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〈strong>飢餓陣営 47号 2018年 夏号(7月中旬発売予定)
 定価 1,000円+税(1冊ご注文は送料200円をプラス)

<コンテンツ>
・神山睦美■自己中心性と生成する力
――竹田青嗣『欲望論』の思想がどこからきてどこへ行くのか

【追悼・築山登美夫】
・添田馨■消滅した身体、居続ける身体
・宗近真一郎■「同行二人」への鎮魂歌


【特集】津久井やまゆり園事件と「人間のメンバーシップ」をめぐって

〈0〉・佐藤幹夫▼なぜ今、津久井やまゆり園事件か + 「重度知的障害者」とはどんな存在か

・[特別掲載]山田和夫氏インタビュー▼津久井やまゆり園事件被告の精神医学的考察

〈1〉事件以後、「家族」は何を考えてきたのか
・尾野剛志さんと尾野チキ子さんを訪ねて▼津久井やまゆり園事件を語り尽す
・平野泰史さんを訪ねて▼もう「施設」はいらない
 

〈2〉検証委員会を検証する
・石渡和実氏インタビュー ▼津久井やまゆり園の再生をめぐって

〈3〉「津久井やまゆり園事件を考える続ける会」が話し合ってきたこと ――
・堀利和▼(第1部講演)津久井やまゆり園事件とは 共生社会に向けた私たちの課題は何か
            (第2部インタビュー)戦後の障害者運動と福祉の歩み
・西定春さんインタビュー▼ 「施設はいやだ、地域で暮らしたい!}
・杉浦幹さんインタビュー▼津久井やまゆり園事件の後、自分にできること 


・高橋紘士氏に聞く▼津久井やまゆり園事件と戦後福祉の宿痾

・佐藤幹夫(転載2編)▼「刑事司法と精神医学」についてのささやかな提言
 ・刑事事件と自閉症スペクトラム障害/見過ごされてきたことと障害への「合理的配慮」
・阿久津斎木■萩尾望都論(その1)

【島成郎の再考】
・島成郎(転載)■(文春図書館)松下竜一『ありふれた老い』/南木佳士『信州に上医あり

・水島英已■世界をよこせ――『評伝島成郎』の世界
・望月至高■時空を超える『評伝島成郎』 
・内海新祐■島成郎のもう一つの闘い方 ――― 臨床精神科医として 

【連載】
・木村和史■家を作る

浦上真二■古書会読――吉本隆明とシャルル・フーリエ『四運動の理論』

・佐藤幹夫■竹田青嗣『欲望論』(第1巻)ノート あるいは優生思想にどうアクセスするか

飢餓陣営47号について(予告)

飢餓陣営 47号 2018年 夏号(7月中旬発売予定)
 予価1,000円+税(1冊ご注文は送料200円をプラス)

<コンテンツ>
・神山睦美■自己中心性と生成する力
――竹田青嗣『欲望論』の思想がどこからきてどこへ行くのか
*竹田さんの、壮大なライフワークである『欲望論』(2017年10月、講談社刊)。世界思想や近代哲学が、いかにも竹田青嗣らしい剛腕でダイナミックに読み換えられていく。この読み換えによって、本書『欲望論』が、竹田青嗣に固有の哲学史・世界思想史であるとともに、「欲望とエロス」の哲学となっている。壮大な営為のこの著作を、『希望のエートス』や『サクリファイス』などの著作をもつ思想家、神山睦美さんがどう読み解くか。

【追悼・築山登美夫】
・添田馨■・宗近真一郎
*築山さんは詩人・批評家。『吉本隆明質疑応答集』の全巻解説が、他界する今際の際(いまわのきわ)の仕事だった。誰もが、築山=吉本論が本格的な始まりを見せたと、感じた矢先の急逝。無念の極みである。飢餓陣営30年来の盟友、添田、宗近の両氏が、築山さんを送る。

【特集】津久井やまゆり園事件と「人間のメンバーシップ」をめぐって
*すっかり忘れられた「津久井やまゆり園事件」。この2年で何が明らかになったのか。マスメディアも社会も、そして当時あれほど喧々諤々を繰り返していた識者たちも、あの大事件を、なぜこんなにもあっけなく忘却してしまうのか。改めて、津久井やまり園事件とは何だったのかを考える。
(以下、紹介は、飢餓陣営発行者の独断と偏見と、愛情によるものです。失礼の段、どうぞご海容を)。

〈0〉・佐藤幹夫▼なぜ今、津久井やまゆり園事件か + 「重度知的障害者」とはどんな存在か
*6月9日の新幹線殺人事件に触れた書下ろし論考に、事件6日後のブログを加えた1篇。

・[特別掲載]山田和夫氏インタビュー▼津久井やまゆり園事件被告の精神医学的考察
*山田氏は精神科医師。植松被告の情報を細かく収集し、考察を加えている。これまで報道されてきた精神鑑定とは、まったく趣を異にする精神医学的洞察を示している。

〈1〉事件以後、「家族」は何を考えてきたのか
・尾野剛志さんを訪ねて▼・平野泰史さんを訪ねて▼ 
*尾野さんは、やまゆり園の元家族会会長。平野さんは、施設は不要、施設から地域へ、と訴えてきたやまゆり園保護者。やまゆり園の知られざる現状が明らかになる。また、お二人の主張は対極のものではあるが、「障害」をもつ我が子への思いや支援を語ることは、まさにお二人の「人生そのもの」を語っていただくことになった。

〈2〉検証委員会を検証する
・石渡和実氏インタビュー 
*石渡氏は「障害学・福祉」を専門とする大学教授。事件後の、神奈川県検証委員会の委員長を務めた。その立場から事件と「検証」を振り返っていただいた。貴重な情報が満載している。

〈3〉「津久井やまゆり園事件を考える続ける会」が話し合ってきたこと ――
・堀利和さんに聞く▼・西定春さんインタビュー▼ ・杉浦幹さんインタビュー▼ 

*堀さんは、「全盲」というハンディキャップをもちながらも、参議院議員を2期務めた。現在は、『季刊福祉労働』の編集長などを担いながら、執筆活動、講演活動などに、精力的に取り組んでいる。西さんは施設理事長で、まさに24時間365日、ハンディをもつ人たちとの人生を歩む。「伴走支援」という言葉も、「グループホーム」という言葉もなかった時代から、ハンディを持つ人たちと同居生活を続けてきた、根っからの「福祉のひと」。徹底した「反施設」を訴える。杉浦さんは、業界では知る人ぞ知るボランタリーな行動家(「市民運動家」という言い方は、ご本人の好まざるところとのこと、このように紹介を)。日本全国、あちこちを飛び回っている(ようだ)。このお三方(ともう一人山崎幸子さんという方を加え4名)が、事件直後から「津久井やまゆり園を考える会」(一年後に「考え続ける会」)を立ち上げ、運営してきた。

・高橋紘士氏に聞く▼津久井やまゆり園事件と戦後福祉の宿痾
*高橋氏のご専門は「高齢福祉・介護」であるが、戦後福祉の問題点、批判点を総括的に語っていただくには適任と判断し、インタビューをお願いした。障害福祉全般について、やまゆり園の運営母体に対して、「施設問題」全体に対し、相当に突っ込んだ「批判」がなされている。

・佐藤幹夫(転載2編)▼刑事事件と自閉症スペクトラム障害+見過ごされてきたことと障害への「合理的配慮」
*この領域の問題について、現段階での、佐藤の基本的な考えが書かれている。

【新連載】
・阿久津斎木■萩尾望都論その1
*『飢餓陣営』の常連執筆者の阿久津さん、あの「萩尾望都」について論じながら、新境地へと進み出ようとしている。

【島成郎の再考】
・島成郎(転載)■(文春図書館)松下竜一『ありふれた老い』/南木佳士『信州に上医あり
*島先生の書評2編を、『週刊文春』より転載。

・水島英已■世界をよこせ――『評伝島成郎』の世界
・望月至高■時空を超える『評伝島成郎』 
・内海新祐■島成郎のもう一つの闘い方 ――― 臨床精神科医として 
*恥ずかしながら「自画自賛」的企画。スミマセン。とはいえ御三作ともに、島成郎の魅力に、真っすぐに迫っている。とても読みごたえがありました。水島さんは詩人・批評家。小さきもの、弱きものへのまなざしが、繊細かつシャープ。望月さんは俳人。ソフト・スターリニズムをかくした市民主義言論人とは、一線を画す剛球の批評も書かれる。内海さんは心理臨床家。ソフトだがシャープな切り口と文体は類を見ない。

【連載】
・木村和史■家を作る
*木村さんの本エッセイも、家族問題へと比重を移しながら、いよいよ佳境へ。家づくりの進行も、ときにはお読みしたい。

浦上真二■古書会読――吉本隆明とシャルル・フーリエ『四運動の理論』
*毎号、本当によく調べておられる。私の本箱でも20冊以上ある吉本論(雑誌を加えればそれ以上)。いまだに論じられ、引用され続けている吉本さんも、ここまでマニアックに調べてもらえるなら「本望」だと思う。

・ボロ酔い日記

刑事事件と自閉症スペクトラム障害


6月11日、走行中の東海道新幹線車内にて起きた事件について、容疑者の「障害名」報道について、その賛否が問われている。報じることの可否。報じるならば、どのような配慮が必要なのか。『自閉症裁判』などというタイトルの本も出し、あるいは偏見の助長に加担してきたのではないか、という忸怩たる思いがある。私がこの問題についてどう考えてきたか、その一つのエッセイをここに掲載したい。(この稿は、『心と社会』・日本精神衛生会発行・2015年160号掲載の転載である。なお次回発行の飢餓陣営47号では、加えてもう1本、『刑事司法への問い』(岩波書店)所収のエッセイを転載する予定。併せてお読みいただければ、幸いである)
先の新幹線内での事件には、直接触れてはいない。


刑事事件と自閉症スペクトラム障害
佐藤幹夫(フリージャーナリスト)


なぜ犯罪加害者の「支援」なのか

筆者はこれまで、知的・発達障害をもつ人が加害者となった重大事件を取材し、著書としてまとめるという仕事を15年ほど続けてきた。2001年の東京・浅草での女子短大生刺殺事件(通称、レッサーパンダ帽事件)をはじめ、2005年、大阪・寝屋川市での16歳少年による教師殺傷事件。奈良、少年による自宅放火事件。さらには2008年の千葉・東金事件、そして2012年の大阪市での実姉刺殺事件など、ほぼ15年の間、いずれかの事件取材のなかで過ごしてきた。福祉・教育の立場からの検証、というスタンスであった。

それゆえのこともあろうか。この間、「なぜ、殺人犯を弁護するのか。障害があろうとなかろうと関係ない。殺人犯は厳罰に処するべきだ」「被害者や遺族の心情をどう思っているのか」という声を、幾度か耳にしてきた。障害当事者の保護者から、「殺人事件をなぜことさら『障害』と結びつけるのか」と問われたこともあった。

筆者は弁護人(法曹家)ではないし、加害者の家族でも、福祉にあっての直接の〝支援者〟でもない。あくまでも一介の物書きにすぎない。まして誰かの依頼を受けたわけでもない。筆者一人の意思と責任で事件取材に取り組み、記事にし、著作としてまとめる作業を続けてきた者だ、ということになる。誰に頼まれたわけでもないのに、なぜこのような、殺人事件の加害者の「支援」めいたことをするのか。――これまで、幾度となく我が身に訊ねた問いである。

こうした事件の痛ましい被害者をこれ以上出さないためには、何をしなくてはならないか。犯罪加害者などにならないために、何を、どう支援すればよいのか。これらを求めることが一つである。あまりにも当たり前すぎる答えだと思われるかもしれない。加害者を糾弾し、重罰を科すだけではおそらくは半分しか解決にはならず、なぜそのような事件にまで追い込まれていったのか、その検証が十分になされることが、類似事件を防ぐために不可欠であると考えてきた。

もう一つ、裁判所が「障害」をどこまで適切に理解し、その上でしっかりとした裁きを下しているのか。その検証の重要性も痛感してきた。あるいはここで多くの人が、それは加害者の「弁護」にあたるではないかと感じ、足踏みをするのかもしれないが、刑事裁判は被告人にとって、最後の意見を申し立てる場である。被告人とは言え、守られなくてはならない最小限の権利がある。そうであればこそ、被告人の現状(障害など)や訴えるところがよく理解され、十分な審議がなされ、刑事罰が下される必要がある。

この重要性を認識したのは、知的な障害を持ちながら様々な犯罪を犯したとされる人びとと関わり、彼らの話すところを聴くたくさんの機会をもったことによる。取り調べ、裁判、という一連の司法手続きのなかにあって〝自分を語る〟ことがいかに困難か。〝障害〟がその困難を、どんなふうに加速させるか。それをいくつも見聞きしてきたのである。

「狭間」の問題と自閉症スペクトラム障害
さて、拙論のタイトルを「刑事事件と自閉症スペクトラム障害」としているが、その背景について少しばかり触れておきたい。

2000年代の初めから半ばにかけて、「知的・発達障害と重大事件の加害者」というテーマが、関係者にとって衝撃とともに〝発見〟され、以降、様々な制度的対応が試みられてきた。やがてそれは「福祉と教育」、「福祉と司法」、「医療と福祉」など、それぞれの領域の「狭間」で、あるいはそれぞれの「制度と制度の狭間」で起きていたことが、関係者にあって理解されてきたのではなかったかと思う。

たとえばこのときに導入された地域生活定着支援センターは、文字通り「福祉と司法」をつなぐことを目的としていたものであった。そして2010年以後になって、福祉、教育、生活困窮者問題、医療、介護といった領域で浮上してくる数多くの社会的課題は、その過半が狭間(制度の隙間)をめぐるものだ、ということが理解されるようになっている。社会的養護における「18歳の壁」も、児童養護施設を退所した少年たちが、成人するまでの間、社会的支援が途切れてしまうという、少年と成人の狭間の問題であり、特別支援教育も、従来の〝特殊教育〟と〝普通教育〟の間にいるために支援の十分に届かない児童生徒が存在する、という狭間の事態への対応であった。

さらに言えば、ここでの「刑事裁判と自閉症スペクトラム障害」というテーマ自体にも、「狭間」の問題というメッセージが含まれている。簡単に述べるが、これまでの司法(と司法精神医学)にあって、「裁判と精神障害者」の問題とは、「知的障害(精神遅滞)」か、統合失調症に代表される狭義の「精神障害」か、そのいずれかであった。「知的障害」はとりあえず知能指数などの数値に計量化され、そのことによって〝障害の程度〟が可視化される。司法はそのような目安をもとにしながら、判例の蓄積をそれなりに重ねてきた(もちろんここには難題があり、その何であるかは、拙著『知的障害と裁き』で述べており、そちらを参照していただけるとありがたい)。
一方、統合失調症に代表される「精神障害」も、医師によって診断が分かれるケースが少なくないとはいえ、判例は積み上げられており、いわばこの領域が「精神障害者と犯罪」というテーマにおけるメインストリームをつくってきたといってよい。

ともあれ端的に言ってしまえば、「知的障害」と、統合失調症を中心とする「精神障害」という二つの軸が中心になって、司法も司法精神医学も、その判例と知見が組み立てられてきた(この間の詳細は、『『宅間守精神鑑定書』を読む』所収の討議、「岡江晃氏を囲んで」を参照していただきたい)。

ところが、発達障害(自閉症スペクトラム障害)は、司法にあって、この10年ほどの間にやっと前景化してきた課題である(「自閉症」は、2001年の東京・浅草事件の公判で、弁護人によって初めて争点として取り上げられたものであり、こちらは拙著『自閉症裁判』で詳述している)。とくにこれまで「アスペルガー症候群」と診断された人々は、知的な検査をすれば数値は標準の前後で弾き出されるし(標準よりもむしろ高いケースさえ珍しくない)、いわゆる精神病理的な症状も深刻ではないと判断されることが多い。

しかし、では通常の審判をもって一件落着になるかと言えば、やはりそうではない。アスペルガー・自閉症スペクトラム障害に独特の困難さや言動の特異さ(大きな偏り)は存在し、弁護団からは、犯行の態様を考える際にそれは無視できない特性であり、いわゆる動機の形成、殺意のあり方、反省の念や贖罪感情などの心理状態といった構成要件についてきわめて固有の現われ方をする、と主張されてきた。
ところが、ここで多くの問いが出てくることになる。

では、その主張を受けた司法はどう裁くのか。自閉症スペクトラム障害が、司法にあって、どこまで理解されているのか。そもそも司法精神医学においてさえ、いまだ定説の共有には至っていないのではないか。そうした疑義が次々に出てくるのである。さらに言えば、ここで筆者が述べていることは、責任能力の有無を問う、というようないわゆる「責任能力論議」とは異なる問題であり、自閉症スペクトラム障害は、司法判断にあたってどのように留意され、裁かれることが望ましいのかという点が、筆者の最大の問題意識なのである。

裁判員裁判と情報
さらに見逃してならないことは、ここに、裁判員裁判というもう一つの難題が加わることになったことである。この点についても簡単に整理しておこう。

先ほど述べた「狭間」の問題の大きなポイントは、制度と制度の間にあって情報が遮断されてしまうこと、必要な情報が届かなくなってしまうことではないかと指摘した。情報が遮断されることは、死角を作り出すことになり、そこでどのような事態が起こっているか、そもそも把握自体が不可能になる。そのような問題であったと思う。

この「情報」共有の問題は、裁判員制度にとっては死活問題になる。裁判員制度の導入が、司法への市民参加を目的としていたということは、司法と国民との情報の相互交流が(それがいかに限られたものであれ)、今後さらに重要になる、という意図があったことは間違いない。15年間、刑事裁判の傍聴を続けてきた筆者もその重要性はよく思い当たるし賛同するのだが、ただし盲点があったと思う。司法と国民との間で流通させなくてはならない情報は、狭義の〝司法情報〟、いわば手続き的な問題にとどまってきたのではないか、という疑義である。
たとえば刑事裁判とは何か、という根幹の問いがしっかりとはたされていたろうか。率直に言えば、罪刑法定主義、責任主義、推定無罪といった原則が、どこまで伝えられているか。あるいは「司法精神医学」は司法を担うもう一つの領域なのだが、この刑事裁判の三原則が、象徴的に、鋭く突出してくる分野でもある。その「司法精神医学」の意義や役割を、市民にどう伝えるかはとても重要になるが、短時間でそれは可能か。司法の側に十分な準備があったのかなど、基本的な問いを、改めて投げかけてみたいのである。

