加藤典洋『戦後入門』(ちくま新書)を読む その2

2.
 以下、『戦後入門』に対して、思いつくままに感想を述べていきたい。
 加藤典洋の『戦後入門』は、第一部「対米従属とねじれ」という『アメリカの影』以来のテーマが、もう一度振り返られている。そこで、『アメリカの影』を再読してみたところ、冒頭で、次のようなかなり辛辣な指摘が目に入った。
加藤は、江藤淳が村上龍の『限りなく透明に近いブルー』を激しく批判する一方で、田中康夫の『なんとなくクリスタル』を評価していることを取り上げ(*)、その後、文壇から「村八分的な田中つぶし(?)の批評」が前面に出てくる、と書いたあと、次のように続ける。

  《 彼(江藤淳―佐藤)の一番深い認識は、やはり、日本はいまアメリカなしにはやっていけない、というものである。
 そしてこれはタブーなのだ。
 なぜ、このことがタブーとなっているのだろうか。
 ぼくはここで一つだけ簡単にいっておきたい。日本文壇(?)は、日本はいまアメリカなしにはやっていけない思いをいちばん深いところに隠しているが、それをアメリカなしでもやっていけるという身ぶりで隠蔽している。アメリカなしでもやっていける、という身ぶりが身ぶりでしかないのは、彼らが貧乏を恐れている(!)からである。「アメリカ」なしでやる場合、彼らは経済的困窮を覚悟しなければならないが、いまよりも生活程度が下がることを恐れる彼らの本音が『なんとなくクリスタル』にあらわに現われていればこそ、彼らはこの作品に生理的な反応を生じているのである。(文庫版p43)》

 『アメリカの影』は、江藤淳の占領研究を引き受けるように書かれた作品である。主要テーマの一つは江藤批判といってもよく、二つには当時の文壇や言論界が、その江藤の仕事を無視し続けた事実にひそむ背景事情を分析し、戦後社会(と文学の書き手たち)が陥っている欺瞞的な状況を露出させようとしたものだった。『戦後入門』を読んだ目で振り返れば、とくに「天皇・原爆・無条件降伏」とサブタイトルされた第三の論文は、著者のなかで、ますます重要なテーマとなっていくものであったことがわかる。

 この「ねじれ」や隠蔽が、いかに深く私たちに内在化しているか。
 『戦後入門』で、加藤がまず徹底して行ったのが、「世界戦争」の意義を捉えかえすことであった。どう捉えられているかは本文に当たってほしい。本書において、なぜこの作業が必要であったかと言えば、世界戦争に「敗戦」(無条件降伏)するということ、「占領」されるということ。それが日本国と国民に何をもたらし、どのように重大なことであったか、それを加藤は示してみせる必要があった。

 もうひとつ、そこに「原子爆弾」というものが、いかに深く関与していたか。無差別の大量殺戮というその非人道性ばかりではなく、その後の世界秩序のあり方に、どれほど大きな影響を及ぼしていったか、丹念に、執拗に記述される(このあたりの、多くの資料を駆使した歴史叙述は、非常に迫真性と説得性をもっている、と私には受け取られた)。
  ともあれ、私たちの国が「敗戦国」(無条件降伏した国)であること、「被占領国」であること。この事実にしっかりと向き合えないことが、「ねじれ」を自覚できない最大の原因となる、と加藤はいう。こうした言説に対し、「それは自虐史観だ」という反論が、たちどころに返される。しかしそれではますます深く「ねじれ」と隠蔽が、内在化されていくだけではないか。

  くり返すまでもなく、これらは、『アメリカの影』以来の加藤の主張である。
  ただし注意を要することがある。
『アメリカの影』も『敗戦後論』も、社会思想的なテーマを取り扱ってはいるが、その根幹は文芸批評であり、「文学」の書であった。加藤自身も「文学でしか扱えないテーマがある」と『敗戦後論』で書いていたし、このことが、『アメリカの影』と『敗戦後論』にとって、固有の意義となっていた(ここは賛否が大きく分かれてきたところではあるが、少なくともわたし自身は、「文学の力」の発揮であることに、多大な価値を見出してきた)。
  江藤淳の『成熟と喪失』をもちだすまでもなく、文芸の批評が社会批評であり、文明批評でもあるというあり方は、それまでは決して少数派ではなかったのである(中村光夫しかり、福田恆存しかり、磯田光一もそうであった)。
  ところが、『戦後入門』にあって前面に出ているのは、「天皇・原爆・無条件降伏」という、文字通り歴史的・社会思想的テーマであり、文学のテーマや文体は、少なくとも表面的にはほぼ消えている。加藤に特有の〝喩〟も、文学的修辞(レトリック)も、ほぼ姿を消している。
 そしてわたしの方もまた、『敗戦後論』のときとは異なって、膨大な戦史研究や政治史的資料・文献を駆使しながら、近・現代史と社会思想の〝叙述〟に徹したことは、むしろ理にかなっている、と感じられる。加藤的な文学の修辞と喩から、歴史思想と事実の叙述へ。この変容を見るかぎりでも、『敗戦後論』以降の10年に近い歳月のなかで、確実に何かが動いたのである。
  これが、『戦後入門』と、上記の引用からやってきた一つ目の感想であった。

3.
 ちなみに、『アメリカの影』に収められた論文は、1982年から84年の間に書かれたとある。
 くり返しておけば、上記の引用に見られる「アメリカなしではやっていけない」という真実(屈辱的な)を、「アメリカなしでもやっていける」という建前で隠蔽してきた、という「ねじれ」(これは、反米か親米か、といった問いかけではない。反米にしろ親米にしろ、どちらにしても「ねじれ」ている。念のため)。
 この「ねじれ」をどう解消するか、というテーマこそが、加藤が30年以上にわたって、一貫して追い求めてきたものであるが、時代は、高度成長期のまっさかりだった。
 その先駆的洞察が可能だったのは、高度成長真っ盛りだったからこそ、と受け取るべきか、真っ盛りだったにもかかわらず、と受け取るべきか、どちらにしても、『戦後入門』に通奏低音として流れているのは、30年を経て、「この状態はもはや維持できなくなった」という現状認識と、切迫したトーンである。

 では、限界に達しつつあるねじれ、隠蔽、自己欺瞞は、なぜ解消される必要があるか。

 一つは、ますますアメリカへの隷属化、従属化が進むことになるが、それが何を生み出すか。今でさえ、軍事外交、経済、情報などの主要部分は、アメリカの意向に反する単独の政治決定は、ほぼできない状況に置かれているが、そのような事態は、さらに進行するだろう。場合によっては、アメリカ本国以上に、アメリカの国益に沿うような行動をとる以外の選択肢が、あるいは採れなくなっていく、そんな事態も十分に予測される。
 もちろんアメリカは、露骨な強制や弾圧の方法は採らないだろう。民主主義のルールと手続きにのっとり、あたかも国民が自分たちの手で選びとったかのようにして、その決定を「選択」させる。そしていずれ、じわじわと内在化されていく。
 
 そうした「ねじれ」や隠蔽や自己欺瞞を、党派を超えた結束で、はっきりと拒んでいるのが沖縄である。
 現在それは、辺野古の基地移転問題に端的にあらわれているのだが、これは単なる内政の問題、国と沖縄県の問題にとどまらないものとなった。加藤は次のように書いている。

 《ところで、これらの基地問題の特徴は、基地周辺の住民の安全上の不安などからその改善をめざしても、米 国の法的な権利の壁にぶつかって、ほとんど事態が動かないことです。
現在、沖縄で問題になっている普天間基地の移転に伴う辺野古での新しい飛行場建設をめぐる問題などは、その好個の例でしょう。(略)
  日本の基地問題とは、こう見てくればわかるように、占領の永続という文脈から自由ではない、日本の主権にかかわる厄介な問題なのです。(『戦後入門』第五部より p498)》

 ここに書かれているように、現在の辺野古の問題とは、まさに「日本の主権にかかわる問題」となっているし、「日本の主権」にかかわる問題とは、「ねじれ」や隠蔽をどこまで解消できるか、という問題にほかならない。
 そして新崎盛暉が書いているように、「辺野古新基地の問題が、日米沖関係史の戦後七〇年の総括点であり、その今後を考える起点」(『日本にとって沖縄とは何か』「はじめに」)となった。
 「戦後70年」以後の問題をどう切り開いていくかという、これ以上にないアクチュアルな問題となってせり上がってきているのである。
  
 もちろん、事は安全保障に関することであるから、簡単に動かせるわけはない。
 注意したいのは、『戦後入門』の主張は、日米安全保障条約を廃棄せよ、憲法を改正し、自主防衛せよという、いわゆる従来の保守派や復古派の主張ではないことだ。
 国際社会からも孤立せず、アメリカとも敵対せず、中韓からも敵対されず、その中で主権国家としてのあり方をどう作り上げていくか。「ねじれ」をどう解消していくか。

