「教員の働き方改革」を「障害のある先生」から考える(その1)

〝教育〟はどこに届くのか(第16回)


 秋田県の中学校教員、三戸学さんの連載をひと段落させ、次のテーマをどうしようかと考えているときに、三戸さんより「今度、障教ネットの全国集会が東京あるので、来てみませんか」という誘いをいただきました。主催は日本教職員組合(日教組)。交渉を入れてみると、傍聴ならばOKということなので、足を運んでみました。

「障教ネット」とは「障害のある教職員ネットワーク」の略式名です。日教組のなかの一組織で、参加されているかた全員が「障害のある先生」でした。「取材」ではないので詳しくは書けないのですが、74名が会員として登録しているといい、この日の参加者は20名ほど。とても勉強になりました。三戸さんがここで知り合う仲間たちにいかに支えられてきたか、ということもよく分かりました。

 基調講演をされたのは全盲の弁護士さん。これがとても素晴らしいものでした。さらに印象深かったのが、講演の後、質問に立った先生たちのその内容です。質問ではあるのですが、自分の置かれた窮状がいかに大変か、その相談でもあったのです。常勤の方、非常勤の方、立場はいろいろで、障害も、身体、視覚、メンタルの方とそれぞれ。その方たちに固有の「働きにくさ」が質問(相談)の内容です。うまく補助教員と協力関係が得られない、職場内での人間関係、管理職の対応がひどい、そんな内容でした。三戸さんも、19年間担任を持たせてもらえないことへの解決策はないか、と助言を求めていました。講演者の弁護士さんは一つ一つの問いに、打開となりそうな法律を引き、それをどう使えば解決のヒントとなるかを示唆していくのです。驚くほど的確で、弁護士としての力量の高さを感じさせるものでした。

●「障教ネット」との出会いから

 帰路、この日の出来事を思い起こしながら、これは「教員の働き方改革」に直結する問題ではないか、と直感しました。今日の「障害のある先生」が示した問題は、多くの〝働きにくさ〟を抱える先生たち一般の問題として取り出せるのではないか。「障害のある先生の働き方のサポート」と「働き方改革」の二つをつなぎ、問いの形にできれば、「教員の働き方改革」への提言のようなものを取り出せるのではないか。「障教ネット」に足を運んで以来、そんなモヤモヤが頭のなかで回っていました。

 本連載の第2回目で、「教員の働き方改革」について取り上げています。そのときには教員の労働時間の現状がどんな厳しいものか、データを借りながら触れました。そこからさらに踏み込み、一人ひとりの実情や現場のナマの声を拾い上げている資料はないだろうか。そんなことを考えていたときです。見事なタイミングで、知人の赤田圭亮さんより『わたしたちのホンネで語ろう 教員の働き方改革』(岡崎勝・赤田圭亮編、日本評論社)という著書が送られてきたのです。

 赤田さんは横浜市の中学校で国語科の教員として勤め、いまは退職しています。勤務の傍ら組合活動にも力を注ぎ、教育とは何か、働く教員の労働者としての権利をどう守るか、「教育改革」と称されて行われてきたこれまでの施策が、いかに現場を無視したものであったか、それがどれほど教員の負担を大きくしたかなど、旺盛な執筆活動を続けてきました。教育問題への鋭い批判者ではありますが、分析の的確さとバランスの良さ、文章から垣間見える現場教員としての力量の高さ。私は高い信頼をおいてきました(氏の『教育改革とは何だったのか』・日本評論社・は、非常に優れた仕事です)。そんなこともあって、私が編集・発行する個人誌にもたびたび登場していただきました。そんな赤田さんの手になるムックです。すぐに、のめりこむようにして読み始めました。

 私なりに簡単にまとめてみます。基本は、どうして教員の労働時間がここまで膨れ上がってしまったのか。現状の報告、歴史的経緯、多忙さを作っている学校のあり方への批判的分析。それがアウトラインです。様々な要因が複雑に絡み合っていますが、さらに大雑把に分類するならば、60年代や70年代以降から、法的な根拠はないが、延々と続けられてきた慣習的要因、「教師なんだから」「子どものためなんだから」やって当たり前、というような見なし(社会や保護者のそれであるのみならず、教師自身にも深く内在しています)。

 加えて、2000年代から顕著になる新自由主義的な規制緩和。「教育改革」と称して学校を覆っていく競争と評価と、自己責任の原理。いうまでもなく保護者と子ども、そして教員の意識も変っていきます。個人主義的傾向が肥大化していくわけです。以降、忙しさが質と量を変えて膨れあがっていく。こうした様々な問題が、各執筆者によって俎上に載せられていく。これが本書の概要といっていいでしょう。

 目次を見ると、真っ先に取り上げられているのが部活動問題。さらには労働問題として、減らない残業、取得できない休憩、確保されない研修、保護者との対応などが論じられていきます。忙しさの根本には何があるのか。冒頭で岡崎勝さん(元小学校教員)によって、現代教育の特徴は「上意下達の国民教育」と、「日本型学校教育の総合的指導」である、と指摘されます。いうところは、授業のみならず、しつけや生活指導、部活動、校外活動など、子どもたちを丸ごと世話する教育制度だということです。ここから様々な問題が派生していく。自己責任の原理は管理職にも及びますから、勢い、問題の矮小化、隠ぺい、責任転嫁など、好ましからざる事態は増えていくことになる。それが教員の多忙さを
〝逃げ場のない〟ところへと追い込んでいく要因になります。
読後、学校と教員をめぐる状況はここまできてしまったのか、と思わざるを得ませんでした。もちろんこの本は、赤田さんと岡崎さんを中心とした、強い問題意識をもつ方たちの手になるものなのですから、そこから拾い上げられた〝学校のいま〟であり、これがすべてでないことはいうまでもありません。

●「働き方改革」から抜け落ちている視点

 私自身は大いに勉強になったことは間違いないのですが、一つだけ気付いたことがありました。ここで論じられている「働き方改革」は誰のためか。もちろん教職員です。ところが、ここで想定されているのは「障害をもたない先生」、一般の先生たちです。「障害のある先生」にかんする記述は、一人だけを除いてまったく登場してこない。子どもの人権や、教育労働者としての権利に、鋭敏で高い意識をもつ執筆者の方々です。そのような方たちにあっても、ましてやテーマが、労働条件や労働環境をどう整えるかという「働き方改革」であるにもかかわらず、「障害のある先生たち」への視点が抜け落ちている。赤田さんからせっかくいただいた著書へ、苦言を寄せるような内容になり始めていますが、苦言や批判ではなく、「教員の働き方改革」を考えるにあたっての、新たなヒントとなるような視点を提供できないか。その故の指摘だと受け取っていただけると、私としてはありがたいところです。2018年度の幼稚園を含む教員数は100万人強、障害のある教員の実雇用率は1.90%。文科省のホームページからのデータです。2万人近い「障害のある教員」が雇用され、働いているのです。「障害のある先生たちにとっての働き方改革」とはいったいなんだろうか。

「インクルーシブな学校を創っていくことが教員の働き方改革につながるのです」

 先のお一人はそう書いています。全体が子どものインクルーシブ教育という文脈での指摘なのですが、おとな=教職員についても、もちろん当てはまります。次回はこのあたりを少し掘り下げてみたいと思います。

◆◆教職課程 / 2020年2月号 - Webby
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