2012年7月に大阪地方裁判所が示したある事件への判決と、それに対する批判の噴出という事態を、記憶しておられる方は少なくないと思う。42歳の男性が、30年間の引きこもり生活の末に姉を刺殺した事件であり、姉への一方的な憎しみを募らせた結果の犯行だった。男性は逮捕後、アスペルガー症候群と診断された。裁判員裁判によって審議され、求刑16年に対して懲役20年が下されたのだが、その判決理由が、アスペルガー症候群の人は「反省しない」とされ、したがって再犯の可能性が大きく、「社会的受け皿」も存在しない、それゆえできるだけ長期に渡って刑務所に拘束することが望ましい、という内容であった。(事件後、「世界」・岩波書店・に原稿を連載したが、単行本には未収録である)。

直後より、関係各方面から強い批判が出されたが、筆者には、裁判員制度にあって、裁判員に適切な情報が届かなかったときにどんな事態が起こるか、その一つのケーススタディとなったと思われた。ではメディアは、それまで「犯罪とアスペルガー症候群」という問題を、どう発信していたのだろうか。ここにもう一つの問題があるのだが、この判決にいたるまでの5年ほどの間、犯罪とアスペルガー症候群を関連させて報じることは、マスメディアにあってタブー視されていた。新聞・テレビでは、「アスペルガー症候群」という名称(診断名)が故なく犯罪と関連付けられるという理由で、使えなくなっていたのである(井出草平『アスペルガー症候群の困難』を参照。筆者も同様の意見を耳にしている)。タブー、つまりは自主規制である。

そして冒頭の話題に戻るのだが、「刑事裁判と自閉症スペクトラム障害」という問題にあって、その検証と発信がなぜ重要か。検証がなされないままタブー視され、情報を自主規制したときに何が起きるか。情報が遮断されるという事態がどんな結果を引き起こすか。この、大阪の判決が語っている。難しくて微妙な問題ではあるけれども、加害者がなぜ追い込まれていったのか、司法はどんな形でそこにかかわったのか、検証とその適切な発信の重要性を少しでも多くの方々に関心をもっていただければ、本稿の務めは果たされたものと思う。(2015・4・15)

書評束集(2)最相葉月作品の独断的ご案内                     


『高原永伍、「逃げ」て生きた!』(徳間書店・1994年)

刊行は一九九四年だが、取材開始・執筆は一九八九(昭和六四)年ごろか。著者二六歳。関西弁の軽めのノリで書き出され、いわゆる若書きかと思って読んで行ったら、途中で居住まいを正すことになった。取材の徹底ぶり、対象への没頭(つまりは深いリスペクトと愛情)、主題に対して妥協を潔しとしない姿勢。すでにして「最相葉月」であった。

競輪は、選手にも客にも、どこか哀愁がある。評者の車券購入体験など微々たるものだが、競輪場は、場末のどんづまりの居酒屋がよく似合うような、人生のはかとない哀感がある。終生「逃げ」を身上とした高原永伍という選手を追いながら、著者はこの年齢で、人生の哀しみとか、栄光と挫折と屈折したプライドといったものを、きちんと捕まえている。そして、著作の終盤に入り、高原が新たに作りなおしたという自転車の話題に言及し、次のように書きつける。

「強い選手はどんな自転車に乗っても強いはずだ。素人はそう考える。けれども、強い人間というのは、強くなる過程であらゆる研究をしているから、多少の変化であればある程度は対応できるということで、何が何でも勝てるというわけではない。ギア倍率の調整や、クランクの長さ、サドルの位置、フレームの角度……に至るまで、すさまじいまでの研究を重ねているのである。全盛期、レース参加中に何者かにクランクが盗まれてしまったこともあったらしい」(p200~201)

ここまで競輪というレースに、あるいは自転車に、競輪選手という存在に、深く食い込んだ記述がなされていることに驚き、感嘆した。リスペクトに溢れてもいる。くり返すがこのとき著者、弱冠26歳である。

この引用からもう一つ強く印象づけられることは、「強くなる過程であらゆる研究をしているから」と、さり気なく書いていることだ。一流選手のなんであるかについて述べている件ではあるが、この著作以降の、著者自身の未来予測、かくあるべしという自らへの励ましと意思。そのような、目の前の〝一本の進むべき道〟を感じさせる記述にもなっている。次作、『絶対音感』で何をしなくてはならないか、このとき、すでに自身の間合いに収めたのではなかったか。そんな想像さえさせる記述である。再度書くが、「最相葉月」は最初から、すさまじいまでの研究と取材を重ねる「最相葉月」であった。


『絶対音感』(小学館・1998年)

手にしたのは2002年の小学館文庫版。このとき、自分がまさか、ノンフィクションやルポルタージュを書いて
なりわいとするようになるとは考えてもいなかった。本書は、聴覚の問題、自閉症スペクトラムと感覚・知覚の問題という関心から手にした記憶がある。一読し、とにかく圧倒された。2001年の東京浅草事件の取材を始めてはいたが、本書に、取材依頼にはひたすら手紙を書くのだと記してあるのを見て、そして手紙に説得されて実際に登場してくる人たちを見て、ひょっとしたら一つの夢想かもしれない非現実を一つずつ現実にしていく力技。これぞノンフィクションの醍醐味か、といたく感じ入ったものであった。

読み進めるうちに気づかされるが、著者は「絶対音感」という知覚特性を手がかりに、「人間にとって美とは何か」という大テーマに上りつめようとする。「音楽はなぜ人を感動させるのか」。「ある種の人間はなぜあのように音の美を聞き分け、自らもそれを生み出すことができるのか」。小林秀雄の『モオツァルト』も、たしかそんな主題だった。小林は、ロジック以上に文章そのものの美しさで、音楽(モオツァルトの旋律)の美を表現しようとしていた。『絶対音感』は逆に多くの音楽家たちに、それぞれのつかまえている音楽の美を、言葉に変換させようとしている。音楽家たちの数多くの言葉をこのように引き出し得たことも、本書の大きな美質であると思う。


『青いバラ』(小学館・2001年)

以下、引用。

 「鈴木省三は、自分の望むバラをつくるときには、目指す花色や花弁の姿かたち、葉や香り、大きさに至るまで、どれだけ自分が欲しいもののイメージを具体的に描けるかが重要だとよく後輩たちにいっていたという。そして、その実現を確信することがもっとも重要なのだ、と。二十世紀末に誕生したバイオテクノロジーによって青いバラを誕生させようとするのであれば、それが一企業の利益になることを目標とするものであっても、その技術が過去の科学技術の歴史の流れに立つ同じ人の営みであり、その夢が本当の夢であるのなら夢の実現を推し進める意志の力をもたなくてはならないのではないか。そうでなければ、それはたんに技術を手にしたものの傲(おご―ルビ)りでしかないのではないかと思うのである」(p449)

「青いバラ」をめぐる長い長い旅のたどり着いたところが、この、慨嘆のような問いかけであった。バイオテクノロジーの粋を駆使して青いバラを作ろうとしてきた企業。そこで求められていたのは花の美しさではなく、市場での商品価値であり、経済的魅力があればこそ作っていた、それだけだった。これは人間と自然の謎に、迫りえたことになるのか。さて、科学技術は何を解明し、何を人間に寄与するのか。……そう著者は、問うている。


『なんといふ空』(中央公論社・2001年)

とびきり面白いエッセイ集。テーマは硬派・社会派から、プライベート・エッセイまで様々。何よりも好ましく思うのは、タイトルに選ばれている山頭火はもちろん、色川武大、阿久悠といった、放浪と無頼の匂いをプンプンさせる文士・文人たちの名前が散見されること。初読の際、おお、そうだったのかと合点した。「最相葉月」という書き手の〝隠し味〟は、これではないかと思い当ったのである。「由緒正しき本格派ノンフィクションライター」という看板はもちろん伊達ではないけれど、その奥に、文士・文人の、しかも放浪と無頼をもっぱらとする文士・文人の気合いとたたずまいがある。

それにしても、自宅では料理までなさっておられるようだが、これだけ取材に駆け回り(「取材」も放浪の一種かもしれない、といま思い当たったが)、本や資料を探索し、目を通し、さらには音楽や映画、絵画などにも足を運んで親しんでおられる。どこにそんな時間があるのか、と驚嘆しきりだった。(書中、本屋さんに行くと……、という話題には、ちょっと笑い、ちょっと安心した。何のことかは現物に。ちなみに当方はバス、電車、車がだめ。特に満員電車や車の渋滞にぶつかると、あっという間に脂汗が出てくる。読者諸兄にはどうでもいいことではあるが)。


『最相葉月のさいとび』(筑摩書房・2003年)

エッセイ集(タイトルの「さいとび」の由来は、著書をご覧あれ)。取材の落ち葉を材としたもの、身辺雑記風のもの、幼少期に触れたもの、出版業界の仕事の中で会った人・あったこと、を材としたもの。周辺で起きた不思議現象にも触れている(結構そういう体質をおもちのよう)。そして阪神・淡路大震災後のルポ。

硬軟自在のテーマが綴られていて、「最相葉月」という著者についての人間研究に関心をお持ちの方には、お勧めかもしれません。ところどころに関西風のノリが見られ、そうとうサービス精神が旺盛な著者である、という発見が印象深かった。

『あのころの未来 星新一の預言』(新潮社・2003年、新潮文庫)

星新一の作品がこれほど人気を得て読み継がれていたということを、迂闊にも、最相さんの評伝『星新一』を読むまで考えてもみなかった。星の本は、高校時代に『ボッコちゃん』など数冊を手にした記憶があるが、それきりだった。またそれほどの人気作家でありながら、星新一研究がだれの手で、どんな研究がなされているのかなどなど、まったく知らなかった。たぶん、星新一研究とか、星新一論などを大真面目に書いても、星の読者には見向きもされないだろう。つまり、商売にはならないだろうと、勝手に思っていた。

そんななか、この本は「戦略家・最相葉月」という一面をよく示しているのではないか。『青いバラ』では、章と章のあいだに鈴木省三へのインタビューを挟み、『セラピスト』でも中井久夫への「遂語録」を途中に配置していくなど、構成に工夫を凝らしている点が伺われた。編集者時代に培った編集センスも一役買っているだろうが、企画や手法にさりげなく戦略を凝らしてきた著者である。

本書では、世相ネタや時事ネタを取り上げながら、それを星作品と関連させていく、というスタイルをとっている。単なる解説でも論でもない。こうした試みは、星新一を相当に読み込んでいないとすぐにネタ切れになり、苦し紛れの無理筋に持って行きかねないところだが、本書は、そのスタイルで押し切っている。


『熱烈応援!スポーツ天国』(ちくまプリマー新書・2005年)

密かにそうではないかと感じていたが、どうも著者は、根っからの体育会系的体質(らしい)。そのことを示す一冊が、本書ではないかと睨んだ。超マイナーなスポーツを、取材予告や依頼なしに訪ね、観戦し、グッズを求め、ひいては取材。ビリヤードとか、ボーリング、ダンスならまだ理解できるが、雪合戦? キンボール? スポーツチャンバラ? アリエナイ、と評者は思った。

でも著者はじつに楽しそうに観客となり、ルポを書いている。ともあれ、健全な青少年の育成に向けて刊行されたはずの、天下のプリマー新書で、こともあろうに競輪を紹介し、「「さっ、明日も競馬で損しよかあ」。学生よ、競輪ファンはこれやで」と、バクチの勧めを述べておられるあたり(文脈を無視して引いているが)、さすがブライ派、と感心することしきりであった。


『星新一 1001話をつくったひと』(新潮社・2007年)

どんなテーマや題材を選ぶか。そこにどんなコンセプトを発見し、どういうストーリーを組み立てていくか。どんな資料が必要で、誰に取材をするか。どうすればその人に合うことができるのか。

作品の性格を決定付ける、こうした一つ一つのことがらに対する着想、着眼の冴え。それを実現していく行動力。さらに時間(いわゆる「とき」)、人(取材対象)、場所、資料など、自分が必要だと考えているものを引きよせてしまう「運」。

これは努力も何もしないままやってくる、ただの「ツキ」とは異なり、不断の鍛錬が、いざというときにもたらす賜物だろう。ノンフィクションという領域や、テーマに賭ける思いの強さゆえの授かりもの以外ではない、といってもいいだろうか。取材力とは、毎日毎日の、地道な積み重ねなくしてはありえないものだ(と、ヘボなフィクションライターながら私は思う)。

もう一つ。取材の中で聞くことになる多くの方たちの言葉、出会った資料。それらはもはや自分一人のもの(私物)ではなく、後世への財産として橋渡しをする責任が生じた、という自覚と使命感(『仕事の手帳』でも似たことが述べられている)。これらすべての総合力が、ノンフィクションライターとしての「才能」というならば、本書はまさに著者の「才能」が本物であることを、決定的に世に知らしめた作品であると思う。

『絶対音感』にも同様の力があった。ただしこちらにはもう一つ、〝勢い〟という若さのもたらす武器があった。それがエネルギーの源泉だった、と思う。ところが本書『星新一』のほうは、世間というもののなんであるか、姿を隠したままぶつけられる悪意の何であるか、裏も表も十分に体験した後の、ある種の風格とかゆとりとか、落ち着きといったものが、文章の端々から感じられた(評者のこの物言い、ちょっと上から目線か。お許しあれ)。

さらに本書にはたくさんのテーマが出てくる。たとえば星家の親子、夫婦の系図から派生する膨大な人間関係。星製薬会社の内情、経済界と政界の問題。日本におけるSF小説の誕生と進展(作家たちは何をなして、文壇の中でどう遇されてきたか)。そして人間・星新一その人の葛藤、自負、才能、苦悩などなど。多くのテーマを支流のように伴いながら、本書は進行していく。もちろん大河の本流は星その人である。これだけのテーマや多くの人物を描きながら、散漫な印象は皆無。しっかりと束ねながら進行させ、結末に至って、一気に星新一という人物の核心に迫っていく。

ギャグ漫画家と短編小説家は短命である、と耳にしたことがある(吉田戦車が出てきたときだったか、阿部昭が突然他界したときだったか)。そうだろう、とすぐに納得した。一編のギャグ漫画も、一編の短編小説も、手抜きをしないで描き続けていくことは、命を削るに等しいおこないである。毎晩、悪夢にうなされるだろう。星は幸いにして短命ではなかったが、悪夢が、心身をじわじわと蝕んでいったことが、本書から如実に感じ取ることができる。一見、飄々とした星新一ではあるが、しかし、どれほど屈折した苦渋を隠し持っていたか、その見えざる内面に著者の筆は届いている。それにしても、これだけ分量があって、質が高くて、それでも面白く読ませるのは、ウデとはいえいったいどんな秘訣があるのか。


『ビヨンド・エジソン』(ポプラ社・2009年)

12人の科学者に、12のテーマを取材したサイエンス・ノンフィクション。世界の最先端で闘う科学の知性が描かれるが、注目したいのは第一章の寄生虫学から第一二章の脳神経科学まで、広汎なテーマに挑み、咀嚼していく著者の力業。

もう一つは、サイエンス・ノンフィクションとして読者に用意した作品上の仕掛けだ。著者は、科学者たちに幼少期に感銘を受けた伝記を1冊選んでもらうことと、若き時代に生涯のテーマや師とどう出会ったか、2つを語らせている。そしてこの問いは、「なぜ自分は科学を生涯の仕事として選ばなかったのか」という自身への問いと地続きになっている。

どういうことか。本書は、「最先端の科学知性を主題としたノンフィクション」という器を用いながら、人文的知の問いにも答えようとした、野心あふれる力作だと評者は読んだ。『絶対音感』以来、科学のテーマや方法に強い関心を示しつつも、人文知に架橋しようとする姿勢を一貫して崩さずに来ている。


『セラピスト』(新潮社・2014年)

本書、は中井久夫、河合隼雄の両巨頭を中心とし、たくさんのセラピストを取材し、「カウンセリング」や「心の治療」というテーマに、真正面から挑んでいる。縦軸はセラピーの歴史、横軸はそれぞれのセラピストが見せている「技法」という問題。

この構成がとてもいい。さりげなく置かれた布石が、少しずつその意図を明らかにしていく手際。ストーリーテリングの常套だろうといえばそうなのだが、「起」は自身に引き寄せたテーマで始められ、そこで置かれる布石が「承」から「転」と進むにつれて、広い視点から一般化されながら図と地がはっきりしてくる。そして著者の抱える課題とセラピー一般の問題が、大きな渦を作って「結」に進んでいく。難題に挑んでいるだけに、その進み方が、この著者らしいと感じさせる。将棋でいう〝寄せ〟にゆるみがないと言えばいいか、スマートなのです。

忙中の読書だったが、甲斐あって、大いなる刺激をいただいた。


『仕事の手帳』(日本経済新聞社・2014年)

著者と我が身との比較など、きわめておこがましいことです、と断りを入れてから書くが、編集、取材、ノンフィクションという仕事の在り方が重なっていることもあって、どこにどんな関心を向けておられるか、教えられるところの多い内容であった。勉強になったと言えばよいのか、刺激をいただいと言えばよいのか、ガツンとやられたと言えばよいのか。

改めて痛感したのは、取材の徹底ぶり。テーマを掘り下げようとする意志。なかでも『星新一』がどう書かれたか。評伝というジャンルにあって、その人物を書こうとする人間が必要とするものは何か。突っ込んで、手の内を明かしてくれている。

