大澤真幸『三島由紀夫 ふたつの謎』を読む(1/2)

 大澤真幸『三島由紀夫 ふたつの謎』ほかを読む(1/2)

「謎」はどこにあるのか  北明哲×佐藤幹夫



北明 では、『三島由紀夫 ふたつの謎』に移りますが、大丈夫ですか。天下の大澤真幸ですよ。紹介して、軽く褒めてお茶を濁すくらいなら、取り上げない方がいいですよ。

佐藤 ヨレヨレになるかもしれないけど、頑張ってみます(笑)。

北明 では始めます。一読してまず驚いたのは、大澤さんが、全力を挙げて三島由紀夫に取り組んでいることでした。三島由紀夫を、戦後の文学者や思想家のなかで最大の知性と認め、その最大の知性に自身の知力のすべてをかけて挑んでいく、という姿勢がよく出ている本でした。そのことが意外というか、印象深いことでした。

佐藤 そうですね。色々な意味で大澤さんらしいですね。自負もあるでしょうし、自信もあるでしょう。まさに「相手にとって不足なし」という感じですね。ご本人が明言しているわけではないですが。ネット書店を見ると評価が割れているようですが(割れて当たり前なのですが)、よく売れているようです。一種の〝問題作〟だと思います。こういう仕事は、書籍(紙媒体)もまだやれるじゃないか、という気にさせてくれますね。

『三島由紀夫 ふたつの謎』は文芸批評か


北明 それで感想の二つ目は、三島由紀夫を精緻に論じているけれど、これは文芸批評なのだろうかというものでした。そのへんはどうでしたか。

佐藤 文芸批評かどうかは、私はほとんど気にならなかったですね。どこをどう読んでも、思想家・大澤真幸の仕事です。それで十分ではないですか。もちろん、あなたの言いたいことは分かりますよ。映画批評をするならば、映像表現とはどんな固有の特性をもつか、映画の文法や技法はどんなものか、映画作品や作家を論じながら、同時にそれらを明らかにしていくのが映画論である。直接説明する必要はないけれども、自ずとそこには「映画とはなにか」、映画がどういう固有の表現形式か、ということが示されていなくてはならない。

同じように文芸批評も、小説作品に独特の様式や技法、物語構造、歴史性、どんな批評史や研究史をもっているかなど、自ずとそういう内容が立ち上がってくる記述になるだろう。それが私が考える文芸批評です。人生論や感想文とは区別されるものです。もちろん、誰が何をどう書いても自由ですし、村上春樹がかつて盛んに言っていたように、小説の読み方は一つではない、読者の数だけ読み方がある、自由に読まれていい(最近、村上さんもちょっと転向したようですが)。

北明 哲学には哲学的思考があり、経済学にも経済学的思考があり、同じように文学にも文学的思考がある。

佐藤 そう思います。加藤(典洋)さんが『敗戦後論』(講談社)や『戦後入門』(ちくま新書)で、戦前戦後の社会思想史や政治史を書いても、瀬尾(育生)さんが原発や天皇という社会的な発言をしても、発想や思考の核には文学者である、という痕跡と手触りをしっかりと残しています。竹田さんは哲学をベースにするようになったわけですが、文芸批評の発想をうまく保存させている。だから大澤さんが三島由紀夫を取り上げたからといって、文学者の書くような〝文芸批評〟である必要はない。大澤さんにもそんな義理はないでしょう。文学のほうから社会学的記述にアプローチする仕事があっていいし、社会学のほうから文学にアプローチする仕事もあっていい。そういう問題ではないですか。

北明 この議論は、以前『飢餓陣営44』で指摘した、吉本隆明さんと江藤淳さんの対談における〝対立〟に通じるものがありませんか(「北川、村上、吉本、敗戦と戦後をめぐる文芸批評」所収)。

佐藤 吉本さんが、江藤さんの、占領期の検閲の問題を取り上げた仕事に対し、文学者は偉いんだから、そんな学者のような仕事をする必要はないじゃないか、と言ったことに対して、江藤淳が、吉本さんも随分呑気だ、あれは私にとっては文学なんだ、と反論していたやり取りですね。江藤さんは頑強に譲りませんでしたからね。
それで話を進めると、私は大澤さんの本をたくさん読んでいるわけではなく、『虚構の時代の果て』(ちくま新書)とか、『夢よりも深い覚醒へ』(岩波新書)とか、一〇冊程度の新書を読んだ範囲での感想ですが、こんなことを考えています。

大澤さんのスタイルは、まず仮説を提示します。着眼がいかにも大澤真幸なのですが、『虚構の時代の果て』であれば、一九九五年、日本で二つの「戦争」が勃発した、一つは阪神・淡路大震災であり、もう一つがオウム真理教による「地下鉄サリン事件」だというものが、大澤さんの立てた作業仮説です。そして「一九九五年の戦争」がどういうものか検証していくわけですが、そのときに補助線が引かれます。複雑な方程式のような問いを投げてよこすわけです。大澤さんらしいのは、その問いが二律背反的で両義的であることです。右にもいけなければ左にも行けない、さあどうするかみたいな問いを提示し、それを解いてみせるその解き方の意外さというか、面白さですね。

北明 大澤マジックですね。

佐藤 『虚構の時代の果て』の目次を眺めているだけでも、「理想を否定する理想」「身体の微分」「右翼=左翼」、「不可能性の実体化」と言ったワードが並んでいる。いかにも現代思想っぽいんだけど、両義的なところに一度問いを追い込んで、そこから検証してみせる。このやりかたにはある効果が生まれる。

一番うまくいっているのが『虚構の時代の果て』だと思うんだけれども、二律背反から始まる論証は、オウム真理教ならオウム真理教というものが、バーチャルで「妄想集合体」のような性格をもちながらも、むしろそのことによって、より現代に特有のリアリティを増幅している、という読後感をつくるわけです。バーチャル(虚)であるがゆえにリアル(実)だというような。その最大の表象が「サリンガス」であると書かれると、恐怖感、おぞましさ、息苦しさが、見えないまま不気味に拡散されていくような、なにか現代社会の表象になる。

3.11の後に書かれた『夢よりも深い覚醒へ』はどうか。タイトルの「夢」は3.11がもたらした「絶望的状況」=悪夢ですね。「覚醒」はそのような中にあって、なお思考することへの強い促しが含意されています。稀有な破局のなかにある、辛いことではあるが、しかし深く思考すること。深い思考こそが覚醒へ、つまりは救いへと導く。
いま「救い」という言葉を使いましたが、この本のもう一つの特徴が、後半になってノアの洪水や創造神話が出てくるように、宗教論議の観を呈してくることです。もちろん一筋縄ではいかないし、ベタな宗教論議ではないのですが、大澤さんの大きな意図は、寓意あるいは寓意的思考そのものを示すことにあるのではないか。なぜ寓話や寓意的思考か。旧約聖書ですね。旧約世界は大破局後に書かれた神の言葉です。神の言葉は寓話や寓意によって示されます。そのゆえ、とても強い力をもって訴えかけてくる。大澤さんは、そのことを強く意識しているのではないか。だから『夢よりも深い覚醒へ』での補助線(問いの立て方)は寓意的です。

北明 確かに大澤さんの発想は、寓意に親和性が高そうですね。

「謎」はどこにあるのか

北明 で、『三島由紀夫 ふたつの謎』に話を戻していいですか。
もうちょっと食い下がらせてもらいたいのですが、大澤さんが、今回の三島読解で提示している二つの「謎」ですが、一つはなぜ最後に、三島があんな愚行をしたのかということ。もう一つは『豊饒の海』の末尾がどうしてあのような終わり方になっているのかということ。この小説にどんな意味があるのかと考えながら読み進めてきた読者にとって、最後の最後でまったく意味はないと書かれてしまうのでは、読者への詐欺行為ではないか」とまで書いています。

二つの「謎」はセットになっているはずで、『仮面の告白』以後の重要作品を丹念に読み解いていけば、この問題は解けるはずだ、と順次検証していきます。それが基本のプロットなんだけれども、でも、なぜそれが「謎」なんだろう。私は『豊饒の海』の終わり方はあれしかないと思うし、三島の自決にしても、「あれが謎だ」というようには考えたことはなかった。

大澤さんは、「三島の行動は、自殺自体を目的としていたわけではない。これは、一種のクーデターか革命の試みであり、はっきりとした政治目的をもっていた。しかも失敗した場合には割腹自殺することは、予定されていた。だから、三島は自殺せざるをえない状況になることを予期していたことになる」と書いています。最後の行動は自衛隊の決起とクーデターが目的、失敗すれば死、失敗したがゆえに三島は自決せざるをえなかった。こういう理解ですね。なぜ失敗と分かっているような愚行を、三島ともあろう人間がおこなったのか。そう問いを立てているけれども、これでは原因と結果が逆ではないか。

三島という作家には死への強烈な願望があった。それはどう実行されなくてはならないか。戦後のある時期からそのための準備が、周到になされていった。肉体を鍛え上げ、剣のたしなみを身に着け、陽明学や「葉隠」を読み、私兵をつくった。自衛隊の訓練に参加し、やがて来るだろう実戦の機会に備えた。色々とあったようですが、ともあれそれが、一九七〇年一一月二五日の市ヶ谷における決起行動だった。しかし、「軍人行動家・三島由紀夫」というのは、肉まで食い込んではいるけれども、戦後を生きるための仮面ではないですか。ではどこでその仮面をつけたか。文字通り『仮面の告白』からですね。

佐藤 基本的にはそう理解されてきました。なぜそれほど死への傾斜があったのか。幼少期の惨憺たる養育。もうひとつは、死が宿命づけられていた戦中世代が、敗戦によって戦後を生き延びなくてはならなくなったこと。しかも戦後社会は愚劣きわまりなく、そのことへの嫌悪。

北明 『仮面の告白』が書き始められるのが昭和二三年一一月二五日。『豊饒の海』を書き終えたときの日付が一九七〇年一一月二五日。最終稿を預けてから、市ヶ谷に向かうのですね。松本健一さんは『三島由紀夫亡命伝説』(河出書房新社)に、この点を指摘した後、次のように書いています。

「つまり、『仮面の告白』執筆によって始められその二十二年後の自決によって幕を閉じられた三島のフィクショナルな戦後は、いわば日常生活からの亡命であることによって、占領軍と戦後民主憲法によって支えられた天皇制国家の「戦後日本」と鋭く拮抗している。その、占領軍と戦後民主憲法によって守られた天皇制国家の矛盾を、かれは自決を前に激しく指摘することになるだろう」

 徹底して自己を仮構しつづけたわけですね。だから「謎」なんかないじゃないですか。大澤さんは、この二つの「謎」は、これまでほとんど正面から論じられてこなかった、とも書いていますが、そうですか。今の松本さんの文章もそうですが、三島さんを論じてきた批評家たちは、そこに「謎」があるとは考えていなかったのではないでしょうか。

たとえば吉本隆明。三島由紀夫の死後、幾つか文章を書いています(*1)。そのなかの『三島由紀夫評論全集』の書評の、『行動学入門』について触れた文章から引きます。吉本さんは『行動学入門』を読み返し、「かなしいほど真剣に生真面目」に自分の意図する肉体的行動に伴う心理を予言し、根拠づけようとしている、そのことがわかったと書いた後、

「行動思想家としての三島由紀夫が、じぶんの肉体と精神のあいだに何が実現したとき理想の達成とみなしたかは、はっきりしている。じぶんの肉体を賭けた行動が、肉体のすべてを観念の色合いに染め上げようとする意志の実現に当っており、それは同時に無意識の肉体の反射運動が肉体的訓練の最高の成果と合致している瞬間をつくりあげる。それがかれの理想だった。そしてその瞬間のすぐあとには死がひしめいていてもよかった。これは肉体的な行動によって受ける身体の苦痛に最高の価値を与えようとする異様な思想だ。だが、ここまで意志的に肉体の鍛錬と肉体の思考を追いつめていった彼の理路と、死によるその理路の完成には、疑わしいところは何もないというべきだ。むしろ疑わしいところは何もないことに、わたしは乳幼児期のときから囁きかけられたおまえは生きてはならないという声のない彼の無意識の悲劇性を見るべきだとおもえた」

吉本さんは「死によるその理路の完成に疑わしいところは何もない」と言い切っています。加えたいことはありますか。なにか「謎」はありますか。

佐藤 三島由紀夫という作家の基本的なところは、吉本さんや松本さんの指摘で十分に言い尽くされていると私も思います。よく引き合いにだされますが、やはり生まれて間もなく乳母に預けられた太宰とともに、こんな育てられ方をしたら生きて行けという方が無理だという趣旨の発言も、吉本さんはしていますね。私もそういう認識で、太宰や三島を考えてきた(ちなみに私の春樹論では、村上春樹もこの系譜に入る幼少期をもつ、というのがひそかな仮説だったのです。村上さんは伝記的事実をほとんど明かしていませんが、『IQ84』『海辺のカフカ』『風の歌を聴け』に垣間見えると思っています。いずれ)。

『三島由紀夫 ふたつの謎』の意図はどこにあるか

佐藤 戻します。注意したいのは、大澤さんの三島論考からは、幼少期の生育事情への考察がすっぽり抜け落ちていることです。したがって悲惨な幼少期が死への願望をつくりあげ、それが生涯を染め上げた、という発想を採っていない。しかし大澤さんほどの人が、この生育の事情に気がつかない、ということがあるだろうか。

北明 意図的に消し、文芸評論家たちが共有してきた定説を、大澤真幸は封印したと。裏取りの必要はないですか。

佐藤 いや、大澤さんも三島の読解を進めながら、これは三島本人の意図がどうかとは別のことで、読み手が読み込んでいったときにこのように読める、という読み手の側の読解だ、というエクスキューズを挟んでいます。同じことです。仮に、大澤さんに聞いても本当のことを応えてくれるとは限らない。

だから、大澤さんのこの本に対して私が抱いた仮説の一つは、これまで文学者たちが作り上げてきた三島由紀夫の定説に依拠せずに、できるだけ自分なりの検証を進めて三島由紀夫を描いていくこと。これまでの三島像は文学的修辞におおわれているが、一端脇に置く。二つ目は、同じことなのですが、幼少期の生育史の悲惨が死への願望をつくり、文学や人生を規定していったという見解から距離を置くこと。では、文学者たちは三島の死にどんなことを言ってきたのか。

たとえば死後半年ほどして発表された(「新潮」一九七一年二月号)澁澤龍彦の文章。これは当時の文学者に小さくない影響を与え、ある意味では呪縛したと思うけど、こんな一節。

「三島氏もまた、四十五歳の皮膚の下に、つとに肉体という不治の病のひそんでいることに気がついていたればこそ、この病を終焉せしめる唯一の手段ともいうべき、自殺という荒療治に頼ったのであろう。なぜなら、衰えることを知らない死は、永遠であり健康であるからだ。これこそ三島氏自身が明かした、もっとも単純明快な自殺の意味であり、私には、秘密の詮索はこれだけで充分であるようにさえ思われる」(「絶対を垣間見んとして」)

さらに秋山駿(文芸評論家)。

「さて、三島さんの決起と自死の行為について、いまの私はこう考える。その行為の全体、それに連なる言葉のすべてを、そっくりそのまま受け容れること。いかなる解釈も要らない。解釈しない(原文傍点)、ということが、三島由紀夫のこの行為への私の礼儀である。」「死後二十年・私的回想」(*2)

もう一つ、さっきの松本健一の文章も引きましょうか。

「だから澁澤龍彦がその追悼の文章『絶対を垣間見んとして……』に書いているように、三島は政治的な意味での天皇制の強権化をめざして蹶起したのではなく徹頭徹尾「文学者」として死んだのである」(『三島由紀夫亡命伝説』・河出書房新社)

作家の山口瞳(「週刊現代増刊・三島由紀夫特集号)。

「三島さんの死は、一種の〝情死〟だと感じました。それもセクシュアルな情死という印象を強く受けました。(略)文学者の自殺は、どの場合でも、書けなくなったときにあるのです。三島さんの死は、文学的いきづまりと同時に、スターとしてのいきづまりでもあると思われます」

こんなふうに、必要以上に詮索しない、解釈しない、あくまでも文学者の文学的な死である、あるいは文学的いきづまりによる情死である、文学者の死に対し、政治主義的・市民主義的非難は間違いだ、という言説空間が出来上がったわけです。

同時代を生きた文学者たちは、三島由紀夫の突出した才能に圧倒されていたわけだから(秋山駿だって澁澤龍彦だって松本健一だって大きな存在なんだけど)三島由紀夫のやったことに、自分たちが軽々と詮議建てをするのは憚られる、という強い遠慮も、ひょっとしたらあったかもしれない。

江藤淳の強い矜持
北明 でもそれは三島由紀夫が最も嫌ったものでしょう。吉本隆明、奥野健男、江藤淳は、三島由紀夫の死後、激しく批判しています。奥野がどんな発言をしたかは大澤さんが著書で引いていますので、そちらに任せるとして、江藤淳は「文芸時評」で、次のようなことを書いています(*3)。

「死者に対する礼節は守るべき美風である。しかしその死者が文士である場合、死せる文士は当然死後におこなわれるべきあらゆる文学的批判から免責されていない。むしろ逆であって、作者が死んだ瞬間から作品は生前それに付着していたあらゆる夾雑物を洗い流され、より純粋なかたちを曝して生きている文士たちの前に立つのである。これについて心に思うままに語るのは、むしろ死者への礼儀である。まして三島氏の場合、澁澤龍彦氏の指摘する通り、その肉体と死すら「傍若無人な一個の作品」であったとするならば」

この江藤淳の文章は、澁澤龍彦や、他の文学者たちの追悼文へのある意味では皮肉になっているのだけれど、それはともかく、高見順が死んだときに江藤は「文芸時評」に追悼文を書いた。それに対し突然三島由紀夫から電話があった。「君はよくやったね、心から敬意を表します。それだけお伝えしたくて(電話を)かけました」と伝えてよこしたという。それを証するかのように、江藤淳は三島の自決の直後、小林秀雄との対談でこんな発言をしています。結構過激ですよ。

「小林秀雄:(略)そして二人(宣長と徂徠)とも外国の人には大変わかりにくい思想家なのだ。日本人には実にわかりやすいものがある。三島君の悲劇も日本にしかおきえないものでしょうが、外国人にはなかなかわかりにくい事件でしょう。
江藤(淳):そうでしょうか。三島事件は三島さんに早い老年がきた、というようなものなんじゃないんですか。
小林:いや、それは違うでしょう。
江藤:じゃあれはなんですか。老年といってあたらなければ一種の病気でしょう。
小林:あなた、病気というけどな、日本の歴史を病気というか。
江藤:日本の歴史を病気とは、もちろん言いませんけれども、三島さんのあれは病気じゃないですか。病気じゃなくて、もっとほかに意味があるんですか。
小林:いやァ、そんなこというけどな。それなら吉田松陰は病気か。
江藤:吉田松陰と三島由紀夫とは違うじゃありませんか。」
小林秀雄を相手に、これだけ堂々と自説を述べて渡り合える江藤淳という存在も、大したもんだと思います。

佐藤 そうすれば、大澤さんが三島由紀夫について存分に思うところを書くのは、なにも問題がないのではないですか。

北明 思うところを書くか書かないではなく、大澤さんが言うほどの「謎」はあるのか、ということです。『天人五衰』のラストに激しく異を唱えているけれど、もうひとつ、江藤淳を引きます。「文芸時評」の先ほどの続きです。
「「新潮」新年号に遺稿として掲載されている「天人五衰」の最終回を通読すると、作者が小説をつくり上げることに倦んでいる様子がありありとうかがわれる。この作者は人間にも実在にも、ほとんど何の興味も示していない。それも当然であって、作者にとって思想も、政治も、ボディビルも剣道も、小説すら「三島由紀夫」という第二のアイデンティティをつくり上げるための素材にすぎなかったのである」

これで十分だと思われるのですが、ダメですか。浮かない顔をしているので、次にもう一度、吉本さんを引用します。

佐藤 容赦なく攻めて来ますね(笑)。

北明 こんなふうに書いています。

「(三島後半期の)作品の文体は古典主義的な格調をもちながら、儀礼文ふうに空虚で大袈裟になり、少しも現実的な実感をあたえなくなり、風俗の現在の核心にも入りこめなくなった。登場人物の動きはすべて大文字の構えをもった古典人形で、私的な囁きも吐息も感じられない。誇張していうと『春の雪』から『天人五衰』にいたる最後の『豊饒の海』四部作で、わたしの印象にのこったのは、夜の公園の木陰にひそんだ主人公本田老人が、暗闇で若者たちがやっている奔放な性行為の場面を覗くところだけだったといってもよい」

批判の基本的な部分は、江藤さんと通じていますね。あるのは小説をつくっている様式性だけで、登場人物は生きていない、輪廻や「空」というテーマも、小説の中で血肉化されておらず、遊離している。『豊饒の海』は、そんな受け取られ方をしてきましたね。そちらだってそうでしょう。

