〝教育〟はどこに届くのか(第15回)「障害のある先生」の働き方をどうサポートするか(その3)

(『教職課程』2020年1月号より転載)
 
 秋田県人事委員会に、異動の取り消しと交通費の負担を求めて「不服審査請求」を提出していた三戸学さん。本年10月1日付で、タクシー等を利用しての通勤を認めると秋田県教育委員会(県教委)が決定しました。これは全国初のこと。三戸さんは県教委の英断を評価しつつも、
「主張することの大切さを感じた」といい、こうした仕組みが全国に広がることを願い、不服審査請求はもう少し続けたいと言っています。

 前号での報告はここまです。今号では、三戸さんの教師観や教育観を紹介します。障害の有無にこだわる必要はないのかもしれませんが、次のように問いかけてみました。三戸さんの姿を見て障害のある若い人たちが「自分もがんばれば学校の先生になれるんだ」、そう思うかもしれない。後に続く若い人たちに何かアドバイスをしていただけないか。

 「まず自分のことから言えば、一人の障害者として不便だと感じていること、自分がこうありたい、こういう社会にしていきたいと考えていること。そういうことを子どもたちに語っていきたいし、それはわたしの教師としての役割の一つだろうと思います。今はピンと来ないかもしれないけれども、これから気づいてくれることは大いにあると思うし、どこかで思い出して、生きていくパワーになってくれればと思います」

 そして、障害があってもなくても、教師としてやっていきたいのかいきたくないのか、まずはそれが一番大事だと前置きをして、次のように話し始めました。

 「障害のある方がたは、障害があるゆえに、色々なことを伝えたいだろうと思います。それを大事にしながら、子どもたちと一緒に学校生活を送っていただきたい。障害があるということは、ある意味では強みでもあるわけですから」

 三戸さんらしい、前向きな言葉です。わたしには「障害があるゆえに色々なことを伝えたいだろう」という言葉が、ひときわ強い印象を残しました。なかなか重い言葉でした。そして負けず嫌いでガッツあふれる三戸さんらしく、こんなことも話しました。

 「教師ですから、大事なことは授業ですね。生徒たちにとっては、先生に障害があってもなくても、最終的には授業が面白いか面白くないか、分かるか分からないかだと思うのです。授業で他の教員たちと、どこまで勝負できるか。教師という職業は、授業で健常の教員とサシで勝負できるという魅力があるのです。対等に勝負できる。判断するのは子どもたちです。子どもたちがもし障害のある先生を選ぶのであれば、それは障害の有無ではなく、〝人と人とのかかわり〟というものに動かされたからだと思うのですね」

 これは、19年という経験が言わせる言葉だろう、とわたしは感じました。うまくいかなくて落ち込んだり挫折したりした体験を、たくさん経てきたはずです。一つ一つ乗り越えてきた人ならでの自負であり、矜持でしょう。三戸さんは続けました。

 「それは子どもたちにとって貴重な価値観だと思うのです。障害があるからだめだとか、障害があるから健常者よりも劣っているとか、そういう価値観ではないですね。障害があっても、いいものはいい。それを受け止める心が子どもたちに育っている。逆に言えば、そういう価値観を育てるのが授業です。若い人たちも、ぜひ授業は一生懸命やってほしい。どういう授業だと子どもたちが分かってくれるか。わたしも今一生懸命やっています」

 障害は強みにもなる、という話題は、思わぬ方向へ進んでいきました。

 「いまの学校現場で最も重要な課題は、どうやって子どもたちの自己肯定感を高めるかということです。これは障害のある教師にとっては、ある意味では得意分野です。なぜかといえば、わたし自身にできないことがたくさんあるからです。何かあると子どもたちに『助けてくれ、手伝ってくれ』といって、ものを頼むことが多いわけです。子どもたちは助けてくれる。するとわたしから『ありがとう』という言葉が自然に出てきます。子どもたちにとってみれば、先生から『ありがとう』なんて言われるのは滅多にないことだし、それは自己肯定感が高まる体験のようなんです」

 〝障害をひらく〟という言葉を、わたしは以前、よく使っていたことがあります。三戸さんの話は、このことを思い起こさせました。自らの障害やコンプレックスに閉じこもり、社会や他者と距離を作って生きるのではなく、障害をひらき、自分もひらいて社会のなかに入っていく。そんな生き方のことです。もちろん、社会の方も、障害をもつ人たちに自分たちをひらいていかなくてはならない。今回の秋田県教委は、「障害をもつ」先生たちに一つ、社会をひらいて見せたわけです。三戸さんは続けます。

 「自己肯定感を高める教育はどんなものか」、「自己肯定感を高める授業はどうすればよいか」。そんなふうに方法論はたくさん語られる。しかし日常の場で、ありふれた出来事を通して培われていく自己肯定感こそ大事だろう。そういいます。

 「支え合いが育っていくためにも、社会全体が大きく変わっていく必要があるのかなと思いますね。障害のある教職員がもっと活躍できればいいわけですが、『障害者雇用』だから活躍するのではなく、子どもをいかに育てるかという面でも、障害をもっている教師の刺激は(教師だけには限りませんが)とても大事だと思うのです。教師というのはすごく魅力的な仕事です。若い人たちには果敢に挑戦してほしいですね」

 こうやって積極的に主張する三戸さんですが、わたしは一方で、とても自然体であることを感じていました。三戸さんに『僕は結婚できますか?』(無明舎)という本があります。なかに「図形を書けない数学教師」と題された文章があり、こんなことが書かれていました。黒板に定規で線を引いたりコンパスを使うことが苦手で、うまく描こうとすればするほど緊張してしまう。高校のときの数学教師が「コンパスをうまく使えるようになれば、一人前の数学教師だ」とよく言っていて、自在に美しい図形を描くその教師に三戸さんはあこがれをもった。自分が数学教師を志したとき、定規やコンパスを使って図形が正確に描けず、数学教師が務まるのかどうか、とても悩んだというのです。