取材を徹底するとは、なるほどこういうことをいうのかと、今更ながら思い知った次第。こんな同業者の感想はともかくとしても、時代の真っただ中を走っている第一級の表現者が、何を見ようとし、何を考えているのか、それを知る絶好の著書。

書評束集(1)

中井久夫『樹をみつめて』(みすず書房)
平和を維持することの難しさ


二〇代に入ってすぐの頃、死ぬまでかけて読む本のリストを作った。そのリストをもとに出版社から目録をとり寄せて注文したり、古本街を回ったりしながら、三〇半ば頃まで文献や資料を買い漁っていた。見取り図を作り、自分なりの知の建築物を打ち建てようとしたのだった。ところが、勤務して五年ほど経った頃から(年齢にして三〇歳を目前にしていたときだったけれども)、少しばかり異変が生じてきた。養護学校での仕事とは、言うまでもなく「言葉のない子どもたち」との付き合いである。そのようにして知の塔をつくり、立てこもることの意味合いを(あるいは無意味さを)、深入りするほどに、彼らが問いかけてくるようになったのである。知的虚栄を人前にさらす空しさを叩き込まれたのもそのときである。

人は、必要最低限のものがあれば生きていくことができる、とは、かねてより知らぬわけではなかったけれども、「必要最低限」の水位がどんどん下がっていく。以後もしばらくは文献を買い集める作業を続けてはいたが、家のなかを占拠した本箱が、膨大な無駄の集積に見えてきた。文章を書くこともできなくなった。どうも、一種の失語の状態に入り込んだようなのである。そんな状態を二、三年ほど続けたろうか。

自己分析には虚構が混じると断りを入れて書けば、堅牢な知の構築物の中で、半ば世捨て人のようにして生きていく心身の態勢を総入れ替えするよう、おそらくは求められていたのだろうと思う。言うは易いが、ハードなリハビリを必要とした。そして、村瀬学氏の『初期心的現象の世界』と『理解のおくれの本質』に出会ったところで、大きな衝撃を受けた。ここから、少しずつ何かが動き始めたようだった。さらに中井久夫氏の『精神科治療の覚書』、雑誌『発達』連載の、浜田寿美男氏の「発達心理学」などを知り、本格的なリハビリが始めることができたようなのである。

中井氏の新旧の著作を読むと、いまでもところどころで救われる気もちになることがあるのだが、そのとき思い起こすのが、失語に似たこのときの体験である。



中井氏が、精神医学というご自身の専門分野のみならず、歴史、哲学、文学、人類学等々にわたり、どれほどの碩学であるかは評者などが改めて言うまでもないことだろう。しかし評者が強く吸引されたのは、少し別のところだった。言葉のない子どもたちと付き合うとは、長い長いトンネルを手探りで進むようなものである。教条的な知識がものの役に立たないことは、すぐにわかった。経験から得る知恵もこちらにはない。勘にはいくらか自信があったとは言え、それだけで通用するほど甘くはない。

精神科医は患者との相互性によってつくられると、中井氏は言う。しかし“相互性”のつくり方にも、ヘボから名人までいる。中井氏が臨床の達人であることは、やはり、改めて指摘するまでもない。しかし驚くべきは、知を積み重ねることや考えることが、治療行為の何であるかを体感させるような、そのような記述となっていることであった。いわば、“相互的”であることの徹底性において、氏の言葉はぬきんでていた。

本書、『樹をみつめて』にも、そうした氏の懐の深さが遺憾なく発揮されている。巨木はその大きさに比例するように地下深くまで根を張りめぐらすと言うが、本書もまさにそのような書物である。中核をなしているのは「戦争と平和についての観察」と「神谷美恵子さんの『人と読書』をめぐって」という、それぞれ百枚ほどに及ぶ文章だが、周辺に配されたエッセイもそれに劣らぬ読後の印象を残す。精神科治療について書かれた短文であっても、広く人間一般についての叡智に溢れ、こちらの思考を刺激してやまないのである。たとえば「妄想と夢など」とタイトルされたエッセイ。幻覚や幻聴、妄想など、「自己と宇宙を恐怖がおおいつくすとき、それは救いでさえあるだろう」「言語的カテゴリーや因果関係なしに広義のイメージの世界すなわち視覚、聴覚をはじめとする感覚の世界に直面することはたいへんに恐ろしいことなのだ」と指摘する。これはまさに、自閉症と呼ばれる人々の生きる世界ではないか。彼らの独特の言動は、私たちにとっては“問題行動”にしか映らなかったとしても、彼らなりの、感覚世界の恐ろしさと折り合いをつけるための必死の方策なのである。あるいは氏は「言語はリアルな世界を減圧するために生まれたのかもしれない」とも書いているが、このことは言語への指摘として重要であるし、ヒトと言語との関係、ヒトと世界との関係についても大きな示唆がある。情報が溢れ、世界が多層化するにつれて、世界に対する減圧作用を必要としているかもしれないのである。

あるいは「治療における強い関係と弱い関係」というエッセイにある次のような一節。「たしかに親密関係は『最後の砦』として重要である。しかし、強い関係だけでは孤立から抜け出せない。社会にひげ根を張るには弱い関係の豊かさが欠かせないのだ」といい、「治療における強い関係の副作用」も氏は指摘する。ここには、氏が治療関係において何に目を凝らしているか、その秘密の一端をかいま見せている。おそらく精神を失調させた人びととは、「弱い関係の豊かさ」を生きる術失った人たちであり、それが恐怖以外ではなくなった人たちの謂いである。それとともに、「社会性の障害」とひと言で呼ばれているものの、微妙で、重要な側面が指摘されているとも感じるのである。むろん、社会生活を営んでいる私たちにとっても、自分の足元を眺め回すことを促す言葉でもある。

また「認知症的高齢者との対話」は記憶について書かれた4ページほどの短文なのだが、「要点は、まず、エピソード記憶こそ、人格の芯であるということである。第二にイメージの記憶は言語よりも強固である。(中略)。この二つの点がポイントである」と始められ、しばらく読み勧めると、「記憶の煤払い」なる語が出てくる。記憶の煤払い。これまた含蓄に溢れた一語である。回想法という認知症治療の療法があるが、人格の芯としてのエピソード記憶、記憶の煤払い、回想法、この三つを結ぶとどうなるか。……などなど、いくつもの箇所で足を止め、自由に思考をめぐらす楽しみを味わうことができた。『樹をみつめて』の特色を尋ねられたら、評者はそのことを真っ先に挙げたいと思う。



さて、本書の中心をなしている「戦争と平和についての考察」にも、触れないわけには行かないだろう。この長文の印象は、刺激を受けたとか、大きな示唆を得た、というだけではとどまらないものであった。
「人類はなぜ戦争をするのか。なぜ平和は永続しないのか。個人はどうして戦争に参加してしまうのか。残酷な戦闘行為を遂行できるのか。どうして戦争反対は難しく、毎度敗北感を以て終わることが多いのか」という問いが、本論考の出発点である。

著者は、確実な答えのための能力も時間もないと断ってはいるが、これを氏に書かせた動機ははっきりとしている。それは、「戦争を知る者が引退するか世を去った時に次の戦争が始まる例が少なくない」「今、戦争をわずかでも知る世代は死滅するか現役から引退しつつある」という危機感である(ゴチックは引用者。ちなみに本文は二〇〇五年に書かれている)。

平和が維持されるのは、世界史的に見てもほぼ五十年から六十年と言われる(この点で江戸期は異例である)。この指摘は重要でないか。自覚、とか、誇り、とか、勇ましくて元気のいい言葉が誰から出てくるか。
また、中井氏は次のようにも書く。

「戦争が『過程』であるのに対して平和は無際限に続く有為転変の『状態』である。だから、非常に分かりにくく、目に見えにくく、心に訴える力が弱い。(改行)戦争が大幅にエントロピーの増大を許すのに対して、平和は絶えずエネルギーを費やして負のエントロピー(ネゲントロピー)を注入して秩序を立て直しつづけなければならない。(中略)エントロピーの増大は死に至る過程である。秩序を維持するほうが格段に難しいのは部屋を散らかすのと片づけるのとの違いである。戦争では散らかす『過程』が優勢である」

平和とは、怠惰で、退屈な日常の時間である。退屈な日常が貴重であると思い知るのは、大切な人の死、事故、病気などにより、それを失ったときである。失うまでは、その凡庸さだけが際立つ。あるいは次のような一節。
「実際、人間が端的に求めるものは『平和』よりも『安全保障感security feeling』である。人間は老病死を恐れ、孤立を恐れ、治安を求め、社会の内外よりの干渉と攻撃とを恐れる。人間はしばしば脅威に過敏である。しかし、安全への脅威はその気になって捜せば必ず見つかる。安全なセキュリティというものはそもそも存在しないからである。(改行)『安全保障感』希求は平和維持のほうを選ぶと思われるであろうか。そうとは限らない。まさに『安全の脅威』こそ戦争準備を強力に訴えるスローガンである。まことに『安全の脅威』ほど平和を掘り崩すキャンペーンに使われやすいものはない」。そして「平和のための戦争」なるスローガンが次に待ち受けている。
まだこの論文の半分も紹介していないが、七〇歳を過ぎてなお、現実を見据える中井氏の眼は恐ろしく正確であり、衰えはいささかもない。以下、戦争の現実、戦争指導層の思考の特徴、戦争の歴史への言及、と続いていくのだが、今、この時代、是非とも多くの人に読んでいただきたい文章である。



山本譲司著『累犯障害者』(新潮社)
障害をもつ人びとの犯罪


本書は、『獄窓記』の著者による第二作目のノンフィクションである。以下、書評と呼ぶにはいささか紆余曲折を経たものとなっているが、お許し願いたい。

人が「障害」を持つ人びとや彼らをとりまく問題とどのように出会うかは、千差万別である。またどうその課題を担おうとするのかも、人それぞれである。本書の著者山本譲司がきわめてユニークなのは、受刑という特異な状況のなかで彼らに出会ったことであり、また互いに受刑囚であるという、掛け値なしに裸形の人間として、いきなり体ごと出会ったことである。山本氏以前にも無数の受刑者がおり、そのなかには文筆家や知識人もいたはずである。しかしそこに「障害者」を“発見”するには、山本氏を待たなくてはならなかった。なぜそれが他の誰でもなく、山本氏でなくてはならなかったのか。

前著『獄窓記』は「塀の中の障害者」という事実の衝撃性で、多くの耳目を集めた。しかし評者にとって興味深かったのは、何よりも「自己発見の書」となっていることであった。氏は出所後の、先行きの見えない不安のなかで受刑体験を振り返る、という目的で『獄窓記』を書き始める。書き始めた時には、「塀のなかにいる障害者」が、その後の自分の人生にとってどれほど大きな意味をもつか、おそらくは考えていなかったのではないだろうか。振り返り、記述し、再び内省し、記述する、というプロセスのなかで、「塀の中にいる障害者」が自身にとっていかに大きな意味をもっていたか、少しずつ確認していったはずである。

「塀の中の障害者」の発見とは、自分自身の発見でもある。これからの人生において、何を目標として生きていくことができるのかという自己発見。そしてここでの「自己発見」とは、言うまでもなく贖罪感情の深まりと同義である。このような「自己発見」のプロセスが如実に刻まれていることが、評者にはこの上なく興味深いことに思われた。



本書『累犯障害者』の最初の特徴は、そのようにして半ば偶然与えられた「自己発見」が単なる自分自身のためのものではなく、社会的責務という必然に転化していることをはっきりと刻んでいることだ。むろん著者自らが、この仕事は自分の社会的使命だなどと、声を大きくして述べているわけでない。行間にみなぎる息遣いや、著作全体を貫く気迫から読み取った評者の感想である。しかし『獄窓記』における発見がいかほどのものだったか、ただの驚きや一時期のヒューマンな感傷ではなかったことを、本書自らが証明している。そのような書物となっているのである。

このことは次のように言い換えることができる。本書の二つ目の特徴は、いわゆるジャーナリストやル・ポライターが、第三者的に“社会問題”を取材するように「障害者の犯罪」を取材し、元受刑者を訪ね歩いて書かれる、といったリポートとは明らかに異なっている点である。ここにはもっと切迫した“動機”を感じさせるものがある。
本書を一読すると、氏の取材力や情報収集力に驚き、多くの元受刑者の安否を訪ね歩くその行動力に感銘を受けるが、それは取材とか調査という言葉を越えたものを感じさせるのだ。「犯罪を犯す障害者」、出所後の福祉支援から零れ落ち、再び刑務所に舞い戻る「障害者」とは、著者にとっては単なる第三者ではない。福祉支援にさえ乗せることができれば一件落着、と言ってすむような存在ではない。ここには山本氏に特有の、他の誰も持つことのできない、或る“身体感覚”といったものが存在する。それをあえて言葉にするならば、自分と受刑体験をともにした同志への、連帯意識(身体的つながりの感覚)とでも呼びたいものがそこにはある。

しかしまた、次のことも忘れてはならないだろう。著者は本文中、元受刑囚同士ゆえに気心が知れることがある、と屈託なく書いているが、そこには当事者にしか分からない、複雑な心情が込められているはずである。“元受刑囚”というスティグマは、終生、どうしても消すことができないものだからだ。彼らを訪ね歩く情熱が単なる取材という枠を超えているのは、それが山本氏にとっては自身が犯したことへの贖罪行為という意味をもつからであり、そうやって生まれる陰翳が、この著作をユニークで、単なるリポートに終わらないものにさせているのだと思う。



もう一つ触れておきたいことがある。本書はまたどの章をとっても、優に一冊分となる重い主題を扱っている。福祉行政とアンダーグランドの、持ちつ持たれつの癒着構造と、明らかな誤認逮捕にさえ自らの非を認めない警察と検察の体質(第二章)、売春と知的な遅れをもつ女性との悲しい関係(第三章)、ろうあ者ならではのコミュニケーションの難しさがもたらす社会的ハンディと、彼らに聴者であることを強いて気づかない私たちの社会(第四章、第五章)。読者によっては、一つ一つの主題をもっと深く掘り下げてほしかった、と感じる向きもあろうかと思う。

しかし評者の見るところ、山本氏の最大の眼目は最終章にある。障害を持つ人びとの犯罪と、彼らをとりまく福祉や社会の諸矛盾を抉り出すだけではなく、そうした現状のなか、ではどうすれば制度の現実的改変が可能なのか、という点こそが訴えの主眼であり、山本氏が最も力量を発揮する場所である。そして実際にその役割を山本氏は担いはじめている。

厚生労働省による福祉行政も、法務省による矯正教育も、現在、大きく変わろうとしている。制度の改変が新たな矛盾を抱えることになるのは避けられない。どこかを直せば、別のどこかにひずみが現われる。安定を見るまでには十年に近い歳月を要するだろうが、こうしたなかでどのような戦いを氏は見せるのか、その記録を次作では是非とも読みたいと思う。ひょっとしたら山本氏は制度の中枢に腰をすえることのできる、新しいタイプの社会活動家としての軌跡を見せてくれるのではないか。本書はそのような期待を感じさせる一著となっている。
(「図書新聞」〇六年十一月一八日より転載)



浜田寿美男著『子どものリアリティ 学校のバーチャリティ』(岩波書店)
子どもたちが育つ「場」


本書は「事件とその物語」「学校と子どもたちのいま」「学校という場の嘘」と題された三部よりなる。この章タイトルで明らかなように、事件、時代、学校という三つのアングルから考察される子ども論であるが、論全体の射程の長さと深さがまずは目をひく。

「事件」という主題についての著者のキャリアは、「自迫供述の分析」によって積み重ねられてきた。その特徴を極く大雑把に言ってしまえば、あらかじめ決定された静止画像として目の前の事件をとらえるのではなく、様々な補助線を導入することによって見え方が変わってくるというような、動態像として捉えていることが1つめである。それは、証拠採用されている供述すら絶対視しない、どこかに綻びがあると疑い続ける著者の姿勢と深くつながっている。どんな自白供述ですら、必ずそこには作成者側の「作為」が入っている。その作為が事件全体の構図をゆがめるほどのものだった時、著者の分析にドライブがかかっていく。このことが1つだ。

2つめは、思考の根本に、身体論と言語論を深く内在させていることである。閉ざされた「場」に長く置かれた時、身体はどんな変容を表すか。そもそも身体は諸条件が備わってこそ身体本来の機能を発揮する。それは他者とつながり、他者へと開かれているときなのだが、取調室という「密室」言語は、身体のつながりと広がりを断ち切ってしまう。それがいかに苦痛と、ときには激しい恐怖をもたらすものとなるか。密室性についての洞察の深さが、著者の供述分析を特徴づけている(このことは、著者の「私」論のをつくる重要なモチーフともなっている。『「私」とは何か』を参照していただきたい)。

三つめは、言語論によって特徴づけられる点。ここもごく簡単に言うが、身体を「座」するということ。著者にとって身体は単独で成り立つものではなく、必ずや共同性として、他者とあって、他者との「やり―取り」においてなるものであり、したがって言語も、そもそもの成り立ちにおいて共同的である。「やり―取り」をしない言語はない(まちなみに「私」とは、この「やり―取り」のなかでこそ育つものであり、ここが浜田発達論の基盤となる)。本来共同的である(先の言葉で言えば、つながりと開かれのなかにある)言語(身体)が、密室の中におかれ、特定の他者(二人関係)による「尋問する―応答する」という関係し許されない場におかれた時、身体も言語も(つまりは思考も)、およそその平衡を失ってゆく。

ひとまずは著者の供述分析を、このようにまとめておきたい。



さて、本書の第一部は、2004年6月、小6の女子児童が同級生児童をカッターナイフで死に至らしめるという、いわゆる佐世保女子児童事件で示された家裁決定要旨への丹念な分析と批判。そのことを通しながら、子どもたちの「いま」が、なぜ、どのように困難なのか、ということが丹念に追われている。問題は子どもの側ではなく、大人こそが安易な物語を貼り付けることで、「よし」としていないかという批判が、本書から最初に受け取るべきメッセージだろう。そしてこれは、浜田氏によって長いこと主張されてきたことである。先の指摘に沿っていえば、子どもたちが置かれている身体と「私」の「座」が、以下に育ちにくいものとなっているかという主張となる。