佐藤 はい。基本的にはそうですね。

北明 だったら、三島には「謎」があって、それはまだきちんと議論されていない、という大澤さんが設定した仮説には異議あり、ということになるんじゃないんですか。
佐藤 どこからどう話していけばいいのかな。文学の側からなされてきた三島由紀夫をめぐる言論は、ものすごく厚みがあることはまちがいありません。私もその恩恵はたくさん受けてきました。けれども、その成果を引いて、大澤さん、そこは違いますよ、こうですよ、という反論の仕方もあるとは思うけれど、門前払いを食わせるようなそういう言い方は面白くないと思うのです。もうちょっと大澤さんのほうに寄って考えてみたい。そうすると何が見えるだろうか。その方がよほど生産的な議論ができるのではないだろうか。

(*1)「檄のあとさき」(『三島由紀夫と戦後』中央公論特別編集・所収)、「情況への発言 一九七一年二月 暫定的メモ」(『「情況への発言」全集成Ⅰ』洋泉社・所収)、『三島由紀夫全評論集成』(『新書物の解体学』メタローグ・所収)、「三島由紀夫の「暗い一生」」(『真贋』講談社文庫所収)、
(*2)『群像日本の作家18 三島由紀夫』(小学館)。「新稿」とされている。
(*3)江藤淳『全文芸時評』(新潮社)

(以下次回)

飢餓陣営、最新48号のお知らせ


「飢餓陣営 48号(2019春)」編集・佐藤幹夫
   A5判/222頁  1000円+税
 発行・飢餓陣営発行所
  
 
  【巻頭】
   新城兵一■沖縄から、状況への発言(1)
    「イデオロギーよりもアイデンティティ」というイデオロギー

  【小特集1】発達臨床と死生学の対話

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   島薗進■武蔵とネコとクマの話
   〈シンポジウム〉ともにそだて、ともに生きる
    滝川一廣+島薗進+佐藤幹夫(コーディネーター)

  【特集】「批判的主体の形成」=(ソーシャルマインドのつくりかた)

   仲宗根勇■「裁判傍聴記」と沖縄からの発言・転載集
   瀬戸大作氏インタビュー■原発避難者と貧困問題―
      支援運動から当事者運動へ
   新里宏二共同代表に聞く■旧優生保護法国家賠償裁判を闘う
   添田馨■平成=論――内破する黙示
   西脇慧■〈彼ら〉の顔を知っているということ-オウム真理教の「闇」
   平岡祐二■ソーシャルワーカーは、いまどこにいるのか
   実方裕二■『生活お見合い』をやっちゃいます。 
          ――津久井やまゆり園事件から

  【小特集2】新しい更生支援 司法と福祉はどう連携できるか
 
  1「司法と福祉の連携」、その始まりの頃
     原田和明氏インタビュー■「ソーシャルワーカーの仕事をはき違えていないか」
     谷村慎介氏との往復メール■司法と福祉の協働支援をめぐる往復メール
  
 2「治療的司法」とは何か
     浦崎寛泰氏インタビュー■弁護士とソーシャルワーカーの協働をめざして
     中田雅久インタビュー■「治療的司法」とはどんなものか
     山田恵太■司法福祉の支援―更生支援コーディネーターとはどんなものか

  〔装幀家=菊地信義〕
   小川哲生■菊地信義さんとの仕事で思い出深い本について
  
  【連載】
   木村和史■家をつくる(11)
   阿久津斎木■超能力者の特殊感覚 萩尾望都論(その2)
   宗近真一郎■「形式化」と「出来事」の可能的な残余へ  柄谷行人論(8―最終回)
   浦上真二■古書会読(26)吉本隆明とアダム・スミスの『国富論』

  北明哲+佐藤幹夫■大澤真幸『三島由紀夫 ふたつの謎』ほかを読む
   (*対談中、引用される文献-吉本隆明、江藤淳、松本健一、澁澤
   龍彦、秋山駿、小室直樹、橋爪大三郎、小林秀雄)


竹田青嗣『欲望論』上巻ノート(その2)、あるいは優生思想にどうアクセスするか

「優生思想」へどうアクセスするか

以下は私事含みの記述になる。竹田さんの『欲望論』を読み始めたとき、私は津久井やまゆり園事件と「優生思想」で頭をいっぱいにしていた。袋小路のなかで、前に進めない状態だったと言っていい。

優生思想を肯定する人間などいないだろう。しかし先のところでも書いたように、それにもかかわらず、医学的・科学的到達地点である、現在の出生前診断技術、「一九六〇年代末の羊水検査を皮切りに、繊毛生研、超音波診断、母体血清マーカー検査といったさまざまな出生前診断技術が世界的規模で実施されるようになった」し、ここでの「いのちの選別」は否定されていない。一部では強い反対があるのを知りながら、むしろ恩恵として受け入れ、実施されている。

「優生学は新たな局面に入っていった」と、橳島次郎は書いた(『優生学と人間社会』講談社現代新書)。「新たな局面」を私なりに言うならば、ホロコーストや強制不妊治療、民族優生思想は旧来の「悪い優性思想」であり、全否定する。しかし、現代の優生学がもたらす出生前の診断技術などは、医療と科学技術の恩恵である。それは「よい優性思想」として享受できるものは享受する。――こうしたダブルスタンダードができあがっている。このことはどう考えたらよいのか。

現に、現代の医療技術の先端がもたらす難問にアクセスする生命倫理学(それは「新しい優性思想」といわれる)と、障害学(障害者コミュニケーション)の間に横たわる激しい対立、という問題がある。

あるいは重い障害をもって生まれた子どもをどうするのか。現代の医療は治療によって長く生きることを可能にした。しかしそれは本人にとって、大変につらく苦しい時間となる。そのことは明らかであるから、苦痛に満ちた生を強いることは逆に非人道的であり、次の、健康ないのちを待つべきである。そのように生命倫理学者は考える。もちろんこんな「優生的」な考えを、障害学も当事者も決して認めない。どのような「いのち」も、誕生と生存の権利をもつ。もちろん、こうしたシンプルなケースばかりではない。いずれにしても、新しい医療技術がもたらした「新しい優性思想」(といわれるもの)と、それを全否定する障害学(障害コミュニケーション)の側の理念の対立がある。これが「優生思想」という問題の、一つの文脈を作っている。

ここまで、アシリア・ウーレットの『生命倫理学と障害学の対話』(生活書院、安藤泰至・児玉真美訳)によって書いてきたのだが、この著書が「障害者を排除しない生命倫理へ」とサブタイトルされているように、両者の対立をどう回避するかが本書の立ち位置となっている。ウーレットによれば目的は共有されており、「一人一人の人間を尊重し、医療をめぐる倫理的で公正な意思決定を促すことを目指している」、にもかかわらず、それぞれのケースにおいてまったく異なったアプローチがなされる。

「大ざっぱに一口で言うと生命倫理学は医療において、十分な情報を得た上での個人の選択を優先する。たとえその選択が患者の死につながるような場合であってもそのことに変わりはない。それに対して障害学者や障害者運動の活動家は、一つの集団としての障害者たちを守ることを優先する。たとえ、そうした障害者のコミュニティにとっての利害が、障害をもった個々のメンバーの選択と相容れないような場合においても、前者を優先するのが彼らのやり方である。」p22(『生命倫理学と障害学の対話』)

ウーレットの本ではこの後、人間のライフサイクルの異なった時期における一つ一つの事例を取り上げ、生命倫理学と障害学がどう「対立」するのか示していく。障害のある新生児の治療、障害のある子どもの成長抑制、遷延性植物状態(一七カ月以他上続く植物状態)の患者からの生命維持装置の取り外し、医師の自殺幇助を認めるか(いわゆる安楽死問題)、終末期の医療と死のコントロール、などなど、多種多様な難問がある。
さて、ここからどう理路を進めていけばいいのだろうか。

竹田さんの『欲望論』が、こうした問題に直接触れているわけではないし、『欲望論』とはまったく別の話である。(新カント派の価値哲学に触れたところで、「価値の分類」という概念が出されるが、あくまでも「本体論」批判の文脈である。「本体」とは、「主観―客観」が一致する「もの」があるという超越論を批判し、脱構築するための概念である)。

しかし「序文」を読み始めてすぐに、何やら手掛かりになるようなものがある、と私の直感は囁いている。『欲望論』の核心部分は、例えば次のように書かれる。

「われわれの「自由な思念」は世界をなんとでも解釈することができる。しかし「欲望―身体」にとっては「何ものかが真なりと思いこまれざるをえない」。明らかなことだが、われわれの思考が実践関係から身を引いて、自由な関係対象化の能力を維持している間は、世界をどのようにも解釈できるが、われわれがある欲望に規定され拘束され衝迫され、企投をうながされるや、相対主義的観点をとることは不可能になる。相対主義的な観点はただ「自己意識の自由」という条件を維持している間だけ可能であるにすぎない。ニーチェの原理は、「主観」の「内的自由」は世界を自由に相対化できるが、「欲望―身体」としての主体にとっては、世界は必然的に「真」なるものとして現われ出ること、しかし現出するのはなんら実体としての「真なる世界」「存在自体の世界」〔先の「本体」を指す―佐藤〕ではなく、どこまでも主体の相関者としての世界であるということである。」(p326)

ここから直接、優生思想や、「障害学と生命倫理学の対立」という主題に飛び移るわけにはいかないが、竹田『欲望論』、あるいはフッサール現象学の文脈に移してみる。すると、これは一つの、現代的で複雑なかたちをした信念対立ではないか、ということが見えてくる。

「すべての命は平等であり、どのようなハンディキャップを持っていても、生まれ、育っていく権利を有している」
そうAが言うと、Bが答える。

「当事者本人にとってどのような状態がベストかを考えるべきで、これほどの苦痛、苦しみからは、早く解放させなければならない。そのような中に長時間置くこと(生命を維持すること)こそ、非人道的だというべきである。」
するとAは次のように反論する。

「それは障害や重い疾患をもって生きることが不幸である、あるいは障害者は劣っているという偏見と差別が、根本にあるからそのような判断になる。障害は不幸ではない。もし不幸があるとするならもっと別のところにある」
この対立の形を、もっと追い込むことはできるだろうか。いや、ここで「対立」を作っているのは何だろうか。あるいは、ここから「共有されうる確信」を取り出すことができるだろうか。竹田さんの『欲望論』を読みながら、どうも私は、このあたりのところで頭をもやもやとさせていたのであった。もう一つ引いてみる。

「いいかえてみよう。認識の普遍性が成立するためには、対象の主観的確信だけでは十分条件を構成せず、この対象確信が他者と共有されているという確信が同じに成立するのでなければならない。さらに、この共同の確信が、共同性を超えて「誰にとっても」へと進みうるとき普遍的認識が成立する。これがフッサールの主張の核心である。」p618

もやもやの出どこはここにある。優生思想をめぐって「無力な思想」ではなく、「現実を打ち消す考え」でもなく、どうすれば「それを克服する考え」に至り着くことができるか。どう考えれば両者の対立から、普遍認識として共有しうる考えを取りだすことができるのか。

竹田さんはフッサールの原文を引いたあと、次のようなその「翻案」を書いている。

「生活世界が意味形成の根源的地平である、というとき、それは単に諸対象、諸事象がすでに備える一般意味の妥当(確信形成)の様相をいうのではない。生活世界における「意味」(意味と価値)とは、本質的に他者関係のうちでのたえざる相互的な妥当形成として、あるいはこの相互的な妥当形成についての「私」の妥当として生成する。生活世界の本質学において、自我と他者との本質関係が重要な理由もまさしくこの点にある。」(p617)

生活世界も、フッサール現象論と竹田欲望論のキーワードである。「意味と価値」は、生活世界において「相互の妥当性」としてどう作っていくか、絶えざる形成の過程において作り上げられてくるものだということが言われている。

「障害」をもって生きることの「意味と価値」とは、あるいは「障害」の意味と価値とは、一般的妥当性としてあらかじめ誰のなかにも存在するものではない。生活世界においてその都度の相互妥当性として確認されながら、作り上げられていくものだ。「障害」をもつことが「不幸」かどうかも同様である。まして「障害」とはグラデーションである。スペクトラムである。

ともあれ、この号ではここまである。この後をどう追いつめていくかは次号での宿題とした。久々に「竹田青嗣の世界」を堪能できたは望外のことであった。



今号の特集を「津久井やまゆり園事件――障害と「人間のメンバーシップ」をめぐって」としたが、取材に入ることができたのは、『評伝島成郎』の校正作業が、やっと自分の手を離れたと感じたときだった。事件から一年半以上の歳月が過ぎていただろうか(それにしても、『評伝島成郎』は版元校正者さんの校閲が緻密で、二校目まで厳しく細部まで指摘していただいた。書き上げるまでもキツかったが、書き上げた後の校正作業もこれまたハードワークだった。しかしそのおかげで、やっと人様にお出しできる著書になった。本の「あとがき」では触れることができなかったので、ここで感謝を申し述べておきたいと思います)。

閑話休題。やまゆり園事件の取材は、杉浦幹さんよりお誘いいただき、「津久井やまゆり園事件を考え続ける会」に参加させていただきました。「考え続ける会」の場所は、相模原市。片道三時間近く、往復六時間をかけて通ってきました。会がどんなふうにして始められ、どんな経緯をたどったか。参加されている方々がどのようなお考えをお持ちなのか、少しずつ理解していったのですが、取材という立場から、次第にメンバーの一員という感覚に変わりました。そのメンバーの方々にご無理を願い、インタビュー記事として掲載させていただきました。それ以外にも、お忙しい中を山田和夫氏と高橋紘士氏にご登場いただき、飢餓陣営らしい特色のある特集とすることができたと思います。事件の、三回目の夏が来る前の刊行を、と急いでいただき、皆様には、本当に感謝の念に堪えません。ありがとうございました。この号では取材のお願いができなかった方々も、ぜひ次号ではお付き合いください。

築山登美夫さんの追悼を、宗近真一郎、添田馨両氏に書いていただきました。また拙著への書評をいただくなど、だれがどう見ても自画自賛企画。お恥ずかしい限りですが、雑誌発行者の特権だとばかり、行使しました。お三方には感謝です。また那覇の比嘉加津夫さんが、『脈』誌上で、一二人もの執筆者を擁して「沖縄を生きた島成郎」、という特集を組んでくださいました。小川哲生さんもプロデュースにかかわって、協力してくれています。お二人にはお礼を申し述べます。

今号が47号。50号まであと三号となりました。ここにきて、下降線の一途をたどってきた経済事情も、さすがに厳しい状況に追い込まれています。部数を減らし、ページ数を減らし、献本数を減らして対応してきましたが、さすがに限界です。取引していただいている書店さんも、ジワリと閉店に追い込まれて減少しています。三号分予約購読でも、カンパでも、経済的支援をいただければ、なんとか終刊号までたどり着けるのではないかと思います。是非ご支援をお願いする次第です。次号は今年の冬。一一月から一二月を目指します。企画の予定は、ほぼ出揃っています。執筆される方は、一一月上旬くらいにいただけるとありがたいです。
猛暑に向かいます。皆様におかれましても、くれぐれもご自愛のうえ、お過ごしください。

しつこいようですが、最後にもう一つ『欲望論』からの引用を。

「*しかし勘違いしてはならない。ひとたび戦争が生じれば、人間世界に理性と合理を求める言説の力はねじ伏せられる。そこでは「平和」や「道徳」を求める声はもはや空虚な絵空事となる。世界が戦争による「現実の論理」に覆われないときにこそ、哲学は「現実論理」に対抗し、「平和」や「道徳」の生きうる世界の原理を模索することができる。哲学は世界から「暴力原理」を縮減するための戦いを闘ってきたし、その対抗原理を時間に耐えて徐々に創り出してきた。人間のこの歴史を理解するものは、現在、哲学が立っている受容な岐路を理解するであろう。その第一の意義は、形而上学的独断論と懐疑論=相対主義を終焉させ、そのことによって、人間の本質的自由の条件である理性の集合的探究としての「言語ゲーム」の本義を再生することにある。(p30)

「序文」を、竹田さんはこんなふうに終えている。

津久井やまゆり園の事件は、「障害」をもつ多くの人の命が奪われ傷つけられたという痛恨と、それがいわゆる「優生思想」に基づく行為であることを隠さなかった驚きと、底のない不気味さがある。

日本国がいかに「戦争」と「暴力原理」を内在させているか。この事件こそ、まさにその先端の表れではないか、と感じていたときに、竹田さんのこの「序文」の強いメッセージに驚き、そして感銘を深くしたのだった。「障害」をもつ人々の社会へのメンバーシップ(ある集団の構成員であること、そこでの役割を担うこと)は、哲学がそうだったように少しずつ勝ち取られ、作り上げられてきたものです。

『飢餓陣営』は、早い時期からテーマの一つをそこに求めてきました。「重要な岐路」は、哲学のみならず、私たちの前にも立ち現れている。そのことをはっきりと示したのが、津久井やまゆり園の事件だった。それがこの号の、最大のメッセージです。


欲望論 第1巻「意味」の原理論
講談社
竹田 青嗣

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飢餓陣営 48号 2019年 春号(予告)

飢餓陣営 48号 2019年 春号(予告)

 *P222 1,000円+税  2019年1月下旬刊行予定

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【巻頭】
新城兵一■沖縄から、状況への発言(1)
「イデオロギーよりもアイデンティティ」というイデオロギー
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【小特集1】発達臨床と死生学の対話
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滝川一廣■そだつことと、そだちのおくれ
島薗進■武蔵とネコとクマの話
〈シンポジウム〉ともにそだて、ともに生きる
滝川一廣+島薗進+佐藤幹夫(コーディネーター)
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【特集】批判的主体の形成(=ソーシャルマインドのつくりかた)
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
仲宗根勇■「裁判傍聴記」と沖縄からの発言・転載集
瀬戸大作氏インタビュー■原発避難者と貧困問題 ― 支援運動から当事者運動へ
新里宏二共同代表に聞く■旧優生保護法国家賠償裁判を闘う
添田馨■平成=論――内破する黙示
西脇慧■〈彼ら〉の顔を知っているということ-オウム真理教の「闇」
平岡祐二■ソーシャルワーカーは、いまどこにいるのか
実方裕二■『生活お見合い』をやっちゃいます。 津久井やまゆり園事件から
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【小特集2】新しい更生支援 司法と福祉はどう連携できるか
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
(1)「司法と福祉の連携」、その始まりの頃
原田和明氏インタビュー■「ソーシャルワーカーの仕事をはき違えていないか」
谷村慎介氏との往復メール■司法と福祉の協働支援をめぐる往復メール
(2)「治療的司法」とは何か
浦崎寛泰氏インタビュー■弁護士とソーシャルワーカーの協働をめざして
中田雅久インタビュー■「治療的司法」とはどんなものか
山田恵太■司法福祉の支援―更生支援コーディネーターとはどんなものか
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
〔装幀家=菊地信義〕
小川哲生■菊地信義さんとの仕事で思い出深い本について
【連載】
木村和史■家をつくる(11)
阿久津斎木■超能力者の特殊感覚 萩尾望都論(その2)
宗近真一郎■「形式化」と「出来事」の可能的な残余へ 柄谷行人論(8―最終回)
浦上真二■古書会読(26) 吉本隆明とアダム・スミスの『国富論』
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
北明哲+佐藤幹夫■大澤真幸『三島由紀夫 ふたつの謎』ほかを読む

(*対談中、引用される文献-吉本隆明、江藤淳、松本健一、澁澤龍彦、秋山駿、小室直樹、
 橋爪大三郎、小林秀雄)
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【取扱書店】
神田・東京堂神田本店、
神田・三省堂神田本店、
新宿・模索舎(バックナンバーあり)、
東京・八重洲ブックセンター、
大阪・梁山泊(バックナンバーあり)、
京都・三月書房(バックナンバーあり)、
池袋・ジュンク堂(バックナンバーあり)、
長野・平安堂、
名古屋・ウニタ書店、
名古屋ちくさ正文堂

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竹田青嗣『欲望論』(第1巻)ノート  その1

竹田青嗣『欲望論』(第1巻)ノート
あるいは「優生思想」にどうアクセスするか(その1)



何が書かれているのか
畏敬とともに、その後姿を追いかけるように注目し続けてきた書き手たちがいる。その方々がここ数年、集大成とも呼びたくなる大きな仕事を発表するようになった。竹田青嗣さんの畢竟の大作『欲望論』(講談社・二〇一七年一〇月刊)もその一著で、これまた私が長きに渡って待ち望んできたものだった。

第2巻「あとがき」によれば、社会思想を除く三分の二が示されたというが、本誌編集作業の合間に紐解き始め、やっと、第1巻を読了という段階である。私の理解など、鳥取砂丘で一握りした砂粒くらいのものだろう。それでも感銘が深い。そして驚異的である。そうした感想がまずは口をつくが、何が驚異的かといえば、およそありとあらゆる世界思想や哲学が、徹底的に読みこまれていること(読み込んでいない私が言うのもおかしなものだが)、そして竹田欲望論という新しい切り口から哲学者たちが対照され、新たな光が当てられていくことである。

竹田さんが「欲望論」を構想し、古今の哲学書の読解に全精力を注ぎこんできたことは、ご本人からも、周囲からも聞き及んで知っていた。「飢餓陣営」のインタビューにも、何度かご登場いただいている。だからうっすらとした輪郭のようなものは思い描いていたのだが、想像を超えていた。