 もし、そんなことは絶望的に不可能だ、と感じるならば、それjは、私たちが自らに内在させている「ねじれ」や隠蔽が、それほど深いということの証である。
 おそらくこの困難さは、『敗戦後』以来の主張となっている「憲法の選び直し」の困難さにも通じるはずである。
 具体的な手続きに関するプランは、『戦後入門』ではまだ明らかではないが、いずれにしても、「戦後70年以後」を始めるための、重要な提案となった。
 それが、わたしが本書から受け取った最大のメッセージであった。


  (*)ちなみに江藤淳は、村上春樹についても、生涯、とうとう肯定的な評価はしなかった。春樹論執筆の際、村上龍批判の激しさに驚いて、では村上春樹についてはどんな評価をしているのかと調べたのだが、わたしの目にした限りでは、最後まで一言も触れていなかった。







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著者加藤典洋(著)出版社筑摩書房発行年月2015年10月ISBN9784480068569ページ数6

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戦後入門 (ちくま新書)
筑摩書房
加藤 典洋

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加藤典洋『戦後入門』(ちくま新書)を読む その1

1.
 過日(2月29日)、加藤典洋『戦後入門』を読了した。600ページを超す膨大な本である。さて、ここには何が書かれているのか。

  わたしは3年ほど前から沖縄に通い始めた。多くの方に会い、話を伺い、文献に目を通すようにしているうちに、いくつかの問いが叢雲のように湧きおこってきた。最終的に行きついたところは、「日本は主権国家ではないのではないか」という問い(疑念)。もうひとつは、「現・安倍政権は、なぜアメリカの国益を、自国民の利益や意思よりもはるかに優先させるのか。しかも強権的に(とわたしには映る)」という問いだった。
そしてこれはまた、現首相(安倍)が「戦後レジームからの脱却」や「美しい国を取り戻す」というスローガンを打ちたてながら、なぜこれほどアメリカ従属路線をひた走るのか、矛盾ではないか、という問いでもあった。
  沖縄に足を運ぶたびに、沖縄が、日本の「戦後70年」の背理や不合理を体現する坩堝のような場所だということに、遅まきながら、段々と気づいていった。
  こうしたわたしの問いに、加藤の『戦後入門』は、どまんなかのストライクを投げてきた。それが、読後の最初の感想であった。

以前、話題になった白井聰の『永続敗戦論』(13年)や赤坂真理の『東京プリズン』(12年)、そして矢部宏治の『日本はなぜ「基地」と「原発」を止められないのか』(14年)などが、戦後の疑念、日本はどこまで主権国家か、という疑念を露出させてきたと考えてよいが、なぜ70年もたたなければ、見えなかったか。
経済成長が、ひとまずそれを見ずに済ませてきた(豊かなんだから、ま、なんでもいいんじゃね……影の声)。核の支配する米ソ冷戦が、大衆の無意識に、日米安全保障条約をむしろ必要だと感じさせてきた(60年と70年の、反安保闘争に、2回も負けちゃったし、ソ連に侵略されるより、いいかも……同)。そしてなによりも、世界に冠たる平和憲法で守られている国だし。……と受け入れてきた。

  しかし、じつは、そうは問屋が卸さなかった。
日米安全保障条約のもとで沖縄に駐留する米軍海兵隊は、軍事即応部隊であり、いつどこで何が起きても、すぐに現地派遣できる態勢をとっているという。だからこそ、日常的な実戦訓練が必至となる。このことは、いってみれば常時戦時下にあるということであり、そのような基地を抱える沖縄もまた、常に戦時下に置かれていることになる。
  さらに、日米地位協定があり、この法律と日米安全保障条約が、日本国憲法よりも上位で機能しているということが、再三明らかになっていた。日米地位協定も、安全保障条約も、いうまでもなくアメリカの国益を最優先として運営されている。ということは、日本の安全保障(平和憲法)とは、米国の国益が優先される限りで適用され、機能するものだということを、おのずと語っている。

(横道にそれるが、してみると現首相が特定秘密保護法を強行採決し、「憲法違反!」の大批判をものとせずに集団的自衛権の行使を独断したのは、けだし当然だと言えるかもしれない(賛成だと言っているのではない)。アメリカ従属を第一義としている現首相にとって、アメリカが自国の利益よりも下位だと見ている日本国憲法を、最上位のものとして守らなければならない義理はない、とそう考えたとしても不思議はないということだ。
「戦後レジーム」の元凶は日本国憲法である、絶対に自分の首相任期中に、これを改正する。これが最大の命題である(2016年2月25日、今夏の参議院選で3分の2の議席獲得を目指す、と発言したことが各新聞で報じられたが、これは本気だと思う。合併した野党が、党名をどうするか、などというしょもないことに、うつつを抜かしている場合ではないとわたしは思うのだが)。
では、自分(現首相)はどうすればよいか。自身がアメリカ(の体現者、あるいは代弁者)になればよい、アメリカ(の体現者)になれば、日本国憲法を二義的なものとできるし、そのスタイルを押し通すことが、憲法改正への糸口をつくるもっともよい方策である。……通常は信じがたいロジックだが、こんな風に考えているのではないか、と推測する以外、説明できないのではないか。
くりかえすが、この、「徹底してアメリカに従属することが、日本国憲法と戦後レジームからの脱却になる」。あるいは「現行の日本国憲法や戦後レジームからの脱却を果たすためには、対米従属を徹底させるのがベストである」という現首相のアクロバティックな言動は、この推測以外、説明できないのではないか)。

 もとい。
沖縄の土地(領土)は強制的に収用されつづけてきたが、政府は、いっさい抗議をせずにきた。(軍用地主は膨大なカネをもらい、利権の温床となっている、なにをいまさら批判し、反対するか、という指摘がときに見られるが、これは本末転倒である。最初に批判されるべくは、強制的に土地を収用したほうか、その金銭で生活を維持してきたほうかどちらであるか。原因を作ったのは土地を奪った者のほうであり、そちらが先に批判されるべきであるとわたしは思う。
また基地の返還は少しずつ進んでいるではないか、という言説も、ときに飛び交う。これもおかしい。たしかに不要になった基地は返還されてはいるが、奪われたものが戻るのに、感謝しなくてはならないいわれはない。また地元メディアが言うように、ほとんど耐用年数の切れかけた基地施設と土地を返し、その分、辺野古ほかに、軍事基地としての最新機能を集中させようとしていることは、わたしにも推測できる。

さらには、重要決定についての沖縄の民意は、ことごとく無視され続けている。
(沖縄のサイレントマジョリティは必ずしも基地反対ではない。そう現政権やアメリカのシンクタンク(日米関係の専門家)、日本の一部保守派はいうが、これもまた事後の指摘である。沖縄の意思(民意)が保革に二分されるのは、2000億、3000億を超す振興予算(膨大な金のバラマキ、という言葉は失礼にあたるだろうか)によって、徹底した分断統治がなされ続けてきた結果ではないか。
ダムの建設、原子力発電所の設置など、国策規模の大事業にあっては、経済をてこに反対派の切り崩しがなされるのは常套手段である。最初は多数だった反対派は、一人減り、半数が減り、やがて共同体や親族からも孤立し、ときには家族も分断される。沖縄も然りだろう。そうやって自分たちが「民意の分断」を謀っておいて、そこに生じた結果を、沖縄県民自らの意思であるかのごとく述べたてるロジックは、わたしには、にわかには呑みこみ難い。そして現在、沖縄県民(の半数? 過半?)は、こうした手法にノーと言っているのである)。
 
このようにして、憲法も、土地(領土)も、民意もことごとく無視され、他国(アメリカ)の意思が、「安全保障」の名のもとに優先的に貫徹されつづけてきた。戦後70年に渡って、こんなエリアを抱え込んでいる国を、はたして主権国家と呼べるのかどうか。――沖縄に足を運び、「戦後」を振り返る著作を読めば読むほど、このような問いが頭の中を駆け巡っていた。今頃気が付いたのか、と言われるかもしれないが、まったく今頃になって気づいたのだった。

 そしてこの問いは、必然的に次の問いを招く。「護憲」「平和憲法の堅持」「9条を守れ」と言っているだけでいいのか? 間違いなく、現平和憲法はわたし(たち)にとって、かけがえのないものとなっていることを、わたしは認める。
  しかし、「護憲」の先にあるのは、日米安全保障条約の堅持であり(自国の軍隊は持てないわけだから、必然的にそうなる。よもや中国や北朝鮮との間で、安全保障条約を締結するなどということは、99.999%ありえないだろう)、それは沖縄の基地負担の現状固定、あるいは負担を増しながらの永続的駐留。本土の自治体が、負担を分担しようという意思を示さないかぎり、これしか導かない。それでいいのか? 
しかしまた、「自主防衛に専念し、主権国家としてアメリカから自立する」と言ったとたん、日本は孤立する。米中韓は激しく反発するだろう。EU、ロシア、アジア諸国、他にも世界の少なくない国が危惧を示し、批判が噴出するだろう。あっという間に、第二次世界大戦の前のように、日本は孤立無援の国になる。
どんづまりじゃねえか。……