そのときに著者が取り出すのは、学校教育(とその場)が持つ「物語」、というキーワード。学校という場のコードは、規則、指導、管理、規範(しつけ)、集団行動……といったものによって特徴づけられるが、そこからつくられる物語は、子ども本来の身体性に反する。むしろそれを奪っていく。

あるいは精神鑑定という「物語」への批判。精神鑑定とは、まったく事後によって解釈されたものであり、さらに、チープで常套的な物語による意味の付与(鑑定)は、凡庸な「精神医学」的解釈に過ぎないと断罪する。精神鑑定批判も、氏の持論のひとつであるが、このような解釈を付与してよしとするのではなく、子どもたちが生きる場所と生きるかたちを考え直す必要がある、それはどういうものかというのが、第二部以降の主題となる。

評者の記憶に間違いがなければ、本書は、「学校」についてこれだけまとまって論じた著作は、おそらく初めてではないかと思う。多くの論点があるが、いかにもこの著者らしいと感じたところを挙げてみる。

悲しみや喜び、怒りといった情動は人間の共同性に根ざし、人と人をつなぐ一方、排他性をももつ。子どもたちは教室で、個と個の「むき出しの人間関係」のなかに置かれ、「不安定な親密劇と対立劇」を演じることになる。もっと直截に言えば、生身の身体を曝す場におかれ、生身の人間関係を生きる子どもたちは、当然そこで、親密になったり対立的になったりする、ということである。

しかし、学校という場はバーチャル(虚構)である。先に取りだした規則、管理、規範というコードが張り巡らされており、そのコードを逸脱すれば、それは「問題行動」と言われることになる。この問題行動は学校側から見た(つまりは大人の側から見た)意味の付与でしかないのに、子ども同士の人間関係はリアル(事実)そのものであり、そこでの安定はちょっとしたことで崩れ、対立が始まり、やがて根の深い傷と怒りが残る。著者はここをひときわ焦点化させ、これが佐世保事件のフォーマットだと指摘する。

また学校という場には、言葉を「嘘」とさせる独特のメカニズムがあると言う。これは浜田氏に独特のつかみ方と言ってよいが、この「嘘」とは、皮相な学校権力批判のために持ち出されたものではない。著者の供述分析(つまりは取調室という密室での会話の分析)と深く関連している。言葉とコミュニケーシは、取調室でのそれがそうだったように、学ある「確信」に呑み込まれたとき、リアルとバーチャルが転倒する。たとえば、将来のためならば「いま」を犠牲にしてもよい、発達が保証されるならば、「いま」を犠牲にしてもよいという考え。それが強い確信となり、物事を判断する時の最優先される基準となる。そんなことはない。それは錯誤であると浜田氏は言う。

《子どもたちは大人になるために生きるのではなく、何よりもその子ども時代を子どもとして生きる》(本書p228)。

重要なのは対症療法的言説ではない、本質的で、時代の臨場感溢れる子どもについての考察である。そう強く訴えかけてくる一著である。

忘備緑 18年3月5日より10日 ケアと発達論とやまゆり園事件

今週(3月5日より10日)、前半は『北川透現代詩論集成』に噛り付いていました。すごく豊穣な批評世界。内情は知る由もありませんが、読み進めている限りでは、批評のアイデアが溢れるように流れてくるように感じられます。

後半は、結構ハードでした。
7日、ふるさとの会台東SCで勉強会。テーマが「自分たちはなぜふるさとの会で働いているのだろう」。最初にレジュメを受け取ってビックリしましたが、スタッフの皆さん、自由に、自分の考えを述べていかれる。ケアにかかわることなので、内容はハードですが、語り方がオープンでフレンドリー。どんどん意見や感想が出てくる。ふるさとの会の「実力」が、こんなところにも表れてくるんだなと感じながら、お聞きしていました。私の発言は、ぼちぼちです。
居酒屋に場所をかえ、延長戦。ここで質問攻めにあいました。お酒もかなり勧められたので、中身は記憶ナシ、担っていますが。

8日、滝川一廣さんの学習院大学での「最終講義」。
これまでの「認識」と「社会性・関係性」という発達の2軸に、新たに「自己制御」の1軸を加え、精神発達において「自己制御」がなぜ重要か。どこからどんな風に育っていくのか。3軸それぞれの連関のなかで、どう「自我」とか「自己」とか呼ばれるものになっていくか、というような、まったく新しい内容でした。おお、という感じで拝聴していました。
そのあと3時間ほど、自主ゼミ。院生や卒業生など、滝川ファンが集まり、感想質問に、述べていくというスタイル。私もたっぷりと質問をし、意見を述べさせてもらいました。こちらも、とても濃密な時間。録音しておかなかったのが、悔やまれます。

そのあと懇親会。
滝川さんは、現在すでに沖縄に転居をされていますが、そのあと押しのひとつとなったのが、私の『評伝島成郎』(筑摩書房より3月20日に刊行)であるとのこと。島成郎さんの医療実践に関心を持っておられたことは知っていましたが、沖縄に対する滝川さんなりの強いこだわりがあったと知り、強力な援軍を得た思いでした。

9日、神奈川県橋本市にて、「津久井やまゆり園事件を考え続ける会」。
微妙だが重要な話題が、各出席者より出されました。ちょっとした内情もここには絡んでいて、中身は控えます。抽象的な問題に限り触れれば、「福祉」が抱えもつ矛盾や、「施設」が(精神科病院も同様)もつ背理、暗部などに触れるものであり、もっとも根本的で本質的な問題が出されていました。いずれ、「飢餓陣営」で特集を組み、中間的な報告をしたいと考えています。
帰宅したのは11時半過ぎ。このあたり、お店はもう閉まっています。東武ストアは、東武線の最終まで空いているので、そこでビールと肴を買い込んで、明け方まで一人で慰労会と、相成った次第です。

筑摩の担当編集者より連絡があり、毎日新聞のある記者より、3月12日夕刊のコラムで、『評伝島成郎』を取り上げてくれるとのこと。ありがたいことです。こうした嬉しい知らせは糠喜びに終ることが少なくないのですが、楽しみに12日を待ちます。



評伝 島成郎 (単行本)
筑摩書房
佐藤 幹夫

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『評伝 島成郎』(筑摩書房)刊行予定

3月16日配本予定
『評伝島成郎 ‐ ブントから沖縄へ、心病む人びとのなかへ』
筑摩書房刊 352ページ 2600円+税

帯文
「ブント書記長として六〇年安保で一敗地にまみれた島成郎が、次に向かったのは沖縄だった。一精神科医として政治を封印し、逆境の中で地域精神医療を一心に粘り強く担った島成郎。それはまさに〝敵〟の本丸に向かって攻め込む闘いの人生そのものだった。霧に閉ざされていた彼の後半生、もうひとつの闘いを圧倒的な取材をもとに描く書下ろし評伝。」
「将たる器の人」(吉本隆明)のもうひとつの闘い


目次

まえがき「一身にして二生を経るがごとし」
プロローグ 島成郎の沖縄入域、これを禁ず

第Ⅰ部 沖縄へ向かうこころ
 第1章 医の初心、〝うたのわかれ〟
 第2章 沖縄、ブ・ナロード(心病む人びとのなかへ)
 第3章 玉木病院と「Open door policy」

第Ⅱ部 1960年日米安保闘争とその後
 第4章 喘息と戦争と敗戦の光景
 第5章 ブント(共産主義者同盟)創設まで
 第6章 60年安保闘争の始まりと終わり
 第7章 漂流、復学、そして医師になる

第Ⅲ部 治療共同体へ
 第8章 島成郎の治療論と「久米島での一つの試み」
 第9章 北の風土と医師たちの治療共同体
 第10章 沖縄再会 ―〝やんばる〟に全開放病院を

エピローグ 島成郎、沖縄に死す
おわりに 島成郎の病理観・治療観と、人をつなげる力

〝分断線〟がつくる障害

〝分断線〟がつくる障害(その1)


■はじめに

津久井やまゆり園の事件は、ほとんどメディアでは取り上げることがなくなった。いつもの光景だとはいえ、あれほど大騒ぎをしていた人たちは、いったい、どこへ行ってしまったのだろう。この事件は、論じられなくてはならないことの過半がネグレクトされたままになっている。何を論じなくてはならないか。なにを考えなくてはならないか。これから取材を続けるにあたっての、自分自身への「備忘」のようなつもりで、何回かに分けてこの欄に書き留めていきたい。


■津久井やまゆり園事件への疑問

昨年七月に「津久井やまゆり園」で起きた殺傷事件についての感想をということですが、これまで多くの議論がなされてきました。私の目からは、精神鑑定や措置入院の議論が先行することによって、この事件が、精神疾患加害者の事例として扱われていった感が否めません。ほんとうにそうでしょうか。

重大事件に精神医学が関与することはままあります。というか、殺人などの事件が起きるたびに、メディアに精神科医が呼び出され、そこで加害者の精神構造についての感想が求められる、というのが定番になっています。もちろんきちんとした、抑制的なコメントを出してくれる医師もいますから、そのことを全否定するわけではありませんが、私がいつも首をかしげるのは、この手のテーマを語るときに、どうも議論の前提に混乱があるのではないかということです。出来るだけ手短に述べてみます。

診断名が付くかどうかは別にし、「あいつはわけの分からない奴だ」「世間に迷惑ばかりかけている奴だ、それも尋常ではない」と感じさせる人物が、大きな他害事件を起こすと、あたりまえのように医療が介入し(介入させられ)、精神鑑定措置へと移されていく。そんなケースが過半だと感じるのは、私だけではないと思います。
このような、よく分らない人間の、よく分らない「動機」によるケースと、元々治療を受けていた人が、不慮の結果、あるいは不運を避けられず、重大な他害行為に及んでしまう、というケースとでは、議論の手続きも、論点も、対応のし方も、大きく異なるはずなのです。そこが整理されないまま、同じ精神医療ケースとして手続きが進められ、議論がなされていく。

繰り返しますが、精神医療が介在する犯罪ケースには、二つの類型がある。意味不明の(と受け取られている)人が、重大な加害行為に及ぶ場合。もうひとつはもともと精神科関係の治療を受けていた人が、加害行為に及んでしまう場合。この二つは分けて考えないといけないのではないか。

後者は、司法措置よりも、あくまでも医療が主導していった方がいいケースでしょう。問題は前者の場合をどう考えるか、ということです。一見、特異なケースであったとしても、司法が優先的に取り扱うケースもあるのではないか。もちろんグラデーションですから、きっちりと二分できるわけではないのですが。
いずれにしても、ここが混乱していないか。したがって、前者がどう処遇されるのがよいか、全く議論されていません。この問題が一つです。

二つ目は、措置入院について。
措置入院は、強制入院です。それから同意入院という制度もありますが、こちらも「同意」というやつがとても曲者です。例えば、必ずしも本人の同意は得られていない、望んでいない。しかし家族は強く希望している。そうすると、本人は望まないのだけれど、しぶしぶ「同意入院」に同意せざるを得ない。

もう一つは、家族が同意すれば入院が可能になる。本人の意向は無視されたまま「同意入院」という事態が起こりうる。これが、相当数に上るのではないでしょうか。

措置入院の数は一桁のパーテンセージまで減っているけれども、同意入院の「同意」の在り方が、結構厄介なものになっている。もっときっちり統計を取って述べるべきことですが、これまでの様々な情報から、おおよその所は間違っていないと思います。

ここで私が問題だと思うことは、強制的な入院のあり方は、患者本人の尊厳を傷つけ、侮辱されたという感情を強く植え付けてしまうことです。初回にこのような形で医療に結び付けられてしまったら、治療という観点から見たら、何一つとしていい結果にはつながらない。「良くなりたい」と思えないでしょうし、そんなとき、治療効果は決して高まらない。治療を始められないはずです。

このことは、以前から医師たちによって指摘され続けていることのはずですが、一向に改まらない。だまし討ちのようにしてなされていく措置入院というものの在り方を考え直す必要がある、と私は強く思います。
このことは、次の問題に関連していきます。

相模原の事件で、まず、最初の一連の警察対応がどうだったかが、真っ先に気になりました。総理大臣あて(実際は衆議院長あて)の手紙を見て、事情聴取はしなかったのか。初めから医療丸投げで、調べも何もしなかったのか。したのだとすれば、どんなことを訊きだしたのか。

おおよその情報でも出してほしいと思うのですが、警察は発表していません。またメディアからも国からも、話題として出されることもほとんどありませんでした。

たとえば措置入院のさせ方が、ほとんどだまし討ちだったという情報があります。このような入院のあり方こそあの事件の引き金になったのではないか、と指摘する精神科医がいます。私も同感です。

入院させ、良好な状態に戻したのちに退院させたいとほんとうに考えているのであれば、不意打ちのような入院のさせ方は最悪です。医療ではなく、司法で処遇するということであれば、拘束するためには無理も生じるかもしれない。そこは議論を経て、政党とされる手続きの元でなされたものであれば、了解できないわけではない。
しかし、メディアでも検討委員会でも本質的な議論はされず(検討委員会ではしていたのかもしれないが、外にはほとんど出ていません)、措置入院後の退院判断の是非、その後の見守り体制の不備、という点を強調するようになっていきます。まったく納得できないですね。

もう一つ付け加えておきたいことは、医師は一般論として「犯罪傾向のある人をなんとかしろと言われるが、医者にそれは不可能である。医療的な範囲での対応が医者の仕事である」という訴えが出されます。正当だと思います。その見解はもっと社会で共有される必要があります。常軌を逸した犯罪があったとき、精神科の医師に委ねれば問題は解決される、と考えることに、まずもって私は無理があると思います。

(『Yo-Ro- Zu』2017年11月号に発表した原稿を捕捉し、転載しました)

飢餓陣営46号発行のお知らせと築山登美夫さんのこと

飢餓陣営 46 2017年秋 創刊30周年記念号

定価1200円+税
12月20日ごろには刊行できると思います。

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読者各位 編集後記補遺

いつも飢餓陣営には多大なご支援をいただき、ありがとうございます。
最新四十六号をお送りさせていただきましたが、今号の発行にあたり、残念なお知らせをしなければなりません。
ここ数号、飢餓陣営に充実した玉稿を寄せてくださっていた築山登美夫さんが、
十二月三日、急逝されました。
私たちのもとに、余命告知を受けたという連絡が入ったのが十一月三日。五日に病院を訪ねると、築山さんは治療と、現在進めている仕事への意欲を語っておられました。
これから長い闘病生活が始まるのだな、と思っていた矢先の、突然の訃報でした。病状を告げられてからひと月余。あまりにも早すぎる訣れです。飢餓陣営の刊行を楽しみにしている、という言葉をお聞きし、刊行を急いできましたが、ついに間に合いませんでした。
痛恨の極みです。このような紙一枚で済むものではありませんが、至急のことゆえ、ここに、皆様に謹んでお知らせし、築山さんへの感謝と哀悼に代えさせていただきます。
皆様におかれましてもくれぐれもご自愛のほど、祈念申し上げます。     合掌
平成二十九年十二月十六日 
飢餓陣営主宰 佐藤幹夫拝


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【状況への批評と詩論】
築山登美夫■情勢論2017――沖縄問題から安倍政権のリコールへ
添田馨■SEALDsとその時代――2015年~2017年のある政治的胎動
宗近真一郎■「事後性」の絶滅は求償されるだろうか
       ――思考の消失、析出されるテロリズム
村瀬学■ランプとチューリップをめぐって――ベンヤミンとまど・みちおの接点について
福間健二■驚きの方法的活用――宗近真一郎『リップヴァンウィンクルの詩学』
広瀬大志■潜まされたオラトリオ――伊藤浩子『未知への逸脱のために』を読む
水島英己■闘いと追悼の「引用」――添田馨『非=戦(非族)』、秋山基夫『月光浮遊抄』
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木村和史■家をつくる(9)―― 脳出血をする
浦上真二■古書会読(24)――吉本隆明とバクーニン『神と国家』
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【特集】人生の難題を生きる
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〈Ⅰ〉滝川一廣『子どものための精神医学』を読む
滝川一廣氏を囲んで■「子ども問題」とその支援
・内海新祐/竹島正/杉山春/伊藤研一/大澤功/小川正明/本田哲也
・中山俊一/富樫健太郎/阿久津斎木/(司会・佐藤幹夫)/
村瀬学■「法の人」になる視点を求めて
――『子どものための精神医学』を読みながら少し考えていたこと
浜田寿美男■滝川さんの『子どものための精神医学』、素手で読めることの重み
佐藤通雅■滝川一廣『子どものための精神医学』を読みながら教師体験を振り返る
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〈Ⅱ〉杉山春『自死は、向き合える』を読みながら
杉山春氏に聞く■『自死は、向き合える』が書かれるまで、書き終えた後
内海新祐■自死と向き合うための物語――杉山春『自死は、向き合える』を読む
本田徹■しじまの中で悲しみを乗り越え、人を再生させる力
      ――杉山春『自死は向き合える』を読んで
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〈Ⅲ〉「人生の難問」と生きる ― 竹島正プロデュース ―
盲目の精神科医・生駒芳久先生に聞く■(聞き手・竹島正、協力 中川浩二・的場由木)
竹島正氏に聞く■精神障害をもつ人の地域生活の支援(聞き手・岡村毅+佐藤幹夫)
佐藤幹夫■ルポ 東野健一(ポトゥア=インド式紙芝居師)の人生の閉じ方
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阿久津斎木■聖母マリアへの「甘え」と癒し
佐川眞太郎■小林隆児『自閉症スペクトラムの症状を「関係」から読み解く』を読む
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一九七〇年代渋谷、パルコは嫌い(26首詠)
ボロ酔い日記■『宮柊二『山西省』論』読了まで

飢餓陣営45号のお知らせ


○「飢餓陣営 45号(2017夏)」編集・佐藤幹夫 好評発売中!