お里が知れるのを覚悟で、第1巻を拝読しだ感想を少し書く。

先ほども触れたが、古代仏教や儒教、ギリシャ哲学から始まり、西洋近代哲学、そしてポスト・モダン思想などの現代哲学。それぞれの哲学(者)が、「意味と価値」の欲望連関の哲学として読み換えられ、結果として、リニアな時系列による通史とは異なるスタイルの、新しい「哲学史」が姿を現すことになった。『欲望論』のテーマから新たに組み替えられた構造的「哲学史」とでもいおうか。

では読み換えは、どうなされているのか。例えばフッサールと、ソクラテス―プラトン。フッサールがソクラテス―プラトンの「対話法」に見出したのは、「自身の「本質観取」の方法の遠く時代を隔てた先駆にほかならない。しかしこのような理解は、通常のプラトン理解からはまったくかけ離れている」としながらも、以下のように書かれる。

「*フッサールは、プラトンのソクラテス解釈のうちに普遍認識(原文は傍点、以下同じ)のためのまったく新しい方法的自覚を見出している。フッサール現象学の中心的な課題は二つある。第一にヨーロッパ哲学に固有の認識問題の解明(主観―客観の一致不可能性)、第二に、ここから取り出された普遍認識の可能性としての「本質観取」の方法の展開である。「本質観取」の方法の要諦は、内省によって経験からことがらの核心となる本質を取り出し、それを間主観的に検証して共通了解へと持ち込むことである。そしてこの方法は、プラトン―ソクラテスのいう「想起」の方法、外的な知識を素材とする悟性的推論と総合によって結論を形成する方法(アリストテレス的論理)ではなく、内的な知識からその妥当性を検証し洞察する方法と本質的に重なる」(p96)

フッサールがいかに竹田さんに絶対的な影響を与えたかは、読者なら知るところだろう。『欲望論』の出発点は、フッサールによって「主観―客観の一致不可能性」を教えられ、「本質観取」こそがこれまでの「主観―客観」の世界認識を乗り越える唯一の方法だと知ったことだった。右の引用はその痕跡である。さらに(「あとがき」でも触れていることだが)、西研さんとの出会いによってヘーゲルの大きさと深さを目の当たりにし、西洋近代哲学の凄さが再確認されることになる(ちなみに『言語的思考へ』(径書房)はフッサール現象学の「主観―客観の不一致性」の問題と、確信の構造の言語論への援用である。また『近代哲学再考』(講談社)は近代哲学の、「自由の価値」という竹田価値論(欲望論)からの読み替えである。そしてこれら二著がともにターゲットとするのは、現代思想とくにポスト・モダン思想の相対主義を批判し尽すこと。これであった)。

次は、ニーチェがプラトンと比較される。さらに引用。

「*われわれは「善」が一切の存在の根拠であるというイデア論の標識をむしろ現象学的―欲望論的に理解せねばならない。ここで「イデア」とは、「それが最善であるような仕方で万物を秩序づけ」るものであり、その構図は、むしろニーチェにおける、世界の一切を生命体の持続存続にとって最もよい(適切な)しかたで解釈する「力相関性」の構図と相同的である。ニーチェの「力の思想」は、生き物の生への意志の相関者として世界―対象を構想するが、プラトンの「善のイデア」は、一切の認識を「善」へと向かう人間的欲望の相関者として描き出す。」(p99)

「人間的欲望の相関」がここでのキーワードであるが、この語を真中において、プラトンの「イデア論」とニーチェの「力の思想」とがつなげられ、「力相関性」という重要な概念が導かれる。さらにはハイデガーの「了解」と「情状性」が呼び出され、ニーチェ―フッサールと関連付けられ、「力相関性」がさらに補強される……というように、哲学(者)と哲学(者)が欲望論のテーマのなかで、独自に読み換えられ、関連付けられていく。ここに取り上げた二つの引用が、つまりはフッサール現象学とニーチェの「力の思想」から得られた「力相関性」が、以後展開される竹田欲望論の駆動力(エンジン)となる。こうして『欲望論』が少しずつ姿を現わしていくことになるが、それは、スリリングこの上ないものである。

「普遍暴力・普遍戦争」と哲学
では、なぜ「意味―価値」相関の欲望論か。これまでの哲学は、「ほんとう」や「善きもの」という価値(意味)の問題に対し、「主観―客観の不一致の可能性」という認識問題が隘路に入ったことで、十分に推し進めることができなかった。現代思想、特にポスト・モダン思想による相対化は、さらにこの問題を窒息させてしまった。そのような状況のなかだからこそ、「ただしさ」や「善きこと」を取り出す「意味―価値」相関の哲学は必須となる。上巻二〇頁ほどの「序文」は著者渾身のマニフェストであるが、これは、大変に感銘深いものであった。以下、序文から「価値」の問題がどう始められているか、紹介していきたい。冒頭。

「*人類の生存が、「殺すこと」「殺されること」に結びついて新しい出 発をとげたとき、人間にとって、「普遍暴力」との対抗と格闘(原文傍点、以下同じ)が最も基底的な生活の条件となり、そこから集合的生活
におけるあらゆる工夫と試みが現れた。すなわち共同体、国家、社会、宗教、そして哲学――」(P9)

「*人間だけが、同類間の「普遍戦争」という運命を背負い、普遍戦争がもたらすたえざる「死」の畏怖に脅かされるという重荷を担った。そしてまた人間だけが、戦争のもたらす禍悪を知る。古代の歴史書はしばしばこのことのすぐれた証言である」(同)

哲学は、「普遍戦争」や「普遍暴力」にいかに抵抗するか、そのことを最大の目的とするものだ、それは哲学の始まり以来、今日まで変わるところのない根本主題(「暴力縮減の原理」)だった、とはっきりと示した。

「*人間が、集合的な言語ゲームによってたえず「世界説話」「世界概念」を生み出してきたその理由は、世界の全体輪郭を所有したいという人間の観念的欲望のみに帰することはできず、むしろ「戦争の威力」「普遍暴力」がもたらす大きな不安に対する集合的対抗ということと深くかかわっている」(p10)
 
私は「序文」で、いきなり惹き込まれた。ガツンだった。

「現代の哲学が迷い込んでいる独断論と相対主義(相関主義)の迷路こそは、この問題(善悪、正義―不正義、その妥当性と性と正当性の根拠の創設)についての深い絶望を押し広げている」(p29)。現実から遊離した言語ゲームや、机上でのパズルの組み合わせのようなことをやっている。しかし「哲学は現実の論理に対抗しうる思考でなければならない」(p13)。

これらが本書の通奏低音であるといっていい。つまりは竹田『欲望論』も、「現実の論理」に、ひいては「戦争の論理」に対抗するものとして構想され、書かれたということになる。では戦争とは何か。

「*戦争は、人間社会におけるすべての人間的価値を無化する。ひとたび戦争が生じると国家も個人も己の意に反して自己維持と弱肉強食の論理に従うほかはなく、人間は「戦争」の渦に巻き込まれずにいる間だ
け、人間としての生を維持することができる。しかし、いかにして「戦争」を避けうるのか。人類は戦争を克服する方途を模索し続けたが、これについては、きわめて長い間、どれほど卓越した精神も明瞭な答えを
出すことができなかった」(p10)

ここに私は、著者が受け取っている現代社会への深い危機を見る。哲学は平和時の営みである。いったん「戦争の原理」が動き始めると、平時の言論など簡単に隅に追いやられる。……たしかに周りを見渡せば、戦争の論理が世界を覆いつつある。長期の独裁政権を作ろうと画策するリーダーたちの欲望が、あちこちで露骨に示されている。一瞬、核戦争が日本の近隣で始まるのではないか、という強い緊張と危機が、ついこの前まで存在していた。小康状態となっているが、いまだなくなってはいない。世界情勢はいつ、どこで、何のきっかけで破綻するかもわからない緊張が続く。この一〇年で、あっという間にそんな事態になってしまった。

私の、ささやかな私的交流からの記憶を述べるならば、「9・11世界同時テロ」直後の竹田さんは、高ぶった緊張を見せていた。テロの後、「哲学の失墜は決定的であり、この時代状況を語るには社会学が圧倒的に優位だ」という声があちこちから上がった。しかしその時の竹田さんは、戦争とは何か、どうすればそれに対抗しうる原理が可能か、それを考え抜くことは哲学の仕事だと繰り返したと記憶している。序文の強いメッセージは、そのときの残滓なのではないかと私は勝手に推測したのだが、しかしまた一方で、哲学が「戦争暴力」にどう対抗するか、さほど簡単な道筋ではない、と次のように指摘する。(レヴィナスが「戦争」に対抗する原理として「道徳」を措定していることへの批判の文脈で)。

「*火の使用がなければ文明はなく文明にともなう一切の惨禍も存在しなかったと考えること、あるいは人間が言語をもたなければ文化社会はなく、「戦争」もまた存在しなかったかもしれないと考えるのは、無駄な考えである。同様に、「戦争」を非難し「平和」を称揚することで戦争を抑制できると考えるのは無力な思想である。さらに、「道徳」によって「戦争」に対抗しうると考えることには一つの倒錯が潜んでいる。これらは現実を打ち消す考えであって、それを克服する考えではない。」(p12)

レヴィナス批判から始まり、おそらくはポスト・モダンの権力批判に対する反批判がここでの記述だろう。戦争を批判し平和を称揚することも、道徳も、戦争を克服する思想ではない。ではどうするのか。

「*重要な洞察はつねにおくれて見出されるが、最も価値ある洞察とは、方法についての洞察、すなわち哲学的原理という方法についての洞察である。」(p13)

つまりは、「価値と意味」の原理論、『欲望論』がそれにあたる。本書を読むという体験は、『欲望論』がどういうものかを受け取っていく作業とともに、世界の峰を作ってきた哲学者たちの、その哲学的原理の方法がどう考えられているか。その洞察についての竹田さんの洞察を理解していく、という作業も同時に行うことになる。新たな「哲学史」と先に書いたが、哲学者たちの方法が比較され、洞察され、その洞察から竹田欲望論の次の主題が呼び出されていく。そのようなダイナミックな展開をイメージしていただければよいだろうか。


欲望論 第1巻「意味」の原理論
講談社
竹田 青嗣

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公開講座「現代現象学と欲望論哲学」 講師 竹田青嗣

●竹田青嗣さんより、下記、案内がありました。
お知らせします。

早稲田エクステンションセンターの概要は以下。
直接ページに

https://www.wuext.waseda.jp/course/detail/45933/


早稲田エクステンションセンター中野校 「現代現象学と欲望論哲学」 講師 竹田青嗣

 全4回 ・02月02日 ~ 03月02日  →02/02, 02/09, 02/23, 03/02

フッサールの現象学の達成は、第一に、長くヨーロッパ哲学の最大の難問であった「認識問題」の完全な解明、そしてさらに「本質学」の構想によって、現代哲学における完全に新しい地平を切り開いた点にある。この講義では、ニーチェ、ハイデガー、フッサールという三人の巨匠の業績とその意義を吟味しながら、「意味」と「価値」についての新しい哲学的原理論の地平、「欲望論」哲学の展開を眺望する。

『今年のベスト3』をめぐって(竹田・松本・藤井) 北明哲×佐藤幹夫

『今年のベスト3』をめぐって


北明哲 年末になると、「今年度の収穫」とか「ベスト3」といったアンケートが恒例になっていますね。そちらには、残念ながら今年は、各所からの依頼がなかったようですが(笑)、昨年は東京新聞からのアンケートに、こんなことを書いていましたね。

(昨年分)
1.『子どものための精神医学』(滝川一廣著・医学書院)
2.『宮柊二『山西省』論』(佐藤通雅・柊書房)
3.『沖縄県史 各論編⑥沖縄戦』(沖縄県教育庁文化財課資料編集班編・発行‐沖縄県教育委員会)


〈選んだ理由〉
① 著者のライフワークにして、児童精神医学界にとって記念碑的一冊。子どもについて、発達や病理について、文章は平明だが考え抜かれた深さを持つ。

② 評者は「沖縄」と「戦争」を宿題としてきた。宮柊二の『山西省』が戦争文学としてなぜ優れているか、自らが歌人でもある著者の読みと分析は圧巻。

③ 待望久しい一冊。どんなかたちであれ、沖縄の戦後史を語るにあたって必読の著となるだろう。日米両政府の圧政と理不尽に向けた、沖縄県執念の一著。」

選択には随分迷ったのではないですか。

佐藤幹夫 いや、ほとんど迷わなかったですね。滝川さんの仕事は圧倒的でしたし、これ以外にはないという感じでした。昨年来、戦争論や戦争文学論が重要なテーマです。佐藤通雅さんの仕事は、ご自身がキャリアのある歌詠みだし、作家論の蓄積もありますから、『宮柊二「山西省」論』は歌人論としてはもちろん、戦争文学論としても非常に成熟したものだと感じました。通雅さんは戦後世代ではないのですが、戦争体験世代が次々と世を去っていく昨今、体験者ではない戦後世代が戦争の記憶や遺跡をどう継承していくか、という見本として、格好の戦争文学論だと感じました。そこが決め手でしたね。後は沖縄関連で一冊選びたかった。

北明 いずれも、『評伝島成郎』のバックボーンとなっている仕事の関連から選んだ、ということですね。

佐藤 必然的にそうなりますね。今年になってさらに痛感するのですが、例の百田本に典型的なように、歴史修
正主義が大手を振って闊歩するような、とんでもない時代になってしまいました。戦争記憶の継承と検証は、すごく重要な仕事だと思います。

北明 では今年はどうですか。せっかく他から依頼がなかったのですから、ここでやりましょうよ。「今年の収穫」あるいは「今年度のベスト3」。

佐藤 あのですね、さっきから依頼がないない、と言っているけど、なかったわけではないんです、じつは。今回は「今年の収穫」ではなく、「平成のベスト5」を選んでほしいというリクエストが、或るところからありました。

北明 へー? 「平成のベスト5」ですか。それはそれは。もう提出したんですか。

佐藤 はい。

北明 どんな選出に?

佐藤 いや、まだ公開できません。没になるかもしれないし。依頼先が公開したら御伝えします。楽しみに待っていてください。後で少し、選択にどんな基準設定をしたか、考えたことをはなします。それなら大丈夫でしょう。

で、「今年度のベスト3」ですか。それをここでやるんだったら、まずはなんと言っても『評伝島成郎』(筑摩書房)でしょう(笑)。違いますか?

北明 えーと、……(笑)。はい、はい。分かりました。一番は『評伝島成郎』でいいとして(笑)、他にどんなものがあげられますか?

佐藤 まじめに三作あげるとすれば、

竹田青嗣『欲望論』(講談社)、
藤井誠二『沖縄アンダーグラウンド 売春街を生きた者たち』(講談社)。
なんか講談社が来ますね。
それから松本俊彦『薬物依存症』(ちくま新書)。

この3冊がベスト3というか、思い浮かびます。

北明 竹田さんの本は昨年一〇月の出版ですね。本来は対象外なのですが。

佐藤 そうですが、出たのが去年の暮だし、今年読んで読後感が圧倒的な本でした。他の場所ならダメでしょうが、『飢餓陣営』なのだから、よしということにしてください。

それから専門書になりますが、
『「司法と福祉の連携」の展開と課題』(刑事立法研究会編、現代人分社)、
『治療的司法の実践 更生を見据えた刑事弁護のために』(指宿信監修・治療的司法研究会編、第一法規)、
『こころの苦しみへの理解』(シドニー・ブロック・竹島正監訳、中央法規)。

これも欠かせないですね。これらは、今後、私が仕事を進める上で基本文献になるだろうと思いますし、「こころ、福祉、司法」という領域にとっても収穫の三冊です。

北明 なるほどね。『評伝島成郎』の後、順調に次の仕事に向かっているというわけですね。で、専門書はひとまず置いて、ベストの三冊についてコメントしてもらえませんか。

佐藤 竹田さんの『欲望論』については、『飢餓陣営』の前号で書いた通りです。哲学という営みが、性懲りもなく繰り返されてきた「戦争」に、いかに深く関連しているか。あそこまでクリアに、かつ説得的に指摘されたことはなかった。戦争をどうやったら未然に防ぐことができるか。争いや対立が起きたとき、それをのり超える論理をどう作れるか。それがそもそもの哲学の仕事だ、というメッセージはみごとでした。哲学書でありながら、アクチュアリティに溢れています。

それから竹田さんは、哲学全般を読み込み――つまみ食い程度にしか読んでいない私が言うのもなんですが(笑)――、「欲望」というキーワードの元、哲学史全体を編み変えるという壮大な試みに挑戦しています。しかも哲学プロパー以外にも分かる言葉で、哲学史のダイネミズムを体感できるよう示したわけです。これは圧倒的な業績だと思います。

北明 なるほど。「欲望論」の駆動力は、プラトン、ヘーゲル、ニーチェ、フッサールであり、まさに現象学的還元をしながら、従来の哲学読解を編み変えていった。前号で、そんな趣旨のことを書いていましたね。

佐藤 とくに『欲望論』「まえがき」の竹田青嗣は、『〈在日〉という根拠』を書いたときの竹田さんのモチーフや衝迫力を再現させていますね。多分あの時、竹田さんは、これを書かなければ、この先はないんじゃないか、というくらい追い込まれたところで書いていたよう感じました。それくらい「在日」という問題は、竹田さんのなかで切迫していたわけですね。

言い換えれば、生きること考えること書くことが、不可分のものとして一体化していた。そういう文芸批評でした。今回の「まえがき」はそのときの竹田青嗣を彷彿とさせましたね。『欲望論』を書き上げないといけないという切迫感、時代への強い危機感、それらが、『欲望論』のトーンをつくっていると思います。私はそんなふうに読みました。

北明 なるほどね。本当の意味での集大成というのは、そういうものなのかもしれませんね。初期の自分の仕事が何らかの形でたどり直されている。文学でいえば三島由紀夫の『豊饒の海』がそうだし、中上健次の『異族』が未完とはいえそうだし、漱石の『明暗』、ドストエフスキイの『カラマーゾフの兄弟』もそうですね。

吉本隆明さんも、遂に形にすることはできなかったけれど、自分のたどってきた思想を、一つの批評的ドラマツルギーに乗せて、たどり直そうとしていましたからね。滝川さんの『子どものための精神医学』然り、加藤典洋さんの『戦後入門』(ちくま新書)も、そうですね。初期からの仕事を含みつつ、バージョンアップさせている。

『薬物依存症』についてはどうですか。

佐藤 松本さんの『薬物依存症』については、既にブログに書いていますが、薬物依存者への、社会のまなざしを一変させたこと。その視線変更が、治療にとって不可欠のものであったこと。結果的に(どちらが結果かは分かりませんが)、薬物依存者の治療可能性を大きく切り開いたこと。書かれている知見は、松本さんのこれまでの臨床の蓄積が裏付けになっていますから、どの記述も説得力の高いものになっていますね。

北明 大丈夫ですか。外野から、シロウトが何を分かったようなことをいっているか、と怒られますよ。

佐藤 いいんじゃないですか、言わせておけば。曲がりなりにも、精神科医療に関心をもって文献を読んできた人間なら、それくらいは読み込むでしょう。

それから――また余計なことを、と怒られるかもしれないけど――、診察室のなかの患者だけしか診ないドクターや、地域での暮らしには無頓着・無関心なドクターがいまだ少なくない中、松本さんのスタンスは、とてもオープンだし、公正だと感じさせますね。そんな本になっています。だからこの本は、生活支援の現場の支援者を賢くさせる、そういう効能も持ったと思いますよ。

北明 確かに、いい教育論が出れば、現場の教員たちにいい影響を与えるし、教育技術も上がりますね。生活支援の現場もそうですね。まあ、ダメな人は何をどうしてもだめだから、当てはまるのは一部だけかもしれませんが。・・・

次の藤井さんの本はどうでしょう。

佐藤 はい。藤井さんの『沖縄アンダーグラウンド 売春街を生きた者たち』は「ザ・ノンフィクション」ですね。

ノンフィクションやルポルタージュの醍醐味、危険なところ、難しさ、書かなくてはならないことと書いてはならないこと(言い換えれば、書き手のモラルというか、倫理というか)。「これぞノンフィクション」といっていいくらい、ほぼすべての要素が入っていると思います。褒めすぎかな(笑)。それが最初の読後感でした。

北明 「ザ・ノンフィクション」ですか。

佐藤 もう少し深掘りをすると、まず、沖縄の戦後裏面史ですね。消えることを必然づけられた「売春に携わる女性と、彼女たちが生きる舞台(街)」がテーマです。消え去りゆくもの、消え去りかけているものを、ぎりぎりのところで書き留めているわけです。それはノンフィクションの、大きな使命の一つです。責務といってもいい。もちろん、ある領域の先端のテーマとか、それまで誰も取り上げなかったところに光を当てていく、といった仕事も、言うまでもなくノンフィクションの醍醐味ですよ。

