共同存在であることと「合理的配慮」 〝教育〟はどこに届くのか(第27回)

浜田寿美男さんと発達心理学

 先日、久しぶりに浜田寿美男さんに取材をさせていただく機会がありました。浜田さんは奈良女子大で教鞭をとりながら、発達心理学と供述分析という二つの領域で、50年にわたって刺激的な仕事をされてきた方です。発達心理学がどんなものかは、教員を志望する皆さんはご存じだろうと思います。

 供述分析というのは、逮捕前あるいは逮捕後、被疑者が取調室のなかでどんなふうに供述をとられていくのか、そこに誘導や強引な押し付けはないか、音声テープや供述調書を分析し、えん罪の可能性を実証していくという鑑定作業です。浜田さんはこの領域の開拓者・先駆者と言ってもいい存在で、私はどちらの仕事からもとても大きな影響を受けてきました。

 ここでは発達心理学者としての浜田さんを紹介しながら、私がどこに、どんな影響を受けてきたかを書いてみたいと思います。そして前号まで述べてきてきた「合理的配慮」についての私自身の考えと、つながりを持たせてみたいとも思っています。

 浜田さんの著書と最初に出合ったのは、『子どもの生活世界のはじまり』(ミネルヴァ書房)でした。初版が1984年、私が持っているのは89年の版です。『発達』という季刊誌が同じ版元から発行されており、そこでの連載をまとめたものがこの本です。私が特別支援学校(当時は養護学校ですが、こちらの名称を使います)に初任として採用になったのが79年、26歳のとき。浜田さんの仕事を最初に目にするのは、おそらく勤め始めて5,6年目ごろ、『発達』での連載だったと記憶しています。

 発達心理学といえばJ・ピアジェ。『知能の誕生』という500ページを超す主著がありますが、浜田さんはその翻訳者です(もう一人が谷村覚氏)。ところがピアジェの著書は難解きわまりないもので、当時の同僚たちに声をかけて勉強会を開いたりしていたのですが、そうとう苦労して読み継いでいった記憶があります。そして94年に『ピアジェとワロン』が出たとき(著者はもちろん浜田さんです)、霧が晴れるように、ピアジェも(そしてワロンも)、私なりの像をもつことができるようになりました(浜田さんも書いていますが、ワロンの本は翻訳がひどすぎました)。

「発達」とは共同的・類的なものである

発達心理学については私などが説明するまでもないでしょうが、乳児期から年齢を追いながらその時期の発達的特徴を拾い上げ、それが発達全体のなかでどういう意味を持つかを位置づけていく。簡単に言えばそういう学問です。よく例に出されるのが生後8か月という時期。ハイハイが上手になった赤ちゃんは、何か物を見つけると這っていってそれをつかみ、口に入れて感触を確かめます。これを探索行動と言い、能動性が育つ大事な時期なのですが、同時にお母さんとの愛着も強くなり、その安心感や信頼感があればこそ、お母さんを離れて回りの世界に向かおうとする、個人差はありますが、そういう時期です。

もう一つの特徴が、人見知りが始まることです。これも、とても大事な発達の指標だとされています。このとき赤ちゃんはお母さんと自分、お母さんとそれ以外の人というように、区別がつくようになっています。お母さん以外の人が分かり、その人の登場に不安を感じる。それが人見知りの発達的特徴である。こんなふうに明らかにしていくのが発達心理学であり、ピアジェはそれを、これ以上のないほど精緻に拾い上げて意味づけていきました。その一部始終を記述したのが『知能の誕生』です。

ところが浜田さんは、ピアジェの発達論に疑問を呈します。『ピアジェとワロン』のサブタイトルが「個的発想と類的発想」となっているように、ピアジェの発達論は「個的発想」、つまり赤ちゃんという個体に訪れる変容だけを取り上げ、それが一人でになされていくような観察と記述になっている。しかし人が育つということはそういうものではない、生まれ落ちた時点ですでに人とのかかわりの中に置かれ、そこからたくさんの働きかけを受けている、この働きかけがあればこそ発達はなされていく。それが発達についての浜田さんに基本的な考え方です。いわば従来型の発達心理学を批判する発達心理学者が浜田さんです。

「人は一人であって、一人ではない。個‐類の両義性という、生き物としての一つの明らかな現実を組み込むことなく、心理学の理論が十全なかたちで成立するはずがない」「そのとき感じたピアジェの理論への異和感を、いまの私の言葉でいうと、その「個からの発想」への異和感ということになる。(略)ピアジェにとって、人間は周囲世界に対処していく構造化されたシェマの集合体でしかない」(『ピアジェとワロン』はじめにより)

一方のワロンには「類的発想」という名称が与えられているように、個体としての人間ではなく、類的存在としての人間、言い換えれば共同的、社会的存在としての人間という発想のもとに発達が考えられている。浜田さんはワロンは難しいと断りながらも、「人間はその脳そのものにおいて社会的であるという過激な言い方が、私には面白く感じられた」と書いています。いまでこそ「医学モデルから社会モデルへ」という言葉が流布し、人は社会や人との関係においてこそ育つ、という考え方は当然のように受け止められていますが、当時はそうではありませんでした。私には新鮮で、とても重要な指摘でした。子どもの育ちや障害について考えるときに、ここで教えられた発想は大前提になりました。