  <島成郎 総集号 「一身にして二生を経るがごとし」>
   A5判/約200頁  予価1000円+税 発行・飢餓陣営発行所
  
画像

 *内容
  1 島成郎新資料―単行本未収録エッセイ―
    ■「熟年期」心の健康(全11回)――
       医療法人こぶし「Newsうえなえ」コラムから
    ■着任にあたって抱負を語る/貴重な体験と多くのことを学んだ
     三年間/精神保健法施行から五年/心身障害者対策基本法が
     『障害者基本法』に改正
    ■(未発表日記)「メンタル・クリニックやんばる日記(1994.8.8~)」
    ■(未発表ノート)「老人の精神病(異常精神状態)についてのメモ」
     (1991.3)

  2 六〇年安保闘争とブント67■1958~1960
    古賀康正氏を訪ねて■島成郎のこと、ブントのこと
    (鼎談)香村正雄+司波寛+古賀康正■島成郎とブントのその後を語る
    長崎浩氏に聞く■島成郎が「革命家」だった頃
    佐藤幹夫■ドキュメント島成郎と吉本隆明
    北明哲+編集部・編■文学者たちの六〇年安保闘争
     江藤淳/三島由紀夫/桶谷秀昭/埴谷雄高/竹内好/
     北川透/鶴見俊輔

  3 地域精神医療 
    ■1971~1984 沖縄「玉木・久米島」時代
    中山勲氏を訪ねて■沖縄の精神医療と玉木病院
    玉木一兵氏を訪ねて+中山勲氏■玉木正明と玉木病院
    山内春枝さん+後原榮子さん■島成郎の思い出と沖縄の医師たち
    宮里恵美子さんを訪ねて■島成郎と久米島での十五年
    大田英子さんに聴きながら(+宮里恵美子さん)■久米島の地域活動を始めたころ
    岡田安代さんと新垣菜見子さんに、久米島の精神保健活動のいまを訪ねる(+宮里恵美子)

    ■1989~1993 北海道「うえなえ」時代
    望月紘氏+片岡昌哉氏+榊原省二氏に聞く■苫小牧・植苗病院
     時代の島成郎

    ■1994~2000 沖縄「やんばる」時代
    高石利博■やんばる(沖縄の本島北部)の地域精神医療―島成郎先生に導かれて 

  4 島成郎を読む
    佐藤幹夫■島成郎 沖縄、ヴ・ナロード(心病む人びとの中へ)

  【編集後記】
  [デザイン] 表紙/菊地信義  扉/廣田茂  

村上春樹『騎士団長殺し』を読む

(ネタをばらしています。未読の方はご注意あれ)


1. どんな作品か――参照作品は『ねじまき鳥クロニクル』
村上春樹の『騎士団長殺し』を読み終えた。
読み始めてまもなく気がつくことは(多くの人がそうではないかと推測されるが)、『ねじまき鳥クロニクル』の舞台や人物の設定に、かなりの部分で重なっているということだった。
主人公は、妻に理由もわからないままに別れ話を持ち出された30代の男性。『ねじまき鳥』でも、突然、妻が失踪した、という導入になっている。そして両作ともに、妻を探し求めるというモチーフが、全編を貫いている。さらに今回は「絵描き」という職業設定がされているが、基本的に村上作品の主人公は、自由業であり、自由に使える時間をたっぷりともつ、というのがお決まりの設定になっている。
そして家のそばに掘られた「穴」。『ねじまき鳥クロニクル』における「井戸」よりは大きめで、「室・むろ」のような穴で、なぜ掘られたかは不明。著者の一貫したテーマである「存在と非存在」の、「有と無」の世界を行き来する通路、つなぎ目という役回りも同様である。

『騎士団長殺し』に即していうならば、この室(=井戸)は、それが登場するときには物語のギアチェンジが行われる、1速目から2速目へ、2速目から3速目へ、そして4速目へ、というように、物語の階層を1段ずつ上げていく装置となっており、これもまた両作に共通する。
さらには人物たち。少女(ここでは、秋川まりえ)の存在。悪を深く内在させ体現している男(「スバル・フォレスターの男」)。そして「騎士団」はじめ、絵から登場する様々な「メタファー」たち。
重要な影を落とす「昭和の戦争」も、同様である(この、戦争のモチーフは、『ねじまき鳥クロニクル』よりもさらに深められていると感じた)。などなど。
物語(ストーリー展開)の骨格も、ほぼ『ねじまき鳥クロニクル』を踏襲している。
とは言っても、著者の物語の基本構造は『羊をめぐる冒険』『ダンス・ダンス・ダンス』以来、彼岸(冥界)と此岸(現世)、実在と非在の往還という物語構造を、パラレル・ワールドとして描き出すことを一貫させてきた。
しかしそれでもやはり、『ねじまき鳥クロニクル』を参照項として取り出しておきたいのである。そんなふうに、わたしの読みは要請している。

小説家としてきわめて身体能力の高い村上春樹が、わたしごとき凡庸な人間でさえ気づくこうした〝事実〟に(そのようには思わない、という主張もあるかもしれないので、断言することには、いささかのためらいはあるが)、無自覚だった、気づかなかったとはとても思えないのである。
気づかなかったとすれば、新作『騎士団長殺し』は『ねじまき鳥クロニクル』の自己模倣ではないか、という批判や疑義が予想されるところだろうし、それはこの〝世界的名声を手にしている作家〟にとって、名誉なことには思えないからだ。いや、むしろ最も避けたい批判ではないか。

従って、今回わたしが引く最初の仮説(補助線)は、なぜ17年を経て『ねじまき鳥クロニクル』を色濃く想起させる作品を書かなくてはなかったのか、というものになる。
意図的ではなかったのではないか、結果的にそうなってしまったのではないか、という疑義は、いったん脇におく。意図的かそうではないか、どちらの解釈が妥当かという論議は、どうしたところで決着などつかないのだから。
本の中で著者も言うように、「想像力を巡らせれば、そこからいろんな寓意やメッセージを読み取ることは可能」であり、「いくら説を組み立てたところで、結局のところすべては裏付けのない仮説に過ぎない」(第1部p429)からだ。
まったく著者の言う通りだと、わたしも思う。
ただし、ここでいう「裏付け」が、作家が残したメモや発言、創作ノート、日記のような資料を指すのかもしれないが、ではしかし、作家が遺す資料が、いかに虚実のないまぜになったものであるかは、少しばかり伝記的あるいは考証の領域に足を踏み込んだことがあるものならば、比較的容易に理解されるだろうと思う。一方で、著者が「絶対的に正しい真実というものはない」とくり返し書きつけているように、「裏付け」もまた検証と、相対的な正しさのなかにさらされることになる。

2. 3.11を通過した後の『ねじまき鳥クロニクル』
「なぜ17年を経て、『ねじまき鳥クロニクル』を強く想起させる物語を書いたか」
先ほど、そのように補助線を引いた。この補助線から導かれる二つ目の仮説は、物語全体を構成する時間についてのものである。
書き出されてから間もなく(これは『ノルウェイの森』や『国境の西、太陽の東』『スプートニクの恋人』などの作品と手法的に同じものだが)、妻と別れてからの9カ月ほどの物語が終ったところから、その間の出来事が回想される、という設定になっている。冒頭すぐ、そのように語られる。そして末尾に、東日本大震災が置かれる。

したがって、作中の、9か月間の出来事に現在進行的に体験していく主人公(私)は、3.11東日本大震災をまだ通過していないのだが、しかしこれを語っているナレーターは(作者は、でもなければ、主人公は、でもなく、ナレーターである)、すでに東日本大震災の経験を経ている。
東日本大震災を体験したナレーターが、それ以前の(ラストになって数年後、と書かれるから数年前のことになるわけだが)、9か月間の出来事を語っていく。そのような時間構成を持つテキストになっているのである。

物語の出発点・数年前(ナレーターは数年を経ている)・・・物語の終着点・・・数年後(現在)3.11を体験する主人公(ここで主人公とナレーターの時間が一致)

ということは、ストーリー上からは「3.11以前」の物語を装いつつも、「3.11以後」のナレーターが語ることによって、おのずと、津波被害とフクシマのメルトダウンの衝撃が、そこには入りこんでくるはずである。重箱の隅を突っつくような指摘をしていいると感じられるかもしれない。端的に言えば、『騎士団長殺し』は、わたしには、村上春樹によって書かれた地震と津波災害、フクシマの事故による放射能被害を経たあとの物語だと思われた。
つまりは、著者はひそかに、「3.11以後」の世界へのメッセージをもそこに潜ませているのではないか。そのような第2の仮説(補助線)が導かれるのである。
『ねじまき鳥クロニクル』は、直接にはオウム真理教のサリン事件などを深いモチーフとして見え隠れさせ、より深層の水脈には、1971年から72年における連合赤軍による〝総括〟と呼ばれた大量の殺戮事件が、底のほうで流れていた。なぜならば、戦時中の、大陸で日本軍が犯した現地住民の大量虐殺と、その死体を穴に埋めて行ったというエピソードは、連赤の事件を想起させるものだったからだ。

この『騎士団長殺し』には、東北を襲った〝神の暴力〟のごとく津波被害と、人知の象徴としての科学技術の破綻・敗北でもあるフクシマの放射能汚染が、じつは作中に、深く密かに刻みこまれているのではないか。
「巨大な暴力や悪を経験した後の、その回復の物語」。手軽なコピーを付すとすれば、そんなところになるのだろうか。しかし手軽なコピーが、深いメタファーとして作中に配置されていることを受け取るならば、3.11のもたらした傷の大きさが、作中に刻まれている。
あくまでも一つの〝読み〟ではあるのだが、わたしがたどりついたのは、そんなところだった。

傍証を挙げてみよう。
主人公は妻と別れて家を出た後、東北や北海道を車で回る。とくに東北の太平洋沿岸でのある町での出来事が、第1部での重要なエピソードの一つになっている。そこで偶然遭遇する一人の男(「白いスバル・フォレスターの男」と呼ばれる)と、一人の女(この女を相手にセックスしているさ中、主人公は疑似的な殺人を行ない、そのイメージは最後まで持続されている)。
二人の存在とも、悪や激しい憎悪の寓意として描かれている。

つまり、『騎士団長殺し』にあって「東北」が重要な場所となっていることが一つ。
さらには、主人公小田原の山中に移り住むことになるが、かつての小田原での地震や、関東大震災に、ところどころで、さりげなく言及されることも、傍証の一つとしてあげておこう。
そして東北を回っているときに、眠っている妻に対し、合意なしにセックスをする、という〝夢〟を見る。この夢の中の性行為によって、妻は妊娠する(正確にいえば、妻の妊娠は、このときのセックスによるのではないか、と「私」は考え、やがて確信する。もちろん根拠はない)。この舞台も東北である。

この夢をとおした「妊娠と出産」という出来事は、第二の主役とも言えるもう一人の人物である色免という男のセックスと、対照的な位置づけとして描かれている。いわば「私」と色免を対とする世界が、雨田具彦や騎士団長や、東北で出会った二人の人物、という『騎士団長殺し』の人物配置をつくっている。そして「父と子(娘)」というもう一つの重要なテーマが伏在することを、この人物配置は教えている。
ちなみに言えば、もう一人の重要人物、画家である雨田具彦――「騎士団長殺し」とは、彼の隠された重要な作品のタイトルである――と、「私」の友人であり、具彦の子である雨田政彦にも、父と子のモチーフが(あるいは「父になる」というモチーフが)、託されている。

もちろんここでは、子(娘)であるという確証は、保障されていない。いかにも村上春樹的に、「夢の中での性行為によって受胎し、誕生した娘(室・むろ・と名付けられている)であり(「私」)、もう一方は、別れに当たって突然訪ねてきて行われた激しい性行為によって、受胎し、誕生した・かもしれない・娘(秋川まりえ)である(色免)。保証されていないことによって、それを確認したいという色免の意思・欲望が、物語前半の重要な動力源となっている。
「私」にあっても、冥界・魔界、非在の世界を通過することによって、言い換えればいくつかの試練を乗り越えることによって、我が子を引き受ける(この点のみに注目すれば、大江健三郎の『個人的な体験』に連なる作品である、ともいえる)。

ラスト近く、「私」は〝室〟といっしょに、東北を襲った津波のニュース映像を見る。ただし〝室〟の眼をふさぎながら、と描かれる。ここはいくつかの解釈が可能だろうが、ここでは書かないでおく。
ともあれ『ねじまき鳥クロニクル』とは大きく異なるのは、次のように結ばれていることだ。

「私は騎士団長や、ドンナ・アンナや、顔ながの姿を、そのまま鮮やかに浮かび上がらせることができる。手を伸ばせば彼らに触れることができそうなくらい具体的に、ありありと。(後略)
私はおそらく彼らと共に、これからの人生を生きていくことだろう。そしてむろ(原文傍点)は、その私の小さな娘は、彼らから私に手渡された贈りものなのだ。恩寵のひとつのかたちとして。そんな気がしてならない。」(第2部p540)

ここで語られているのは、「希望」である。「騎士団長殺し」の絵に描かれた人物たち(彼らはまた、異界あるいは非在の世界の住人でもあるのだが)、その彼らからもたらされた「小さな娘」は、「恩寵」だという。
そしてわたしの記憶に間違いがなければ、村上作品にあって、作品のラストをこのような未来に託す希望の言葉で語ったことは、これまでは見られなかったことではないかと思う。
『ねじまき鳥クロニクル』では、妻にも会えず、どこへも行けず、ラストは宙づりにされたままだった。しかし『騎士団長殺し』では、妻との再会を決意し、会って同居を願い、もう一度やり直すことを、そして〝室〟を我が子として引き受けることを、作者は主人公に決断させている。
このラストこそ、3.11以後を描いた作品であることの、有力な傍証ではないかと思う。3.11をきっかけとして、わたしたちの間に、「未来の人類」や「子どもたちの未来」が、不問に付してはおけない主題として浮上してきたからだ。

3. なぜ「画家」だったのか
思いがけず長くなっているが、主人公の職業を「画家」としたことについて、触れておきたい。
仮に著者が「この芸術家(作家)は、誰それと誰それの影響が濃厚であり、影響を脱ぎ捨てて行くようにして自立した芸術家(作家)となっていった」と指摘されたと仮定しよう。反論の意思を持ったとき、著者は、その指摘に直接反論するような論理を積むのではなく(この作者にあって、それは容易なことだろうと思う)より本質のところで、「芸術家(作家)はどのように、芸術家(作家)たり得ていくか」を示そうとする。
芸術(文学)の作品が、どのようにして立ち上がってくるか。作家(芸術家)がどのようにして、より深い、個性あふれる作家(芸術家)として自立していくか。著者のそのようなモチーフが、絵描きという主人公を選ばせたのではないかと推測する。
つまりここで主人公に託して語らせている絵画や芸術、作家についての記述は、作者自身の芸術・文学の作品への見解であると読み解くことができる。当然「メタファー」として、著者の見解や洞察は書かれているわけだけれど。
このことは逆に言うこともできるだろう。
『騎士団長殺し』において、これまで積み上げてきた小説技法の粋を尽くして、作家は、芸術論をやってみせたのだ、と。芸術論をやってみせる必要があった。これが第三の仮説である。
もしこの第三の仮説にいささかの妥当性があるとするならば、それはこの著者にとって、一つの転向、というのが大げさであるならば、態度変更を意味するのではないか。そのようにわたしには感じられた。
どういうことか。
かつて著者は「誤読というものはない。私はこう読んだと言えば、それは正しい読み方です」と、朝日新聞でのインタビューに、自信をみなぎらせながら応えていた(2005年10月3日夕刊)。これは、私の作品は、まだいささかも読み解かれていない、という言明ではないかと感じさせるほど、自信と自負が溢れる言葉だったと思う。

しかしどのような契機があったからなのかは分からないが、いや芸術(文学)作品は、ある先行する作家の影響から生み出される、などというような、そのような生まれ方はしない、それはいかにも表層の理解であり、もっと本質的な、内的契機や必然をへて(乗り越えて)生み出されるのだ、というように。
これが作中の「イデア」や「メタファー」である。「イデア」や「メタファー」が、とても高度なメタファーとして描かれている。
この著者ならではの発想・アイデア、技量には畏敬を感じつつも、一方、自作の〝解説〟を述べ始めたのではないか、という危惧も抱かざるをえなかった。あのイスラエルでの受賞講演、「壁と卵」の話も然り。
言い換えるならば、〝誤読〟に対して、やや狭量になっている、ある種の牽制を始めている、ということになる。しかしこの危惧、あるいは疑義がどこまで妥当かは、作品が決するはずである。

公平を期してもう一つのことを指摘しておきたい。
『騎士団長殺し』で描かれている絵画についての様々な見解。対象がデッサンされ、数多くの線が引かれ、そこから一本の線が定められ、形(フォルム)をつくり、どの色が適切か厳密に鑑定された色が塗られ、マティエル(質感)をつくり、作品として仕上げられていく過程の記述。
あるいは、技術的には高くても一般的な肖像画と、ポートレートではあるが、質的にまったく異なる肖像画がどんなもので、なぜそれが他を圧しているのか、というあたりの記述は、とても見事なものであった。

それ自体が見事だったばかりではなく、画家の才能や能力が、いかに魔的なもの、デーモニッシュなものを必要とするか。すぐれた作品が生み出されるためには、人智を超えたジャンプ力を己のものとして要するか。これらの記述が、作品進行における重要なメタファーとして、物語の進展と深く連動させられているところが、この作品の重要な読みどころの一つであると思えた。

物語を組み上げていきながら、絵画論や芸術論が挟みこまれる。それが物語の奥行きをつくることに加担し、終結に向けた進展が、一つの芸術作品が仕上がっていく過程と深く連動している。そのような小説作品は、過去にあったろうか(トーマス・マンやゲーテを思い起こし、何かあったのではないか。『トニオ・クレーゲル』?『若きウェルテルの悩み』? しかしいま、しっかりとは思い出せずにいる)。