いずれにしてもノンフィクションには、消え去るもの・滅びゆくものを、読者とともに看取る、という大きな任務があると思うのです。だから、時間との勝負になる。大事なことは、藤井さんの仕事は、ぎりぎり間に合っているということです。「ぎりぎり感」が作品全体のトーンをつくっていると思うのですね。この本が広く支持されているのは、「よくぞ書いてくれた!」と、多くの人が感じたからだと思いますが、それは「知らなかったことが分かった! なるほど」、だけではないんですね。

取り上げられている舞台は、史跡のように、「〇〇売春街跡」として保存する、というようなことはできないわけです。観光名所にはならないし、地域起こしの材料にも、まずならない。藤井さんが書き留めておかなければ、永遠に沈んでいったまま忘れられ、それで終わりです。そういう事柄が描かれているわけですね。

北明 なるほどね。いま沖縄は、戦争や基地の問題といった大きな負の遺産をどう超えるか、という課題とともに、どういう未来を描けるのか、どういう将来構想が可能なのか、という方向でもずいぶん動き出していますね。そういう時だからこそ、沖縄戦後史のディティールを丹念に掘り起こしていく作業は、ますます重要になるわけですね。浅井春夫『沖縄戦と孤児院』(吉川弘文館)とか、川満彰『陸軍中野学校と沖縄戦』(同)のような労作も書かれるようになりましたからね。

佐藤 はい、そう思います。過去をしっかりと検証することが、よき未来につながるし、将来の展望を偽物で脆弱なものにしないためにも、過去にきっちりと向き合う。これはもう鉄則ですね。

藤井さんの本に戻れば、「売春をする女性と売春街」をテーマとしてはいますが、下半身的興味関心を一義とする風俗ルポとは(これはこれで存在意義は十分認めますよ、低劣だからダメだなどとは、微塵も思ってませんよ)一線を画していますね。

かといって、体を売らなくてはならかった女性たちに、過度に同情や思いやりを寄せたりもしていません。正義感をふりかざししているわけでもない。しかし、基本的には寄り添っています。「浄化された街」という言葉が象徴的だと思うのですが、女性たちに寄り添わせているのは、「怒り」です。多くが、敗戦後の沖縄で家族を食べさせるために体を売って稼いできた女性たちであり、その彼女たちの生きる場所が、奪われていった。そのこことへの「怒り」が、微妙な表現ではありますが、随所に書かれます。

しかもそれは、沖縄を占領統治した米軍への「怒り」でもあるわけです。沖縄への憐憫や愛情、慈しみのようなものを滲み出させ、返す刀でアメリカの不当弾圧を静かに糾弾している。この立ち位置が非常にいいというか、女性たちへの、そしてアメリカへの距離の取り方が、絶妙だと思います。

北明 沖縄への食いこみ方もすごいですね。それがしっかりできていたからこそ、ここでの立ち位置もつくれたんでしょうね。

佐藤 沖縄取材の年季が感じられるでしょう。普通、ヤマトの書き手は、たかだか三年五年では、こうはいかないですよ。沖縄は、そんなヤワなところではないですから。中国とヤマト(薩摩)にはさまれながら、したたかに生き抜いてきたところです。沖縄の独特の難しさは、身をもって分かります(笑)。

北明 それにしても、『沖縄アンダーグラウンド』については、ずいぶん高評価ですね。

佐藤 褒めすぎたかな。でも私の読書の範囲ではありますが、藤井さんのこの本と、佐野眞一さんの『沖縄戦いまだ終わらず』(集英社文庫)、上野英信さんの『眉屋私記』(海鳥社)が、沖縄を舞台にして描かれたノンフィクション作品の、ベスト3ですね。私にとってはね。

北明 沖縄をめぐっては、今年の後半10月11月になって、吉次公介『日米安保体制史』(岩波新書)、山田健太『沖縄報道』(ちくま新書)、安里昌利『未来経済都市 沖縄』(日本経済新聞社)といった注目すべき本も出ました。

反基地闘争がますます激化し、玉城デニーさんの知事当選が大きな注目を集め、沖縄以外の日本国民にも、基地問題がジワジワと広がりつつありますね。沖縄をめぐる言論も、成熟しつつある。

佐藤 今あげてもらった本は、まだ読了していないのですが、でもその通りだと思います。安倍政権は沖縄に対して〝見せしめ〟のようなことを、盛んに続けていますね。沖縄をめぐる言論の成熟は、沖縄への強い後押しになると、私は思っていますし、世界の言論は、環境破壊には、非常に敏感に反応します。そうとう追い込まれている証拠ですね。

北明 大澤真幸『三島由紀夫 ふたつの謎』(集英社新書)も、注目すべき本だ、と言っていましたが、こちらへの論評は後半戦でやるわけですね。

佐藤 大澤さんが三島由紀夫に総力を挙げて取り組んでいることが、よく分かりました。こちらは、『飢餓陣営』誌上でやりましょう。
(*これは架空対談です)

「地蔵とリビドー」について

監督:笠谷圭見 撮影・編集:野田亮 音楽:イガキアキコ プロデュース:やまなみ工房
地蔵とリビドー (2018年)


「め・め・はな・くち」「め・め・はな・くち」…
空に伸びる突起物のように削られた粘土の物体。小さな穴を全体に彫り込み、衣裳のようにまとわせていく。すこしすると、再び「め・め・はな・くち」……と自分の顔を指さし、ふたたび穴を掘る作業に没頭していく。

小さな粘土の粒をびっしりとつけた別の作品。一見、形の不明な物体に見える。無数にあるそれらは二人の人物を現わしているといい、一人は自分、もう一人は大好きな「まさとさん」。「一緒に七夕を見るまさとさん」とか、「一緒に~~をするまさとさん」というタイトルが、すべてに付されている。「まさとさん」とはやまなみ工房の施設長で、この作り手の大好きな(恋焦がれる?)男性のこと。

若いころにそうとう遊びこんだ風のある「まさとさん」(ごめんなさい)は、福祉と縁のありそうな風貌やいでたちではない。しかし、一年に渡ってカメラが入るのを許している。利用者である作家たちとの全幅の信頼関係を作り上げているのでなければ、こんなことはできない。つまり「まさとさん」はただものではない。

さらには、縦糸だけの織物を縫い上げていく女性。「まさとさん」に「20年間、縦糸だけ縫ってきたん?」と尋ねられると、「そうです」と生真面目に答える。驚いてみせる「まさとさん」。私はつい吹き出しかけた。彼らが時折りみせる、たくまざるユーモアの一つなのだが、それはこのドキュメンタリー作品の絶妙な隠し味になっている。

土方巽のような風貌をして横たわっている男性。しばらくすると起きて、踊って、墨汁で線を引いて、また寝て、起きて…、と繰り返している。まさに土方のごとく前衛的なパフォーマンスをしながら描かれる作品の、なんと純粋でパワフルであることか。

……とこんな風に紹介を重ねても、あらすじを追ってみても、『地蔵とリビドー』にはたどりつかない、という感じがしてならない。むしろこのドキュメンタリー作品の「飛び抜け感」を隠してしまう。言葉は「アート」に成り代わってアートを表現することはできない。そんなことは、よく分っている。それでもひとことだけ評論家風を吹かせてもらえるならば、彼らの絵を見るたびに、「出自が分からない、まったく切れている」と感じてきた。

一般に画家の作風は、初めに圧倒的に影響を受けた模倣の対象があり、対象が変化し、さらに変化し、さまざまな技法や色遣いを身に着け、そうやっていわゆるオリジナルな画風が作り上げられていく。それは恐らく血のにじむような努力のはずだが、集中的に見ていくと、その痕跡を(私なりに)たどることができる。絵も文学も(たぶん音楽も)、すべてのアートはそういう時間をもつと私は考えている。ところが、この人たちの描く絵にはその痕跡がない。出自が見えない。突然、現れたという作品ばかりだ。その印象は、やまなみ工房の作り手たちにあっても同様である。

攻め方を変えてみよう。
『地蔵とリビドー』はどんな作品か。そう尋ねられたら、「表現者と表現者の、がっぷり四つに組んだぶつかり合い」と答える。冒頭のシーンを観てそんな言葉が浮かんできた。ひとりの映像作家が、「アウトサイーダーアート」の作り手たちに、真正面から挑んでいった。そんなドキュメンタリーであると。

しかも、着想・着眼、カット、カメラ回し、編集、構成において、作品として強く立たせるために、「アヴァンギャルド」を貫いてみせた。この前衛性こそ、「真正面から」と「がっぷり四つ」が意味するところである。

自分でもよく分からない猛烈な衝動(リビドー)に動かされるままに、彼らはとにかく手を動かす。自分が何を作り、どこに向かっているのかなど考えている暇はないというように、線を引き、色を塗り、粘土を刻み、丸め、くっ付け、糸を縫い続ける。

だれもがその存在感、パワー、画家としての力量において、桁外れである。そんな彼らをリアリズムという下手な器に入れようとしても、たぶん、うまくいかない。むしろこちらがやけどをする。それならばアヴァンギャルドを徹底させるしかない。監督がそう考えたかどうかは分からないが、私にはそんな筋道が浮かんだ。

このことによって、創り手たちにこんな「障害」があるとか、こんな「障害特性」だからこうした作品をつくらせるとか、そういった能書きはすぐに消えた。アートセラピーも福祉も、まったく関係がない。アートがあり、それをつくる作り手がいる。そしてひたすら追いかけるドキュメンタリー作家がいる。そうやって、『地蔵とリビドー』は生まれたのである。

「まさとさん」に「夢は?」と聞かれ、「世界進出」と答えて、またまた笑いを誘う作り手が登場するが、しかしほんとうに次のカットは、ニューヨークのギャラリーシーンに移っていた。なぜニューヨークにターゲットを絞ったか。小出由紀子さんによって、現代芸術の難しさが語られ、冷静な戦略が述べられる。作品は好評、買い手もついた。さらに彼らの絵は、一人のデザイナーの手によってプリントされ、シャツやジャケットに創り変えられていく。いよいよパリの市場へ進出。さらには京都、東京へ。

最晩年の山下清の描く色紙がとても分かりやすくなり、手練れにはなっているけれど、「楽しくて楽しくて仕方がない」というように貼り絵を作っていた清少年の面影はどこにもない。なんだか寂しそうな絵になっている、と傷ましく感じたことを私は思い出したりしていたが、ラストに至る二つのシーンが、そんな私の感傷をぶっ飛ばした。

「ポートレイトが撮りたい」というクレジットが入り、ヘアメイク、スタイリストたちの手によって、モデルのごとく別人になっていく。そして撮影。「まさとさん」がカメラの横で、モデルとなった彼らを上手に上手に盛り上げ、みんな自信たっぷりのポーズを決めている。観ている私が、おお、と思わず声を出しそうになるほど、ステキな表情が引き出されていく。「障害者なのに」とか、「障害者でも」とか、「障害者だからこそ」とか、そんな枕詞は一切不要。とてもナチュラルな演出だった。アイデアが「まさとさん」か監督かは分からないが、この演出はすごいなと思った。胸を打つ。私は泣きそうになったな。

そしてラスト。カメラは日常に戻る。やまなみ工房のベンチに寝転ぶ利用者の姿、台車やごみ箱、机が映し出される。日常の風景がリアリズムで切り取られている。しかし、ここでのワンカットワンカットが、すごく抽象性の高い、シンボリックな映像になっていると感じた。どうしてかは分からないが、そう感じた。

エンディング。「個性を障害と捉える野蛮な社会」という作中の言葉が、まったくその通りだという実感を伴って迫ってくる。彼らの奇妙な言動も、気の遠くなるような細部へのこだわりも、アヴァンギャルドな個性のゆえである。ダリもゴッホもピカソも、そしてムンクも、みんな変人だった。アヴァンギャルドすぎる個性ゆえだ。でも彼らの個性や奇妙な行動を、誰も「障害」などとは呼ばなかった。そういうことじゃないか。そのように、映画の作り手たちは言っている。たしかにそうだな、と私は独り言をつぶやきながら宮益坂を下りて行った。(2018.11.15 渋谷・イメージフォーラムにて)

http://www.afpbb.com/articles/modepress/3193978?pid=20630954&fbclid=IwAR196JMCtlfPHDEP27_VWg-stn6J04jNs28gIkdGqoMl5DwPAydISuVYHYE

神山睦美氏主宰の読書会のお知らせ(『評伝島成郎』)

神山睦美さんのメールより、許可を得て転載。ありがとうございます。関心とお時間のある方、参加自由ですので、ぜひどうぞ。)

秋も深まり、朝晩の寒さがつのってきていますが、みなさま、お元気でお過ごしでしょうか。次回の書評研究会、以下のように開催させていただきます。お誘いあわせの上、ご参加ください。

■日時 12月15日(土)午後2時0分~午後6時0分

■佐藤幹夫『評伝 島成郎 ブントから沖縄へ 心病むひとびとのなかへ』(筑摩書房)

■コメンテーター 神山睦美

■会場 大阪経法大麻布台セミナーハウス 2階大会議室
http://kenshu.e-joho.com/azabudai/map.html

■「飢餓陣営」を主宰する佐藤幹夫氏渾身の作品。60年安保をブントの書記長として闘い、安保敗北後、沖縄の地で、精神科医として地域医療に携わっていった島成郎の軌跡をたどった本書は、評伝文学の傑作といえま
す。今回は、私自身の全共闘活動敗北後の軌跡も重ねながらコメントしてみたいと思います。

松本俊彦著『薬物依存症』を読みながら

 この20年近く、さまざまな支援の現場に足を運んできました。

 振り返って改めて感じることは、この10数年の間に、チーム支援の浸透とともに、とても大きなパラダイムチェンジ(思考転換・発想転換)が生じていたということです。多少のばらつきはあるのですが、その兆候が見られるようになったのは2000年くらいからでしょうか。この傾向は、2010年代に入ると顕著になっていきます。

 もちろん現場での受け取りは様々でした。自分たちにとっては「ふつうのこと」を「あたりまえ」に実践しているつもりが、第三者から見ると、じつはきわめて先駆的な取り組みだったり、これまでの医療や福祉や生活支援の〝常識(セオリー)〟を、ほとんど超えてしまっていたりするところもありました。わかりやすい例でいえば、北海道浦河のべてるの家の当事者研究など、その最たるものでしょう。

 一方では、旧態依然とした理念やスタイルを、まるで疑わない現場もありました。端的に言えば、支援とは自分たちが正しいと信じる行為(ケア)をすることであり、それがきちんと伝わるためには、「管理」や「指示」が必要である。押し付けも辞さないし、被支援者がパニックなどになったときには拘束さえ(ときには暴力も)辞さない、という現場です。

 その典型が、報酬至上主義と収容主義をいまだ色濃く残し、そのことを気づかない(ふりを続ける)精神科病院と福祉施設だろうと思います。自らをひらいていこうとする現場と、もう一方の収容至上主義あるいは保護主義という、相変わらず自らを閉ざしたままの現場。経済状況のひっ迫が避けられない中、こうした二極化が増々加速することを私は危惧しています。

 さて、冒頭に挙げた支援の現場での「パラダイムチェンジ・発想の転換」とは何でしょうか。どんなことが起きているのでしょうか。まずは極めて象徴的な例から紹介してみましょう。

 2018年9月に、松本俊彦医師(*1)による『薬物依存症』(ちくま新書)という本が出ました。著者の松本氏は、薬物の依存症治療において第一人者といってよい医師ですが、ここにはいくつかの画期的なことが書かれていました。

 その最大のものは、これまでの薬物依存症の〝患者観(あるいは患者像)〟の転換を強く迫っていることです。一九八三年、「覚醒剤やめますか?それとも人間やめますか?」という、日本民間放送連盟(民放連)による麻薬撲滅キャンペーンのCMが流れていました。たしかにこれは大きなインパクトがあり、私もはっきりと覚えています。

 キャッチコピーに見られるように、薬物依存症患者は「人間をやめてしまった」存在であり、「社会からドロップアウトした」存在であり、そんなことにはならないように薬物とは手を切るように、というのがこのCMのメッセージでした。そして「人間であることを止めてしまった存在」とは、この時代まで延々と続いてきた薬物依存者への眼差しでした。逆に、依存症患者は社会から排除されて〝当然〟と見なされていました。

 ところが松本医師は、こうした患者像が社会において強ければ強いほど、言い換えれば社会の排除意識が強ければ強いほど、患者は断薬治療をいくらくり返しても、依存から抜けられなくなる。いわば治療可能性が低くなる。そう主張します。依存が深くなればなるほど、そこから脱却するためには、社会の理解や他者の手が必要になります。

 ここからが臨床を積んできた医師らしい指摘になるのですが、薬物に手を染める人間はもともと孤立傾向が強く、ストレスや精神的負荷を抱えた人間が多い。孤立とストレスを解消しようとして薬物に手を出してしまうのだが、しかしそれは、患者をさらに深い孤立に追い詰めていく。そして依存に拍車がかかる。この悪循環が、依存から脱却できない大きな理由である。つながりを求めようとして孤立の深みにはまり込んでいくのが、薬物依存症の特徴なのだと、松本医師はいいます。

 つまりは、患者を孤立させないことこそが、治療の最大の目的であり、支援の意図である。したがって対応策にあって大事なことは、患者を刑務所に閉じ込めておくことでも、長期収容入院させることでもなく、社会のなかに居場所を作ることである。周囲の支援者に支えられながら、生活を維持していくことである。包摂できる社会を作ることこそが、依存から回復できる大きな要因である。そう主張します。

 こうした患者観にたって、治療法や回復支援の在り方を具体的に提唱していく、というのが本書のアウトラインといっていいかと思います。

 そして私が強調したいことは、松本医師のこのような新しい患者観・患者像は、医師自身が試みている新しい治療法や回復支援の在り方と、分かちがたく結びついているということです。新しい治療法を模索するなかで、新しい患者観・患者像を見出していったのか、その逆なのか、どちらかは分かりませんが、いずれにしてもこの本の最大の特徴は、患者像への大きな視線変更と、そのことと不可分の新たな治療法・治療観を示して見せたことにある。それが本書への、私の感想になります。

 二つ目、三つ目の感想は、そこから派生します。

 松本医師は、刑事施設や病院収容は薬物治療にほとんど功を奏さないことを、ほぼ完璧といっていいほど論証して見せています。この主張は、私もかねてよりお聞きしてはいましたが、断片的印象にとどまっていました。今回、本書を拝見することで、いくつかの治験データや検証事例が示されており、なるほどこういうことだったのかと、深く納得しました。

 さらにもう一つ、依存症患者がどんな心理の変遷をたどり(要するに自分への言い訳です)、依存の深みにはまり込んでいくのかが、とてもリアルに記述されていることです。取り上げたい点はほかにもありますが、本書の意図に即して、ひとまずは以上の点を指摘しておきましょう。

 パラダイムチェンジという先ほどの話に戻して言えば、『薬物依存症』という本は、先に挙げた支援現場で起こっていることを、とても象徴的に示していると感じました。

 たとえばここ数年注目を集めてきた、精神医療における「当事者研究」や「オープンダイアローグ」にも、患者観の視線変更があります。一言でいえば、患者自身の自己回復力を信頼し、それが立ち上がってくるような環境を用意する。支援者はそれをサポートする。主体はあくまでも患者自身です。自身が自分の人生の主役であり、治療者や援助者は、「回復を支える治療や援助」ともいうべく方法になっています。従来の統合失調症の患者像への眼差しが、ここでも転換されています。

 私が述べるパラダイムチェンジとは、このようなものです。

 介護の現場でもそうです。いまでは当たり前になっていますが、〝認知症患者が、わけもなく徘徊し、奇声を発したり暴力的になる、というかつての患者像は、多くの現場で一掃されているはずです。認知症患者自身の語ること、聞くこと、見ることが尊重され、「徘徊」と呼び習わしてきたが、そこには本人の理由がある、丁寧なかかわりと観察、罰による屈辱を抱かせない支援こそが重要である、というように、本人の尊厳を大事にしようという支援は、介護の現場にあって、常識になっているはずです。


木村敏、中井久夫著作集を書評ス


古紙探訪2

今日は掘り出し物。1985年8月5日の週刊読書人。私は30歳を過ぎたあたりで、こういう書評紙を買い漁っていたわけだ。で、何が掘り出しものかというと、木村敏が、中井久夫著作集の書評を書いていること。

以前、飢餓陣営せれくしょん1で、『木村敏と中井久夫』という特集を編んだ。その時、木村が中井を語り、中井が木村を語る原稿を掲載できないか、どこかにあったはずだ、と探し回った。ないときはない。それが人生。結局あきらめたのだが、昨日、偶然出てきた。そうか、この山の中だったのか。

どんなことが書いてあるか。

木村らしく、簡単には要点をまとめさせてくれないが、まず、大学(名古屋市立大学精神科)に勤め、毎日顔を合わせているが、精神医学全般、精神分裂病論や躁鬱病論について、時間があれば語り合っている。彼との対話は「身になる」もので、ひと言でいうと、「弁証法的」な構造をもっている。「相手に向って自分を語ること」と「相手に自分を語らせること」とが一つになっているような場所。そういう場所が二人の間にはあったという。さすが、「間」の療法家、木村敏。たとえば、として「兆候空間」(中井)と、「アンテ・フェストゥム」(木村)に触れていく。そして第1巻分裂病、第2巻治療、第3巻社会・文化、と題されたそれぞれの巻への感想述べていく。