  そう、ものの見事にどんづまりである。
こうした出口なしの状況からどう脱け出るか。ここに、矢部宏治の著作は大きく切り込んだ(軍事条約や国際法に目配りを利かせた、相当にリアルな議論がなされていた)。そして加藤は『戦後入門』でそれを受けとめ(もう一つは内田樹の著作、日本国憲法論やそのほかだろうか)、「戦後を終らせる」ための道筋を示そうとしたのであった。
――『戦後入門』にはどのようなことが書かれているのか、と尋ねられたら、ひとまずは、こんな本だというのが、わたしが用意した答えである。(続く)


追記(13:25)
 この記事をアップした直後、「毎日新聞ニュースメール」より、「辺野古、政府が工事中止 和解案受け入れ」という「号外」が飛び込んできた。
 「工事中止」という文字に驚いたが、急いで付けたテレビのNHKニュースを見ると、裁判所の和解勧告を受け入れた、というもので、辺野古移設の意思は従来通り変わりはない、という首相談話が流れた。
「ケンカは止めた、話し合おう」ということだろうが、選挙を睨んでの決断、という解釈に、どうしても傾く。
 参議院3分の1の議席獲得に、なりふり構っていない選挙対策の、その第1弾ではないのか。





青木俊著『尖閣ゲーム』を読む

 青木俊というはじめての作家の『尖閣ゲーム』を読んだ。
 沖縄を舞台としたエンタメ作品であり、著者のデビュー作だという。
 以下、簡単な紹介と感想を書くが、ネタばれの記述があるのでご注意を。
 
 あらすじ。
 沖縄本島各地で、不明のテロが始まる。オスプレイの撃墜、沖縄県警幹部の射殺、米軍兵の妻と米軍将校の暗殺。・・・これらの「点」が糸でつながれ、「線」が「面」になり、テロの背後で何が起きようとしているのか、少しずつ明らかにされていく。
 一方、事件の発端となったのは、尖閣諸島の魚釣島。
 主人公の姉は、そこでの特殊任務のために無残な死を遂げ、「羅漢」という冊封使が書いたという500年前の記録が、謎として残される。姉はなぜ死んだのか。「羅漢」の謎と、姉の死の謎を追いかけるというのが、本書の基本プロットとなる。
 尖閣付近の海洋には、石油やレアメタルなど、巨大な資源が埋蔵している。「羅漢」には、尖閣の領有をめぐる決定的な歴史的事実が記述されているといい、その争奪をめぐるテロと謀略でストーリーは進む。・・・沖縄は「独立」を宣言するが、もちろん、日本とアメリカは全力で潰しにかかる。沖縄を舞台に米日と中国の戦争もやむなしという決断が、日本国政府によっていったんは下される。そこから終局までいくつかのトリックを経て、エンディングとなる。
 
 以下、思いついたことを書いていく。
 わたしの記憶に間違いがなければ、沖縄を舞台とした近未来エンタメ小説は、これが初めてではないかと思う(中村秀樹の『尖閣諸島沖海戦―自衛隊は中国軍とこのように戦う 』(光人社NF文庫)があるが、これは元自衛隊員による仮想戦記なので、区別しておく)。
 そして、日米安全保障条約(日米の軍事同盟)を正面に据えて描いた近未来小説も、存外に少ないように思う(村上龍が『半島を出よ』で少し触れたくらいしか思いつかないし、麻生幾や手嶋龍一になにかあったろうか。このあたりの点については、どなたかご教示をいただければ幸いです)

 なぜ沖縄を舞台とした本格的な近未来小説が、これまで書かれなかったか。
 本土の人間たちが、沖縄の歴史、政治、軍事などに、正面から関心を向けることがなかったことの証左、という指摘が、ひとまずできるかと思う。では、なぜ関心を持たずに来たのか。
 沖縄戦で壊滅状態になった沖縄があり、占領期、米軍による軍事基地化のため、土地を収奪され続けた沖縄があった。返還後も、その構図はまったく変わらずに維持されている。
 こうした「沖縄」を直視することは、どうしてもためらわれる。直視しないのなら、それは関心がないからだと自分に言い聞かせ、見ずに済ませてきた。この点がひとつである。

 もう一つ、平和憲法の問題があった。
 憲法9条が、沖縄にも適用されているといえるかどうか。沖縄の米軍基地は常時臨戦態勢を取っているというが、そうだとすれば、沖縄全体も、常時「戦時下」に置かれていることになるではないか。
 さらには日米地位協定が、日本国憲法よりも優先されるという事実がある。ということは、少なくとも沖縄にあっては、平和憲法よりも米軍の軍事法の方が優先されることになる。
 つまりは、沖縄を正視すればするほど、日本国は主権国家とはいえないのではないか、という疑念が沸き起こることになる。これはきわめて不都合な真実である。これでは小説のテーマにはなりにくい。

 ところが、不都合な真実に目を背けていることを、合理化してくれる絶妙な装置があった。
 それが、平和憲法である。
 そして、私たちは平和憲法に守られながら、「戦争をしないニッポン」として生き続けてきた、という世界に誇れる自己了解をつくり上げてきた。合理化がうまくいけばいくほど、沖縄は消し去られた。
 これが戦後70年を経ての、日本国の「自己像」であり、沖縄との関係であると思う。
  
 ところがそこに、『尖閣ゲーム』という「沖縄独立」を正面に据えた近未来小説が描かれた。
 最初に結論めいた感想を述べれば、ここでの「独立論」は、決してヤワなものではないと思う。
 もちろん不満はある。結末。日本政府はもちろん、アメリカも中国も、あんなにあっさりと引き下がりはしないだろうし、沖縄が日本の傘下から離れかけた途端、米中、台湾の、あるいは核ミサイルを振りかざす北朝鮮の、猛烈な草刈り場となるだろう。
 独立に向けて動きはじめた場面の叙述は、プロットを回すことに追われ、肉付きを欠き、骨格だけになっている(1行1文で改行されていく文章が、それを語っている)。
 しかしそれをおしてなお、ここまでリアリティをもって描かれた「沖縄独立小説」はなかったし、悪くない線をいっているのではないか、とわたしには感じられた。

 この作品の最大のモチーフは、著者が捕まえた、沖縄の変化・変動ではないかと思う。ここには外的条件と、内的条件の二つがある。

 日米安全保障条約はこれからどうなっていくのか、という問いと不安。
 そして、中国の太平洋・東アジアへの台頭や武力進出はどこまで進むのか、という危惧(当然、韓朝露との主導権争いも、ここに複雑に絡むだろう)。

 こうしたなか、沖縄のポジショニングが動きはじめた。
 沖縄は、いま、現政権にたいして激しく異議申し立てをしているが、これを可能にしたのは、この、沖縄のポジショニングの変化・変動だと思う。東アジアの情勢の変化は、沖縄の位置をも動かす。著者はこのことを如実に感じ取っているように思える。この外的条件が一つである。

 もうひとつは、日本政府への怒りの感情。
 日本国は、軍事拠点としての徹底した政治利用を、いっこうにやめようとしない。
 これにたいする沖縄の「怒り」は、そろそろ沸点に達しつつあるということが、本土の人間の視野にも、わずかずつではあるが映り始めた。

 たとえば、「羅漢」を登場させているが、この「羅漢」とは、歴史のなかで刻まれつづけてきた日本国(ヤマト)への怒り、憎悪、屈辱、悲しみ、絶望、といったものの表象である。評価は、沖縄人と本土人とのあいだで大きく分かれるところかもしれないが、「沖縄独立」がどこまでリアリティを感じさせるかは、この「羅漢」の効果如何にかかっている。そしてわたしの見立ては、すでに述べたようにけっして悪いものではない。
 
 ところで、ここまでわたしは、この作品を「近未来小説」と呼んできた。
 しかし、年代設定は、わたしの見落としでなければ、どこにも記されていない。「5年前、姉が尖閣で死んだ」ことは書かれているが、小説の舞台となるその5年後が何年何月のいつのことなのかは、明記されていない。リアルタイム(同時代)であるならば、2015年と書けばよいが、それもなされていない。
 このことを、どう読んだらいいのだろうか。
 10年後、20年後の「近未来」としてしまえば、作品内のフォーカスに、微妙なずれが生じてしまう。事実関係の整合も崩れるかもしれない。しかし、リアル(同時進行)である必然もないし、やはり時差はある。そのあたりの著者のバランス心理が、無年代の設定とさせたのだろうか。
 
 もうひとつ、尖閣領有権の決定的証拠となるはずだった「羅漢」の記録がどのようなものか、明瞭な明かされ方をしていない。そしてラストの日本政府の首相決定に、「羅漢」の記述がどこまで深くかかわったのか、その点も明らかな記述ではない。
 作品の瑕疵だ、と言えばいえる。しかしわたしの勝手な希望と推測を述べれば、このことは、すでに「独立後」をテーマとした第二部が書かれている、というメッセージではないか。そのようなものとして読んでおきたいと思う。