物語の前半、上巻では『ねじまき鳥クロニクル』を想起させ、参照し、たどり着いたところはこのような感想であった。もちろん、入口は、他にいくらでもつくることができるだろう。解釈は一つではない。
(2017.3.3)




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基本情報ジャンル文芸フォーマット本出版社新潮社発売日2017年02月ISBN978410353432

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「認知症七〇〇万人時代」の現場を歩く  人生の閉じ方入門

飢餓陣営せれくしょん6 
「認知症七〇〇万人時代」の現場を歩く  人生の閉じ方入門           佐藤幹夫


【目次】

はじめに 「人生の閉じ方」を支える仕組みはできるのか

第1章 「認知症七〇〇万人の時代」に備える地域包括ケアシステをルポする

1.看取り文化をつくった「地域まるごとケア」

        ――滋賀県近江市の永源寺地区 花戸貴司医師を訪ねて

2.斯界注目の「三方よし研究会」
        ――代表・小串輝男医師に聞きながら

3. 「幸手方式」の仕掛け
        ――埼玉県幸手市東埼玉総合病院 中野智紀医師の取り組みから
 
4.なぜ地域包括ケアか 
        ――高橋紘士氏(高齢者住宅財団理事長)を訪ねて

[エッセイ1]社会保障費の世代間分配と世代内分配


第2章 「認知症七〇〇万人の時代」を支える「ひと」を育てる

1.病院と在宅をつなぐ看護師の役割

        ――在宅ケア移行研究所・宇都宮宏子看護師に聞く

2.「療養相談室」を立ち上げて医療と介護を結ぶ
       ――板橋区医師会在宅医療センター・井上多鶴子看護師に聞く

3.地域が育てる〝総合診療医〟
       ――地域住民が医療(富山大学と南砺総合病院)を動かす

4.国が奨励する「地方への移住」の危うさ

[エッセイ2]社会保障の負担と非正規雇用


第3章 認知症高齢者を「被害」から守る ――大牟田市の取り組みから

1.「認知症無断外出」を見守る生活支援

       ――ソーシャルワーカー(大牟田市白川病院)猿渡進平氏に聞きながら

2.認知症ケアはどう始められていったか
       ――大牟田市保健福祉部池田武俊氏に聞きながら

3.認知症ケアと地域づくり
      ――大牟田市白川病院・柿山泰彦氏と
              中央地区地域包括センター・竹下一樹氏に聞きながら

[エッセイ3]認知症高齢者の「列車事故裁判」を受けて


第4章 人生の「閉じ方」と地域包括ケアシステム

1.「病と死の苦」はのりこえられるのか
     ――ビハーラ医療団・田代俊孝同朋大学教授を訪ねて

2.がん―非がん 二つの〝終末期〟とホスピス緩和ケア
      ――ケアタウン小平クリニック・山崎章郎医師と相河明規医師を訪ねて


第5章 「認知症七〇〇万人の時代」の「老い」のゆくえ

 おわりに

松浦理英子『最愛の子ども』を読む

2017年2月7日 松浦理英子「最愛の子ども」(『文学界』2月号)読了。(2.13 訂正)

1.どんな作品なのか

久々に、小説を読む醍醐味と愉悦を、全身で感じながら読み終えることができた。なによりも作者・松浦理英子の実力が存分に発揮されていて、前作の『犬身』よりもこちらを高く評価したい、それくらい作品の完成度が高い、と思った次第(もちろん『犬身』も、かなりハイレベル。『犬身』や『親指Pの修業時代』、読み返したいが時間がないのが悔しい)。

「最愛の子ども」は3人の女子高生を主人公とし、その友愛の関係が(と言ったらいいか、友情と言ったらいいか、ガールズ・ラブといま風?に言ったらいいか)、父(日夏)、母(真汐)、子(空穂)の3人で〝疑似的家族〟をつくっている、という形で表現される(この設定が、いきなり松浦ワールドだね)。
ともあれ疑似でも家族は家族。日夏、真汐、空穂のやり取りは、ときに現実の家族関係のパロディのごとき観を呈するが、この〝疑似家族〟という設定がただの思いつきにすぎないのか、ただただ珍しいだけのシロモノなのか、読者は、まずはそこに目を光らせながら読み進めていくことになる。

言い換えるならば、〝疑似家族〟という装置の導入によって3人の交流はとても微妙なものにならざるを得ない。その世界がどこまでオリジナルで、個性的なものになっているのか。そこは松浦理英子。思い切り知的な仕掛けと、絶妙な筆さばきで、彼女たちの交流に分け入っていく。

そして「わたしたち」の外にいる同学年の男子たち(この高校は、女子クラスと男子クラスとに別れているという設定。男子高校生たち・ボーイズは、松浦ワールドに登場すると、ひときわ〝むさくるしさ〟を発揮する。作家が意図的にむさくるしさを露出させているというよりも、いわゆる草食系男子さえここではおのずと男臭くなる。そんな描き方になっている)。さらには、それぞれの、実際の家族メンバー。
これら、〝外部〟とのコントラストによって、女子グループの微妙さや独特さが、さらに浮かび上がってくる、という仕掛けになっているのである。

終局、ある〝スキャンダラスな事件〟が用意される。
それは女子グループや、家族関係の破綻で閉じるのではなく、ありがちな大団円でもなく、主人公たちの〝人生の始まり〟に向けた時間の結節点として示され、とても見事に小説は閉じられていく。
いかにも評論家風な言い方をしてしまえば、セクシュアリティの多様性とか豊さとか、この作品はそんなメッセージを届けている、ということになるのだろう。しかし、文学ならではの、文学作品にしかできないやりかたで、「セクシュアリティの多様性やら豊かさ」を、松浦理英子は描いてみせた。
それがわたしの全体的な評価だ、ということになる。

2.知的な仕掛けとしての人称

この物語の大きな特徴は、「わたしたちは」という不思議な主格によって始められていることだが、どんな人称を選択しているかによって、物語構造は大きく規定される。物語構造とは、作家の世界観である。
冒頭の真汐の「女子高生らしさとは何か、と尋ねられるが、よく分からない」という挑発的な作文が置かれ、その後、こう書き出される。
「放課後、わたしたちは担任の唐津緑郎先生に呼び出された今里真汐が職員室から戻って来るのを、教室で待つともなく待っていた。」

そして「わたしたち」による描写が続く。「黄色い光の溜まりの真中に、舞原日夏がいた。・・・」というように、「わたしたち」の目からみた日夏が描写され、佐竹由梨乃、木村美織、田中加奈子、草森恵文といったメンバーたちが登場し、<夫婦>の<子ども>とされる薬井空穂が出てくるころには、あらかたの設定や状況は布置されている。
「わたしたちは」という主格をもつ三人称小説、という顔を見せながら物語は進んでいく。

ところが、第3章を過ぎるあたりから、「わたしたち」という主格は後景に退いていく。そして主人公たち3人の三人称による語りが多用されるのだが、「最愛の子」の物語がいわばトップギアに入っていく。
「わたしたち」という女子集団の描写から、主人公それぞれの世界の描写へと、比重が移っていく。もちろん読み手は、人称が自在に変換されていることに、違和感はおそらく持たないだろう。それだけ著者の筆さばきが、絶妙なのである。

もう一つ、わたしの目を引いたのは、「わたしたち」が誰なのかが、結局最後まで明示されないことだ。あくまでも、女子グループのメンバーの誰かである。そして誰であるかが明示されないことについても、まったく違和感はない。物語を破たんさせない配慮がなされながら、不思議な「わたしたち」によって、語りの構造が作られている。

3.ちょっとした知ったかぶり

ちなみに「あなたは」という二人称をもつ作品が、倉橋由美子の『パルタイ』であり、多和田葉子の『容疑者の夜行列車』だったと記憶する。とくに多和田作品は、読み初めの戸惑いはすぐに消え、不思議な文学空間を作り出していた。読了時には、作者がなぜ「あなたは」としなくてはならなかったのか、感銘のなかで深く納得していた。

「わたしたちは」‐「日夏は・真汐は」という三人称‐「わたしは」。
この自在に入れ替わる人称構造をもつ物語を示すことによって、作家は何を試みたのだろうか。
さらに推測を重ねることになるが、人称の自在な変換は、松浦理英子のこれまでの重要な主題だった「変身譚」と、深くかかわるのではないか。『親指Pの修業時代』では、足の親指をP(ペニス)に変身させ、『犬身』では主人公を「犬」に変身させたこの作家の変身のモチーフが、ここでの人称変換となったのではないか。
そのような推測を、わたしは持ったのである。

そして変身譚に何を託しているのかと言えば、おそらく、「自己」と「他者」の境界を突破することではないか、と思う。ここはもう少し具体的作品からの裏付けを要するところだが、「最愛の子ども」にあって、少女たちの情緒や情動の深い同調をつくることが「わたしたちは」という人称を導入することだった。
いわば松浦理英子のこれまでの試みが、この作品の人称構造として結実したのではないかというのが、わたしのたどり着いたとりあえずの読解である。



飢餓陣営44号 のお知らせ

飢餓陣営44   CONTENTS
 11月上旬刊行予定  204ページ 定価1000円+税

築山登美夫■情勢論 二〇一六 ―― シールズと『戦後入門』 
夏木智■原発問題は、いま何を考えるべきか ―― 東日本大震災個人的体験記(最終回)
佐藤幹夫■浜田寿美男の供述分析、最新三作を読む
 ――『虚偽自白はこうしてつくられる』『もうひとつの「帝銀事件」』『名張毒ぶどう酒事件 自白の罠を解く』

【討議】経済学的研究会報告(第二回)
エコノミーってなんだ?! 吉本隆明「エコノミー論」「消費論」から二五年 
■添田馨 築山登美夫 瀬尾育生 近藤洋太  宗近真一郎 佐々木陽介

村瀬学■「存在給付」へ――予備考察―― 
ガマフヤー 具志堅隆松さんに「戦後七〇年」の沖縄戦を聞く

【特集】「琉球・沖縄」と吉本「南島論」を読む
瀬尾育生氏インタビュー■吉本隆明『全南島論』をめぐって
比嘉加津夫■沖縄片片――『沖縄からはじめる「新・戦後入門」』に触発されて
水島英己■「戦後」とはなにか ―沖縄からはじめる「新・戦後入門」― を読む
本田徹■書評のような、書評でないような沖縄論 
内海新祐■性暴力、その加害性を定位するために「沖縄と女性たちの戦後史」からの連想
阿久津斎木■作家・島尾ミホ2 

木村和史■家を作る(8)―― 有料老人ホームに入る 
【北海道取材日記】 台風一過の道南を取材し、知床と熊牛原野を訪ねる 
    二〇一六年八月三一日~九月四日

【連載】
宗近真一郎■柄谷行人論6 ―― 形式化の狡知をめぐって
浦上真二■吉本隆明とフェルディナンド・ラッサール

【書評】能智正博■「エヴィデンス」再生に向けての確かな歩み
   ―― 小林隆児・西研編著『人間科学におけるエヴィデンスとは何か』(新曜社)
今野哲男■鶴見俊輔の笑顔 ―― 村瀬学『鶴見俊輔』(言視舎)

佐藤幹夫■北川、村上、吉本、敗戦と戦後をめぐる文芸批評三篇(転載)  

【編集後記】
                         [デザイン] 表紙 菊地信義   扉 廣田茂

「相模原事件」について その4

関係の学としての「障害者」支援論


1.
8月12日、読売新聞。
「職員連れ回し凶行 障害の程度聞き出す」との見出し記事。
入所者の障害の程度を聞き出し、確認して、重度障害者を選んで襲っていた。職員が動けなくなると、拘束バンドで動けなくし、一人で襲っていった、という趣旨だった。・・・

改めて思うが、この間考えてきたことは、「精神医療」の問題に還元しても、問題の肝心なところは見えてこない。容疑者の人となりに(かなり難しい作業ではあっても)、迫ろうとすることのほうが大事だということであった。すると、立岩真也氏のホームページを見ていたら、次のようなことが書かれてあった。

◆2016/07/28 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/758677691205758976
 「相模原での事件:http://www.arsvi.com/2010/20160726.htm … は精神障害者とその処遇の問題ではない。措置入院退院後の精神医療の問題でなく、その制度を改善しようということでない。政治家たちの誤った了解方向付け自信。(ママ)がメディアにもわかられてない。テロリストは精神障害者?。書いていく」
◆(略)
◆2016/07/30 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/759179796664332288
 「その人の「思想」は「精神医療」でどうかなるものでない(なると思う人はその人物と同じぐらい、まずい)。なのにもっと入院させておけばよかったなどと言うのは、やはりその人物とさして変わらない。「説明」は後、だが、相模原市での殺傷事件関連→http://www.arsvi.com/2010/20160726ts.htm

わたしはこの見解に、まったく同意する。正当な感覚であり、正当な思想であると思う。そして読売新聞の記事を見るかぎり、どうしてこの容疑者が「精神障害者の犯罪」という文脈の中で多くの報道がなされているのか、疑問に思う。「『宅間守 精神鑑定書』を読む』(飢餓陣営せれくしょん2)をぜひ読んでほしい。収録論文は、どれも参考になるはずだが、中でも滝川一廣氏の「「反社会性人格障害」は医療の対象か」が、問題の本質をズバリとついている。

ところで、これまで読んできた立岩氏の著作にはほとんど異論を感じるところはなかった。一つだけ氏と私の立場に違いがあるとすれば、立石氏は「生存学」の提唱者であること。つまりは、障害をもつその人個人の存在(実存)は、いつ、どのようなとき、どのような事態に置かれているとしても、それは一切の留保なしに肯定されるものである、という基本的な考えが貫かれていることだ。もちろん、だからこそ記述は一筋縄ではいかないのだが(問題の難しさからして当然なのだが)、まったくぶれることなく最後まで、その思想は貫かれる。

一方わたしのほうは(自己解説なので、我田引水の分は割り引いて聞いていただきたいが)、「関係の学としての支援論」とでも呼ぶべき見解を書き続けてきた。あくまでも「関係・かかわり」にまず、まなざしが向けられ(もちろん、ときにそれは背理や桎梏となるものではあるが)、どのように「重度」の人であっても、そこで目指される互いの承認の関係が、わたしのとるべきロジックの基本となる。だからこそ支援者の在り方とか、支援論に、わたしの記述の重点は置かれてきた。

2.
支援とか、ケアに当たっているひとたちが、今回の事件をどう受け止めているのか、この間、いただいたメールから少し拾わせていただく(もちろん、掲載には了承をいただいている)。

「佐藤様
寄稿、拝読しました。
本件は精神医療が関わっているゆえ、私自身論じることが難しいですが、次のように感じました。
社会防衛的な言論に終始する人々にとり、本件は所詮”ひとごと”であり、外部からのちん入者である罪なき人を害する”エイリアン”は処罰・管理せよ、ということなのでしょう。
一方、このエイリアンは誰のこころのうちにも潜む可能性があるため、それを排斥するのではなく直視しなくてはならない、という姿勢を持つ佐藤さんのような人々もいる。
しかし、両者の溝はなかなか埋めがたい。
また本件被疑者からは、ヒトラーまがいの奇妙な優生思想が持ち出され、障がい者さえもある種のエイリアンと見なそうというタブーが混ざり込んでおり、多くの人々はここにはなかなか触れようとしません。
佐藤さんはかねてから、障がい者に対し極めて高い当事者意識をお持ちで、この問題に真っ向から向き合ってこられました。
ゆえに本件について、今後の佐藤さんのご発言・活動に期待しています。
(なかなか声を大にしては言えませんが、私自身は、精神医療はただの権力の道具に堕してはならない、と常日頃思っています) 匿名」

今回、医医療関係者はさすがに慎重だし、また慎重であることは当然の振る舞いだと思う。
そして自分からはなかなか言いにくいことだが、ここで指摘してくれている「当事者意識」という考え方も、(わたしにとっては)もうひとつのキーワードとなる。これは、ジャーナリストという私の「肩書」と、ときに著しくバッティングする事態をもたらすものでもあるのだが。

さらにもうひとつ、福祉職員の方からのメールを掲載させていただく。

「佐藤幹夫様

ブログを拝読いたしました。
私が以前関わっていた方が入所している可能性があり、様々な感情が出てきてしまい、まだ整理して考えられない状況ですが、佐藤さんの文章を頼りに感想や考えを述べさせていただきます。

佐藤さんが記しているように、福祉施設の現状にもっと目を向けること、植松容疑者の変化の過程をとらえることが、不可欠であると、感情を抑えながら私も思います。本当に嫌になるくらい福祉施設は世間から取り残されている感があります。

私は大学院時代に、植松容疑者が言う重度の障害がある方の施設に実習に行っていました。
パンフレットには施設名の前に重度重複聴覚障害者施設と書かれ、実際聴覚障害に加え、知的障害、発達障害、視覚障害を持つ方が入所していました。

手話の本を購入して覚えても、人によっては、手のサインとその方が伝えようとする意味が、一般的な手話の意味と一致しないこともよくありました。
コミュニケーションが難しく、手話という言語の共同体に参入できなければ、手話も独特なものになりますが、
一緒に過ごしていくと、独自の手のサインが何を表しているかが、少しずつ分かってくるのです。
入所者の家族であれば、互いに分かり合えるサインも多いはずです。

実習期間が長くなるにつれ、「重度」とは、当事者の方たちから離れた場所にいるひとが使う言葉であり、その距離を表すような気がしました。
施設職員は利用者を「ここの仲間」と言い、「重度」という言葉を使うことはありません。

施設職員が対外的に仕事をする際の葛藤を察しましたが、この葛藤は福祉施設に勤める者には程度の差はあれ、あるかもしれません。これは入所者との関係を築いた結果であり、個々の職員を結束させる力にもなりますが、対外的には孤立感を強める場合があります。