見出しやリードにも見えるように、木村の、中井への評価はたいへんに高い。手放しの絶賛ではないが、文章家としての冴えはもちろん評価しつつも、それ以上に臨床家としての中井久夫を、とにかく読み込んでくれ、と。最後は強引まとめてしまったけれど、そんな書評。貴重品です。

ちなみに木村先生が、中井先生の言葉で最初に感銘を受けたのが「治療できない患者でも看護はできる」というものだったそうです。


安部公房を久々に

古新聞をたくさん保存している。ジャンルは、あれもこれもの雑木林。いつか「金のなる木」に化けるはずだ、と邪(よこしま)な思いを抱きつつ、既に30年近くほこりにまみれている。家族にとってはただのゴミの山。

久し振りに、そのゴミの山をかき分けていると、面白い記事を見つけた。安部公房が他界した時に書かれた追悼文で、執筆者は養老孟司。日付は1993年1月23日。秋田さきがけ。

安部公房が「医者にはならない」という約束で東大医学部を卒業したのは、知る人ぞ知る話だろう。この顛末を大学の後輩である養老孟司が、直接聞いたことがあるという。そのくだり。

理科の口頭試験のさい、安部は質問に一向に応えない。教授がどうしたと尋ねると、小説を書きたいのだと安部は答えた。そこから問答が始まった。文筆で身を立てることがいかに大変か、教授はこんこんと諭した。「それでも君、小説家になるか」「なります」。

再び教授が、医師がいかに生活上の便宜を受けるか、小説で食べていくことがどれほど大変か、再びこんこんと諭した。「それでも君、小説家になるか」「なります」。ついに教授は折れ、医者にならない約束で卒業を認めた。

養老孟司は、「古き良き時代の大学の挿話」と受け取ったが、思い直し、「人が人に感応する、それはいつでもあり、そしていつでも少ないのだろう」と書いている。すでに作品集を1冊出していた安部の才能を、教授は認めていたのでは、という含みが、養老の筆にはある。

私にとっての安部公房は、『砂の女』『他人の顔』『箱男』。あえて選べば、これがベスト3か。

そして「援助職」と呼ばれる人たちに支援を求めてくるのは、安倍の描く、こんな世界を生きている人たちではなかろうか。迷い込んだ「砂」の中からもがいてもがいても脱出できず、他人の「顔」をやがて剥がすことができなくなくなり、「箱」から出ることができなくなったまま都会をさまよい始める。これらの人々は、今に言う「生きづらさを抱えた人」たちの、ドンピシャのメタファーであり、寓話ではあるまいか。amazon.co.jp
(古紙探訪 1)

『17歳の自閉症裁判』岩波現代文庫版あとがき(その3)

『17歳の自閉症裁判』岩波現代文庫版あとがき(その3)


処遇と量刑についての高裁の見解

これを受け、大阪高裁は次のようなロジックを採った。

少年の発達障害を考慮し、医療的な側面を重視した処遇が望まれることは関係者の共通した意見であり、保護処分の有効性は認めることができる。しかし原則逆送事件のなかでも長期の刑罰を科し、これに服させ、償いをさせる必要の高い事件である。このときに保護処分を選択するためには、少年刑務所と少年院の処遇能力に「優位の差がある」というだけでは足りず、刑務所の処遇能力が極端に劣り、かえって有害であるという事情を有するときに限られる。――

少年院よりも処遇環境が劣る、では足りない、少年刑務所には弊害があるということがはっきりと認められなければ、保護処分は選択できない。これが、大阪高裁が示したロジックだった。この前提に立って金子証言を採用し、高裁の判決内容が組み立てられたと言っていい。

近年の処遇に関する法制度の変革、施設職員の人事交流などによる専門的知識や意識が変容している点を指摘し、少年刑務所の処遇に関する弁護人の主張は「少年刑務所の現状に反するか、過度に消極的な評価である」と斥けた。

そして少年刑務所の処遇能力については、次のような判断を示した。「これらの諸点を総合すると、広汎性発達障害の克服という見地から見て、少年刑務所の処遇能力が少年院より根本的・本質的に劣るとは考え難く、ましてや、被告人に刑事罰を科し、少年刑務所での処遇を受けさせることが有害無益であるなどとは、到底いえない」

さらには「刑事処分には、保護処分には見られない利点があることも認められる」とし、次のように述べた。

多様な職種の職員がかかわることで、担当者ごとの役割や働きかけの意味が分かりやすくなり、安心して処遇にかかわることができること。製造製品が市場に出ていくのが可視的に分かり、少年院より社会的な側面も認められること。処遇期間が長期にわたることは、「自分の行為の重みを適切に受けとめることにつながり」、また処遇担当者の側から見ても、「その時点の状況に応じた適時適切な教育を、時間的ゆとりをもって施すことができる利点もある」とした。

このような判断に立ち、「無期懲役を緩和することは」、「実質的には無期懲役を甘受させてもあながち不合理ではない状況にある者に、それよりも大幅に不利益の度合いの小さい刑を科するにとどめることに他ならず、そのこと自体で、当該被告人にきわめて大きな利益を享受させる措置といえる」とし、一五年の量刑を選択した。

成人の刑事裁判以上の形式的法解釈、と述べたことの意味を、いくらかなりともお伝えすることができただろうか。

裁判員制度以後の課題

この判決について申し述べたいことは、次の二点である。
それは、少年の刑事施設が十分更生に資する場所であるということを、この判決は、社会に向かって明確なアピールとして打ち出したものである。少年刑務所が、どのような少年にあっても更生し、立ち直るための教育環境として機能できるし、その機能をさらに充実させる必要がある、と高等裁判所が要請した判決である、と言ってもよい。

本書には昭和四〇年までの「少年受刑者の推移」を示すグラフを掲載してあるが、四〇年以降、その数はさらに激減し、五〇年度からは一〇〇名前後での推移が続いている。そして平成二〇年度は六三名と、少年の受刑者数は、きわめて少数ではある(平成二一年版「犯罪白書」より)。

しかしここにきて裁判員制度が開始し、少年の逆送事件もその対象となった。国民に対して裁判に参加する義務を国や司法は求めたのだから、裁判員になった際の、重要な判断材料の提供を拒む理由はない。裁判を開き、処遇施設を閉ざすのは合理的ではない。裁判員制度をよりよいものにするためにも、処遇の概要や出所後の状況等、実績内容の積極的な情報公開は、社会に向けた重要な責務となった。このことが一つである。

もう一つは、やはり広汎性発達障害に対する理解についてである。ただし「障害」を特権化し、特異性や特殊性を際立たせたいのではないことはすでに述べてあるし、障害が犯罪に直結する、などと言いたいのでもない。ここでお伝えしておきたいのは次のことだ。

ひとは生まれ落ちた直後から人と社会のなかに置かれ、数かぎりない働きかけを受けながら育つ。言い換えれば、適切なかかわりや支援(つまりは養育や保育・教育)によって、「発達」はなされていく。障害の有無にかかわらず、この事情は変わらない。

問題は本書の少年のように、孤立したまま深い挫折体験から抜け出せなくなり、自尊感情が損なわれ、ハンディキャップが著しい生活障害になってしまったときである。つまり、引きこもりや被害妄想、自傷行為や他害行為、強迫的な症状など、心身の大きな困難(二次的症状)へと転じ、逃げ場をなくしてしまったときである。
くり返すが、偏った個性や認知のハンディキャップがあったとしても、人や社会とつながりながら生活を維持できるのであれば、それはそれで一つの人生である。ところが偏りをもった個性や突出した個性は、周囲とのトラブルを招くことが多々あり、理解されない集団の中に置かれたとき、いじめや排除のターゲットになっていく。少なくともその可能性が高まる。

こうした本人の特性に、生活上の困難が加わってくる。たとえば親による暴力や養育放棄、貧困や家庭崩壊。さらには仲間関係によるいじめや恐喝、使い走り、孤立といった諸問題が積算される。これらは単独で現れるよりも、複雑に関連していることのほうが多いだろう。加えて、社会的支援を一方で言いながらも、トラブルの解決力が弱く、必要以上に深刻化させてしまう狭量さや脆弱さが、現代社会の特徴である。インターネットやゲームなど、孤立を促進する要因もふんだんに用意されている。こうしてさらなる孤立のなかに置かれていく。このような負荷要因の総量が、「犯罪」として表現されてしまう。

以上、全体的動因のなかで、広汎性発達障害という一つの特性を考えていくことが重要ではないかと思われる。これが「障害と犯罪」についての筆者の基本的理解である。

孤立をどうしたら防ぐことができるか

事件取材を続けてきて改めて痛感することは、「孤立」をどうしたら防ぐことができるかということだ。「自立」と孤立は異なる。自立とは、自分が生きていくために必要な、ひととの「つながり」を作っていくことだ。寝屋川の少年も浅草で事件を起こした青年も、自立したいと強く望みながら、孤立し、その果てで、傷ましい被害者を生んでしまった。

筆者はいま、困窮者の住まいと生活の支援をするNPOの主催するケア会議に参加する機会を得ているが、会議のたびに、凄まじい人生の一端に立ち会うことになる。生後すぐに遺棄され、施設を転々として生きてきた人。刑事施設や少年院の出所・出院を繰り返してきた人も少なくない。過半が複数の疾患や障害を抱えもっている。
議論が沸騰してくると、支援する人びとの静かだが半端ではない気迫にたじろぎを覚えることさえあるが、どうしたら彼らの「孤立」を防ぐことができるか、ケア会議ではそのテーマが繰り返し問われているのだと気づく。
しかし一筋縄ではいかない難題である。難題ではあるが、そこから方途を見出していくほかないことも、またまちがいのないことのようだ。

 二〇一〇年五月三一日    佐藤幹夫



本書は、二〇〇七年七月刊行の『裁かれた罪 裁けなかった「こころ」―一七歳の自閉症裁判』を文庫化したものである。



『17歳の自閉症裁判』岩波現代文庫版あとがき(その2)

『17歳の自閉症裁判』 岩波現代文庫版あとがき(その2)

大阪高裁判決について

さて本書は、検察、弁護側の双方が控訴を明らかにした時点で筆を擱いているが、二〇〇七年一〇月、大阪高等裁判所(古川博裁判長)の判決をもって刑が確定した。控訴審は同年六月二六日から始まり、三回の公判の後、判決審が開かれたのは二〇〇七年一〇月二五日。地裁判決から二年を経ており、一七歳だった被告少年は一九歳となっていた。

大阪高裁は原審判決の懲役一二年(求刑は無期懲役)を破棄し、最高刑の無期刑に次ぐ懲役一五年を言い渡した。少年法では、成人の事件における無期懲役に相当すると判断した場合、一五年から十年までのあいだでの緩和量刑を選択できるが、大阪高裁は、それを選ばなかったことになる。

この判決に対し、読売、朝日、毎日、産経の各紙ともに、少年法改正以降の「厳罰化」の流れを踏まえたものであると解説した。その通りではあるのだが、控訴審判決に示された「厳罰化」とはどんな内容をもつものなのか、以下、少し踏み込んだ分析と解釈を加えてみたいと思う。

本判決は、〇七年の少年法改正以降、少年の重大事件において、初めて下された高等裁判所の判決である。「発達障害」は当時の少年事件の裁判においてキーワードとなっており、事件の重大性と障害の重篤性のバランスをどう図るか、言い換えれば、結果の重大性と責任非難の乖離をどう考えるのかが、原審、控訴審ともに重要な争点となっていた。この二点において、高裁判決は重要な判例となると考えられた。

二審判決と原審との相違

シロウトながら、まずは、大阪高裁の判決に対する感想を述べさせていただきたい。

これまでの少年事件の審判は、実質上〝法の弾力的解釈と運用〟によって特徴づけられてきた。このことは、法を判例に照らして厳密に解釈し、一律に適用することよりも、事件の背景や要因、生活環境、更生の可能性、身元引き受人や帰住先の調整など、加害少年の個別事情への配慮をできる限り示そうとするものであった。その結果が、保護主義とか温情主義とか言われてきたものである(筆者これを、少年法における教育法的・福祉法的側面と呼んできた)。

今回の判決は、そのような〝弾力的解釈と運用〟を明確に斥け、少年の事件であっても、成人の刑事裁判と同
様の(あるいはそれ以上の)厳密な法解釈とその運用を貫く、というメッセージをはっきりと打ち出したものであった。弁護団は判決後の記者会見で、「高裁の判断は、法律上の枠組みだけに従った形式的な解釈に終始した」と述べていたが、まさにこのことにあたると思われた。

こうした性格がはっきりと現われたのが、発達障害を判決のなかでどう位置づけるかという点であり、まずはそのことが原審と高裁判決との明瞭な相違だった。具体的に見てみる。

○殺意について――弁護人は、被告少年が加害空想のなかで「刺す」という言葉が浮かび、発達障害ゆえにそこに注意が集中していた、殺意はなかった、と主張するが、その空想のなかにおいてさえ、「刺す」は殺害の手段として位置づけられていた。「被告人において、『刺す』は、単に何らかの方法で人体の一部を刺突するということではなく、殺害の具体化の方法としての挙動であり、『殺す』と不可分の観念として固定化していたと認められる」とした。この解釈は、「S先生‐刺す‐包丁‐ホームセンター」という連想に伺うことのできた少年の心理機制の特異さを斥けるものであった。つまり、結果の凶悪性と重大性が、積極的に前景に出されたことになる。

○責任能力と広汎性発達障害について――犯行当日の“特殊な気分”は認めながらも、「この障害を有すること自体が類型的に責任能力の減退を強く伺わせる事情とは言えない上、上記の特殊な心理状態も犯行の際にはかなり薄まっていたと認められ、これらの点は上記認定を左右しない」とし、ここでも、広汎性発達障害は、責任能力の限定を現すものではないと断じ、次のような文言をそのあとに続けた。

「診断病名としてどのような精神障害を有するものであっても、犯行時の具体的精神状態において、是非弁別能力及び行動制御能力が保たれていた以上、完全責任能力者としての刑責を負うべきことは当然であり、これに関する原判決の判断は正当である」。

ここに見られるロジックは、きわめて明快でシンプルである。簡単に述べるにとどめるが、まず、広汎性発達障害が新たな司法精神医学の枠組みを要するのではないか、といった証人(鑑定医)が提示した問題意識はほとんど顧みられていない。原審の判決には、広汎性発達障害という背景事情をどう勘案するかという点に関する苦慮を伺わせていたが、高裁判決においてそれらはまったく感じることができず、旧来の司法精神医学の枠組みを踏襲していることが、この判決の、明快でシンプルなロジックをつくっている。

ちなみに言えば、原審判決の苦慮とは、たとえば次のようなものである。

……殺意や動機を考えるとき、障害の影響は無視できない。しかしそのことを最大限に考慮したとしても、心神耗弱を適用することはできないし、「殺意」の認定もはずすことはできない。限定責任能力となれば減刑されることになり、「殺意」の認定をはずせば罪状が殺人ではなく傷害致死となる。被害者感情も社会感情も、とてもこの判断を許容しないだろう。ではどうすればよいのか……。

さらに弁護側は、控訴審の「最終弁論」において、次のように述べていた。

「弁護人からすれば、原判決の認定を前提としても、被告人の行為はいわば『殺人』と『傷害致死』との中間の行為である、また被告人の状況は、完全責任能力と心神耗弱の中間に位置する状況であって…(以下略)」

大阪高裁の判決に見られるような旧態依然としたロジックでは「広汎性発達障害」による不利益は、一向に放置されたまま改まらない、というのが、繰り返すが本裁判が示した先駆的な問題提起であったと思う。

ちなみに高裁の判断は、「『殺人』と『傷害致死』との中間の行為である」という弁護人の主張は「明らかな誤りであり、むしろ、確定的殺意と未必的殺意との限界線上にある事案」であるとしている。

少年刑務所の処遇状況
さて、控訴審で最大の争点となったのは、少年院には広汎性発達障害に対する処遇のノウハウも、実績もできつつあるが、少年刑務所に教育と治療に関する機能がどこまで備わっているのか、という点に関する論議であった。第二回控訴審において、川越少年刑務所の首席矯正処遇官(当時)である金子陽子氏が検察側証人として法廷に立ち、刑務所内での処遇について証言した。一部、その内容を紹介してみたい。

冒頭、金子証人は「発達障害のある人の特性を考慮して処遇することは、少年刑務所のなかにおいても可能である」と明確に述べた(この年の全受刑者数は一六八四名。うち少年受刑者は九名。毎年、一〇名から二〇名で推移しており、基本的な処遇計画は「少年受刑者の処遇要領」による。二〇歳に達するまでの期間が三年に満たない少年の受刑者にも、三年間は適用され、それ以降は通常の成人と同様の処遇になるという)。

処遇が可能な論拠として、法的な整備が果たされたことを証人は挙げた。

平成一八年に「刑事施設及び受刑者の処遇等に関する法律」が施行され、翌一九年には改正された法律が作られた。この法律によって、受刑者の更生の必要に応じた処遇が可能になった。それ以前は受刑者が拒否すれば改善指導はできなかったが、新たな法律によって受刑者の側にとっても受講義務となり、法的な根拠ができた。さらに新法によって、一日八時間の刑務時間のなかで、必要に応じて教科指導、改善指導、ソーシャルスキルトレーニングを目的としたグループワーク(グループカウンセリング、サイコドラマなど)などができるようになった。

新法や通達による充実は他にもあり、少年受刑者に対しては個別担任制となったこと(川越少年刑務所では、法務技官と心理技官が担当している)。日記指導が毎日行えるようになったこと。家族関係の維持改善を図る時間が増えこと。また、「少年施設の職員による処遇共助の実施について」という通達によって、少年院や少年鑑別所の職員を刑事施設に派遣し、指導に当たることが可能となった。

金子証人によれば、川越少年刑務所では処遇共助は行われてはいないが、二名の教官が少年院より配置転換された。その他、性犯罪再犯防止指導のために、法務技官と心理技官が二名ずつ増員された。個別担任は受刑者と面接をし、作業状況について工場担当者と打ち合わせをもったり、処遇班会議などを通して情報伝達や指導者間の連携に努めているという。

処遇にあたっては少年受刑者だけの作業工場と教育グループを作っており、居室についても成人とは同室にしない、隣室も少年受刑者にするなどの配慮を行っている。刑務作業は園芸と窯業に分かれ、発達障害に適した小集団指導は可能である。その他、薬物依存の民間の自助グループ、被害者団体、特殊面接委員など、社会支援も活用している。

――以上のような証言内容だった。筆者が不勉強だからかもしれないが、ここまで踏み込んだ少年刑務所についての情報を、初めて得ることができた。




『17歳の自閉症裁判』岩波現代文庫版あとがき(その1)

岩波現代文庫版あとがき

大阪・寝屋川小学校教師殺傷事件、控訴審判決を中心に


本書の執筆にあたって
本書は、二〇〇五年二月に、大阪府寝屋川市立中央小学校で起きた、教師殺傷事件をまとめたルポルタージュである。

事件が発生したのは、一四日の午後三時過ぎ。当時一七歳の卒業生がまだ授業中の小学校に押し入り、応対に出た男性教員を刺殺した。そののち職員室に向かい、在室していた二名の女子教職員にまでも重傷を負わせるという、傷ましくも被害の甚大な事件だった。

加害少年はその後の精神鑑定において広汎性発達障害という診断を受けており、この事件を執筆するにあたって、課題としなくてはならないいくつかのことがあった。

一つは、二〇〇〇年に改正され、事件当時の〇五年にはさらに再改正の審議が始まっていた少年法の問題だった。二〇〇〇年の改正の際には、殺人などの重大事件が原則逆送(検察官送致)となるなど、「厳罰化」の方向に進んでいるように見えたが、この新しい法律は、少年審判の抱えるジレンマをさらに大きくすることになると思えた。

二つ目はすでに書いたように、少年が広汎性発達障害の診断を受けていた点についてである。まずはこの障害がどのようなものであるか、行動や心理、思考にどんな特徴があるか、裁判所や検察官はできるかぎりの理解をとどかせ、そのうえで審理していただきたい、というのが筆者の最大の願いだった。

ここはよく、誤解を受けるところである。「動機不明の変わった事件が起きると、なんでも発達障害と診断しようとする」とか、「病気だと主張すればいいものではない」といった発言をときに眼にするが、筆者は「障害」を取り出して免責を主張し、それで事足れり、という訴えをしているわけではない。事態はさほど単純ではない。
発達障害の丁寧な理解に立った裁きがなぜ大事かと言えば、誤った理解は誤った法律判断を招くだろうし、次の、処遇をどう考えるかという課題にも同じ問題は直結する。

本書を取材していた当時の少年刑務所にあっては、設立の目的も、施設規模も職員構成も、処遇の内容も、発達障害をもつ少年に配慮がなされていることを示す情報は、一つとして入手できなかった。治療処遇やそのスキルが整備されていない環境に長期間置かれるということは、原則逆送の制度は、逆に再犯のリスクを高めることにつながりかねないのではないか。それが、本書での最大の問いかけだった。