子どもの「全体性」という着眼

発達とは共同的なものであり、子どもが共同存在であるならば、ではどこにどう留意して子どもをとらえたらよいのか。

「子どもは、いかなる子どももみな、ひとつの全体です。しかも、ひとつの個体として全体的だというにとどまらず、子どもが周囲の人や物や場や時ととりむすぶ関係の系のすべてを含めて、ひとつの全体だと言わねばなりません。ですから、子どもが背負うた障害をみつめようとするとき、そこだけをとり出してみることはできず、ひとつをとり出せば、必然的に他のもろもろが一緒に絡み合って引きずり出されてくるのです」(『子どもの生活世界の始まり』はじめにより)

障害という言葉が出てきているので、私なりの説明を加えてみます。たとえば私は「障害」や「障害者」という言葉を使うとき、じつはためらいを感じながら使っています(これまで散々「障害のある先生」と書いてきたのに、いまさら何を言うかというようなものですが)。「障害」はその人の全体ではありません。特性の一つです。これまで紹介してきた三戸学さんを例にさせてもらうならば、身体の「障害」は三戸さんの全体ではありません。私の知る限りでも、熱心な数学教師であり、スポーツが好きで、指導者としても自身が選手であるという面においても強い向上心を持っています。負けず嫌いで努力家のようでもあります。またフェイスブックを見ると(無断でバラシてしまいますが)、おいしいものに目がなく、あちこちに出かけて行っては〝栄養補給〟をしています。ほかにももっとたくさんの三戸学さんがいるはずですが、「障害者」と名指すことでその全体が消え、「障害」だけが三戸さんのすべてであるかのような印象を作りあげてしまいます。言うまでもないことですが、大事なのは三戸さんの「障害」ではなく、三戸さんというその人です。

私は教員になった当初から、次のようなことが不思議でした。学校に一緒にいるときには、その子の「障害」は全体の中に溶け込んでいます。ダウン症も自閉症も知的障害もことさら意識には上らず、A君ならただのA君、B君ならただのB君、そんな存在としてかかわっています。ダウン症や自閉症や知的障害という特性をことさら意識する必要のないまま、その日の交流は終わっていきます。しかし、これは不思議でもなんでもなく、人と人とがかかわるということはそういうことなのだ、「障害」だけを見ているわけではない、その子(人)という全体見ているのだということに、先の引用から気づかされていったのです。

ところで、子どもの全体をみるという着眼は、私自身のオリジナルな考えだといつの間にか思いなしていて、そのようにある本に書いたことがあります。ところが、今回浜田さんの本を読み直してちょっとびっくりしました。浜田さんが書いたことが頭に入っていて、それをいつの間にか自分の発見のように考えていたわけです。他にも似たような経験はありますが、いかに私がいろいろな人の影響のうえで成り立っているか、改めて知らされた気がします。ももの書きにあって、もちろん先生にあっても、まったくオリジナルな存在など存在しません。いろいろな人の影響を受けながらその人の個性は出来上がっていくのであって、それもまた人が共同存在であればこそです。

感情が通じ合うとはどういう体験か

三つ目は、子どもとやり取りをすること、コミュニケーションについてです。特別支援学校に通ってくる子には、言葉のない子、会話でのやり取りが難しい子が少なくありません。当時、私がとても不思議に感じていたことの\一つは、言葉のない子たちとも交流ができている(と感じられる)が、それはなぜなのか、コミュニケーションが成り立っていると思えるのはどうしてなのか、というそのことでした。もちろんこちらからは機会あるごとに話しかけるわけですが、答えが言葉で返ってくるわけではありません。頷いたり、首を横に振ったり、いやだと座り込んだり、身振り手振りで答えてくれる子もいますが、それをしない子もいます。それでも〝何かが伝わっている〟という感覚が、間違いなくあるのです。このことが不思議でした。そのときの私は、コミュニケーションは言葉(だけ)でするものである、言葉がなければ成立しない、そう強く思い込んでいたわけです。

言葉のない子とでも通じ合うことができる、逆に双方が言葉をいくら重ねても、いっこうに通じ合わず、どんどん離れていくばかりだというコミュニケーションもある。一体コミュニケーションとなにか、言葉が伝わるとはどういうことかという問いが、しばらくの間、私の宿題になりました。浜田さんはコミュニケーションについて、次のように書いています。

「このようにみてきますと、言葉が通じる、あるいは通じる言葉が獲得されるということの背景には、先にH君について見た《話し手‐聞き手》の共有状況があることが分かります。つまり、言葉が通じること、そして、その通じる言葉が出てくることの大前提として、人と人とが何かを共有する、つまり人と人とが通じ合うということが必要なのです。(略)むしろ、人と人とが通じ合っているからこそ言葉が通じ合うのだと言わねばなりません」(同前)