施設方針が曖昧だったり、職員フォロー体制が整っていなかったり、コミュニケーションを意識的に図ったりしなければ、施設内でも簡単に孤立してしまいます。

私が携わる社会的養護の領域では(他の領域でも同様かもしれませんが)、研修でも法律や国の指針でも「専門性の向上」という言葉をよく見聞きします。
(専門性とは何かという問いは乏しいのですが・・・)。
確かにその通りなのですが、これでは、ますます世間から孤立してしまうような気がしてしまいます。
現状対する疑問や考えを施設職員が発信していくしかないです。
  (匿名)」

「「重度」というのは当事者の方たちから離れた場所にいるひとが使う言葉」であるという指摘には、はっとさせられた。その通りだと思った。

「相模原殺傷事件」について その3-2

その「排除の思想」はどこから出て来たのか(2)



 ここまで書いて筆が止まっていた時(8月2日)、ちょうど東京新聞夕刊に、次のような記事が載っていました。
 見出しは、「ヒトラーと似た考え「施設側指摘で知った」容疑者供述」というもので、2段の小さな記事。

「(略)障害者に対する差別的な考えについて、「ヒトラーと似ていることは、施設側に言われて気付いた」と供述していることが二日、捜査関係者への取材で分かった。」
「施設側によると、植松容疑者が周囲に「障害者は死んだ方がいい」と発言したため、二月十九日に面談。その際、施設関係者が「ナチス・ドイツの考えと同じだ」と非難した。植松容疑者は「そう捉えられても構わない」と反論し、退職の意向を示した。/同日中に緊急措置入院した植松容疑者は翌二十日、「ヒトラー思想が二週間前に降りてきた」と話していた。捜査関係者によると、植松容疑者は発言について、「施設側にそう言われたので措置入院中に言ってみただけ」と説明。自宅の家宅捜査でも、ヒトラーに関する書籍は見つからなかった」
 
 ヒトラーのことは知らなかった。「優性思想」というものがあることも知らなかった。つまり、「障害者は殺してもよい」という考えは、本で読んだりして身に着けたものではない、ということが、この記事から分かります。
 するとやはり、「人の役に立たない人間は生きている価値がない」という考えは、植松容疑者の心に、いつのころからか住み着いていたことになる。
 それが少しずつ形を変えながら、「重度知的障害者は殺した方がいい」というところにいたってしまった。

 視点をひっくり返してみます。
 「人に迷惑をかけるな。役に立つ人間になれ」という言葉があります。
 とりあえずはよく聞かれる、普通の〝励まし〟です。
 ところが、これが、あるとき反転する。
 何をやっても失敗ばかりしている人間(子ども)、何をやっても「よくやった」とほめてもらえない人間(子ども)にとっては、「人の役に立つ人間になれ」という言葉は、「お前は人に迷惑ばかりかけている役に立たない人間だ」という、全否定のメッセージに変換されてしまう。

 そして、「役に立たない人間は生きていても意味がない」という価値観は、植松容疑者の家族の間にあって、強く共有されていたのではないか。そういう推測をも、もたらしてくるのです。
 だからこそ「障害者を殺すことは、家族を助けることだ」という言葉になったのではないか。
 
 家族を激しく疲弊させていたのは、実は植松容疑者自身だったのです。両親とは別居しなくてはならなかった、という事実は、そのことを物語っているのではありませんか。

 植松容疑者にとって、家族から「お前は役に立たない人間だ」という評価を受けることは、もっとも避けなくてはならないことだった。大きな恐怖だった。しかし、教員になることは、とうとうできなかった。福祉施設に就職したけれども、どうもそこでも、自分は「役に立っていない」ようだ。
 「役に立たない人間」という恐怖から逃れるためには、「うまくできずにいる自分」を合理化し、目の前に「役に立たない人間」を作り上げればいい。
 悪いのは自分ではない。やつらのほうだ、というように。おそらく(あくまでもおそらく)、薬物がそうした精神的動因を、激しくジャンプさせた。・・・・・・
 これが、いまもたらされている情報からの、とても限られた情報からの、わたしの描く、植松容疑者の心理的経緯です。

 こうした考えをもったのは、じつは、わたし一人ではなかったようで、前大阪大学大学院のj教授で、非行臨床のスペシャリストであり、自身の相談室を運営し始めたふじおかじゅんこさんからも、次のようなメールをいただきました。許可をいただいたので、お名前ともども紹介します。
 ふじおかさんは、次のようなメールを寄せてくれました。

「心理屋の私の視点としては、植松容疑者は、
自身も「役立たず」と思われることを恐れていたのだろうと考えています。
おそらく幼少時から「良い子」であること、「成果をあげること」、
「親の期待に沿うこと」で自身を縛ってきたような気がしています。
そういう人が大学に入り一人暮らしをすると、
ちょっとした逸脱に憧れて少し生活が乱れますが、
そこまで逸脱しきる気はなく、一応卒業して、
教師になれなくても社会に役に立つ介護職といった選択、
「役に立つ」自分をアピールしようとしたのかもしれません。

ただ、そこに、薬物乱用による精神変調と施設での挫折が加重されて、
妄想状態になったのであろうと推察しています。
世間一般に、「役に立つ人」、「達成による評価」、「人より「上」か「下」か」
という基準のみが横行していることの影響も大きいのではないでしょうか?」

 基本的にはまったく同感で、わたしもこうした考えに立っています。
 そしてふじおかさんは、もうひとつ、非常に興味深い考えも寄せてくれました。

「実は、私も高校生の頃、「知的障害者に生きている意味はあるか?」という疑問を抱いたことがあります。
それは自分が生きている意味はあるかということの裏返しだったと思います。
結局、「生きている意味の有無は、私が決められることではない」という結論に達しました。
「裁くことの不遜」は「裁かれる恐れ」、「誰にも受け止められない空っぽさ」からくるのかもしれないと考えています。            ふじおか    」

 この点についても、じつは、わたしも同様のことを考えていました。
 インターネットという匿名前提で、どんな人が、どこで見ているのか分からないような空間で、プライベートなことを書くことには抵抗がなくはないのですが、話の流れ上、必要なことのみ記します。
 
 おそらく、小学校2,3年生のころから、始まっただろうと思います。
 目の前には、いつも体を突っ張らせたまま、ごろん、と横になったままの弟がいます。
 その彼を見ながら、「この人は、何のために生きているんだろう」などと、わたしはときどき考えていたようなのです。もちろん、口には出せません。
 親が死んだあとは、自分が世話をしていくんだろうなということも、ぼんやりと(ほんとうにぼんやりと、ですが)、考えることもありました。ガキらしからぬ、その他いろいろな、大人と世間をめぐるあれこれも。
 だからわたしも、小学校3年生くらいから、重度障害者の弟を見て「生きている意味があるんだろうか」みたいな問いは、抱いていたような気がします。
 
 そして、ひょっとしたら、わたしが考えていたことは、植松容疑者考えたことと、じつはとても近かったかもしれない。そう思い当たったのです。
 生きて、生活の時間を共にしていくということは、きれいごとばかりで済まないのはもちろんです。わたしは幸いなことに、弟をめぐって世間との間で引き起こされる激しい不況和音や、対立、差別などの渦中におかれることはほとんどなかったのですが、それでも、きれいごとだけですまなかったことは確かです。
 ガキはガキなりに、結局は差別をむき出しにしてくる世間のダブルスタンダードや、大人(という権威や権力)などと、闘ってはいたのです。
 いずれにしても、こうした反抗の一方で、「重度の障害を持って生きることに、何の意味があるか」という問いを、誰にも語ることのないままに問い続けていた、という体験は持っていたのです。

 ただし、わたしの場合は、彼(弟)が生きてそこに存在することを、あるいは、これからも生きていくのだろうというその生涯を、意味のあることだと肯定するために、その問いを問い続けていた。問う必要があった。そう思われるのです。

 わたしも、「障害をもって生きるということには、どんな意味があるのか」という植松容疑者の問いを、とても長い時間をかけて考えてきた(どう考えたかは、2003年に出した『ハンディキャップ論』(洋泉社・新書y)にまとめています)。
 ところが同じ問いを、植松容疑者は、まったく逆のほうに、そんな存在は意味がない、そんな人生には意味はない、死んだ方がいい、殺した方がいいという方向に、一気に引っ張っていった。そして実行してしまった。
 つまりは、わたし自身が20年、30年かけてくりかえし考えてきた彼らの生きる意味が、一瞬のうちに全否定されてしまった。自分が受けた激しい衝撃を、少し頭を冷やしてときほぐしてみると、どうも、そのあたりの事情に行きつくようなのです。

 だからこそ今回だけは、書き手として意見表明するには情報が少ないとか、証拠や事実が特定されていないとか、裁判を経て判決が出されるまでは「推定無罪」の原則があるとか、これまで自分のなかで、できるだけ原則としてきたことを脇に置いてでも、言わなくてはならないことがある、と感じてきたのでした。

 もちろん、この程度の記述で、あんな行為がなされてしまうことのすべてが説明できるなどとは、当然思ってはいません。しかし、言葉を積み重ねていくことを職業として選んだ人間として、準備も計画もなに一つとして整っていないこの時期だったとしても、とにかく発信していく必要があると感じています。
(2016・8・7)

「相模原殺傷事件」について」 その3-1

その「排除の思想」はどこから出てきたのか
(1)

 今回の相模原の事件も、起訴されたのち、「裁判員裁判」として裁かれるのでしょうか。
 この事件を引き受ける裁判員の人たちは、はたして現れるのでしょうか。引き受けて、審理にあたったときの心身のダメージは大丈夫なのでしょうか。
 つい、そんなことを思ってしまいます。
 司法のえらい部署のひとたちも、いろいろと、対応策を考えているだろうとは思いますが、50人近い被害者にたいし、証拠調べをして、事実認定をして、反対尋問や弁論をして、量刑の判断をしていくことになるわけで、地獄そのものの現場写真も、何百枚と見なければならない。裁判官に選ばれた人たちは、耐えられるんだろうか。

 もうひとつ、本来ならば、今この時点では、推定無罪です。
 判決が出るまで(日本は、ご存知のように三審制です)、犯人視した言説は、できるだけ控えなくてはならない。容疑者をこの段階で犯人(有罪)だと決めつけて、あれこれと述べてしまうことは、じつは、とても危ういことです。それはわたし自身も本に書いてきたし、今回いただいた複数の方ノメールからも、行間での無言のメッセージとなっていることを、感じています。
 しかし今回ばかりは、原則を破ってでも、いま、リアルタイムで発信しなければならないことがある、と強く感じています。

 10日が過ぎて、新たな情報はほとんど報道されなくなっているのですが、もう少し植松容疑者という人物の「実像」(と私に見えるもの)について迫ってみたいと思います。
 第1回目のブログで、わたしは次のように書きました。
 「だから(「知的障害者」が)、植松容疑者には、「意思疎通のできない人間たち」「何もできない人間」としか受けとめられなかったかもしれませんが、それはむしろ、植松容疑者自身の問題です。」
 「植松容疑者自身の問題」とはなにか。
 それに関する記述はここで止まっていますが、じつは続きがありました。

 〝そもそも〟の話をすれば、植松容疑者が、なぜ、「障害者はいないがいい、だから殺した方がいい」などという考え方に取り憑かれてしまったのか、わたしなりにその筋道を知りたい、できる範囲でたどってみたい。そう考えたことによっていました。
 そして引用の文章の後、「重度重複知的障害者」と呼ばれる人たちが、どんな人たちか、彼らとの交流がどんなふうになされていくか、わたしの知る限ここから必要なことを読み取り、りのことを書きました。

 ここから本題に入りますが、「障害者なんていない方がいい、だから殺してもいいんだ、家族のためになるんだ」という言葉から、なにを〝読み解く〟ことができるか、ということです。
 どうしてこんな愚劣な考えを身に着けていくことになったのか、この言葉を読み解くことで、何事かを拾い上げていくことができるのではないか。

 ひとつめ。
 ほんとうは、その〝はじまり〟は、自分自身に向けられていたものではなかったろうか。
 心理学の「いろは」になりますが、他者は自己の鏡像です。
 したがって、「何もできない重度重複障害者」とは、「自分が一番恐れていた自分の姿」の暗喩(あるいは写し鏡)だ、ということになります。そこには自分の〝姿〟が重なっていた。
 だから、「障害者はいない方がいい、だから殺してもいいんだ。家族のためなんだ」という考え方は、まずは自分に向けられたものだった。
 「自分のような人間はいない方がいい、だからいなくなってもいいんだ、それが家族のためなんだ」
 そのような言葉として読み替えられるのではないか。
 そうした直感が、この言葉を聞いた時に沸いてきました。

 ただし、少しだけ言い換える必要がある。
 「障害者はいない方がいい」
 →「役に立たない人間は生きている価値はない。価値のない人間はいない方がいい」

 報道を振り返ってみると、人当たりがよくて、気立てのよい、場を明るく仕切る、というような人物像が、知人たちの言葉として聞かれます。それは植松容疑者が、モットーとしていたことだったでしょう。
「仲間たちの役に立ちたい、彼らが困っているときには、サポートできるような人間になりたい」
 強くそう望んでいたはずです。そして言葉通り、仲間たちの役に立つ人間として、振る舞っていた。ひょっとしたらそこでは、中心的存在ですらあったかもしれない。

 しかし同時に、植松容疑者のこころのなかでは、「役に立たない人間は生きている価値はない。死んだ方がいい。そのほうが家族のためだ」という声が、絶えず彼自身を脅かしていた。脅かされればされるほど、植松容疑者は、必死になって仲間たちの間でも、そして施設職員として働き始めてからも、「役に立つ」人間になろうとしていた。
 しかし第1回目に書いたように、「障害者福祉施設」という支援現場では、歯が立たなかった。
 援助者として身に着けておかなくてはならないスキルを(これは広く、援助技術、心構え、支援観、障害観、死生観など)、ついに身に着けることができなかった。そこで自分が生きていく基盤を作ることができなかった。

 そのとき「役に立たない人間」という感情が、どこに向けられるようになったかといえば、「障害」を持っている人たちだった。自分自身ではなく、「障害」を持ち利用者の人たちに、自分への怒りや苛立ちが、激しく責任転嫁されていった。「役に立てないのは自分じゃない、この人間たちのほうだ」というように。
 そしてその怒りを、一気に「障害者」の人たちに向けるようになった。
 
 それまで明るく、まじめに仕事に励もうとしてきた(かもしれない)植松容疑者が激しく変貌していくのは、このあたりのことに事情があったのではないか。
「入れ墨」を掘り、髪を染めたのは、明らかに、「もうよい子はやめた」「おれは悪くない」というサインではなかったしょうか。
 薬物にいつから手を染めはじめたのか、いまのところ確かな事実は分かりませんが、大麻にも手を染めるようになった。
 これも、いろいろなことを我慢して頑張ってきた自分は「もうなし」、ということの表れでしょう。

 もちろんこれらは、わたしの推量です。仮説とも呼べない憶測です。しかし手持ちの情報を一つずつ積み上げて推測していけば、とりあえずは、このような大まかな精神風景を思い描くことができるのではないか。

 そうすると、次の問題が出てきます。
 「役に立たない人間は、存在しない方がいい」という言葉(あるいはそうした考え方)が、植松容疑者の中にどこからやってきたのか。それをもたらした者はだれか、という問いです。
 〝始まり〟の、もう一つその先の〝始まり〟の問題、といってよいでしょうか。

 一般的に、人がどうやって言葉を身に着けて(習得して)いくかといえば、周りにいる大人(多くは親)の、絶え間のない、たくさんの話しかけによってです。赤ちゃんのほうは、にこにこし、キャッキャッと返し、さらにまた話しかけられ、そうやっておびただしい言葉と感情の交流がくりかえされる。
 説明しなくてはならないことは、まだまだたくさんあるのですが、ざっとこんな筋道を踏んで、言葉は習得されていくのだと指摘しておきましょう。

 さて、わたしが述べたいことは次のことです。
 心的な土台が何もないまっさらな状態にあるとき、そこに、何らかの言葉が自然発生的に、あるいは自らの力によって沸き上がってくる、ということはまずありえない。

 先の言語習得の筋道からも、「障害者は殺してもよい」という言葉(あるいは「役に立たないものは生きている価値がない」という言葉)は、植松容疑者の中に、彼自らの手で自然発生的に浮かび上がってきたもの、というよりも、おそらくは大人の誰かによって、さまざまな形をとりながらもたらされていったものではないか、そのような蓋然性が高いのではない、という推量を呼び起こすことになる。

 幼少期の生育歴や家族歴に関する情報は、今のところほとんど見られません。
 だから、一般論として推測してよいのはここまででしょう。
ここからどう進めればいいでしょうか。(続く)

「相模原殺傷事件」について その2

措置入院制度の見直しという議論が見えなくするもの



「相模原殺傷事件」についての第1回目のブログは、措置入院制度の見直しなどよりも、支援現場で働く職員の方たちの、労働環境、雇用環境、経済条件を、もっと整備していく方向で考えることが先決ではないか、という訴えを中心に書きました。
 そのことは、「障害者は生きている資格はない。殺してよい」などという、おぞましい考え方の、直接の原因に迫ることではないかもしれないが、少なくとも重要な動因になっているだろう、というのがわたしのとったロジックのゆえでした。

 政府や厚生省サイドへの注文、あるいは批判としてあえて述べれば、福祉や介護職員に対し、ぎりぎりの人員と低賃金を改善しようとせず、それなのに、最大限の労働力として収奪してきた政策のツケ、という要因はないのか、そうした側面の議論を、一切封印しようとしているのではないか。そのような疑義となります。

 だから、なぜ2週間ほどで退院させたのか、その判断は妥当だったのか、退院後のフォローアップを取っていなかったのはミスではなかったのか、という方向で言論形成がなされているけれども、むしろそれ以上に、重要なことがある。
 職員同士のかかわりが充実し、そこから、さらに専門的な援助スキルを身に着けていくことができるような体制づくり。事業体全体でバックアップしていけるような、時間的にも精神的にも、ゆとりの持てる体制づくり。利用者の方たちとも、じっくりとかかわりが持てるような、職員の方々の精神的な〝ゆとり〟。
 こちらに取り組むことの方が急務ではないか、というのが、前回のわたしのメッセージでした。