二〇年後、あるいは三〇年後、彼らは必ず社会復帰してくる。その時、どのように私たちは迎えようとしているのか。社会の安全をいうならば、更生をどう考えるかという課題こそが大事なはずである。しかし、少年院にしろ少年刑務所にしろ、処遇環境や再犯率といった内部情報の公開があまりに少なすぎたし、当時のメディアもほとんど関心をもつことはなかった。

裁判員制度の始まりとともに、処遇のあり方や、出所後の更生に対する関心が一気に高まりを見せているが、まさに我が意を得たりである。

広汎性発達障害と責任能力

もう一つの重要な課題は「責任能力」の問題である。「責任能力」一般についてもそうではあるが、「広汎性発達障害と責任能力」というテーマの難しさである。

鑑定にあたった武田雅俊医師(大阪大学)と十一元三医師(京都大学)が、広汎性発達障害においては、従来の責任能力の認定方法とは全く異なる次元での評価方法を確立させる必要がある、と明言したことに対し、筆者は深く同意した。広汎性発達障害が広く認知されるにつれてこの問題も顕在化する、というのが本書での問題提起だった。

先日、東京都小平市にある国立精神・神経医療研究センターで、医師の方々にお話を伺う機会を得たが、そのなかで、アルコール依存の治療を専門とし、医療観察法の策定にかかわり、少年鑑別所で鑑別診断の仕事もされているという松本俊彦医師が、次のような趣旨の発言をされた。――刑事事件と広汎性発達障害というテーマをめぐっては、専門家のなかでも統一見解がなく、議論が二つに分かれてしまう。まさに、ここは盲点のようになっている、と言われたのであった。

専門医師にあっても、見解が二分されるほどの難問なのである。広汎性発達障害という診断がつけば、その時点で自動的に心神耗弱になる、という誤った理解がときに見られるが、私の知る限りそのようなケースは皆無である。

くり返すが、問題の重要性は、広汎性発達障害が心神耗弱となるか否か、完全責任能力か限定責任能力か、というところにあるのではない。武田、十一両医師、あるいは松本医師も述べていたように、「広汎性発達障害と責任能力」という課題を突き詰めていくと、刑事法体系の全般に影響を及ぼす議論になりかねないのである。

寝屋川の裁判がそうであったように、責任能力のみならず、動機や殺意といった概念を問いなおさなくてはならない。規範意識、贖罪感情、再犯の可能性といった問題についても、再吟味する必要が出てくる。法体系では「責任」を担うべく「自己」という確たる近代的個人概念が前提となっているが、そこですでに、他人の表情や感情をキャッチする能力、とくに意図しなくても相互交流できる能力、といった対人相互性が前提となっている。

しかし彼らは、その時点ですでにハンディキャップをもっている。このことをどう考えたらよいのか。――こうした問題について、まだほとんど議論を見ていない。広汎性発達障害あるいは自閉症スペクトラムにある人びとについて、私たちはまだ多くのことを知らないまま、彼らに刑事責任能力を求めているのである。

裁判員制度の始まりとともに、この「責任能力」の認定を巡って論議が巻き起こるようになっているが、精神医学も司法も、これらの事態にたいして十分な対応ができずにいる。私自身、機会を改め、新たな立場や観点から再検討したいと考えている。
ともあれ以上の三点が、本書執筆にあたって留意した問題であった。

大阪高裁判決について

さて本書は、検察、弁護側の双方が控訴を明らかにした時点で筆を擱いているが、二〇〇七年一〇月、大阪高等裁判所(古川博裁判長)の判決をもって刑が確定した。控訴審は同年六月二六日から始まり、三回の公判の後、判決審が開かれたのは二〇〇七年一〇月二五日。地裁判決から二年を経ており、一七歳だった被告少年は一九歳となっていた。

大阪高裁は原審判決の懲役一二年(求刑は無期懲役)を破棄し、最高刑の無期刑に次ぐ懲役一五年を言い渡した。少年法では、成人の事件における無期懲役に相当すると判断した場合、一五年から十年までのあいだでの緩和量刑を選択できるが、大阪高裁は、それを選ばなかったことになる。
この判決に対し、読売、朝日、毎日、産経の各紙ともに、少年法改正以降の「厳罰化」の流れを踏まえたものであると解説した。その通りではあるのだが、控訴審判決に示された「厳罰化」とはどんな内容をもつものなのか、以下、少し踏み込んだ分析と解釈を加えてみたいと思う。

本判決は、〇七年の少年法改正以降、少年の重大事件において、初めて下された高等裁判所の判決である。「発達障害」は当時の少年事件の裁判においてキーワードとなっており、事件の重大性と障害の重篤性のバランスをどう図るか、言い換えれば、結果の重大性と責任非難の乖離をどう考えるのかが、原審、控訴審ともに重要な争点となっていた。この二点において、高裁判決は重要な判例となると考えられた。  (続く)

自閉症の青年はなぜ「児童連続暴行事件」と報じられたのか(再録)

以下の文章は、ある雑誌に発表したものである。いつ、どこだったか、私は自分の書いたものを記録し、保存しておく習慣をもたないので、既に失念している。掲載誌も探したが、みつからない。掲載誌、時期(おそらくは2004年か5年頃、『自閉症裁判』刊行以前のものか)不明のまま、ここに再録する。


自閉症の青年はなぜ「児童連続暴行事件」と報じられたのか
――タブー視することとスケープゴートをつくり上げること
佐藤幹夫(フリージャーナリスト)



 「障害者」が犯罪の被疑者となったとき、報道は例によって「慎重」な姿勢を見せる。この「慎重さ」は「触法障害者」の問題が、いまだ「人権への配慮」の名目のもと、タブー視される感覚と表裏である。タブーは、「隠す」「気づかぬ振りをする」「無視する」といった形で現れることが多いが、それだけではない。むしろそうした単純な現われ方ならば、それに対する言論も「隠すことへの批判」といった単純なカウンター的スタイルでよいが、近年目にするようになった事態はもう少し複雑である。

メディアによるタブーへの指摘も、その複雑さに応じた問題構成のもとでなされる必要がある。

●ある報道

「Nさん逮捕」の報道を最初に目にしたのは、2004年2月23日の、夜7時のNHKニュースだった。夕食のさなか、「所沢市と入間市で起きている連続暴行事件の容疑者が逮捕された」と話す声が、たまたま飛び込んできたのである。

それまで、所沢を中心に「連続暴行事件」が起きているという報道は目にしていたし、事件の概要についての情
報は入っていたから、メモを取りながら、少し注意してニュースを見てみることにした。そのあと、確認できただけでも夜9時45分の首都圏ニュース。10時の「ニュース10」。翌24日も、朝7時からの全国ニュースと、つづく7時30分からの首都圏ニュースでも報じられた。「福祉施設作業員」であること、「作業が嫌でむしゃくしゃしてやった」こと、「8件中6件を自供した」ことなどが主な内容である。名前は伏されていたが、作業所名と、その映像、事件の現場である公園の映像なども流されていた。(民放各社は未確認)

新聞はどうだったか。

まずA新聞の2月24日朝刊(ここでは新聞各紙の批判を目的としていないので匿名で記す)。ベタ記事ではあるが、社会面の左隅にしっかりと、「児童連続暴行容疑の男逮捕 埼玉・所沢」の見出しとともに23行の記事が掲載されている。内容は、「埼玉県所沢市で、自転車の男に小学生が連続して殴られた事件で、県警は23日、同市内に住む施設作業員(35)を暴行容疑で逮捕した。」と始まり、以下「捜査1課と所沢署の調べでは」…「1月28日午後4時半ごろ…公園で小学4年男児(9)に自転車で近づき、右拳で頭を殴った疑い。その前後約5分の間に、半径200㍍の範囲内で、3人の児童が殴られており、作業員は関与を認めているという。所沢市と、隣接する入間市では1月19日以降、自転車の男に児童が殴られる事件が相次いでおり、県警は関連を調べている」とある。

つぎはB新聞の同じく2月24日の朝刊。

 「児童暴行男を逮捕 『ほかにも何件かやった』 所沢」という2段抜きの見出しで、記事は40行。分量的にはA新聞の二倍。前半部分の概要はあらまし同じだが、A新聞には書かれていない点のみを取り出すと、「男児と一緒にいた児童3人の目撃証言と男の服装などが一致、男に現場を確認させ事情を聞いたところ、容疑を認めたため逮捕した。男には軽度の知的障害があり、県警は動機などについて慎重に捜査している。/男が勤務する福祉施設は同県西部にあり、就業時間は午前九時―午後四時。男は帰宅途中に犯行に及んだと見られる。…」

 こうしてNさんは「連続暴行事件」の犯人として、全国津々浦々に報じられることとなった。彼は中度の知的な遅れをともなう、典型的な自閉症(カナー型と呼ばれる)の青年だった。

●公判での「応答」と裁判の経緯から伺われるNさん

 逮捕後、簡易鑑定が行なわれ、「訴訟能力に疑いがある」とされたが、取調べ検察官は起訴した。その二回目の公判が2004年5月12日、さいたま地方裁判所所沢支部にて行なわれ、傍聴する機会を得た。その「被告人尋問」の冒頭部分を、以下に問答形式のまま書き移す。筆者の傍聴メモによる再現であるが、誇張はない。ここでの応答が、法廷という場にふさわしいものであるかどうか、裁判と呼べるものかどうか見ていただきたいと思う。

弁護人「Aくん、私を知っていますか」/Nさん「しってます」/弁護人「私は弁護士と言いますが、弁護士ってどんな仕事をする人ですか」/Nさん「おはなしをするひと」/T弁護人「そうか。じゃあ、Aくんの前に三人座っていますね。あの三人はどういう人か知っていますか」/Nさん「おんなの人」/弁護人「女の人もいるね。あの人たちは裁判官と言いますが、何をする人か知っていますか」/Nさん「きまりごと。かいけつとかけっていをする」/弁護人「何の決定をするんだろう」/Nさん「はんけつ」/弁護人「判決ってなんだろう。何を判決するのかな」/Nさん「きめること」/弁護人「何を決めるの?」/Nさん「たとえばおうちにかえれるかどうか」/弁護人「そうか。じゃあ被告人って知ってますか」/Nさん「しってる」/弁護人「何をする人?」/Nさん「きそ」/弁護人「難しい言葉を知っているね。じゃあここにはたくさんの人がいるけど、このなかで被告人はどの人かな?」/Nさん「(自分を指差す)」/弁護人「そうだね。いまここで、何をしているか分かる?」/Nさん「わかる」/弁護人「どんなことをしているの?」/Nさん「こんなこと」/弁護人「じゃあ黙秘権って分かる?」/Aさん「わかる」/弁護人「どんなことだろう?」/Nさん「こんなこと」

公判全体は、途中休憩を挟んで一時間ほど行なわれたが、ここまでが前半の15分ほどの応答である。弁護人の問いは、Nさんが、自分が何をし、なぜ逮捕・起訴されたか理解しているかどうか。公判での尋問という、自身に起こっている事態がどこまで認識できているかという点をめぐっている。これは訴訟能力と言われるものの主たる内容をなしている。訴訟能力を言い換えるなら、法廷にあって、被告人がどこまで自分の身を守ることができるか、という能力のことである。

右の応答を読まれた方は、どう思われるであろうか。

 もう一つ指摘しておきたいことは、この公判が正式な刑事裁判としての手続き以前の段階にある、ということである。通常は検察官の冒頭陳述のあと、証拠申請などの冒頭手続きに入り、被告人の起訴事実の認否と進行していくが、それ以前の段階で、弁護の被告人質問がなされている。この被告人質問は、起訴事実のもととなる供述調書にまずは重大な疑義があること、罪状認否の段階でNさんが「はい」と答えてしまえば、それが裁判上の「自白」となり、あとの弁護がたいへんに難しくなる、という弁護側の訴えを裁判所が認めたがゆえである。したがってこの第二回目の公判にあっても、検察官による冒頭陳述はまだ始まっていないのである。

 これはたいへんに異例なケースであるが、なぜ弁護人の訴えを裁判所が認めるところとなったか。言うまでもなく裁判所も、被告となったNさんの「訴訟能力」に疑義を感じたからである。事実この公判の後、裁判所は公判停止を言い渡し、弁護側が訴えていた訴訟能力を中心とした精神鑑定を認めることとなった。付記するならば2005年の6月14日に「中度精神遅滞を伴う小児自閉症を有し、コミュニケー障害も併せ持っており、訴訟能力を欠いている」という鑑定結果が出され、8月10日の公判でこれを受け入れる判断が、裁判所より示された。これがおおよそのあらましである。

 以上の公判での様子や裁判所の判断などから、この事件の「被告人」となったNさんの障害の状態の、おおよそのところは推測していただけるかと思う。

●なぜ「重大事件」のごとく報じられたのか――タブーとスケープゴート

 ではこの事件がなぜ、「連続暴行事件」として全国に報じられることとなったか、という点について触れなくてはならないのだが、その前に以下のことを確認しておきたい。

本事案は傷害事件ではなく、被害者のいない単純暴行事件である。起訴されたのも一件だけである(2005年8月10日の公判で、検察官は別件で追起訴する意向を示したが)。「暴行」という名がつくとはいえ、Nさんの行為は「グーでコッツン」したもので、その「グー」もいわゆるストレートパンチではない。振り下ろすようにして、小指下の部分で叩いたものである。被害届も出されていない。そのような事件である。(ただしNさんは、この10年間に同種の事件を3度起しており、1度目は執行猶予つきの実刑判決、2度目3度目は不起訴処分となっていることは加えておこう)。

以下、取材や報道をもとに、この事件を取り巻く「外形」を分析してみる。

〈1〉地域におけるNさんの存在

・彼は知的な遅れと自閉性の障害をもち、「わけの分からないことをぶつぶつ言う」人間であると受け止められていた。しかし半面、ときに虐められたりからかわれたりしながらも、子どもたちにとっては「ヤッホーおじさん」として「地元の有名人」だった。また自転車を乗り回し、あちこちに出没していた。
・しかも彼には前歴があった。やはり「暴行事件」でこれまでに三度逮捕されている。この事実が地元住民にどこまで知られていたかは確認していないが、まったく知らなかったとは考えにくいし、警察にとっても「顔馴染み」だった。

〈2〉「事件化」する下地をつくった出来事

・怪我などの被害はなかったが、くり返されることで、学校関係者や保護者に大きな不安を与えることとなった。地元住民は自警団をつくってパトロールしていたというし、学校側も、注意を呼びかける文書の配布したり、下校指導を強めていた。また警察への巡回強化を求めるなど、そうとうに神経質になっていただろうと推測される。

・この時期、子どもたちをめぐるあちこちで事件が相次いでおり、その社会不安を背景に、周辺住民の直接の危惧が、さらにそこに加わることとなった。不安が一気に加速しただろうことが推測される。

・「便乗被害者」が現われた。学校嫌いの「便乗被害者」が、その後ろめたさの度合いに応じて、どのように被害を伝えるかはたやすく想像できる。

・模倣犯が現われた。一月二八日の事件のあと二月五日以降、緊急避難的に、ある施設にて二四時間のデイ・ケアを受けている。この間、類似事件が起こっているが―二月五日の事件は模倣犯の疑いが濃い。

〈3〉警察の対応

・二月二四日に報じられた逮捕は一月二八日の事件の容疑であり、現行犯逮捕ではない。しかも被害届は被害者の保護者が直接出したものではなく、事件の二日後、警察が聞きとりをして代理作成したものである。

今回の事案は家族や福祉関係者が出向いて一言詫びれば済むような「事件」(というよりも「トラブル」)である。つまりはちょっとした「トラブル」がいくつかの条件のもとに拡大し、増幅され、さらにマスコミ報道によって事件化することで「連続暴行事件」となった。そのようなプロセスを、ここには見ることができるのである。

もう一度、最初の報道記事をご覧になっていただきたい。これらは当然ながらまったくの「誤報」ではない。「捏造」もない。しかし少しばかり取材をした私の眼から見ても、不正確な記事であることは一目瞭然である。この不正確さは、当局の発表をそのまま記事とし、自力取材をほとんどしない現行の報道体制のあり方に問題があることは言うまでもない。「障害者」の問題に対する、記事の書き手の無関心や無知という事情もあるだろう。

しかし、次のことは指しておかなくてはならない。背後に増幅するいくつかの条件があったとはいえ、ちょっとしたトラブルを「連続暴行事件」というかたちで重大事件に仕立てたのは、結果的にはマスコミである。いわば、自らが煽り立ててきた結末が、最初に掲げた報道記事である。つまりNさんは近隣地域の不安解消のために、スケープゴートとなった側面が強く伺われるのである。このメカニズムは、タブー視するメカニズムとじつは同根である。

私は、知的障害をもつ人の事件であると書き立てろ、と言いたいのでも、記事にするな、と言いたいのでもない。もしほんとうに障害をもつ人のプライバシーや人権に配慮するのであれば、「暴行容疑」の内容もつかんでから記事にすべきではないか、という当たり前のことを言いたいのだが、しかし問題は、その当たり前のことがこれまでなされてこなかったのはなぜかということなのである。

私が「触法の障害者」の問題がタブー視されることに異を唱え続けているのは、いつ、いかなるときに、タブー視する姿勢がスケープゴートをつくり上げる力となるか、それを知ればこそである。「人権やプライバシーへの配慮」という名目での障害に対するタブー視は、ことが我が身に迫れば、いつでもスケープゴートをつくり上げる。この事件とその報道は、そのメカニズムをよく示している。

 「所沢事件」には、まだまだ触れなくてはならない多くの問題が控えているが、この点が私にとっての「入り口」である。

『自閉症裁判』文庫版あとがき


『自閉症裁判』とは、2001年に東京の浅草で起きた、短大刺殺事件を取材したものである。加害者の男は当時29歳。レッサーパンダ帽の縫いぐるみの帽子をかぶりコートを羽織っており、「レッサーパンダ事件」とも「浅草事件」とも呼ばれていた。「あとがき」はすでに10年も前のものであるが、事件を知らない人がずいぶんと多くなっており、少しでも風化を防ぎたいという目的のもと、ここに再録する。


文庫版のためのあとがき

本書は私にとって初めてのノンフィクション作品である。それまでにも何冊か著作を世に送り出してきてはいたが、事件の「取材」をし、それをまとめていくというスタイルの仕事はしたことがなかった。当時、だからこの事件について書きたいとは決めたけれども、何をどう取材すればよいのか、皆目見当がつかなかった。とにかく裁判に顔を出すことから始めようと、初公判のさいに東京地裁まで出かけていき、傍聴希望者の多さに呆然となった経緯は本書にも記してある。

ともあれ、以降、おぼつかない足取りの取材が始まっていくのだが、さまざまな人や情報に触れていくにつれ、今度は別の問いに悩まされるようになった。一つは、取材というものは数を重ねれば重ねるほど、ある出来事についての証言(解釈)が複数出現する。裏を取るために始めた取材が裏取りにはならず、結局、異なる解釈世界へと連れ出され、終りというものが見えなくなっていく。ドキュメント作品に対する自分なりの方法と認識をもたないままでは、情報を並べたレポート程度の文章にしかならない。それではこの事件の複雑な背景を描くことはできない。ではどうしたらよいのか。

もう一つは、いくらノンフィクションとは言え、調べ上げたことのすべてを書くわけにはいかない、どこまでなら書くことが許されるのか、という問いであった。本書の事件を解き明かす「鍵」となる情報さえ、そのいくつかは筆を抑えなければならなかった。とくに加害者の家族や友人・知人に関しては、どこまでなら許されるのか、どこからは書いてはならないか、ぎりぎりの選択を迫られたように思う。遠慮なくすべてを描き切ることができれば作品世界はもっと凄味と深みを増すはずだし、事件の全体を知るための資料としてもそれは必要なことではないか、という(もうほとんど悪魔の囁きにも似た)誘惑は絶えることはなかった。しかしできなかった。

思うところのすべてを書き切るには勇気と決断がいる。書いたことの一切が自分自身に帰ってくるし、多くの人間を(ときには社会全体をも)傷つけ、敵に回すかもしれない。同じように、書かないことにも勇気と決断がいる。そのときの敵がだれかといえば、つまらぬ虚栄にうつつを抜かそうとしている自分自身だ。それにしても、書かないことにも勇気がいるなどと、これまでには考えてみたこともなかった。――今回、文庫版のためのゲラ原稿を読み返しながら、こんなふうにして逡巡したり、清水の舞台から飛び降りるつもりで腹を決めたりしてパソコンに向かっていた当時のことを、久しぶりに思い起こした。

私にとって本書とは何だったのか。ドキュメント作品とは取材対象との絶えざる対話であり、取材の方法、情報の取捨選択、作品の構成などなど、その一つ一つが書き手自身の生き方や世界観であるという事実を、身をもって学んだことが最大の収穫だったと思う。

 *

 いろいろなことが思い起こされるなか、悩みながらも結局書くことを控えたことの一つにこんなことがあった(すでに弁護人がある著作のなかで公開しているので、もう書いても許されるだろう)。私は当初、冒頭に、次のようなパラグラフを用意していた.

