〝教育〟はどこに届くのか(第12回)                「野田市小4女児虐待死事件」、母親の公判を終えて(その2)

〝教育〟はどこに届くのか(第12回)               
「野田市小4女児虐待死事件」、母親の公判を終えて(その2)


 前回は複数の報道記事を読みながら、野田事件の母親の判決について感想を書きました。傍聴できなかったことで不全感が残り、もう少し取材を進めてみようという気持ちが沸き起こっていました。予めお伝えしておくと、このコーナーは、教育について私の考えるところを述べるように、という依頼をいただいて始めたものです。野田事件の報告は直接教育の問題に触れることはないのですが、子どもたちの生活や、「こころとからだ」を守る仕組みや環境がどうなっているのか、社会で何が課題となっているのか、その点に深く関わります。それは教育が十全に行われるための必要条件といってよいものです。事件報告はそこに関連するテーマであるだということを、予めご理解いただければと思います。
さて、取材を進めることにしたとはいえ、現場職員へのルートづくりはいったん留保し、前稿でご登場いただいた千葉大学大学院専門法務研究科教授の後藤弘子さんに取材を依頼しました。後藤さんは法科大学院生の教育のみならず、現場で、少女たちをめぐる様々な支援に携わっています。後藤さんにとっていわば千葉はホームグラウンドです。判決についてどんな感想を持ったか、まずはその報告から始めましょう。

 後藤さんは何人かの報道関係者から話を聞く機会があったといいます。そして話を聞けば聞くほど、このケースは「児童虐待事件」として知られることになったが、むしろDV(ドメスティック・ヴァイオレンス)のケースとして、もっと早い時期に調べを入れ、対応するべきだったといいます(沖縄取材をした際のK議員も同様のことを強調していました)。ところが事件発覚以前、調査や捜査をした形跡はない、取材も行われていない。DVのために一度離婚し、復縁を迫られた末に再婚しているということは、夫からのストーカー行為があったことが十分に推測される。そこで何か手を打てたはずなのに、何も形跡もない。この時に対応していれば心愛さんの命を守れた可能性はあった、それを考えると極めて無念でならない。――そんな話から始まりました。

「配偶者暴力禁止法」は平成13年に制定され、平成16年の第一次改定を経た後、19年には保護命令や市町村の規定を強化した改正法が制定されます(施行は20年1月)。改正法では、裁判所が本人の申し立てによって「保護命令」を下すことができ、具体的には、接近禁止命令、退去命令、電話等禁止命令です(母親方の祖母が学校や行政にSOSを出すのですが、それが危機感を持って受け止められなかったという報告はすでにしました)。DV被害の深刻さへの理解が不十分だった、この点が悔やまれるといい、それから話が野田市転居後のことに移りました。

母親が沖縄でDV被害を受けていたという情報は野田市にも伝わっていたというが、それが信じられない、と後藤さんはいいます。私(佐藤)はまったく知らずにいたのですが、野田市は、10年ほど前はDVの被害者支援の、全国でも知られるほどの取り組みを行っていた地域だったというのです。野田か佐賀かと言われるくらいで、当時の市長と男女共同参画の部署にいた課長がとても熱心だったといいます。
「野田市が〔市がですよ、と後藤さんは強調しました〕DVのシェルターを作り、ワンストップサービスを市役所のなかに実現するのです。例えば子どもの問題で相談に行くと、担当は子ども家庭課ですね。そこでDVの話が出たら、普通だったら『~~課に行ってください』と言われます。ところが野田では、そこにDVの相談支援員が行くのです。福祉が必要だと言ったら福祉課の担当者が行き、生活保護が必要だといったら生活保護の担当者が行く。住む家がないと言ったら住宅課の人が行く。たらい回しにしないシステムを作ったのです。それだけではなく、自分たち市が保護できるようなシェルターも用意したのです。市役所内ワンストップですね。これは『野田モデル』といわれました」

 調べてみると、確かに2000年代の前半、野田市の「配偶者暴力相談支援センター」には全国から視察者が訪れています。県内外のシンポジウムにあって、野田市の担当主査がパネリストとして発言する記録も散見されます。ただ残念なことは当時の責任担当者が不祥事を起こしてしまい、充実した支援がそこから手薄になってしまったことでした。

 「児童虐待の話になってしまったので児童相談所が介入していくわけですが、DVがあると分かれば、かつての野田市だったらもっとしっかり対応できていたはずなのです。柏児相と野田市のDV担当の部署がどこまで連携できていたのか分かりませんが、私も柏児相とはかかわりを持っています。最近、相談ケースが多すぎてちょっとあやしくなってきてはいるものの、それでも千葉は関東の他地域よりはましだろうと思っていたのです。それがあの野田で、ととてもショックでした」

 重大な事件の背後には、不運としか言いようのない事態が複合しています。繰り返しますが、こうした背景があったことを私はまったくつかんでいませんでした。このことは決定的要因ではないにしても、見逃せない事実であり、子どもたちや家庭を守るシステムがやはり全体的に地盤沈下を起こしている。それを象徴的に表している。そう感じたのです。
ところで、今回の母親の判決では、彼女が受けていたDVをどう評価するのかが、重要な争点の一つでした。判決ではDVの影響がそれなりに評価されているという識者コメントもあったようだが、後藤さんは、全くそうは考えていないといいます。子どもを守るべき母親としての弱さが強調されており、朝日新聞によると、判決には「虐待に苦しむ心愛さんから目を背けたばかりか、監視して夫に報告するなど自らの判断で迎合したことがうかがえる」と批判するくだりもあります。この点を後藤さんは批判します。