飢餓陣営せれくしょん4 『「オープンダイアローグ」は本当に使えるのか』

○飢餓陣営・佐藤幹夫編(飢餓陣営せれくしょん4)
  『「オープンダイアローグ」は本当に使えるのか
         「現場」で活用するための多角的な検証』
  A5判/並製/112頁 予価1400円+税  言視舎

  薬物を使わずに驚くほどの効果を上げ、精神医療を刷新するというフィンランド発の精神療法「オープンダイアローグ」。これを紹介した『オープンダイアローグとは何か』(斎藤環 著・訳)を徹底検証する。
  これまでの療法とどこが違うのか?「対話」とは具体的にどういうことか? 日本でも実践できるのか?  
  医療をはじめ、さまざまな支援の現場からの視点で、話題の精神療法を読み解く。

 コンテンツ
  PART1 「オープンダイアローグ」についての報告 

   【論考】小林隆児 「オープンダイアローグ」との「対話」
       佐藤幹夫 「オープンダイアローグ」ついての問題提起
  
  PART2 「オープンダイアローグ」を現場から読む 
       検証のための討議 「人間と発達を考える会」による討議

  PART3 技法と治療効果をめぐって 

   【論考】内海新祐 オープンダイアローグの実用性をめぐって
       熊木徹夫 官能的評価から論じたオープンダイアローグ
       阿久津斎木 フィンランドの育て支援「ネウボラ」について
       佐川眞太郎「オープンダイアローグ」の「対話」に焦点をあてて
       小林隆児 「オープンダイアローグ」を「甘え」から読む

 編集後記

飢餓陣営 最新43号のご案内

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○「飢餓陣営43号」編集・佐藤幹夫
   A5判/260頁  定価1200円+税(予約購読者据え置き) 発行・飢餓陣営発行所

 *コンテンツ+【編集後記】

  【巻頭エッセイ】私たちの生きている時代
   香月真理子■被害者と加害者につきまとう「居場所のなさ」
           ―高槻中一遺体遺棄事件から
   赤田圭亮■生活記録ノートはなぜ届かなかったのか
   内海新祐■安易な救いを語れない――『居所不明児童』を読みながら
   村瀬学■「一八歳選挙権」問題について
   夏木智■東日本大震災個人的体験記(7)
       三橋貴明『「原発ゼロ」の真実』を読みながら
   ・沖縄取材日記(1)沖縄の戦跡と辺野古を訪ねる
            2015年11月1日~11月4日
 
  木村和史■家を作る(8)――父と暮らす

  【特集1】戦後思想を読み継ぐ(第1回)――村上一郎
   佐伯修■「村上一郎日記」を読む――
       『試行』同人解散の頃を中心に
   桶谷秀昭氏を囲んで■回想 村上一郎との30年
    [出席者]桶谷秀昭(ゲスト)、佐伯修、山本ひろ子、小川哲生、
           佐藤幹夫、神山睦美(司会)
   神山睦美■アイロニーとしての村上一郎
   編集部編■村上一郎作品の独断的ご案内

  【特集2】沖縄/奄美 戦争と戦後

   <1>【聞き書きシリーズ】島成郎と沖縄(第3回)
    北村毅氏を訪ねて■沖縄に映る日本、島成郎という生き方
    山城紀子氏を訪ねて■「こころ病んだ人」を書くこと、
               島成郎が教えてくれたこと
    保健師・新里厚子さん、嘉手苅綾子さん、照屋恵子さんを訪ねて
     ■島成郎の沖縄での精神医療
    島田正博氏と高橋年男氏を家族会(沖福連)に訪ねる
     ■島成郎が沖縄に遺したもの
    ・沖縄取材日記(2)島成郎/久米島/沖縄精神医療 
       2015年11月5日~9日
   
  <2>島尾敏雄と島尾ミホ
    水島英己■珊瑚礁を抱きしめていたい―島尾敏雄と琉球弧・沖縄
    阿久津斎木■作家・島尾ミホ
    佐藤幹夫■戦争と家族と夢の中での日常
  
  【特集3】臨床と哲学をつなぐパート2 人間の科学とエヴィデンス
   西研■人間科学のエヴィデンスはどこにあるか
   山竹伸二■こころの臨床における質的研究とエヴィデンス
   小林隆児■精神療法でエヴィデンスをいかにつかむか
   [討議]西研+山竹伸二+小林隆児+佐川眞太郎(司会)
       ■人間の科学とエヴィデンス
  
  【連載】 
    宗近真一郎■柄谷行人論6――無限性と有限性との闘いにおいては、
         自然もリスクも支援されてはならない
   浦上真二■吉本隆明とオッペンハイマー著『国家論』 
  
  【討議】経済学的研究会報告(第一回)エコノミーってなんだ?!
   吉本隆明「エコノミー論」「消費論」から二五年
    ■参加者(発言順) 添田馨、瀬尾育生、近藤洋太、築山登美夫、
     佐々木陽介、宗近真一郎
  
  【書評】
   横木徳久■神山睦美は詩人である 
         神山睦美『サクリファイス』(響文社)
   築山登美夫■死と自由の逆説
         井崎正敏『吉田松陰』(言視舎)
  
  【編集後記】言論の自由と個人情報    
  [デザイン] 表紙 菊地信義 扉 廣田茂


[編集後記]

●報道の自由がかなり怪しくなっている、と多くのマスメディアは気が付いている。しかし、相変わらず「政治的中立性」をめぐって「自粛」を当然とする空気は衰えることがない。書店で、憲法や民主主義を巡る書籍のフェステバルを行うと、とたんに批判が飛んでくる。政治的中立性を欠く、と。すると、すぐに内容が変更される。なんでだ? おかしくないか、と私は思う。

●しかしまた私は、取材日記を書きちらかし、聞き書きを掲載させてもらっている身である。だからこそ個人の情報管理に関してはナーバスになる。こんな小さなメディアに「自粛要求」の批判が来るとは考えにくいが、隙を作らないためにも、どこまでなら出してよい情報で、どこからはしまいこむ情報か、かなり神経を使って判断している。特定秘密保護法が通って、もう誰も怪しまなくなったこんな時だからこそ、個々人の情報管理の感度は逆に問われる。それは危機管理の謂いでもある。

●情報管理、言い換えれば公開を前提とせずになされた私的な交信、雑談の類、これもまた、ときに要注意の扱いに属する情報となるということだ。今回、当方の私信メールが近藤洋太氏によって無断で公開されているが、これまで私は、雑誌編集・発行に関する一切の私的な交信の類を公開しないで来た。当たり前である。掲載に至る経緯を、お礼と共に書くことはあっても、失敗に終わった依頼交渉は一切出すことはしない。こんな依頼をしたら、こんなふうに断りを入れてきたなどと、あとがきあたりでうっかり書こうものなら、飢餓陣営と佐藤に対する信頼はあっという間に瓦解するだろう。いくら依頼を重ねても、だれも原稿を寄せてくれなくなるだろう。信義にもとる行為だからだ。逆も真。くり返すけれども、雑誌発行や企画にかんする私的なやり取りの無断公開は、決定的に信頼関係を損なう。近藤氏にはお伝えしておきたい。

●と、書きつつ、訂正を一つ。前号の森山公夫氏の発言中、訂正があります。島成郎さんの「葬儀委員長をやったのです」という発言は記憶違いであった、ということでした。お詫びして訂正いたします。

●さて今号の「私たちの生きている時代」の企画、この問題で今なにか発言できなければ、思想とか文学などやっている意味がないと厳選したテーマを、各執筆者の方々に投げかけてみました。ご覧のとおり、怜悧なこたえが返ってきました。嬉しい限りです。

●また、経済学の連続討議も始まりました。添田さんがいうように(言わなくてもいいんだけど)、私も声をかけていただいたのですが、時間的に厳しい。さすがにご辞退申し上げた次第です。今後の論議を期待します。

●当方も沖縄と戦争、七〇年代の精神医療問題と一気に始まっています。取材に応じてくださった皆様には、こころより感謝です。

●また、戦後思想は好きな領域なので、ついつい手が伸びてしまいます。桶谷秀昭さん、佐伯修さんにはご無理を願いました。深くお礼を。

●もうひとつ。『飢餓陣営せれくしょん3』に『絶歌』問題について書き下ろしを、『法然思想』という佐々木正さんが主宰する思想誌に、「新幹線焼身自殺問題」についての原稿を寄せています。「この問題にまともに反応できないような〝なまくら〟じゃ、いくらなんでもまずいだろう」と気合だけは入れて書きました。ぜひご一読を。

●次号は夏に。六月末をめどに原稿をお寄せください。(幹)

『オープンダイアローグとは何か』を読む

2015年10月17日、「人間と発達を考える会」では、斎藤環氏の訳と解説による『オープンダイアローグとは何か』をテキストとして取り上げ、4時間にわたって論議しました。以下は、佐藤のレポート・レジュメを基に、文章に直したものです。基本的には、討議前の感想によっています。