彼は不意にソーニャの言葉を思い出したのである。
《十字路へ行って、みんなにお辞儀をして、大地に接吻しなさい。だってあなたは大地に対しても罪を犯したんですもの。それから世間の人々に向って大声で、〈私は人殺しです!〉と言いなさい》彼はこの言葉を思い出すと、わなわなとふるえだした。(後略)
(ドストエフスキー全集8『罪と罰』工藤精一郎訳・新潮社)

 主人公ラスコーリニコフが人を殺した事実をソーニャに明かし、ソーニャがラスコーリニコフに投げつけた言葉を思い起こすシーンである。ここからラスコーリニコフは「改心=回心」の方へと一歩踏み出していくことになり、いわば、作品において重要な転回点となっている場面である。

 本書の事件において犯人となった青年にも、拘置所において、じつは一人の女性との出会いがあった。二人の間で文通が始まり、やがて獄中での結婚を望むようになる。彼の裁判における供述証言は大きく変容していくのだが、その背後にはこの女性の存在があった。私は文中、ところどころでその事実を匂わせている。しかしさまざまな事情を考慮し、記述することは控えた。せめてパラグラフだけでも残そうかとも考えたが、それも放棄した。本書は文学作品ではない。傷ましい事件を題材としたドキュメントである。基本となる条件がまったく異なる。両者を無闇に混同することは私の感傷以外のなにものでもない。――最後はそう考えた。本書の三一九ページに「大地に対して罪を犯した人間である」というフレーズが前触れもなく出てくるのは、その名残である。いずれにしても本書は、(心意気だけは)、ラスコーリニコフのような「罪と罰」をめぐる苦悶や葛藤が不可能となった現代の『罪と罰』であり、私の脳裏には書かれざるアナザーストーリーがあったのである。

 本書以降、「刑事事件の加害者となる知的・発達障害者」という社会的課題は、広く人々の関心を集めるようになった。二〇〇七年には法務省が「刑事施設、少年院における知的障害者の実態調査について」という情報を初めて公開したし、一部の刑事施設を、ただ刑罰を科すだけの場所ではなく、社会復帰のスキルを身につけるトレーニングセンターにしようという動きも活発化してきた。大手メディアの記者やテレビディレクターたちが、こうしたテーマを取り上げてくれる機会も増えた。私の仕事がどこまで役に立ったかは分からないが、ひとまずは、最初の役割は果たし終えたのではないかと思っている。

しかし裁判員裁判が始まろうとしている今、ここで立ち止まっているわけにはいかないようだ。この問題については改めて仕切り直す必要がある、と強く感じている次第だ。



 文庫化にあたって、畏敬するノンフィクション作家の最相葉月さんが、すばらしい「解説」を書いてくださった。また朝日文庫編集部の河田真果さんのこまやかで隙のない編集作業に助けられて、刊行に至ることができた。装丁は間村俊一さんによる。お三方には心より感謝を申したい。

 最後になるが、本書に登場する共生舎の岩渕進さんが、〇八年の春に突然逝去された。私の本はいつも墓碑銘のようになってしまうが、本書を岩渕さんに捧げたいと思う。

二〇〇八年九月
                               佐 藤 幹 夫

新幹線殺人事件と「津久井やまゆり園事件」(後)

3.二つの事件を比較してみる
(飢餓陣営47号より転載)


情報は確定的ではないのだが、この新幹線事件と津久井やまゆり園事件とを、あえて比較してみたい。

(事件の意図)
どちらもともに、無差別の大量殺傷を狙った事件である。ただし植松被告については、「重度の知的障害者を選んで刺した」と言った。「声かけをして意思確認をした、返事のできない人選んだ」とも報じられたし、自分が直接担当したことのある利用者には手を下さなかったともいう。このあたりの事情は錯綜している。

「あの短時間で、声を掛けて返事ができるかどうか意思確認し、どこまで重度かを確認できるはずがない。なぜあんなことを言ったのか、植松の言葉の真偽は分からない」、と本誌のインタビュー取材で述べたのは平野泰史氏である。身近にいた人(ご子息がやまゆり園にこの5月まで入園していた―後註)ならではの着眼だと思う。

植松被告はまた事件前、「重度の障害者という存在してはいけない人々を、自分は抹殺することができる」といい、やまゆり園関連の施設の「全利用者の命を奪う用意がある」と首相あての手紙を書いた。「重度障害者」にこだわりがあり、「心失者」などという言葉を使って説明しているようだが、事後的な説明、後知恵なのではないかという疑いが消せない。

事件直後のブログで書いたように、元々は自身の支援技術の拙さから始まったことだ。そこに、後知恵的に様々な言葉が用意されていった。警察・検察の調べや、鑑定の際の医師の質問など、同じ問いは数限りなく繰り返されただろう。何度も答えているうちに、そうかこれが「優生思想」というものかと学習していった。さらに「優生思想だ」「ヘイトクライムだ」とメディアが大騒ぎしてくれるから、以前から自分は優生思想の持ち主だったのだと、さらに強い自己合理化がなされていった。

そんな道筋だったのではないかというのが、私の思い描くところだ。はじめは自分のヘボな支援技術から生じた利用者との軋轢だろう。「知的障害者」くらいなんとでもなる、と舐め切っていたところにとんでもないしっぺ返しを食らった、プライドがズタズタになった、怒りと憎悪が溜めこまれた。彼自身の気質(本誌、山田和夫医師のインタビューを参照)、生育歴や人間関係、大麻など薬物の影響、その他様々な要因(薬物をめぐって裏社会ともつながりがあったと言われる)が、実行へと突き動かしていった。そういうことではなかったのか。

一方、小島容疑者は新幹線車内の乗客ならば「誰でもよかった」。まさに無差別である。自らの命の危険も省みずに止めに入ってくれた男性がいなければ、最悪の場合、さらに大量の死傷者を出していた可能性がある。小島容疑者にとって「存在してはいけない」のは我が身である。その小島容疑者が、まったく無関係で何の落ち度もない、「存在していなくてはならない」人々に襲い掛かった。小島容疑者のノートの全文は公開されていないが、自身への呪詛や憎悪を(それを「内省」という言葉で呼ぶのはふさわしいことではないだろう)、向け続けていた。妄想、被害感情、世間にたいする憎悪が頭の中でとぐろを巻いていた。凶行はその果てのことだった。

(生育歴・家族史など)
植松被告の両親は、メディアの前に一切登場していない。私の知る限りでは、謝罪はおろか、社会への発信は皆無である。もう一方の小島容疑者の家族が、事件直後にテレビカメラの前に立ったことは、すでに書いた通りだ。この両極の対応は、すでにそれぞれの「親子関係・家族関係」の何ごとかを語っていないか。植松被告は、はっきりとは言語化(意識化)されていないが、小島容疑者同様に(あるいはそれ以上に)、両親との愛着的な関係が断たれていた。大学生になって両親を家から追い出したということが、唯一伝えられる家族関係のエピソードである。小島容疑者は両親から追い出され、上松被告は両親に捨てられた。

(実行場所について)
凶行の場所となったのは、一方は「障害者施設」内。もう一方は新幹線車内。

「障害者施設」では、「地域交流」などの名目で様々な交流活動に取り組まれることが多い。とはいえ、基本的には終生続く「閉ざされた空間」である。「期限なき収容の場」とも言われる。場合によっては保護者の見学さえ認めない施設もある。施設の密室性は、密室の度合いに応じて暴力と虐待の温床となる。一見すると「障害者施設」の運営は、経済繁栄とは対極の存在のように見える。清潔で完璧に整えられた「施設」がつくられたとしても、それが豊かさの象徴として誇られることはない。むしろ膨大化する社会保障費は、日本経済の体力を奪う最大の要因と見なされている。

とはいえこれらは表向きの顔であり、裏でビッグマネーが動いていることは周知の事実である。一部社会福祉法人など経営母体の収益は膨大なものがあり、巨大法人ともなれば、すさまじい利権構造を張りめぐらせている(このあたりの事情については、本誌高橋紘士氏のインタビューを参照)。貧困ビジネスのようなアンダーグラウンド・ビジネスも、福祉・介護の名の下で横行しており、福祉予算の何%かが貧困ビジネスに消えていくとも囁かれる。

いわば「福祉施設」は、大きく異なる表の顔と裏の顔をもち(もちろんすべての「福祉施設」がそうだとはいわないが)、植松被告は裏の顔の一部だけを見てそれが全体だと思い込んだ。やまゆり園の利用者たちが「死んだ眼をしてただ寝かされているだけ」であるとしたら、そのような非人道的で劣悪な環境を、なぜ改善しようとは考えずに、「そんな環境に置かれている利用者たちなどいない方がいい」と考えてしまったのか。

くり返すが、なぜ少しでも良い環境を自分(たち)の努力で作ろうとは考えず、劣悪な暮らしを余儀なくされている利用者へ悪意と憎悪を向けていったのか。このことは事件以来、私の頭から去らない問いである。しかしまた、植松被告の行為は、福祉に従事する人間に(私のようなものも含めて)、激しい衝撃を残した(これがどれほどのものだったかは、インタビューさせていただいた全員にその痕跡が現れている。世間やメディアで風化しても、福祉関係者は忘れてはいない、という趣旨の発言を石渡和実氏はしている。本誌インタビュー)。

恐らくその衝撃のなかには、「戦後の福祉とは何だったのか」、「私たちは「良き福祉を」という名の下で、いったい何をしてきたのか」という自らへの問いが含まれている。

小島容疑者は、なぜ新幹線を実行の場所として選んだのだろうか。事件の一報を聞いた後、真っ先にこのことが頭に浮かんできた。

新幹線は高速で移動する密室である。移動する間、避難できる場所は限定される。新幹線全体が加害者の手に渡り、人命、車両ともにコントロールされる危険も十分に考えられた。転覆などという事態に至れば、被害はケタ違いに膨れ上がっただろう。

また、「新幹線」とは立ち止まることが許されず、走り続けなければならない日本国経済のシンボルである。事件直後から、新幹線の安全性の確保が喫緊の課題だと報じられているように、セキュリティはきわめて緩い。逆にこの緩さが、最短の時間で、最大の乗客輸送を可能にしている。このことから、最大限の生産効率を維持するために、乗客の安全が犠牲になっているという批判が〝専門家〟から出されていた。ただし事故はこれまで(自殺者が出るまで)ほぼ皆無、と言ってよいほどの安全性を誇っていた。過密ダイヤルの維持に関し、運転技術に関し、安全なシステムを作り上げ、日本の交通網のもっとも重要な存在だった。

象徴的に言えば、小島容疑者は日本の経済繁栄と、世界に誇れる安全性をもつ(と考えられていた)東海道新幹線を、最悪の方法で棄損した。そのセキュリティが、この上なく脆弱なものであることを世界に発信せしめた。

交通・輸送ライン、金融ライン、情報・通信ライン、エネルギーラインは、国の死活問題を握るインフラ網である。それを破綻に導きかねない行為は、国家に対する最大の侵害行為だと見なされてもおかしくない。新幹線での事件は人命が奪われたという重大性に加え、日本国が威信にかけて維持してきた交通インフラを破綻させかけたという意味で、きわめて深刻な事件である。小島容疑者の犯行には政治的意図は皆無のようだが、しかし、新幹線を選んだのが偶然ではなく、なにかしらの事情があったのだとすれば、その悪意はすさまじく大きなものとなる。

(被害者)
さらに、被害者となった方がたはどうか。
やまゆり園事件の被害者の方々は、死後生きていた証はおろか、名前さえ隠されなければならない存在だった。家族や親族からもそして世間からも、誕生や生存が喜ばれていない存在だった。共生社会だとかインクルージョンだとか言われる昨今、そんな事実が存在することを、改めて、いやというほど示して見せた。

さらに、最近あちこちから訴追を求める声が上がっているように、彼らの一部には旧「優生保護法」のもと、つい近年まで「強制不妊治療」という蛮行が強いられてきた。「生きる」や「生存する」という人間としてのもっとも基本的条件の保障さえ、いつなんどきで奪われかねない存在でもあった。いってみれば、少しずつ勝ち取ってきたはずの「人間としてのメンバーシップ」を、一端何事かが起これば、すぐでも全否定されかねないような、そんな存在だった。

一方の新幹線の乗客はどうか。多くが経済活動を前線で担う人々であり、観光収益に多大な貢献をもたらす人々、いわば消費活動の担い手といっていい人々である。「誰でもよかった」は、実は「誰もよかった」のではなく、〝普通〟に働いて〝普通〟に生きる市民、言い換えれば、加害者から見れば自分が求めて得られないものを体現している「普通の人々」だった。そのような人々に、襲い掛かった。この意味でも、小島容疑者による事件を「人生格差殺人」と呼ぶことにはリアリティがある。

述べてきたように、新幹線でのケースは事件の一つの類型を作ってきた。いわば既視感の強い事件である。ところが、津久井やまゆり園事件は多くの点で特異である。「ある特性をもつ人々を、ある明確な理由で全否定し、無差別に命を奪おうとする。そのことによって自分(たち)の存在を誇り、その行為は社会を資するものだと強くアピールをする」。このような事件を平成史のなかに探せば、オウム真理教のサリン・テロくらいしか思いつかない。

オウム教団が、自らの正統性を強弁するために用いたのが、「ポアの思想」であった。簡単にいえば、自分たちは悟りのステージに達した解脱者集団である、いまだ悟りの境地を得ることができない衆生は(要するに一般市民のことだ)、一度生命を奪う必要がある、それが解脱を得るきっかけになるからだ。この行為をポアといい、従ってポアは、衆生に功徳を施すことである。そして解脱者たちによって新しい国を作る。――そのような妄想ともいうべき転倒した考え方だった(ただし一部の宗教は、ときにこうした狂信的理念を示す)。サリンによる襲撃は、宗教テロであるとともに、政治的意図を持ったテロリズムだった。

つまりは津久井やまゆり園事件も、個人的怨嗟にとどまらない要因を虚構しなければ、起こり得なかった(本誌で堀利和氏が植松被告の手紙を分析し、論理が三段階に飛躍している、最後に「革命」というロジックを手にしたことで実行を可能にした、と分析しているが、これは正鵠を得ている)。

オウム真理教はテロリズムを押し進めることで国家転覆を狙ったが、植松被告は、「重度の障害」をもつ人々の命を奪うことは社会の発展に資することだ、自分にはその用意がある、と首相に宛てて決意表明の手紙を届けようとした。つまりその行動には政治的な意図があったということになる。彼はそれを自分の「政治的使命」だと思いなした。単に差別的・優性的な考えを実行したことに加え、「政治使命」として実行したことがこの事件の大きな特徴であり、不気味さを増幅させている。

おわりに‐津久井やまゆり園事件と「優生思想」

ここまで、できるだけ「優生思想」という言葉に頼らずに記述してきたが、いわゆる優生思想や優生学が一筋縄でいかないことは、『優生学と人間社会』(米本昌平・市野川容孝・松原洋子・橳島次郎著、講談社現代新書)に詳述されている。私が特に蒙を開かれたところを選んで引いてみる。

「今日、少なからぬ人が、優生学は、戦争に向けた富国強兵策の一つであると考え、またその視座から優生学を批判する。そういう事実が全くなかったわけではないが、しかし、この見方は今世紀の優生学のかなりの部分を逆に見えなくさせる」(市野川「ドイツ―優生学はナチズムか?」)

「往々にして、優生学、安楽死計画、そしてホロコーストは、ナチスという悪のメルティング・ポストのなかで十把一絡げに論じられる。しかし、優生学の論理は安楽死計画のそれから、また安楽死計画の論理はホロコーストのそれから、それぞれ微妙に異なっている。優生学と安楽死の違いはすでに述べたが、安楽死計画もまた、少なくとも「殺す側の論理」からすれば、ユダヤ人絶滅をもくろんだホロコーストからずれていた」(同)

市野川によれば、レンツという優生学者は、安楽死法制化の準備作業に加わったが、優生学の見地から安楽死を正当化することはなかった、彼は「不治の病にある患者を苦痛から解放するという〝人道的見地〟からのみ、安楽死を合法化することにこだわった」。これが「優生学と安楽死計画の違い」の中身である。さらに、先進的福祉国家であると世界的に認められていたスウェーデンなどの北欧でも、「胎児法」他、優生学的中絶を認める法律を持ち、機能していたこと。つまりは福祉を充実させることが、優生思想の歯止めとは必ずしもならないこと。むしろ福祉と優生思想は、ときに強い親和性を見せるともいう。

さらにフランスでは、「より良い子ども」を生み、育てるという「育児学」に優性思想が含まれていた。そして「良き子を!」という願いが医学的にも科学的にも到達した地点が、現在の出生前診断技術である。「一九六〇年代末の羊水検査を皮切りに、繊毛生研、超音波診断、母体血清マーカー検査といったさまざまな出生前診断技術が世界的規模で実施されるようになったとき、優生学は新たな局面に入っていった」という指摘。あるいは戦争は「心身の優秀な人間ほど優れた兵士として戦死する「逆淘汰」であるなど、「優生思想」という言葉は、もっと吟味し、その上で使わなくてはならないのではないかと感じてきた。もう一つ、「ヒトラーが降りてきた」という言葉が事後的なものだった、と篠田博之は『創』で述べているが、同じように、「優生思想」という言葉も、植松被告は実行以後知ったのではないか。既述したように順番は逆で、後着けではないか。――それやこれやの事情が、この言葉を使うことを禁欲させてきたのだった。

ここまで二つの事件を比較して〝論評〟する、などという愚かしいような作業を続けきたのは、津久井やまゆり園の事件の特異性を自分なりに確かめたかったことによる。そしてもうひとつ、亡くなった方、傷を負った方への哀悼の意に欠けているのではないかと感じられたかもしれない。しかし、この事件を忘れ、風化させてしまうことの意味は想像以上のものがある。それもまたこの事件の特異性の一つである。

[付記]
ここまで書いていた六月二一日、植松被告の手記を含むやまゆり園関係の出版が予定されている、という報道が流れた。翌朝のSNSでは、賛否含めて様々な意見が盛り上がっていた。版元の創出版の篠田氏が、批判に応えるようにブログで自説を公開した。ちょっとした騒ぎになっているが、本誌刊行の頃に世論がどうなっているか予測は難しい。しかし、「なぜ事件は忘れられるのか」という趣旨はそのまま残した。

ちなみに、私は「絶対反対」ではない。あえて言えば条件つき賛成である。被害者への事前連絡などの調整(まず賛成はされないだろうが)、本人の書いたものに複数の解説をつける。『絶歌』とは事情が違い、今回は公判前で事実が確定されていない段階での出版であるが、しかし出版を自身の裁判闘争の手段としたという永山則夫の前例があるので、これは反対理由とはなりにくい。あとは内容がどんなものかということ。『絶歌』はこの点で良しとはできなかった。詳しくは『飢餓陣営せれくしょん3 セラピーとはなにか』所収の「佐世保の事件と『絶歌』を読む」を参照していただきたい。

「津久井やまゆり園事件」と新幹線殺人事件(前)

「津久井やまゆり園事件」と新幹線殺人事件(前)――「飢餓陣営47号」より転載
佐藤幹夫


  「私たちの国は事件を記憶しない。
        だから同じ過ちを繰り返す」(森達也)


はじめに

三回目の七月二六日が近づいてくるにつれて、メディアからは、津久井やまゆり園事件について、少しずつ情報が流され始めている。しかしつい先日まで、マスメディアも社会も、そして識者たちも、事件への関心をなくしていると「津久井やまゆり事件を考え続ける会」(以下、考え続ける会)の会合のたびに嘆く声が出された。ほんとうに私たちの国は、忘れるのが早い。

つい一〇日ほど前の新幹線殺人事件のことさえもが、すでにメディからは後景化している。発達障害とか知的障害、自閉性スペクトラム障害、パーソナリティディスオーダーといった精神医療がらみのケースだから尻込みを感じるのだろうが、しかし直視することを拒み、忘れたふりを続けていくことは、必ずや次の「差別・偏見」につながっていく。それは、この二〇数年の間、事件取材を続け、何をここから教訓とするのかと問いかけてきた身にすれば、ひときわ痛感されることだ。

徒労感はしこりのように残るが、こうした現状に異議申し立てを込め、本稿を記していきたいと思う。特集企画の意図はまさに、「なぜ私たちの国は事件を記憶しないのか。だから同じ過ちを繰り返す」である。まずは、事件六日後に書いたブログの文章を転載する。

【相模原の事件から】
 
相模原の事件から一週間ほど過ぎました。
衝撃が大きくて何も考えられない状態が続いていたのですが、いまの時点で、考えられる限りのことを書き留めておこうと思います。

「学際的な専門家チームをつくって、深く掘り下げた解明を!」という意見も出ており、もっともですが、ここではそういう大上段から入るのではなく、もう少し身近なところから考えていきたいと思います。

そこにこそ、見逃せない問題の本質がある、と考えるからです。重大で、衝撃的な事件であればあるほど、身の回りのことから見つめ直していきたい。これは一五年ほど事件取材をしてきた私の、経験則です。

報道では、「重度重複障害者をねらった」といい、彼らは「意思疎通ができず、何を言っても分からないし、何を言っているのかも分からない」とも言っていたといいます。そんな人間は、「生きていても、家族を疲弊させるだけだから、死んだ方がいい」、という発言もあったともいう。