言葉を話すというそのことが、交流が成り立たせるわけではない。何かを共有するという状況が、話し手と聞き手の双方にあるかどうか。そういう状況をつくることができれば、言葉の有無にかかわらず交流は成立するというそのことを、この引用は教えてくれます。言葉やコミュニケーションに対する私の考え方が、このとき大きく変わりました。以来、子どもとのかかわりにおいてまずなすべきことは、何かを共有する(できる)状況をどう作っていくか。それが子どもたちを前にしたときの私の基本的な構えになりました。

こんなふうにして、育ちとはなにか、子どもをとらえるときに留意すべきはなにか、かかわるときに大切にすべきことはなにか。浜田さんの本を読みながら、特別支援学校の教員としての基本的な在り方を学んでいった。そのことが今回の再読で思い返されたのでした。

「ともに引き受ける」ことと「合理的配慮」

最後に、もう一つ引きましょう。私が支援者(教師)として、とても重要だと考えている(きた)ことを、浜田さんはズバリ、次のように指摘しています。

「はたして「障害」ゆえに、彼らが自分の現実を見すえ、自分の力が現実とぶつかる機会を奪われているということがなかっただろうか。そう問いたいのです。「障害」をともに引きうけ、共同の生活世界を作りあげていくという私たちの理念は、「障害」者をひたすら現実の世界の苦難から守ってやることではないはずです。現実的には何らかの「介助」なり「配慮」を要する人たちではあるのですが、この私たちの「介助」とか「配慮」という営みが、彼らを現実から遠ざけることになってしまうとすれば、いったい何のための「介助」か分からなくなってしまいます。「介助」とは、「障害」をもつ人たちを現実生活につなげる「介助」であるはずなのですから」(『「私」というもののなりたち』ミネルヴァ書房・一九九二年)

支援や介助、配慮は、支援者による囲い込みではない。やみくもに支援すればよいというものではない。主役は支援者や介助者ではなく、あくまでも彼ら自身である。そういう当たり前のことが、支援者にとって、ときに忘れられがちになることへ注意を促している一節です。支援には、どうしてもそういう落とし穴があります。

ただ、当時の私は、少しばかりアレンジして受け止めた記憶があります。そのころ、「教育」という営みや「教師―子ども」という関係の非対称性がどうしても持ってしまう権威性や権力性というものが、少なからず気にかかっていたときでした。どうしたらそれを解きほぐすことができるか。そんなことを考えていたような気がします(イヴァン・イリッチの『脱学校の社会』をはじめとする脱学校論が、ちょっとしたブームになっていた時期でもあり、そんな影響もあったのでしょう)。この引用は、そのことに対する自戒として、少しばかり自分流に読み替えていったのでした。

ともあれここでは、支援や配慮が生活世界や社会の中で一定の役割を果たそうとするとき、どんな事態が生じかねないか。それを避けるためには、支援者の側はどこに留意しなければならないか。その点についての浜田さんなりの見解が述べられています。最後になぜこの件を引用したのか、その理由はすでにお分かりかと思いますが、いうまでもなく三戸学さんのことを念頭に置いています。

これまで私は、三戸さんになされている「合理的配慮」について、しつこいほど苦言を呈してきました。それがどうしてなのか、その理由が、端的にここに書かれています。月に3万円以上もの交通費の自己負担を強いる異動のあり方について、また20年にわたって、学級担任をもちたいという希望が果たせずにいるという事実について、その改善を求めているにもかかわらず、いずれも「合理的配慮」の名のもとに退けられてきました。三戸さんの望む現実を遠ざけ、むしろ希望を断ってしまうような「合理的配慮」を、ほんとうに「合理的配慮」と呼んでいいのかどうか。

また浜田さんは、この引用の少し前で、「障害」は克服するという問題である以上に、「引きうけ方の問題」なのだと書いた後、次のように続けています。

「そこで「引きうける」というとき、それが「障害者」個人が引き受けるだけではなく、周囲の人間が「ともに」これをどう引きうけていくのかということでもあるはずです」

その通りだと思います。三戸さんは、自分の「障害」を真正面から引き受け、自分にとってのよりよい生活を実現しようとしています。そのために県教育委員会という大きな組織を相手に、訴えを起こしているわけです。そんな三戸さんと「ともに」、周囲の人たちもそれを「引き受け」ようとしているだろうか。浜田さんの書いていることをここでの文脈に引き寄せるならば、そんなふうに問われていると読むことができます。

この指摘は、三戸さんだけにとどまらない問題のはずです。もう一度引用します。「周囲の人間が「ともに」これをどう引きうけていくのかということ」であるならば、「ともに」なされる「引き受け」が、「合理的配慮」という言葉には含まれているのではないか。むしろ含まれていると考えるべきなのではないか。同義反復のようになりますが、なぜ「ともに引き受ける」必要があるのかと言えば、人が社会的存在・共同存在であるからです。「合理的配慮」という言葉のポイントは、どうもこのあたりにありそうです。浜田さんへのインタビューの準備をしながら、こんなことを私は考えたのでした。

教職課程 2021年1月号 (合格者が語る! 教員採用試験突破術)
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