[以下、佐藤による]
 斎藤環さんが解説と、原著者の翻訳論文を掲載した『オープンダイアローグとは何か』を読みました。フィンランドの西ラップランドを発祥とし、統合失調症にたいして高い治癒率を誇り、しかも薬物はほとんど使わず、入院もせず、タイトル通り、患者さんを中心とし、家族や支援者たちとのダイアローグが、その治療スタイルだというのです。
 この本では、第1部が斎藤環さんによる解説です。斎藤さんも、最初は半信半疑。代替療法やマガイモノではないかと疑ってかかりながらも、あっという間に、この〝本物性〟に惹かれていく様子が、解説を通してよく伝わってきます。

斎藤環氏による「解説」
「1.概略」
・治療プログラムではなく、哲学や考え方である
・発症後、即座にチームで会いに行く
・薬物は使わない。保険として使うことはある
・リフレクティング(自分についての噂話)を聴く
とあります。

 「発達を考える会」のメンバーの臨床家の方々は、まず「発症後24時間以内にチームをつくり、患者に会いに行く」というところに着眼したようでした。初期対応の重要さです。どんな状態で治療要請が入るかは千差万別だとは思いますが、共通して、激しい緊張状態と不安、外界の事物知覚の侵襲など、大きな混乱が生じているだろうと思われます。

 こうしたときに、たしかに即座にチームがそばに来てくれて、話しかけてくれたり、問いかけてくれたりすることは、患者さんに、大きな安心感と信頼を与えるだろうことは推測されます。そして患者家族も、同様に、溺れかけていたときにつかんだ藁が、こんなに頼りがいのあるものか、ということが感じ取れれば、やはり安心と信頼はとても大きなものになるはずです。

 治療者と患者との「安心と信頼の関係」、これがどれほどその後の回復過程に大きな影響を与えるかは、私が改めて書くまでもないことでしょう。

「2.理論」
ここでは
・不確実性への耐性(解答を出さない、患者本人の意思決定が優先される)
・対話主義(言語構成主義、言語化されにくい病状の本人による言語化)
・社会ネットワークのポリフォニー
・複数の声が鳴り響く
などが、キーワードとして挙げられています。

 とくに「複数の声が鳴り響く」という件。これは、ダイアローグの際の、様々な発言のありかたや受け取り方、といった書かれ方をしていますが、私はむしろ、患者が聞いている幻聴、あるいはざわめき(中井久夫)、と受け取りたくなりました。急性期の混乱にあるときに、かたわらでダイアローグをする複数の声は、最初は幻聴の声のように聞こえてくるのではないか。そんなことを感じました。

 そもそも幻聴といっても色々なタイプがあるようで、特定の人からの、比較的はっきりとした意味内容の声を受け取るもの(たとえば性的な虐待のトラウマ症状を抱える人が、守ってくれなかった母親(らしき人物)からの、「死ね」という声に苦しみ続けているとか)。このかたは、解離性障害とPTSDと診断を受けています。

 あるいは、だれかは分からないし、何を言っているかも分からない、ただ耳(頭)のなかで、多くのざわつく声がしている、という報告もありました。この方も、統合失調症の入院治療を経て退院し、アパートでのひとり暮らしを始めた方でした。

 これは『オープンダイアローグ』という本の特徴のひとつだろうと思われるのですが、統合失調症の具体的な記述は概略では述べられておらず、第2部の論文中、実際のダイアローグが再録されところで、それが示されますが、全体的には、患者のデータは、非常に少ないものになっています。従来のように、症状がこんな始まり方をして、こんな経過を経て、こんなふうにして落ち着いて行った、ダイアローグは、そのときどきにおいて、こんなふうに進んで行った、というような記述が取られていません。斎藤さんの解説もそうですし、第2部の論文でもそうです。

「解釈をするな」というのが、ここでの戒めのようですから、おそらくそれなりの意図があるのだろうとも考えられますが、プロセスが見えない、というのが、やや食い足りないところでした。

 もう1つ。
・「ひとつの真実ではなく多様な表現へ」
という件もあります。
 このあたりはいかにもポスト・モダンらしいというか、相対主義だと感じたところでした。いかにもポスト・モダン思想であるとは、「一つの真実」「一つの主体」「一つの自己」「大きな物語」に、禁欲的であり、禁じ手にしていることを感じさせるところです。斎藤環さんのバイアスによるところが大きいのか、原著者のもつ相対主義的特性の故なのか判別できませんが、ところどころで、こうした相対主義が顔を出します。

ポスト・モダンと言えば、もうひとつ。
「オープンダイアローグ」は「ナラティブ」と家族療法をその原型にもち、基本的な考え方は「言語構成主義」と「ポリフォニー」である、とされます。「ナラティブ」については、次の文章を引用しておきます。

『ナラティブ・ベイスト・メディスンの実践』齋藤清二/岸本真史(金剛出版)
「人間は成長や人生の過程で、新しい出来事や状況に接するたびに、新しいナラティブを獲得する必要があり、「自身の物語りを新しく書き換える」必要がある。このような「新たな物語りの構築」がうまく行かない時、人間はいわゆる病に陥る。したがって、病む人にたいする援助者である医療従事者の重要な役割の一つは、このような「物語りの書き換え」に付き添い、援助することである。ナラティブの視点から言うと、治療関係の中で「医療従事者と患者が『患者にとってより望ましい新しい物語り』の共同執筆者となること」こそが治療の本質であるということになる」
齋藤清二 「第1章 ナラティブ・ベイスト・メディスンとは何か」(P21)

 これはほとんど違和感のない考え方であり、援助方法です。とくに言語構築主義やナラティブは、ポスト・モダンだからどうした、と指摘する必要のないところまで、なじみ深いものになっています(少なくとも、私には)。現に、こんどの『飢餓陣営せれくしょん3』で「かりいほの自分語り」を特集しているように、「自身の物語の書き換え」は、ずっと実践・支援の対象でした。ここで、私(たち)なりの、ナラティブに関する考え方をまとめていますので、参照していただけると嬉しい。

(ちなみに齋藤清二先生には、富山大学におられたときに取材に伺い、大変お世話になりました。齋藤先生の、富山大学での学生相談の仕事には感銘を受けて戻ってきましたが、その考え方を、『青年期の発達障害とどう向き合うか』(PHP)のなかでまとめています。よろしければご一読を)

さてもう一つの「ポリフォニー」。これには、バフチンの次の文章を引用しておきます。
『ドストエフスキーの詩学』ミハイル・バフチン 望月哲男訳(ちくま学芸文庫)より。

「ドストエフスキーの独自性は、彼が人格の価値をモノローグ的に宣言したといったことにあるのではない(そうしたことはすでに彼以前に他の者たちが行っていたことだ)。彼の独自性は、人格としての人間を客観的・芸術的な仕方で見出すことができたこと、そしてそれを抒情化することも、そこに自分の声を混入させることもなく、しかもそれを物象化された心理学的事象におとしめることもなく、別の、他者の人格として表現し得たことにあるのだ。(略)他者の人格を芸術的な形象として描くこと、さらには数多くの人格が相互に融け合わぬままに、ある種の精神的な事件の総体として一つにまとまっている様を芸術的に描くことは、彼の小説をもって初めて完全な形で成し遂げられたのである」。
(第一章「ドストエフスキーのポリフォニー小説および従来の批評におけるその解釈」)

バフチンは、ドストエフスキーの文学世界を、「完全な他者の人格」を独立した存在として形象化し、それが芸術的事象として描かれている、そのような作品である、と繰り返し指摘しています。この基本的なモチーフが、書中、様々な角度から論じられていく。これが『ドストエフスキーの詩学』の基本テーマであり、最大のメッセージだと見ていいでしょう。

 それまでにも19世紀のヨーロッパでは、「三人称小説」として独立した「他者」を書いている大作・名作は、多数存在してきました。すぐに思いつくところでは、たとえば、トルストイ『戦争と平和』、スタンダール『赤と黒』、バルザック『居酒屋』、ゲーテ『親和力』などなど。

 バフチンの場合、こうした作品群とドストエフスキーとが、どう区別されているか。
 私見では、いずれもそこでの「他者」は、作者の何らかの(たとえば人格の、たとえば人間観といった思想の、といった)反映でした。なんらかのかたちで作者の分身だった、と言い換えてもいいものでした。ところがドストエフスキーの小説群に登場する人物は、「作者の反映」ではなく、それぞれが、作者からも完全に「独立した他者」であること。そして、そのことによって「小説」という形式の芸術性が、ドストエフスキーにあっては高い達成を示している。――これが、この本の中でのバフチンの最大のテーマです。

さて、斎藤環さんの解説の次に登場するのは、
3.臨床「・実践のための12項目(P46-47)」
です。これは引用しませんので本文に当たっていただければと思います。

そして次が、
4.ダイアローグとその周辺
となっています。私はここが、最も訳者の、訳者らしさを発揮している解説ヵ所ではないかと感じました。たとえば「むしろ臨床的な有効性は、理論としての衰弱ないし無効化を意味するかもしれない」(P52)とか、「精神分析が言葉をメスとして用いるというのなら、オープンダイアローグは言葉を包帯として用いるのです」とか、「冴えたロジック」がお好きな斎藤環先生らしい〝語り口〟です。

