新型コロナ時代の学校教育、二つの難題について(連載22)

〝教育〟はどこに届くのか(第22回)
新型コロナ時代の学校教育、二つの難題について


いきなり大上段に構えて始めてしまいますが、教育は、身体的な交流によって支えられるところがとても大きいとわたしは考えてきました。21年間(プラス非常勤での2年間)の教師体験が特別支援学校と小学校だったから、余計そのように考えるのかもしれません。ここでの「身体的な交流」とは、文字通りの身体の接触という以上に、感情や情動の交換といったものまでふくむ交流です。一言で「エロス的交流」といってよいのですが、年齢が下がれば下がるほど(あるいは〝特別なニーズ〟がそこに加われば加わるほど)、この、エロス的交流のはたす役割は大きくなります。そして工夫が必要とされます。逆に年齢が上がるほどに、「言語交流」が重要になりますが、身体的・エロス的交流がゼロになるわけではありません。教育という営みは、エロス的な交流と言語的交流の幅のなかで、知識や技能、社会性や文化の伝達がなされていく。それが、わたしが教育というものにもつ基本的なイメージです。

つぎに、では子どもたちはどこから教育に向かおうとする力を得るのか。そう問い方を変えてみます。わたしの教育観に立てば、身体的・エロス的交流が「学びに向かう力」の最大のエネルギー源となる。そういう筋道になります。いわば、エネルギー源をフルに使いながら、エネルギー源そのものを生み出そうとしていく。教育とはそのような営みだとも言えます。

何をお伝えしたかったのか。新型コロナによる休校が終わって新学期が始まりました。学校で過ごす子どもたちのニュース映像が流れるようになり、それを見ながら、当初とても複雑な気持ちになったことによります。「三密回避」は当たり前。いや、いつの間にか絶対的に守るべく社会的ルールとして君臨し、学校でも様々な回避策がとられています。SNSや友人・知人たちからのランダムな情報によれば、それらはおおむね次のようです。

マスクは必着。場合によっては(学校によっては)シールドさえ必携。1メートル以上離れる。給食はもちろん、教室では話をしない(学校によっては、壁を向いて昼食をとるよう指導しているところもある)。接触する遊びはしない。ある学校は、子どもたちは教室にいて、教員が職員室からリモートで授業を行っているともいいます。

もう一つ、こんな話題も出てきました。半数ずつ週2回ないしは3回登校。それ以外は家庭学習。ところがこの家庭学習のあり方や課題の出し方に対し、知人たちから、厳しい注文が出されました。彼らはプロの援助職なのですが、保護者に家庭教師の役割を期待するのはそもそも無理、まだ習っていない領域の予習は子どもにとっても保護者にとっても、なおのこと難しい。オンライン学習を取り入れるようになってはいるが、家庭学習のあり方をよほど工夫しない限り学力差はますます著しくなるだろう。緊急事態宣言が経済格差に追い打ちをかけており、このことも学力格差に直結する。――これらがどの学齢でどの程度の問題となるのか、きちんとした仕分けと吟味は不十分なのですが、その点をお断りしてわたしの考えるところを述べてみようと思います。

少し書いたように、はじめ学校のニュースを見たときに強い異和感を覚えました。ここでとられている回避策は、どう考えてもこどもたちの発達にとって阻害要因です。ここまで細かくルールを取り決めなければ過ごせない学校生活そのものが、まずはストレスそのものでしょう。マスクやシールドをしなさい、離れなさい、話してはいけません、体が触れる遊びをしてはいけませんというのは、子ども同士を隔てる大きなバリアです。通常ならば積極的に奨励したいことが、少なくともわたしの教育観や子ども観では望むべき事柄が、ここでは禁止や抑制の対象になっています。こんなことを、ほんとうに子どもの学びの場でやるのだろうか。これでは社会性や情緒の育ちが阻害されてしまう。精神的に不安定な子をたくさん作ってしまいかねない。ニュース映像を目にするたびに、そんな思いを強くしていました。

ところが、少しずつ方向修正をしていくことになるのですが、まず「社会全体が感染回避を図らなければ、社会そのもの維持が不可能になっている」わけで、最初に書いたように、これが新型コロナウィルスがもたらした最大の社会的課題です。さらに難しいのは、国によって、あるいは医師によって、基本的な考え方や対応策が分かれてしまっていることです。現状は例外的な状態にあり、一過的なものである。誰にとっても初めての事態であるから、確実なノウハウは皆無。そんなななかで、学校現場は試行錯誤をつづけているわけです。まずは、どうしたら子どもたちが学校に出てくることができるか、その目的にたっての試みなのだということをひとまずは認めなくてはならないだろう。そう考えるようになったのです。

学校を一斉休校にするという措置が果たしてどこまで適切だったのかなど、これまでの取り組みの検証はどこまでなされているのか。次にこのことが気になりました。松村むつみさんという医療ジャーナリストであり、放射線科医でもあるという方の記事を紹介します。客観的で中立的な立場に立っていると判断したからですが、次のようなことが書かれていました。(‘20.6.7現代ビジネス https://gendai.ismedia.jp/articles/-/73072)。

アメリカの研究では「休校単独による感染抑制効果はごくわずか」という報告が出され、イギリスでは「厳しい外出制限に効果はないが、休校と大規模集会の中止には効果がみられたという報告」があった。そう述べられていました。つまりは〝効果なし〟という共通の見解には至っていないわけですから、休校という措置を取りやめることはできないわけです。マスク着用とソーシャルディスタンスには一定の効果があるとWHOも認めているとか、他にも各国の検証データを紹介し、2波3波に対する備え、感染の予防と教育がストップすることの弊害のバランスをどうとるかなど、妥当というか、いまのところはそこに落ち着くしかないだろうなというまとめでした。

身体的交流が損なわれる、とわたしが危惧した感染回避のための措置は、どうもしばらくはやめることはできないようです。いや、それが常態化していくのではないかという危惧を覚えたのは、北九州市内の小中学校でこれまで分散登校を進めてきて、一斉登校をはじめようとしたところ、いくつかの学校でクラスターが発生した、という記事を読んだときでした(西日本新聞6月3日のウェブ版https://www.nishinippon.co.jp/item/n/613723/)。通常授業に復帰したとしても、感染拡大がいつ、どこからどう始まるか分からない。そのことをこの事実は告げています。感染予防を大前提としたあり方が学校のスタンダードになるならば、そこで教育のもつ基本的な身体的・エロス的交流をどんな形で保証することができるのか。そういう課題があるとわたしは感じます。オンライン授業が進んだからといって、一件落着ではない。

逆に、集団になじめない子や発達障害系の困難をもつ子にとっては、教育という営みが身体的・エロス的な交流であるからこそ、そこへの適応に困難を抱えてきました。これまで様々な配慮が工夫されてきたわけですが、感染回避の対応策はおそらくは彼らを直撃します。「~~をしてはいけない」「~~をしなければならない」という新たなルールは、彼らにとっては新しい難題となり、感染予防の措置が、登校を拒否する子を増やさないとも限らないわけです。学校はマスクをつけられない子の登校を、感染リスクが高いと拒むのでしょうか。

ニュース映像はこんなことを考えさせたのでした。
教職課程 2020年 08 月号 [雑誌]
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