この報道を最初に目にしたとき、施設の支援職員として働くことを希望した人間が、こんな考えを、最初からもっていたのだろうか。途中から、こんな考えをもつようになっていたのだろうか。

被害を受けた方々や家族の無念さに突き動かされるなかで、まず、こんな疑問が湧いてきました。

どんなに「重度の重複障害」をもつ人々でも、「まったく意思疎通ができない」とか、交流ができないということは、あるのでしょうか。五年、一〇年、二〇年、付き合ってきた親御さんたちは、「まったく意思疎通ができない」と感じているでしょうか。あるいは施設職員たち。まったくの意思疎通もできず、感情交流さえもない、と日々感じながら、障害を持った人たちと過ごしているのでしょうか。

私には、信じられません。

どんなに言葉がなくて、重度のひとにあっても、まったく交流が成り立たない、などということはありえない。

表情が柔らかだから今日は機嫌がいいようだとか、体調がよさそうだとか、目が少しきついから、きょうは怒っているのだろうかとか、どこか体調不良なのかとか、表情、しぐさ、行動の様子などの様々なシグナルから、彼らの感情や意思を受け取り、声をかけ、関わっていく。

そういうやりとりをくりかえし、援助職員ひとりひとりの、それぞれのやり方で、意思疎通(らしき交流)をしたり、感情交流(気持の通いあい)をしたりして、日常の、様ざまな身辺活動(食事、入浴、排泄、着替えなど)や、散歩や、レクリエーションが、なされていくはずです。

かならずそこに、交流は生まれます。

援助する側の姿勢がつくられ、援助技術が上がるにつれて、交流は深まっていく。

だから、植松容疑者には、「意思疎通のできない人間たち」「何もできない人間」としか受けとめられなかったかもしれませんが、それはむしろ、植松容疑者自身の問題です。

つまりは、「障害をもつ人たちとの、感情交流」という、支援職員として、まずは身に付けるべき職業的スキルを、ついにもてなかった、もとうとしなかった、ということを示していると思います。けっして「障害」をもつひとたちが、「何もできない」から、ではないのです。

犯行にいたる事実関係は、あくまでも報道によるものですが、仕事に就いて間もなく、「思い通りにならない、腹が立つ」と考え、「こんな生きていても役に立たない人間は、死んだ方がいい」と考えるようになった、といいます。

こうした〝優生思想〟をどの時点で持つようになったか、現時点で詳しいことは分かりません。

いつ、なぜ、どんなふうに、こんな考えをもつようになったのか、というその解明が、今回の事件の最大のポイントではないかと、私は考えているのですが、ひょっとしたら、やまゆり園での仕事に就き始めた当初は、「障害」をもつ人たちと、うまくかかわれるんじゃないか、自分にも何かできるんじゃないか、そう考えていた可能性が、皆無ではないような気がします。

ところが、それが、まったく歯が立たなかった。なにをやっても、先輩職員のようにはできない。こんなはずじゃない、と思えば思うほど、交流がうまくできなくなっていく。そしてやがて怒りに変わってくる。
 なぜうまくできないのか。

「自分の思い通りにならない」から。
言い換えれば「自分の思い通りにできる(はずだ)」と考え、「(~~をしなさい、~をしなさい、と)思い通りにすること」が、支援というものであり、自分の仕事だと、思いこんでいた節があるからです。

障害を持つ人への支援とは「こうしなければならない」、という信念をもってそれを実行すること、悪く言えば初心者にありがちな間違った思い込みを、訂正できなかった。そして、ますます負のスパイラルに落ち込んでいく。
どんなに重度の「重複障害者」と呼ばれる人であろうと、自分の好き嫌いがあります。この人(援助者)は嫌いだ、合わないと思えば、ますます「思い通り」にならなくなります。「知的障害者だ」などとみくびっていたら、とんでもないしっぺ返しを食らいます。

相手が何をしてほしいか、そのことを丁寧に探りながら、確かめながら、やり取りを繰り返していく。その地道な作業が、いわゆる「支援」とか「援助」とか呼ばれる行為だ、ということを、植松容疑者は、ついに気づくことができなかった。

そこに最初の不幸があったのではないでしょうか。思い通りならないストレスが、どんどん溜まり、そのいら立ちが怒りになり、ほんとうは自分自身にたいするいら立ちや怒りのはずなのに、それが相手のせいにされ、障害をもつ人たちに向けられていった。おそらく植松容疑者は、いたくプライドを傷つけられたはずです。「なぜ、障害者に自分がバカにされなくてはならないのか」とも感じたはずです。

このことが、あれほどの多くの人たちの命を奪う、という行為に直接つながっていくわけではないにしても、大きな要因だったのではないでしょうか。

措置入院の制度の見直し云々、などという方向でこの事件が語られていますが、そんな問題なのですか。

施設の管理職や、法人を経営する人、施設運営を指導する行政の人にお願いです。
現場の支援職員の人たちが、せめて、孤立という迷路のなかで仕事をする、といったことのないような、職場環境を作ってください。うまくできなかったらいつでも相談できる、アドバイスを受けることができる、そんな人間関係の職場にしてください。

もうひとつは、支援スキルをしっかりと身につけ、上達していけるような勉強(研修)の機会を、必ずつくってください。腕が未熟なままノルマだけは増えていく、拘束される時間だけが増えていく、というのでは、人を支援する、ケアするという職員にあっては、ひとたまりもないと思います。

人員不足が解消できない、給料を上げようにも予算が足りない。過酷な条件のなかで運営を強いられていることは、重々承知です。もちろん、好条件のなかで仕事ができるようにしてほしい、と切に願ってはいるのですが、それが難しいのであればこその、お願いです。

精神的なゆとりを奪わない、自分は支えられているという実感がもてる、当たり前のことですが、この二つの条件が、とても重要になります。

(これは、高齢者の介護施設でも同じです)。職員同士の横のつながりと、自由に意見交換ができる(孤立しない)職場環境を。支援技術、支援論などについての、スキルの向上の機会をつくる。この二つならば、明日からでもできるはずです。

このことが、あのような「戦後最悪」といわれる事件の解明に直接役に立つとは、私自身も考えてはいませんが、支援現場をどうよいものにするか。このことを、様ざまな立場の人たちが考えることは、少なくとも措置入院制度の見直しを、などという意見よりも有益ではないでしょうか。
 まずは、こんなことを書き留めておきたくなりました。
【引用ここまで】

これが、事件直後、私の考えたことの一部である。書いているように、事件には激しい衝撃を受けたのだが、しかしこの加害者に何ごとかを反論をしなければと絞り出したのが、右の文章であった。


1.なぜ事件は忘れられるのか――森達也、かく語りき

『創』七月号(二〇一八年)を読んでいたら、「極私的メディア論 新潟女児殺害事件」で、森達也が次のようなことを書いていた。

殺人事件の死者は一九五四年をピークに減少を続け、平成二八年度の認知件数(警察が受理した数)は八九五件、実際に殺害された人の数は三三八人で、今年も「戦後最低」を記録した。一方、同年の水難事故は一五〇五件、死者・行方不明者は八一六人。交通事故による死者は三九〇四人。水難事故は殺人事件の二倍以上、交通事故は十倍の人が亡くなっている。しかし事故は、殺人事件のように大きなニュースにはならない。なぜか。森はそう問いかけて、次のように書く。

「やはり答えは簡単だ。憎むべき犯人がいないから。/つまりニュースになるかならないかの判断は、憎むべき対象がいるかいないかにによって、大きく左右されている。/(略)/多くの人が関心を示せば大きなニュースになる。多くの人が関心を示さないのならニュースは消える。これを言い換えれば、ニュースの価値は市場が決める。」

森はテレビの世界に長くいたので、「報道のメカニズムや都合や裏の事情も、「ある程度は」分かっているつもりだ」とも書く。私(佐藤)はテレビや新聞などマスメディアの世界に身を置いたことはないが、それでも、(それなりに)理解しているつもりだ。

ここから森の話題は、自身の作品「FAKE」がオランダのロッテルダムで上映された時のことに移っていく。現地に到着し、部屋でテレビを見ていると、ゴールデンタイムであっても、日本のようなバラエティー番組はない、流されるのは報道番組かディベート番組であり、あとはドラマだという。もちろん民放局である。

「FAKE」上映後のティーチインで、森は現地の人たちに日本のテレビ番組について尋ねられた。なぜ影響力の強いテレビが、あのように一方的に個人を追いつめるのか。揶揄したり笑いものにできるのか。森は答えた。「視聴率が取れるからです」。すると多くのオランダ人が、肩をすくめたり、ため息をついて見せた。「日本人はそういう残酷なショーが好きなのですね」、とつぶやく中年女性もいた。そして森は書く。「僕は無言。反論も弁解もできない。確かにその通りだ。この国のレベルはメディアにあらわれている」。

断るまでもないだろうが、あえて断る。森が書く「この国」とはオランダではない。私たちの国のことだ。政治と政治家やマスメディアに対して言いたいことはうんざりするほどあるが、ここでは批判しない。森はこの論の最後を次のようにまとめている。

「この国ではニュースがはやりすたりのひとつとして扱われている。それは「ある程度は」仕方がない。オランダにも市場原理はある。どこにだってある。でもこの国はそうした傾向が突出して強い。だから記憶できない。同じ過ちを繰り返す。これまでも。そしてきっとこれからも」。

この少し前で書いているように、「津久井やまゆり園事件」も、わずか一年で「そういえばそんなこともあったね」というレベルの記憶になっている。社会のこの忘却の仕方には、常軌を逸しているところがないか。どの事件もこんなものではないか、と指摘されるかもしれない。確かにどの事件もこんなものであり、一ヶ月前や二ケ月前、どんな事故・事件が新聞やテレビを賑わしていたか、記憶している人は少ないだろう。

そんななかにあっても、津久井やまゆり園事件は、被害の甚大さや事件の異様な性格に比し、社会からの忘れさられ方が尋常ではないと感じてきた。メディアも、そして誰もが、表向きでは「忘れてはならない」「風化させてはならない」と口にするが、心の底からそう感じているのかどうかどうにも疑わしい。

いや、あれほどの重大事件を風化させることが何をもたらすのか。そのように問い方を変えてみる。答えは先に出ている。「同じ過ちが繰り返される」ということだ。しかももっと悲惨な形で。森は、加害者への怒りを煽り、増幅させ、それをぶつけるだけぶつけ、すぐに忘れてしまうような報道ではだめだ、いまの日本にはそんな報道しかない、といっている。まったく同意する。何が欠けているのか。

このような事件が引き起こされる蓋然性はどこにあったのか。リスクは何だったのか。個人要因、社会要因。どんな方策を立てれば、同種の事件を防ぐことにつながるのか。事件をゼロにすることは不可能である。しかしこのような議論を積み重ね、広く情報を共有していくことは重要である。「警察機能」を強化せよといいたいのではない。社会防衛的な施策の予算を増やせ、といっているのでもない。

事件の記憶が風化するとは、社会の見えないセーフティネットが綻びを大きくする。不可視のセキュリティネットが、機能不全を起こしていくことに直結する。津波の記憶をすっかり風化させ、思い出しもしなくなった人と、しっかりと記憶して絶えず心のどこかに保存しておく人とでは、実際に津波が襲来した時の対応は大きく異なっていたという。同じことだと思う。

2.「新幹線殺人事件」の衝撃と既視感

この間、あっという間に報道から消えていったもう一つの重大事件があった。

本号の誌面づくりを本格化させているさなかの六月九日。走行中の東京発最終の新幹線の車両内で、二二歳の男が、両脇の座席にいた女性二人に突然刃物で襲いかかり、さらに、助けようとして止めに入った男性を滅多突きにして殺害する、という衝撃的な事件が報じられた。新幹線という舞台以外は、私にはとても既視感の強い事件だった。

報道を見ていると、事件後すぐに、近年まで同居していたという祖母がテレビで語る姿が見られた。翌日か二日後になると、中学生の時に「刃物を持って自分たちの部屋に怒鳴り込んできた息子を、そのときに捨てた、縁を切った」(本人談)という父親が、カメラの前に登場した。おそらくはこの二人からの情報だと思われるのだが、ネットやテレビ、新聞に加害者の情報が溢れ返った。ところが一週間が過ぎた今(六月一八日)、ぴたりと報じられなくなっている。森が指摘したように、数字が取れるうちは流せるだけ流し、消費しつくした途端に見向きもしなくなる、というテレビの生態がよく現れていた(あるいは、何か警察から箝口令や指導のようなものでもあったのだろうか)。

以下は、ほとんど確定的な情報を得られないままでの「感想」になる。

捜査の渦中にある加害者の父親と祖母が、求められるままにテレビカメラの前に複数回現れ、〝饒舌〟に話す姿は、これまではほとんど見られない光景だった。少なくとも私の記憶に残っているのは、大阪池田小学校事件の宅間守の父親が、『新潮45』の取材に応じたインタビューだけである(後記 事件から5年ほどたって、『「少年A」この子を生んで』という手記が出たている)。父親は、「取材に応じることが亡くなった方や被害者に対する、自分たちにできるせめてもの罪滅ぼしだ」と語ったが、この行為に対しては激しい賛否がネットで飛び交った。私見を述べれば、謝罪を願う気持ちは分からなくはない。しかし、そこで語られる内容がどこまで事実かは、担保されていないのである。

ともあれ、加害者本人と両親は早い時期から折り合いが悪かったといい、親に「縁を切られた」加害者は、その後、児童施設に入所し、退所後は祖母と暮らすようになった。長じて職に就いたが、職場での人間関係がうまく作れず、いじめにあったといい、やむなく退職。祖母の元に戻った。通院歴があり自殺念慮をもっていたこと、診断名(障害名)までもが報じられた(報じたのは毎日新聞だが、直後、SNSで強い批判が出されたといい、私自身も違和感を覚えた。ちなみに私の意見は、「出すな」ではなく、「相応の準備と取材の上で出した方がよい。どこかからクレーム等があったとしても、簡単に撤回するような中途半端な対応はしない方がよい」というものである)。

さらには、容疑者が書いたとされるノートの一部がテレビに映し出された。ドストエフスキーの『罪と罰』の文字が見られ、「自分は、世の中のだれからも全く必要とされていない、死にたい」、という記述もあった。つい私は、ドストエフスキーを読了するくらいの知力と意志をもっているのなら、なぜそれをきっかけに文学の世界に深入りしていかったのか、とそんなことを考えてしまったのだった。

独断と偏見で述べる。「世の中のだれからも必要とされていない。相手にされていない。そんな自分が生きていることに、何の意味があるか」という問いに捕まえられた人間こそが、文学を必要としているのではなかったか。かつては社会のなかに、〝そこでしか生きられない場所〟としての文学にたどり着く回路が存在していたはずなのに、いかに壊滅的になっているか、改めて思い知らされた(こんなことは、五〇代以下の世代や文学にカブレなかった人々には、およそタワゴトとしか聞こえないだろうが)。

いま、社会を席巻する価値は生産性と効率であり、生きること自体からいかに無駄を省くか。どうしたら人よりも早く上に昇り詰めるか。富を手にするか。そのような価値観とともに突き進んでいる。本来、文学はその対極にある。生産性も効率も、第一の価値としない。そうした人間は、稀少とはいえ存在するだろう。しかし彼らが生きる場所も人間関係のネットワークも、限られてしまった。「生きづらさ」という言葉は私もときどき使うが、新幹線車内殺害事件の容疑者は、おそらくはこのタイプの人間だった。

さらにもうひとつ、通常、加害者に通院歴がある、診断がついているなど、精神医療が絡むケースには、警察の、捜査とマスコミへの対応は慎重になる。起訴し、公判を維持するに足りる十分な証拠を用意しなければならないからだ。なにせ有罪率が99.9%の国である。意外だったのは、既に述べたが、事件翌日には加害者の生育歴が語られ、本人のノートがテレビに映し出されたことである。普通なら初動の段階で、加害者家族に対して本人の私物の差し押さえや、不用意な発言は禁じておくはずなのに、あれほどの情報が流された。そしてここにきて、メディア報道は、ばたりと止んでしまった。この一連の流れが、私には腑に落ちないのである。

誤解されることはないかと思うが、通院歴があるから、発達障害であるからという理由で、免責されるだろう免責されるべきだとは述べていない。精神疾患の程度・種類の問題と、責任能力の有無と、それが量刑判断にどのような影響を及ぼすかは、一律でも、単純でもない。一つひとつのケースの事情を詳しくたどり、精神鑑定の状況と事件の体を吟味したうえで決定される(はずである。本誌インタビューで、山田和夫氏が興味深い指摘をしているので参照しいただきたい)。

ともあれこの、加害者家族が取材に応じ、極めて重要と思われる加害者の個人的な情報が、事件直後、あれほど簡単に報道を通じて世間に流されたことが、私には特異な印象を残した。このことが一つである。

感想の二つ目は「むしゃくしゃしていた、相手は誰でもよかった」という容疑者の言葉が報じられたが、この種の談話は、近年の加害者が語る(語ったとされる)「動機」の一つの類型になっている。その点で既視感が強くあった。人命が奪われるような重大な事件にあって、被害が深刻なものであればあるほど複雑な背景事情が存在する。「動機」も一筋縄ではいかなくなる。たとえば怨恨、金銭目的、パワーの誇示、隠匿、男女関係のもつれ(わいせつ目的)、……というように、「動機」は類型化されているのだが、丁寧に探っていけばいくほど、この「類型」は役に立たなくなる。

『創』の篠田博之は、「黒子のバスケ脅迫殺人事件」の加害者の手記に、彼が自分の事件に「人生格差殺人」と名付けたというが、これは興味深い指摘であった。
https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20180616-00086575/

かねてより「貧困」は、非行や犯罪へ向かわせる大きな要因であった。大阪池田小の宅間守もまた、這い上がることのできない境遇にある自分と、憧れて止まないミドルクラスとの「人生格差」を呪い続けた。痛ましい大惨事はその結果である。「人生格差」という言葉が前景化するのが、秋葉原事件の加藤智大である。「正規/非正規」の壁が大きくなる。「貧困」へのシンプルな怒りではなく、「人生格差」への呪詛。かつての貧困・困窮であれば、やる気(意志)と機会(チャンス)があれば、リターンマッチができたかもしれない。不合理への怒りも、シンプルだった。ところが「人生格差」は、生まれ落ちた時点ですでに格差が定められており、いかんとも動かし難い。

貧困は連鎖し、学習や食事の機会は断たれ、暮らしの環境は悪化する。衛生面や安全面でも、大きな格差のなかに置かれる。また若い人たちをめぐる労働環境の悪化を示すデータは、これでもかというばかりに送られてくる。この加害者は祖母の年金を引き落としながら生計を立てていたというが、それでも最後は野宿を強いられている。

新幹線事件の加害者に発達障害系の診断が付けられていたように、ここに、個人的資質が複雑に加わってくる。幼少期から言動が人と変わっていて、共同歩調が苦手で、子ども集団に馴染みにくい。いじめや排除のターゲットにされやすい。どんな事情があったかは分からないが、親子関係も不全をきたしていく。引きこもりを余儀なくされ、就職できたとしても環境はすぐには改善しない。再び引きこもり、親子関係はさらに劣悪になり、長期化する。被害妄想が膨らみ、その反転として攻撃感情を激しくさせていく。社会を憎悪していたという。新幹線で事件を引き起こした青年は、友人にも家族との関係にも恵まれず、孤独と孤立の窮まるところまで落ちた。(続く)

3.二つの事件を比較してみる
おわりに― 津久井やまゆり園事件と「優生思想」




竹田青嗣哲学講座のご案内

竹田青嗣さんより、以下のような案内をいただきました。
竹田ファン、哲学ファンの方は、ふるってご参加を。


★NHK文化センター 2018年後期講義
◎連続講座 欲望論 哲学の新地平――「存在の謎」・「価値の謎」
(ヨーロッパ哲学の正統的系譜は、ニーチェの本体論の解体、フッサールの認識論的解明、ハイデガーの存在論的実存論、ウィトゲンシュタインの言語哲学へと展開した。欲望論哲学はこれを受け継き、「欲望相関性」の概念によって価値の原理論の地平へと踏み入る。)
https://www.nhk-cul.co.jp/programs/program_1133305.html
*テクスト:竹田青嗣『欲望論』第一巻 (合宿あり、料金別途)
講師 哲学者(大学院大学至善館教授)竹田青嗣 (副講師) 岩内章太郎 
*日程
①2018/10/13(土)②2018/10/28(*日)③2018/12/02(*日)④2019/01/12(土) (→15:30~18:00) 
 
★早稲田エクステンションセンター(中野校)
◎2018年度早稲田大学オープンカレッジ 
「欲望論の現象学」(仮)講師 竹田青嗣
欲望論哲学の徹底講義 (テクスト『欲望論』第一巻)
2019/2月2日 (土) 2月9日 (土) 2月23日(土) 3月2日 (土) (15:00~17:00)
【会場】早稲田大学エクステンションセンター中野校
http://www.ex-waseda.jp/about/img/img_access03_l.jpg