そして「オートポイエーシス理論」をひきます。これは、自己創出理論・自己生成理論と言われますが、簡単に言えば、「対話」を続けること自体が目的となる、という言い方がされているところに該当させていいと思います。「対話」が「対話」を自己創出する。自己創出されるようになった「対話」は、患者を、これまでとはどこか別の所に導いていく。そういう道筋になっているようです。

さらに「第2部 オープンダイアローグの実際」とされ、論文が3本掲載されています。
ミーティングの設定の仕方や、進めるにあたっての支援者の心構えが記述されていますが、これ以降について、斎藤環さんも解説をしているところでもあり、屋上屋を重ねるよりも「論文を読んでの感想」に代えたいと思います。

[感想]
 まず「オープンダイアローグ」の〝すごみ〟がどこにあるのか、1読2読しただけでは、なかなか実感できませんでした。〝何が書かれてあるか〟は、当然、読めば分かります。納得もしますし、多くの部分に、賛同もします。ところが、「そうか、オープンダイアローグって、こういうアプローチなのか」という体感というか、ストンと落ちてくるような納得がやってこないのです。これが正直なところでした。

そもそもここでの「ダイアローグ」と、私たちが「対話」という言葉で思い描く内容とが、同じである、きちんと重なるという保証はないわけです。

 たとえば、滝川一廣さんは、「チャイルド・アビューズ」を「児童虐待」と訳してしまうと、そこにズレが生じる。「アビューズ」は、平均からずれているという意味であり、必ずしも「虐待」だけを指すとは限らないと指摘しました。小林隆児さんは、「アタッチメント」を通常は「愛着」と訳すが、これを「甘え」という日本語と混同しては間違う。「アタッチメント=愛着」は、「甘え」とイコールではない、と指摘しました。

 精神医学領域にあっても、ときに、原義と日本語との間で、こうしたズレが生じるようです。「ダイアローグ」=「対話」なのか。

 そこで問いを、「ダイアローグを「オープン」にすることで、何を求めているのか。何が起こっているのか」というかたちにしてみました。

◎最大のポイント(もちろん個人的感想として)
「ポリフォニー」「不確実性への耐性」「対話主義(応答性)」といった姿勢、哲学が目指すものは、
(1) 病者が自身を、症状や病状の一番の主体として引き受ける存在となること。〝自分自身のこと〟として、自身の病状を〝語る〟こと、言語化すること。「させられる治療」ではなく、「患者であることを主体的(言語構成的)に指し示すことで、結果的に快方に向かう治療」。このことが求められているのではないか。

 こうした認識が、浮かんできました。従来の精神疾患治療にあっては、「治療者(専門家)=主」であり、クライアント=従」であって、クライアント(患者)は、治療者に言われるままに〝治療を受けること〟が、治療者にとっても、良き治療となるために望まれていた、といえるのではないでしょうか。患者は、尋ねられたことにのみ、応えていた。尋ねられないことには答えない。これが患者の〝役割〟だった。そんなふうに理解しているのですが、いかがでしょうか。もちろん、そうではない医師もたくさんおられるでしょうが、このことが精神科治療に対する多数派の考え方ではなかったでしょうか。

 同じことですが、少し比重を変えて言い換えてみます。
病者は、病気ゆえに医療の一定の管理のもとに置かれる。キツイいい方をすれば、主体性が一定程度奪われてしまう。奪われることを良しとして、治療に専念するのが〝良い患者〟。精神疾患の場合、とくにこうした傾向があったのではないか。こうしたあり方をどう脱構築するかが、これまでの医師たちの運動・活動ではなかったでしょうか。くりかえしますが、もちろん、一般論としてです。
 
 以上の指摘から、少し結論めいたことを述べましょう。
病者(患者)は、家族や、治療者を前に、自ら考え、自ら考え、感じたことを、積極的かつ主体的に語ることが、「オープンダイアローグ」では望まれているのではないか。なぜ望まれるかと言えば、「語り」を取り戻すためであり、「自分の病状について語り(説明)を、自分のものとして取り戻すこと」、だからこそ、治療者は、主体となった患者に付き合う(寄り添う)ことが、最大の仕事となるわけです。

(2)このことで何が起きるか
 治ろうとする意欲が立ちあがってくる(治ろうという意欲が「主体」をさらに強くする)。自然治癒力が立ちあがって(回復して)くる。当たり前のことですが、この基本は、』やはり『オープンダイアローグ』にあっても、変わらない。

 だから、考え方としては、オープンなダイアローグは、患者が主体的に自身の病状と向き合うような方向に導き、そのことで「意欲‐主体‐自然治癒力 が相互作用を及ぼしながら、よりよい状態を作り出していく」。こんな風に理解したらどうか、と考えたわけです。

もう一つ。
(3)「対話が開かれる」ことについて
「応答の開かれ」について、『飢餓陣営せれくしょん3』の「かりいほ利用者の「自分語り」」を参照していただけると、ありがたいのですが、ここで問いかけているのは、次のようなことです。

 かりいほの利用者にとって、誰によって「私」は語られてきただろうか。おそらく多くが、たとえば教員であり医師であり、警察関係者であり、福祉関係者であり、自分で自分のことを語る、という体験はほとんどされてこなかったのではないか。したがって、かりいほの自分語りには、「語り」の取り戻し、そのことによる「私」の取り戻し、という意図がある。

そしてこの取り組みによって見られた利用者さんの変化を、「モノローグ的な答えから、応答性を持った答えに変化した。開かれた対話することで、「内省が深まっている」という印象を持った」、と記したのでした。

『オープンダイアローグ』でも、モノローグとダイアローグが問題になっています。
 以下は、そのことについてのメモ、という程度の受け取り方をしていただけるとよいのですが。
〈前提〉は(勘ぐりや妄想はモノローグ的思考)であることです。つまり、統合失調症的な症状の始まりは、ダイアローグの通路を失っていくプロセスではないか。
「モノローグは妄想を強め、「対話」は妄想を解きほぐす」

自由で開かれた対話、仕切り屋のいない対話(ポリフォニックな対話)、結論や解答を求めない対話(不確実性に耐える)、がここで目指されている。逆に、統合失調症の病理としての閉ざされたモノローグとは、「指示待ち的な応答あるいはYes‐Sayingなど、決めつけ傾向」、といった性格を強めていく。対話や会話から、遊び、ゆとり、甘えや、情動共有といった特性を失っていく。コミュニケーションから、象徴性を失っていく。

「暗喩(メタファー)」の表出とは、「遊びやゆとり」の産物であり、甘えが前提になっています。あるいは、メタファーと受け取ることによって、遊びやゆとりが共有され、甘えが可能になるきっかけになる、と考えられます。オープンダイアローグが立ちあがってくる。

(以上)


まとまりませんが、こんなことを考えながら、「人間と発達を考える会」の議論に参加しました。
なるべく近いうちに当日の、論議を起こし、活字にし、『飢餓陣営』本誌か『飢餓陣営せれくしょん』で公開できればと考えています。具体的な方向が決まった時にはお知らせします。ホームページをご覧ください。


緊急掲載「『絶歌』を読む」 飢餓陣営せれくしょん3 

『飢餓陣営せれくしょん3』が、やっと校了に近づきました。9月中旬の刊行予定です(1800円)。

内容は前々回にお知らせしてありますが、緊急特別掲載として「佐世保の事件と『絶歌』を読む」を書き下ろし、巻頭に加えることにしました。目次を再掲載し、この原稿のコンテンツと、「編集後記」を掲載します。

「セラピー」というテーマの下、「少年事件」-最相葉月氏『セラピスト』-滝川一廣氏の「精神療法」-石川恒氏と「かりいほ」の取り組み、とつなげていて、一見、脈絡のない、寄せ集めただけの「せれくしょん」に見えるかもしれませんが、そんなことは全くありません。まずは、下記の【編集後記】をご覧ください。


セラピーとはなにか

【緊急特別掲載】(60枚 書き下ろし)
佐藤幹夫+北明哲■佐世保の事件と『絶歌』を読む

 論議の初めに/佐世保事件の処分決定から/動物虐待から「殺人願望」-どう歯止めをかけるか
 処遇をめぐる問題――「刑罰による再犯の抑止効果はない」/圧倒的な「厳罰推進論」のなかで
 『絶歌』出版について――「更生」が引き起こす〝ねじれ〟/第一部と二部のギャップはどこからくるか
 暴力や攻撃性はどこからくるか/「更生」について

【特集1】 セラピーをめぐって

●パート1 『セラピスト』をセラピストたちが読む
・最相葉月■『セラピスト』はどう書かれたか
   1『セラピスト』はどう書かれたか 2ノンフィクションについて

・(討議)最相葉月さんを囲んで■セラピストたちが読む『セラピスト』
滝川一廣/佐川眞太郎/阿久津斎木/富樫健太郎/香月真理子/
  小川正明/清水邦光/斎藤敏郁/尾上義和/大迫久美恵/
  的場由木/竹島正/本田哲也/佐藤幹夫(司会)