 それでも数学教師になりたかった三戸さんは、現場に立ったときにどうしたか。コンパスは特別仕様のものを使い、直線はフリーハンドで描くことにしました。当然、線は曲がります。その図形を見せ、「皆さんはちゃんと定規を使って、きれいな線を描いて下さいね」と冗談をいって生徒たちの笑いを引き出す。そうやって進めるようにしたというのです。それでもときどき、「自分が図形を正確に描くことができれば、生徒たちの成績はもっと上がるのではないか」と悩んだ。保護者に相談すると「先生、考えすぎだ」とひとこと。こんなエピソードが書かれていました。そうやって一つずつ乗り越えながら、自分の「障害」に対して自然体で向き合えるようになっていったのだろう、「障害」をひらいていったのだろうとわたしは推測しました。取材ではこんなことも話してくれました。

 「わたしの話す言葉を聞いて、子どもたちは数学の内容を理解するわけだから、相当難しいと思うのです。でもそれをやっている生徒たちは、客観的に見るとすごいなと思うんです。ただ聞くだけではなく内容を理解しないといけないわけで、生徒たちにとっては相当ハードルが高いんじゃないかと思うんだけど、ちゃんと理解してくれる」

 少しだけですが、三戸さんは〝話し方〟にもハンディキャップがあります。そのことを自覚していて、自分から触れてきたのです。

 「もちろん『つまんない』『わかんない』と言われたときは、自分の指導方法を見直さないといけないなと思います。生徒は正直に言っているわけです。でも障害があるから分からないとは言っていなくて、普通に、純粋に分からないと言っています。だから私も真剣に受け止めます」

 教え方がその生徒に合っていないのではないか。そう考える貴重な経験だと三戸さんはいいます。子どもたちに数学の自信をつけさせたい、それが目標だともいいます。

 取材中、わたしがちょっと驚いたのは前任校で卓球部の顧問をしていた、という話題になった時でした。三戸さん自身も大会に出場する現役の選手だということで、トレーニングをしてきたとも言いますが、2年間、卓球部の監督を務め、女子団体を学校で初めて全県大会への出場に導いたというのです。

 「何がよかったかというと、卓球部の生徒や保護者が、4月の初めに、わたしと生徒たちで、新しいで卓球部を作っいってほしいという合意が、最初にできたことです。わたしは『自分はこういう体だから、卓球をやっているといっても、やれることには限界がある、子どもさん方が本格的にやりたい、勝ちたいということであれば、前年度までコーチがいたので、そのコーチをつけることを考えてもいいですよ』と言ったのです。すると、『三戸先生にやっていってもらいたい。そこにわたしたちは価値があると思っている』、そう保護者が言ってくれたのです」

 他校に練習試合に行くときは、先生の送り迎えくらいしてもいいから、気にしないでやってほしいとも言ってくれ、三戸さんは意を決して一人で卓球の指導をしたといいます。
 
 「卓球も他のスポーツも、いまインターネットのユーチューブ動画があります。子どもたちは動画を観れば、すぐ真似ができるようになるのです。本で読むより動きが分かります。わたしも毎日ユーチューブを観て、使える動画をストックし、必要な時に動画を見せ、技術を教える。そうやって行くうちに、どんどん子どもたちが力をつけていきました。技術指導はそれで十分です」

 言われてみればなるほどと思いますが、目からうろこが落ちる思いでした。障害をもっている指導教員であっても、技術指導は動画がやってくれる。それをフルに活用すれば経験者でなくてもできる。もちろんそれだけではなく、三戸さんはスポーツ指導者としてどうあるべきか、勉強をしたともいいます。

 「指導者で一番大事なのは、自分に競技技術があるか、指導技術があるか以上に、選手のやる気を引き出し、メンタルをどう支えるかです。あとは体のどこをどう使えばもっとよくなるか。練習量をどれくらいやらせるか。ただ球を打っていればいいという時代ではなくなっています。マネジメント力といいますか、それは勉強しました。色々な指導者に会って話を聞くようにもしました」

 三戸さん自身も選手として強くなりたいと考え、専属のスポーツトレーナーを頼み、筋トレをしたといいます。体幹を鍛えるにはどうするか。どのクッションボールを使えばどこが鍛えられるか。まさに選手たちと一緒に学んでいったわけです。

 「女子選手の練習メニューも作りました。うれしかったのは、選手たちが付いてきてくれたことです。ありがたいことに、先生の指導が分からないとか、何のためにこれをやっているのか分からないということがなかったことでした。3年生の春の大会で初めて全県大会に出場し、そこから選手も変わり、わたしも変わりました。親たちも変わっていきました。ほんとうに楽貴重な体験でした」

 最後にもう一つ加えておきたいと思います。内情をきちんと調べないままに部外者が勝手なことを言うのは慎みたいのですが、やはり書き留めておきます。三戸さんの担任問題です。先輩風を吹かせて色々と書いてきましたが、わたしの教員歴は21年。三戸さんは19年。ほとんど遜色はありません。それだけの期間、一度も学級担任を経験できなかったというのは、どうしても不自然さを感じます。

 通勤問題に関しては県教委の英断がありました。秋田は全国に名をはせる教育県です。この問題に関しても、教育県秋田ならではの全国に先駆けた叡智あふれる判断を示していただけるよう、強く願います。授業、部活動と並んで、担任としての学級経営は、なんといっても中学校教員としての腕の見せ所であり、醍醐味なのですから。

教職課程 2020年 01 月号 [雑誌]
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