村上春樹と「学生運動」

『村上春樹の隣には三島由紀夫がいつもいる。』を刊行してずいぶん経った頃、あるウェブサイトに次のような文章が掲載されました。

《この佐藤幹夫さんの本は、村上春樹の小説を、「三島への挑戦」という観点から読み解いていて示唆に富むのですが――ちなみに、佐藤さんによれば『ノルウェイの森』は『春の雪』への挑戦です。なるほど、ある種の「美学」という点ではよく似ています。『春の雪』もぜひご一読ください――しかし正攻法に解釈するなら、この散歩コースは、60年代後半から70年にかけての「学生運動」の故地めぐりです。》
(「神保町文学散歩」by深津 http://osanpo-jimbo.com/bloggak/2026


文中の「この散歩コース」とは、私が『ノルウェイの森』のなかで、「僕」と直子が歩くコース――「〈四谷(三島の生家)―(市ヶ谷・自決場所)―飯田橋―(靖国神社・英霊)― 御堀端 ―本郷(東京大学)― 駒込(寺町)〉」――は「三島巡りではないか」、と指摘したくだりについての、深津氏の見解です。氏はさらに、次のように述べていきます。

《一つの根拠として指摘したいのは、「僕」と直子の散歩が行われたのが、1968年5月から(直子が失踪する)翌年4月までである、という点です(毎回同じルートではないかもしれませんが、テキストにあえて記されたのは、この「四ツ谷―飯田橋―神保町―お茶の水―本郷―駒込」というコースでした)。この時期、このコース上で、「日大闘争」「神田解放区(カルチェラタン)闘争」「東大闘争」など、歴史的に有名な事件が起こります(日大、東大以外でも、上智大や法政大、明大、中大、東京医科歯科大など、コース上に点在する大学は、「学生運動」が盛んだったところです)。》

この指摘は、ご自身が述べておられるように「正攻法」です。村上春樹氏における「学生運動」がもたらした事態の重要性は、かねてよりさまざまな批評家によって指摘されてきましたし、作家自身も、所々で機動隊との衝突らしきことをほのめかしている部分があります。しかしわたしはこの問題について、前著ではほとんど触れませんでした。

一言だけ添えておくならば、氏が目論んできた三島由紀夫との「文学的闘い」とは、文学そのものにおける格闘のみならず、六〇年から七〇年という時代の政治的闘いも含意されていたのですが、十全に展開する余裕はありませんでした。

ともあれ深津氏の見解はリアリティ溢れるもので、村上作品における「学生闘争」の問題をここまで具体例をもって指摘した例は、こちらの不勉強ゆえか、ほとんどなかったのではないでしょうか。

さて、問題はここからです。深津氏の指摘に触れたときとっさにわたしの脳裏を去来したのは、春樹氏と同時代の、志半ばで斃れた一人の作家でした。それは桐山襲です。

『ねじまき鳥クロニクル』という作品タイトルは、桐山襲の『風のクロニクル』に対する、あるいは桐山襲という作家その人に対する、なにがしかの発信ではなかったかという印象を、深津氏の文章を読んだとき、とっさにに強く感じたのです。

桐山は、六〇年代から七〇年代においてくりひろげられた、党派(セクト)による闘争を小説のテーマとして描き続けた作家でした。闘いで傷ついた主人公の手記、というスタイルをとりながら、戦争期の伝説から大逆事件の記憶を掘り起こし、さらには古代の「まつろわぬ神」をめぐる埋もれた歴史へ接近していくなど、「闘争」を描くために、様々な技法的試みを続けました。政治へのコミットメントを描くにはやや文学主義過ぎるきらいがあり、その点に対する批判もありました。

桐山のデビューは一九八四年。桐山は数作の作品を残し、わずか八年後、一九九二年三月二二日に死去します。村上氏が『ねじまき鳥クロニクル』第一部を発表するのは、同年の一〇月。わたしには、桐山の死を引き継ぐようにして、「クロニクル」というタイトルを付した作品を書き始めたように感じたのです。

『風のクロニクル』の末尾部分は、次のように書かれています。

《(前略)かつて幻の表現者連合たらんとした僕たち三人――《死者》と《語れない石》と《叫ぶ鳥男》とは、そのときどのような言葉をもって、かつて在ったことと、これから在るべきことを語り始めることが出来るだろうか。》

「幻の表現者連合」とは、作品内で、主人公たちが全共闘に参加した際のグループ名です。《語れない石》とは、路上における武闘で頭を割られ、歩行と発語を失った友人。《死者》はその友人と同棲していた女性。彼女はその後内ゲバのために他界します。いっとき三角関係のようになるのですが、やがて「僕」も負傷します。その外傷のせいか、「鳥のような声を発して倒れる」ようになっているため、《叫ぶ鳥男》と呼んでいます。

〈闘争〉によって深い傷を抱えることになった三人の青春群像、という人物配置は、村上春樹氏が初期から様ざまな形にデフォルメしながら描いてきた人間構図であり、やがて「直子」として造型されていく女性を巡る三者の関係と相似形です。しかしわたしが注目したいのは、「僕」が《叫ぶ鳥男》とネーミングされていることです(ここには、大江健三郎氏の影響が感じられますね)。

村上氏は、志半ばで斃れた桐山に代わり、「かつて在ったことと、これから在るべきことを語り始める」ために、『ねじまき鳥クロニクル』を書き始めたのではないか。つまり『風の歌を聴け』→『風のクロニクル』( =「《叫ぶ鳥男》のクロニクル」)→『ねじまき鳥クロニクル』という連想が、先の深津氏の指摘を拝見したあとに働いたわけです。

「学生闘争と村上春樹」というテーマを指摘していただいたとき、久しぶりに、さまざまな作家ことを思い起こしましたが、桐山襲のことは、ひとこと書き留めておきたくなった次第です。




"村上春樹と「学生運動」" へのコメントを書く

お名前
ホームページアドレス
コメント