・レポーターを終えて■香月真理子/富樫健太郎/感想■;大迫久美恵

・内海新祐■二人に流れる静謐な時間
・編集部編■最相葉月作品の独断的ご案内

●パート2 滝川一廣と精神療法
 ・滝川一廣氏を囲んで■精神療法とはなにか
   滝川一廣/斎藤悦雄(司会)/宗近真一郎/由紀草一/
  夏木智/池見恒則/鈴木一夫/佐藤幹夫


【特集2】人生の折り合いと自分語り ――――――――― (全文語り下ろし)
        ――「かりいほ」の取り組みから

●パート1 当事者が語る「納得」の世界
・石川恒■「自分語り」がなぜ必要か――当事者の語りが伝えるもの/取り組みを終えて
・山田さんの語り(聞き手・飯島恵子)
・川井さんの語り(聞き手・飯島恵子)

●パート2 当事者の「自分語り」を聴く
・西研■「人生の納得」をどう考えるか
・佐藤幹夫■「かりいほ」の自分語りについて/続・かりいほの支援論(転載)


【編集後記】

 最相葉月さんの『セラピスト』が、日本のメンタルヘルス業界に、どれくらいのインパクトを与えることになったのか、なかなか興味深いものがある、と感じてきました。編集人の直感では、ドクターよりも心理臨床に携わっている人や、「こころの相談」の周辺で仕事をしている人たちが、より多く手にしたのではないか。もちろんコアな読者にもしっかりと読まれているようですが。

 この本の最大の効能のひとつは(と、またしても個人的な印象を書くことになりますが)、セラピーという行為を広い観点から捉えるための、格好の視点を提供していることではないでしょうか。つまり自分(たち)のおこなっている治療行為が、歴史的にも空間的にも広い視野から相対化されるわけですが、これは「こころ」などという得体の知れないものに、日々お付き合いしなくてはならない方々にとっては、何よりも、我が身の一助となる観点だろうと思います。

 「こころ」とは、どうも、相対と絶対の適度なバランスを維持することが肝要なようで、そして肝要な分、難しい。「絶対」のほうに振れ過ぎると、「自分は全世界から注視され、地球を一人で支えている」という緊張と恐怖が、耐え難いほど膨らんでしまう。また相対に捉えられ過ぎれば、「わたしはまったく無価値であり、生きるに値しない存在だ」という苦悩と無力にさいなまれることになる。「患者」と呼ばれる人たちは、このバランスの崩れに苦しめられている人たちのではないか。

 そう考えてよいとすれば、援助者は、まずは自分自身のバランスのありようをしっかりと見つめなくてはならない。そうでなければ、とてもではないが「苦しむこころ」と向き合えるものではない。『セラピスト』のなかで、著者が取材を始めてすぐに「自分のことを知らなくてはならない」と言われたのは、この辺の事情に由来するのではないか。――編集人はそのようにあたりを付けているのですが、いかがでしょうか。

 さて、『セラピスト』を『せれくしょん3』の心柱に持ってくることは、編集人のなかで、最初に決まっていました。次に、三番に立ってもらうのは滝川一廣さんで、滝川さんを囲む座談会にすることも、比較的早い時期に決まりました。座談会は、実施からずいぶん年数を経ていますが、滝川さんの立ち位置や基本的な考え方が、まったくぶれていません。討議に参加していただいているのは教育関係の方々が大半で、学校と塾という二つの異なる現場から心理療法にアプローチするという、とてもユニークな内容になっています。しかも宗近、夏木、由紀の各氏は「飢餓陣営」の初期からお付き合いいただいている論客であり、滝川さんへの突っ込みも、なかなか厳しい。したがって、読み物としても抜群に面白いできになっている。言い換えれば、ほとんど古びていないのです。再掲載を決断するのに、時間はかかりませんでした。

 もう一つの理由は私事になるのですが、この座談会が実施されたのは、滝川さんとの最初インタビュー集『「こころ」はどこで壊れるか』刊行の以前であり、滝川さんの論文のコピーを集めては必死にマーカーを引いていた時期の、いわば編集人の修業時代のものになります。一冊のなかに、ひそかに自己史を潜り込ませてもらった次第です。(ほとんど進歩していない? たしかにそうかもしれません)

 さて、では四番の後にすわる五番打者をどうするか。じつは『セラピスト』を中心にすると決めたときから、もう一つの柱は「かりいほ」の「自分語り」を掲載できないだろうか、ということが浮かんでいました。ただし、まだ掲載時の語りの会が実施される前。どんな会になるのか、めどが立っていなかったのですが、それでも、『セラピスト』と「かりいほ」の自分語りを組み合わせて一冊に、という考えは、だんだんと強くなっていきました。

 いってみれば、「援助―被援助」という関係のなかで、援助する側からなされる見方が第一部だとすれば、第二部は、援助を受けてきたご本人たちが、「援助」というものをどう受けとめ、どう感じてきたか。ここでの「援助」の意味を広く取っていただきたいのですが、「援助」というものは、自分の尊厳を守るためになされるもののはずなのに、援助する側の勘違いによって、しばしば尊厳を損ない、ないがしろにするようにはたらいてしまう。援助する側は、そのことをもっと知っておいてよいのではないか。――おそらくこのような問いかけが「自分語りの会」の目的のひとつであり、石川施設長が繰り返してきたことだと理解しています。

……というように、「援助」というものを、鏡のこちら側と向こう側から映し出せないだろうか。もちろん、自由に読んでいただいてかまわないのですが、創り手のほうとしては、そんな目論見をこめています。

 『絶歌』を取り上げたことについては本文で述べており、ここでは触れません。躊躇は大きかったのですが、わずかとはいえ更生保護関係の現場にかかわっている身としては、その立場から何事かを発信しておく必要はあるかもしれない、と腹を固めていった次第です。


 皆さんに掲載の了承をいただいてから、時間が経ってしまいました。それを埋めて余りある内容の「飢餓陣営せれくしょん3」に仕上がったのではないか。仕上がりが近づき、やっとそんな思いにたどりつきました。ご購読下されば幸いです。

 まだまだ猛暑がつづいていますが、本書がお手元に届くころには、いくらか過ごしやすくなっているでしょうか。どうぞご自愛ください。(幹)
飢餓陣営ホームページ http://www5e.biglobe.ne.jp/~k-kiga/

村上龍著『オールド・テロリスト』を読む

 村上龍の新作、『オールド・テロリスト』を一気に読了した。語り手(おれ)が『希望の国エクソダス』と同じ人物で、続編のような体裁をとっているけれど、特に関連付けて読む必要はないと思う。本編1篇で、十分すぎるほど独立した作品となっている(もちろん、関連させて読んでもいい。それはそれで、面白い観点を示すことができるかもしれない)。

 とりあえず全体の印象をいうと、次のような感じだ。
 この作品そのものが、現代日本人の、どうしようもなくなってしまった精神状況の暗喩。そして全編を貫く〝出口なし〟的状況は、まさに現代の日本国の置かれた(あるいは自らが招き寄せた)閉塞状況そのもの。龍作品における、いったん、ガラガラポン、にしないと、もうこの国はもたねえんじゃないの? というトーンは、どんどん濃くなっている。

 もう一つの全体的感想。
 これは、著者村上龍の最大の武器だと思うのだが、彼は「小説」という形式に、まったく疑念も不信も抱いていない。100%リスペクトを、一貫して持ちつづけている。そのことを、改めて確認させてもらった。ここまで揺らぎない、というのは、圧倒的才能だと思う。
 こういうことだ。
 村上龍にあっては、小説の形式と想像力とは不可分に結ばれている。小説のアイデアや構成を突き詰めていく作業は、想像力を駆使することであり、想像力を駆け巡らせることは、同時に小説という形式を思考する作業に深く入り込んで行くことになる。そんなふうになっているみたいだ。だから彼は、小説の時代は終わったとか、小説は近代の賜物でありもはや死んだのだとか、絶対に口にはしないだろうし、考えてもいないと思う。

 ここで、少し村上春樹氏の作品と比べてみたい。
 春樹氏の長編前作『1Q84』は、その設定やストーリー、登場人物たちが、いかにも寓話というか、ファンタジーめいたものあった。もっとも春樹氏を、ル=グウインやエンデ、ルイス・キャロルと言った寓意性の高いファンタジー作家の一群にいれて論じても、重要なテーマを掘り当てることができるだろうと思う(たぶんそれは死と時間、再生という物語的主題に帰着するはずだが、ここでは触れないでおく)。

 一方、龍氏の作品は、抽象度は高いが、設定も題材もリアル(現実的)である。〝社会派〟と評しても、不自然さはないほどだ。これは龍、春樹どちらが優位か、ということではなく、「あり得ないことを、目いっぱい面白く、深く、楽しく読ませてくれる作家」が村上春樹だとすれば、いま進行しつつある題材の龍的な組み合わせによって(テロは世界中の問題だし、老人問題も先進社会では共通のテーマになっている)、「これはあり得ることだ、むしろどこかで待ちのぞんでいたことだ」、という無意識の欲望をリアルに示してみせるのが、村上龍である。それが『オールド・テロリスト』の、圧倒的なリアリティをつくっている。