 なぜこのことを強調しているか。理由は二つあります。

 殺人などの重大事件に「精神保健福祉」の案件が絡んできたとき、社会防衛の論理が一気に前面に出てきて、「制度のどこかに不備があったはずだ、不備を是正すれば、こうした事件は防げたはずだ」という論調が主流になっていきます。そしてさらに、「危険な言動をし、社会を脅かす人間は、事前に拘束してもよいのではないか」、という考え方が形成され、やがて大きくなります。
 結果、法の整備や制度の厳格な運用、という方向に向かうことになる。
 制度整備のすべては否定しませんが、今回の事件が、このような方向でのみ語られようとしていることへの危惧が、ひとつです。

 もうひとつは、精神科診断(精神科治療)に向けられるもの。
 2週間で退院させた医師の判断は、どこまで妥当だったのか。診断は適正だったのか。
 こうした疑問が出される背後には、はっきりとは口にしないまでも、事件直前に関与した医師にその責任を求めようとする心情が垣間見えます。そして精神科治療(精神医学)への不信を、ますます募らせていくことになる。あるいは、もともと抱いていた不信を、この時とばかりぶつけていくことになる。

「ここまで常軌を逸した人間が、事前にサインを出していたのに、なぜ精神科治療は適切に対応できなかったのか」というように。
 しかし精神科医療は、疾患(失調)の治療が本分であるはずなのに、そのこと以上に、危険な言動をする人間を社会から隔離し排除するようにという、いわば警察的働きで、精神科治療を見ようとする。それを求めようとする。
 ここには、精神科医療に対する大きな誤解、あるいは間違った期待があるように、わたしには思われるのです。

 いま、おそらくこの二つが、メディアで主流になっている、大きな「声」ではないかと思います。
しかしそれでは、この事件の最大のポイント(と私が考えているもの)にたいして、有効なアプローチができなくなる。本質を逆に見にくくする。強く、そのような危惧をもつゆえに、第1回目の主張になったのです。
 
 繰り返しになりますが、この事件でまず明らかにしなければならないことは、植松聖というこの加害者が、どの時期から、こうした「障害者は生きていても意味がない」、というような考えを持つようになったのか。なぜそれを修正する方向にではなく、「生きていても意味がないから殺した方がいい」というような、まったく誤った方向で強化することになってしまったのか。
 そのことが問われなくなってしまう。見えなくなってしまう。そう危惧するからです。
 
 ある報道では、この加害者はかなり早い時期(小学生時代?)から、障害者は生きていても意味がないという類の発言があった、ともいわれていました。それがどこまで強い差別心だったか、どんな性格の意見だったかとうことは分かりませんが、いずれにしても、就職とともに内圧を高めていき、やまゆり園離職後には、一気にボルテージを上げていった。そんな風に、報じられています。

 しかし反面、大学生時代に教育実習をおこなった際、実習先で担当をした子どもが、「すごくやさしい先生だった、卒業したらいい先生になるだろうと思っていた」、といっているのが報じられました。
 また、加害者が通っていた「キックボクシングのジムのトレーナー」も取材に応じ、その人は「最初、容疑者を見たときは、見るからに介護で頑張っている人だ、という印象を受けた」、と語っていました。ところが、それが一変した、と。
 被害者となった利用者の親御さんでさえ、「会うたびに、今日はこんなことをしたんです、こんなことを頑張っています、と明るく声をかけてもらった、だからこそあの人がなぜなんだ。だまされていたのか。そう思えばなおのこと悔しい」、とも言っていました。

 こうした2面性やギャップを、どうしたら埋めることができるのだろうか。
 いつ、なぜ、どんなことをきっかけに、「障害者は生きていても意味がない」などという考えに強く傾き、「殺してしまった方がよい」という狂信に、一気に突っ走っていってしまったのか。実行に移すというところまで、自分を追い込んでいったのか。

 本当のところ(事実)は、完全に解明することなどできないかもしれません。
 結局、ひとつのストーリー(フィクション)を作ることになってしまった、ということに、なるのかもしれません。
 しかしその解明なくしては、無抵抗のままに人生を絶たれていった多くの方たちは、浮かばれないのではないか。クスリの常習者だ、人格異常者だ、徹底的に措置入院させろ、監視しろ、というだけでは、解明にはほど遠いと思うのです。

 人の命が奪われる事件は、どんな事件でも痛ましいものですし、そこに重大性の軽重などがあるわけではありません。わたしのような、事件取材をして記事を書く物書きは、えてしてそんな論じ方をしがちです。
 そのことを承知で、自戒を込めて書き進めていきますが、これまでたくさんの衝撃的な事件がありました。
 思いつく限りでも、89年の幼女連続殺人事件。97年の神戸市須磨区での少年Aによる事件。01年の大阪・池田小学校事件。09年の秋葉原事件。そして14年の佐世保での高1少女による事件……。
 
 そのたびに、次のことを感じてきました。
 事件が起こるたびに、メディアは「報道の自由」と「国民の知る権利」を最大限駆使して、大騒ぎをしてきました。テレビコメンテーターの、これはあまりにも度が過ぎているのではないか、というようなバッシング発言もありました。
 私自身メディアの片隅で仕事をしている身なので、大きなことは言えません。こうした事情はひとまず飲み込んでおきましょう。
 一つだけ強く感じてきたことは、こうした一つ一つの事件から、わたしたちは大騒ぎをした後に、何を教訓としてきたでしょうか。
 司法、医学、教育、福祉、心理。そしてメディア。
 教訓としなくてはならなかったものをつかみ、広く共有し、いつ生じるかもしれない次の緊急事態への備えとして、なにを蓄積してきたでしょうか。おそらくは、それぞれの専門領域の、それぞれの部署では、そうとうな知見の蓄積がなされているはずですが、それは社会の財産として、うまく機能しているとはどうしても思えない。社会の共有すべき財産となっていない。そう感じてしまうのです。

 せめて必要最低限の情報と、その分析や考察などの総合的な知見の共有こそが、社会にとっての「最大のセーフティネット」になる、とわたしは信じて疑わないのですが(もちろん課題はたくさんありますが)、今回の事件にあって、そうした方向で論議がなされていくことを、こころから切望します。

 当然、わたしも、信じがたい所業に手を染めた加害者にたいする嫌悪感も、強い怒りも感じます。
 それをぶつけるだけでは、数年たったら、また同じことが繰り返されるとしか思えないのです。
 *
 被害者の方へのケアも最大限になされてほしい。ご家族も、やまゆり園の職員の方々も含めて。
 半年や一年で、快方に向かうことなどないかもしれません。
 テレビ取材に応じている親御さん方も、テレビの前ではとても気丈に振る舞っていますが、言葉には尽くし難い苦しさや怒りを、押し隠しているはずです。

 わたしがこのようなことを書き記すのは、あまりに僭越にすぎるのですが、お子さんが重度の障害を持って生を受けたこと、そして全力で育て上げてきたこと。そこには子どもの成長を見守る喜びとともに、親としての苦悩、不憫さ、申し訳なさ、といった何ともいえない複雑な感情をも、どこかに持ってきたはずです。そのひとつひとつを、10年、20年、30年とかけて乗り越え、今日にいたっている。

 それが突然、このような非道な目に遭わなければならなかった。全力で守ってきた存在が、理不尽な理屈で奪われた。心情は、察するに余りあります。
 そうであればこそなお、幅広い観点からの解明がなされる必要がある、と痛感するのです。

「相模原殺傷事件」について

「重度知的障害者」とはどんな人たちか
 


 相模原の事件から、5日が過ぎました。
 衝撃があまりに大きすぎて、何も考えられない状態が続いていたのですが、いまの時点で考えられる限りのことを書き留めておこうと、なんとか思うようになってきました。

 「学際的な専門家チームをつくって、深く掘り下げた解明を!」といった意見も出ており、これはこれでもっともなのですが、そういう大上段からの見解よりも、もう少し身近なところから考えていくことが、いまはだいじなのではないか。そう考えた次第です。

 おととい、昨日の報道によれば、加害者は「重度重複障害者をねらった」といい、彼らは「意思疎通ができず、何を言っても分からないし、何を言っているのかも分からない」とも言っていたといいます。そんな人間は、「生きていても、家族を疲れさせるだけだから、死んだ方がいい」、という発言もあったとも。
 
 このような報道を最初に目にしたとき、曲がりなりにも施設の支援職員として働くことを自分から希望した人間が、最初からこんな考えをもっていたのだろうか。生きていても意味がない、とそう考えながら、日々の支援業務にあたっていたのだろうか。そう考えました。あるいは途中から、何かきっかけがあって、このような考えをもつようになったのだろうか。
 被害を受けた方々や家族の無念さに突き動かされるなかで、まずはこうした疑問が湧いてきたのです。

 そして、たいへん素朴に、素朴なことを考えました。
 どんなに「重度の重複障害」をもつ人たちでも、「まったく意思疎通ができない」とか、「まったく交流が成りたたない」などということが、はたしてあるのでしょうか。5年、10年、20年と我が子に付き添ってきた親御さんたちは、「意思疎通ができない」と感じているでしょうか。
 あるいは施設職員たち。なんの意思疎通もできず、感情交流さえもないと日々感じながら、障害を持った人たちと過ごしているのでしょうか。

 私には、信じられません。

 どんなに言葉がなくて、重度と呼ばれるひとであっても、交流がまるで成り立たない、などということはありえない。

 表情が柔らかだから今日は機嫌がいいようだとか、体調がよさそうだとか、目が少しきついからきょうは怒っているのだろうかとか、どこか体調不良なのだろうかとか、表情、しぐさ、行動の様子汗ばみ方などの様々なシグナルから、彼らの感情や意思を受け取り、声をかけ、関わっていく。
 そういうやりとりをくりかえし、職員ひとりひとりがそれぞれのやり方で、意思疎通(らしき交流)をし、感情交流(気持の通いあい)をし、日常の様ざまな身辺活動(食事、入浴、排泄、着替えなど)や、散歩や、レクリエーションが、なされていく。
 かならずそこには、交流は生まれます。
 そうやって支援する側の姿勢がつくられ、援助技術が上がるにつれて、交流は深まっていく。

 だから、植松容疑者には、「意思疎通のできない人間たち」「何もできない人間たち」としか受けとめられなかったかもしれませんが、それはむしろ、植松容疑者自身の問題です。
 つまりは、「障害をもつ人たちとの、感情交流」という、支援職員としてまずは身に付けるべきスキルを、ついにもてなかった、もとうとしなかった、ということを示しています。けっして「障害」をもつひとたちが、「何もできない」ゆえに、ではないのです。

 犯行にいたる事実関係は、あくまでも報道によるものですが、仕事に就いて間もなく、「思い通りにならない、腹が立つ」と考え、「生きていても役に立たない人間は、死んだ方がいい」と考えるようになった、といいます。
 こんな〝優生思想〟をどの時点で持つようになったか、現時点で詳しいことは分かりません。

 いつ、なぜ、どんなふうに、このような愚劣な考えをもつようになったのか、その解明が、今回の事件の最大のポイントではないかと、わたしは考えているのですが、ひょっとしたら、やまゆり園での仕事に就き始めた当初は、「障害」をもつ人たちと、うまく関われるんじゃないか、自分にも彼らにたいして何かできるんじゃないか、そう考えていた可能性は、皆無ではないような気がします。
 ところが、それが、まったく歯が立たなかった。なにをやっても、先輩職員のようにはできない。
 こんなはずじゃない、と思えば思うほど、交流がうまくできなくなっていく。そしてやがて怒りに変わってくる。

 なぜうまくできないのか。
 「自分の思い通りにならない」からです。
 言い換えれば「自分の思い通りにできる(はずだ)」と考え、「(~~をしなさい、~をしなさい、と)思い通りにすること」が、支援するということだ、それが自分の仕事だ、そう思いこんでいた節がある。
 植松容疑者が考える「障害」を持つ人への支援とは、「こうしなければならない」という信念をもってそれを実行すること。そのような、初心者にありがちな間違った思い込みを、ついに訂正できなかった。
 そして、ますます負のスパイラルに落ち込んでいった。

 どんなに「重複障害者」と呼ばれる重度の「障害」をもつ人であろうと、自分の好き嫌いがあります。人に対してもそうです。
 この人(援助者)は嫌いだ、合わないと思えば、かたくなになりますし、支援者の側からすれば、ますます「思い通り」にならなくなる。「知的障害者だから」などとみくびっていたら、とんでもないしっぺ返しを食らいます。
 とても丁寧に、気を配りながら接してくれる職員には、しっかりと心を開いてくれるし、逆に、無雑作にしか扱ってくれない職員には、横を向いてしまいます。間違いなく、彼らなりに相手(支援職員)を見ています。

 相手が何をしてほしいか、そのことを丁寧に探りながら、確かめながら、やり取りを繰り返していく。その地道な作業が、いわゆる「支援」とか「援助」とか呼ばれる行為だ、ということを、植松容疑者は、ついに気づくことができなかった。
 そこに最初の、大きな不幸があったのではないでしょうか。

 思い通りならないストレスが、どんどん溜まり、そのいら立ちが怒りになり、ほんとうは自分自身にたいする苛立ちや怒りのはずなのに、それが相手のせいにし、「障害」をもつ人たちに向けていった。
 おそらく植松容疑者は、いたくプライドを傷つけられたはずです。「なぜ、障害者に自分がバカにされなくてはならないのか」とも感じたはずです。
 このことが、あれほどの多くの人たちの命を奪う、という行為に直接つながっていくわけではないにしても、大きな要因だったのではないでしょうか。

 措置入院の制度の見直し云々、などという方向でこの事件が語られていますが、そんな問題なのですか。

 施設の管理職や、法人を経営する人、施設運営を指導する行政の人にお願いです。
 現場の支援職員の人たちが、せめて、孤立という迷路のなかで仕事をすることのないような、職場の環境を作ってください。
 うまくできなかったらいつでもだれかに相談できる、アドバイスを受けることができる、そんな人間関係の職場にしてください。

 もうひとつは、支援スキルをしっかりと身につけ、上達していけるような勉強(研修)の機会を、できるだけつくってください。腕が未熟なままノルマだけは増えていく、拘束される勤務時間だけが増えていく、というのでは、人を支援する、ケアするという職場にあっては、ひとたまりもないことだと思います。

 職員の人員不足が解消できない、給料を上げようにも予算が足りない。
 そうした過酷な条件のなかで運営を強いられていることは、わたしも重々承知です。もちろん、好条件のなかで仕事ができるようにしてほしい、と切に願ってはいるのですが、それが難しいのであればこその、お願いです。
 精神的なゆとりを奪わない、自分は支えられているという実感がもてる、当たり前のことですが、この二つの条件が、支援の現場では、とても重要になる。
(これは、高齢者の介護施設でも同じです)

 職員同士の横のつながりと、自由に意見交換ができる(孤立しない)職場環境を。
 支援技術、支援論などについての、スキルの向上の機会をつくる。
 この二つならば、明日からでもできるはずです。
 
 繰り返しますが、このことが、あのような「戦後最悪」といわれる事件の解明に直接役に立つとは、私自身も考えてはいません。しかし、支援現場をどうよいものにしてゆくか。このことを、様ざまな立場の人たちが、それぞれの立場から考えることは、少なくとも措置入院制度の見直しを、などという意見よりも有益ではないでしょうか。

 まずは、こんなことを書き留めておきたくなりました。

(*8月7日、本文章にタイトルを付し、若干の加筆訂正を施す)

飢餓陣営せれくしょん5(近刊) のお知らせ

○飢餓陣営・佐藤幹夫編
「沖縄からはじめる『新・戦後入門』」
  (飢餓陣営せくしょん5)
  A5判/並製/約220頁 予価1600円+税  言視舎

 *宣伝文
  いまこそ問う!
  沖縄と日本の新時代」は ここからはじまる!
  沖縄から日本の戦後を照らしてみれば、その「ねじれ」や「ゆがみ」ともいうべき姿が浮
  上する。
  「沖縄では憲法が機能していないのではないか?」「日本はどこまで主権国家なのか?」

  こうした事態に向き合うために沖縄の声を聴き、「新時代」を導く思想と論理を提示する。

 *

【はじめに】
・佐藤幹夫■なぜ沖縄か、なぜ「二つの戦後史」か

【第Ⅰ部】沖縄から学ぶ戦後史

・新川明■照射される国民統合の虚妄(『琉球』より転載)

・仲宗根勇氏に聞く■沖縄から日本(ヤマト)の戦後史を問う
(1)「母なる祖国=日本復帰」論から「反復帰」論へ、そして「琉球共和国」論へ
(2)辺野古から問う――日本は憲法と立憲主義を捨てる気ですか
(3)米軍占領時代のこと

・山城紀子氏に聞く■沖縄と女性たちの戦後史
  (1)沖縄戦と従軍慰安婦のその後
(2)性暴力の戦後史
(3)戦争トラウマと精神疾患


【第Ⅱ部】加藤典洋の「戦後論」を読む

・加藤典洋氏に聞く■「戦後」の出口なし状況からどう脱却するか
          ――『戦後入門』をてがかりに
(1)カナダ滞在と『アメリカの影』
(2)『戦後入門』で考えたこと
(3)対米従属構造をどう超えるか


・■『敗戦後論』をめぐって
加藤典洋/竹田青嗣/橋爪大三郎/瀬尾育生/小浜逸郎
      /大澤真幸/菅野仁/佐藤幹夫
                                  (『樹が陣営』18号より再録)

【第Ⅲ部】沖縄・日本・アメリカ 

・村瀬学■「存在倫理」から「存在給付」へ――「戦後七〇年」のその先へ

・佐藤幹夫■新時代の「沖縄」を語る作法――少し長い「あとがき」に代えて

・(附)沖縄からはじめる「戦後史年表」