 「これだけ激しいDVをうけている被害者だったら、加害者との関係で弱いのは当たり前です。彼女が精神的に弱かったとか、裁判長が判決の最後に『頼るべきはあなたしかいないなか、同調して手助けした責任は重い』などと説諭していますが、DVの被害者が助けられるわけがないですよ。それから今回、求刑2年で、判決は2年6月、求刑越えなんです。これも私には理解できない」
前稿で私も、求刑越えの判決となっていることをどう考えたらよいのか、と問いを提起しておきました。後藤さんは言います。
「執行猶予はついていますが、保護観察も5年もついているのです。しかも罪名が傷害致死ではなく、傷害の幇助です。私はあらためて確認するまで傷害致死幇助だと思っていました。傷害幇助でどうして求刑越えをしなければいけないのか、まったく理解ができない判決です。私が予測したのは1年6月で、執行猶予が付けば4年か5年だろうと思ったのです。どうして2年6月にするか、その意味が分からない。DV被害者への判決が求刑を超えるわけがないし、何もできなかったことを酌量するのではなく、~~すべきだったという『べき論』を述べています。いくら~~すべきだったといわれても、事実問題として彼女はできなかったわけです。そもそもDVの被害者が起訴されるのがおかしいという意見もありましたが、私もまったくそう考えます」

 児童虐待とDVは深く関連している。子どもにとってはDVの目撃自体が虐待になるから、DVが確認されれば、子どもへの虐待も強く疑われることになります。ところが逆に、虐待が発見されたとしても、そこからDVへの疑いが向けられることは、現状では多いわけではないといいます。児相をはじめとする児童福祉全体が、まだDVに対する認識が弱いのではないか。司法(裁判)も、そこまでは証明できなかったのかもしれないが、DV被害者についての適切な理解を欠いていたのではないか。

そしてもう1点、柏児相が加害当事者である父親の実家に心愛さんを返していることは、全く考えられない判断であり、自分がかかわるシェルターで児童相談所からこのような提案を受けたら,全力で反対するといいます。

「私は驚きました。なんでそんなところに帰すのか。母親が子どもに合わせてもらえないということは、孤立した状態に追い込まれているわけです。孤立させるのがDV加害者の常とう手段です」

しかも母親が、そもそも精神的に弱い人であり、生きる力がすごく弱い人だともいいます。そしてここから、後藤さんは次のような仮説を述べます。これは、私にとってはきわめて納得のいく洞察でした。

「勇一郎被告は、彼女(母親)に対するDVの支配とコントロールには成功したわけです。だけど、心愛さんは小学校4年生ですし、母親が入院したりして祖母に預けられ、沖縄時代にはあまり一緒に住んでいなかったのではないか」

心愛さんの両親は、結婚してすぐに離婚。心愛ちゃんが生まれて間もなくのことで、その後は何年か別居生活が続きます。再婚してすぐ母親は二人目の子どもを出産し、直後にメンタルを崩して入院。

「その間、心愛ちゃんは、おばあちゃんのところにいたと思うのです。だから沖縄で父親と一緒に暮らしていたのは短期間だった、と私は理解しているのです。沖縄のおばあちゃんはしっかりしている人のようで、心愛さんはその影響下にあった。言いたいことを言える子だったし、自立心の強い子ではなかったか。虐待を受けるようになってから、短時間で学校に伝えていますね、『私は暴力を受けている、先生何とかしてください』と。ふつう長期間虐待されている子は、そんなふうに言葉にはできないのです。それが言えたのは、一緒に住んでいた期間も短かったこともあり、自分の意見をきちんと言える子だった、それが虐待を激しくさせたんじゃないか。目黒の事件もその他の事件もそうなのですが、虐待で亡くなる事件では、一緒に暮らす時間が長く、長期間虐待を受けています。そうすると外に向かって『助けて』とはいえなくなる」

心愛さんが野田の学校に転校した後、すぐに積極的にクラスで行動するようになっていたことは報道されています。これをどう受け止めるか気にかかっていたのですが、腑に落ちました。

「そうすると、父親にとっては自分のコントロールが効かないわけです。支配できない。でも自分の所有物だと思っているから、虐待に走る。お母さんは自分の所有物なのに、なんでこの子はそうならないんだ。そんなこともあって、彼のコントロールがほとんど効いていなくて、それは彼にとっては絶対にありえないことだった。だから、暴力の向かう先が、心愛さんに集中していくわけですし、野田で一緒に暮らすようになって、短期間で虐待をエスカレートさせていったのだと思います。これは児童虐待という以上に、DVの亜種のような事件ではなかったかと私は考えているのです」

圧倒的な力をもって父親に支配されている母親、その母親に助けてほしいとは、心愛さんには言えなかった。できるわけがない。助けてくれるのは学校だけだと心愛さんは考えたからこそ、「先生、助けてください」と、必死のSOSを発した。しかし、学校は受け止めきれなかった。
「学校現場はいま個人情報保護法の問題もあり、家庭の情報を集められなくなっています。家庭で何が起きているのかなかなか把握できないし、踏み込めない。しかも、学校現場では、DVは家族問題としてあまり認識されていない気がするのです」

ここから後藤さんのテーマは、学校現場の話になっていきます。

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