合によっては虚実、いくらでも交換可能でさえある。そのことの現前化をもくろむ意識哲学です。三島は作品『豊饒の海』で、「意識とともに明滅する虚実の世界」を示した。実践行動でも、意識の消滅によって実体も滅びるというテーゼにしたがって、自らの身体を滅びさせることで、戦後の社会に留めを刺そうとした。

佐藤
 そうですね。三島さんは、人間の存在それ自体に留めを刺そうとしたと言っていいんじゃないですか。世界を「無」にしていなくなったわけですから。人間なんか、とっとと滅んだほうがいいぞ、と。それこそ吉本さんではないけれど「どこだっておんなじだ!」ですね。

一方の吉本隆明は戦後社会の命運が尽きるまで生きつづけ、その終りを見届けたのちに、亡くなっていった。ほんとうに、執念のごとく意志をもって見届けた、という感じがします。そして3・11は、まさに、「戦後」という時代の何であったかを明らかにすると同時に、ほんの数日・数週間で、戦後的幻影を終焉させてしまったわけです。平和も繁栄も、いかに脆いものであったか。そう突きつけてきた。そして吉本さんは見届けた後、次のようなメッセージを残した。

――どこかに逃げ場があるなんて思わない方がいい、この道を行くしかない、この道でアウトだったら、もう人類は終わりだ、それくらい悲観的だ。そういう趣旨の言葉です(『思想としての3・11』)。これが吉本さんから出された、私たちの宿題です。

北明
 でもずっと、吉本さんはそのことだけを言い続けてきたのではないですか。

佐藤
 そうですね。そうかもしれないですね。沖縄を論じた「異族の論理」で、復帰してもいいことなんて一つもない、復帰をしてもしなくても、どっちにしても、沖縄を待っているのは地獄だと書いていましたね。同じように、3.11以後、どっちに行っても地獄ですね。そのことは腹に据えておこうと思っています。

(註 お名前は出しませんでしたが、今号に寄せていただいたすべての作品を、なんらかのかたちで参考にさせていただいています。編集者の特権を行使するかたちになりました。ご了承ください。 佐藤)。


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