 たとえば、破綻や暴落、壊滅と、常に隣り合わせている、という状況のリアルさ。ページをめくるにつれ、どんどん追い込まれていく主人公の、心理的重圧と〝出口なし〟的状況(これは、メンタルを病んでいく人間の心理が、的確に、時間を追って描かれているような錯覚を受けるほどだ)。

 もう一つ感じたこと。
 前作『歌うクジラ』も主人公の視点は1人称だったが、前述したように、この作品でも「おれ」という1人称が採られている。1人称で描かれながら、しかし3人称世界であるような相対的広がりを獲得しているが、どうしてこれほど立体的で、奥行きをもつ作品構造が可能になったか。この作家の高い能力と、40年間、ハードトレーニングを怠らなかった結果だ、とでも言うほかないだろうが、この間のテーマを、経済、戦争、引きこもり、学校、というように、より社会的なところにターゲットを置いてきたことにも、関連があると思う。社会的なテーマは、それ自体が、3人称的叙述を呼びこむからである。

 作品の立体性を示す1例。
 それは、『オールド・テロリスト』が、見えざるダブルワールドになっている、と感じさせるところだろう。もちろん春樹氏のように明示的に書かれるわけではない。しかし全貌を示さなくとも、その巨大さや不気味さがしっかりと読者に伝わるところが、この作品の達成点のひとつではないかと思った。満州国、世界最終戦争、石原莞爾。その末裔たちが、ひそかなネットワークを張り巡らしながら戦後80年を生き延びてきた。アンダーグラウンド。そして「粛々と」、最終戦争を企んできた。

 私がノンフィクションを書く身だからかもしれないが、この作品の最後、「記録せよ、目の前の事実を記録せよ」というメッセージは、なかなか感銘の深いものであった。カタストロフィの後、当面、必要とされるのは記録作家とジャーナリストである。物語作家の登場は、もう少し時間を経てから。3.11のときが、そうだったように。
                                          (15・7・13)

飢餓陣営せれくしょん3 予告

飢餓陣営せれくしょん  VOL.3         2015年9月刊行予定
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セラピーとはなにか

【特集1】 セラピーをめぐって

●パート1 『セラピスト』をセラピストたちが読む
・最相葉月■『セラピスト』はどう書かれたか
   1『セラピスト』はどう書かれたか 2ノンフィクションについて

・(討議)最相葉月さんを囲んで■セラピストたちが読む『セラピスト』
滝川一廣/佐川眞太郎/阿久津斎木/富樫健太郎/香月真理子/
  小川正明/清水邦光/斎藤敏郁/尾上義和/大迫久美恵/
  的場由木/竹島正/本田哲也/佐藤幹夫(司会)

・レポーターを終えて■香月真理子/富樫健太郎/感想■;大迫久美恵

・内海新祐■二人に流れる静謐な時間
・編集部編■最相葉月作品の独断的ご案内

●パート2 滝川一廣と精神療法
 ・滝川一廣氏を囲んで■精神療法とはなにか
   滝川一廣/斎藤悦雄(司会)/宗近真一郎/由紀草一/
  夏木智/池見恒則/鈴木一夫/佐藤幹夫


【特集2】人生の折り合いと自分語り ――――――――― (全文語り下ろし)
        ――「かりいほ」の取り組みから

●パート1 当事者が語る「納得」の世界
・石川恒■「自分語り」がなぜ必要か――当事者の語りが伝えるもの/取り組みを終えて
・山田さんの語り(聞き手・飯島恵子)
・川井さんの語り(聞き手・飯島恵子)

●パート2 当事者の「自分語り」を聴く
・西研■「人生の納得」をどう考えるか
・佐藤幹夫■「かりいほ」の自分語りについて/続・かりいほの支援論(転載)

  あとがき

書評・花戸貴司『ご飯が食べられなくなったらどうしますか?』

 ふるさとの会でご一緒する高橋紘士氏より、東近江地域医療連携の「三方よし研究会」(主宰 小串輝男氏)を紹介していただきました。さっそく東近江市永源寺診療所に花戸貴司医師を訪ね、取材させていただきました。(永源寺診療所については、以下、ご覧下さい。)
http://eigenji-clinic.blogspot.jp/2015/03/blog-post_10.html

 そのご縁で、花戸医師の新刊『ご飯が食べられなくなったらどうしますか?』(農文協)を書評する機会をいただきました。短いものですが、ここに再録します。(永源寺診療所取材の記事は、次回、掲載します)



書評・花戸貴司『ご飯が食べられなくなったらどうしますか?』、写真・國森康弘
2015年5月号掲載『健康保険』


 タイトルを目にした読者はどんな印象を受け取るだろうか。

 これはむしろ反語的で、じつは「人生の終幕を、家族に囲まれながら過ごしませんか。地域一丸となってお手伝いをしますよ」というメッセージが、本書には満ちている。語り口は柔らかだし、寄り添う姿勢が全編に刻まれているのだが、この反語的な問いは「人生最期の主役は医療ではない、皆さん自身だ」という揺らぎのない信念の謂いでもある。

 もう一つの見どころ。写真家・国森康弘氏の作品との強力なコラボレーションになっていること。

 国森さんは、花戸医師が訪問する東近江市永源寺地区の皆さんの、いのちと老いとその暮らしとを、まっすぐに見つめている。モノクロ写真に特有の情感をフルに発揮しながら、生まれたばかりの赤ちゃんから息を引き取ったばかりのお年寄りまで、余すところなく写し出していく。

 そして「永源寺の地域まるごとケア」というサブタイトル。なぜ地域包括ケアではなく、地域まるごとケアなのか。

 推測するに、今やさかんに喧伝される地域包括ケアシステムを、すでに15年も前から工夫を重ねながら地道に作り上げてきた、という著者の自信と自負が、じつはひそかに込められている。

 その1例。永源寺地区では毎年60名ほどの方が亡くなられるという。現在、著者が看取る方々はそのうちの半数。診療所に赴任した最初の年はゼロだった。訪問を重ねながら、毎日毎日、「食べられなくなったら…」と訊ね続けてここに至った。「10年はかかりましたね」という医師の言葉もお伝えしておこう。本書はその10年の記録である。

(再録にあたって、本文に、改行を加えています)

退院支援看護師と地域包括ケアシステム

退院支援看護師と地域包括ケアシステム 
在宅ケア移行支援研究所 宇都宮宏子看護師への取材から(その2)


なぜ急性期病院から担任できないのか

 多くの急性期病院で、退院支援がうまくできていない。宇都宮宏子看護師は、幾度か、はっきりとそう口にした。そして次のようなことも述べた。

 「今の看護師は、学生時代に在宅看護論を学んでいます。しかし卒業後、多くの看護師は、急性期病院に就職します。そこでは急性期が落ち着いたらひとまず転院と、次の病院へ送り出す「店員調整」をしています。一人一人をくらしの場へ帰そう、という退院支援の取り組みを見ることは、きわめて少ないのです」

 こんなに率直に自説を口にされて大丈夫なのだろうか、とこちらがつい心配になるほどだった。

 大病院の急性期しか知らないナースは、視野が狭くなっていないか。目の前の患者しか見えていないのではないか。例えば高齢の患者は救急搬送された直後、不安で暴れ、治療するために抑制しなくてはならない状況に置かれることがある。そこからナースの仕事はスタートする。しかし高齢者が突然重症になるわけではないし、いつも暴れているわけでもない。たまたま肺炎になったり、転倒で骨折したりして病院にやってきて、あっという間にQOLが下がり、退院のできない〝病人〟になる。

 なぜ急性期病院からの退院がスムーズにできないのか。宇都宮看護師は、その理由を3点にまとめている。氏の論文「退院支援から地域連携へ」(『地域連携論』所収2013)を参照しながらまとめてみる。

・退院後の在宅のイメージが持てない。
 看護師に、在宅医療・ケアの知識が少ないため、在宅で継続可能な医療がどのようなものかが分からないまま、退院は無理だとすぐにあきらめてしまう。これは患者の意欲低下を招く。

・患者を総合的な時間軸でとらえることができない。
 入院から退院までと、さらにはその後の在宅生活が続いていく、という長い時間軸でのケアを考えることができない。

・自立生活の場へ移行する(退院する)際の、患者への自己決定支援が難しい。
 入院のあいだ、患者は管理され続け、物事が病院側の主導で決められていく。これでは、本人の意向の尊重は名目にすぎなくなる。在宅療養を選択するという意思を、どう患者主導のそれにできるか。

 これらの3点は、退院できない理由であるとともに、宇都宮看護師が長い病院勤務のあいだに持ち続けてきた問題意識であり、いまも、これからも、取り組んでいくべき課題であった。

退院移行のための具体的な支援の流れ

 患者を総合的に「時間軸」で見る。これは重要な視点だと思えた。

 心理学には「生涯発達」という概念がある。超高齢社会になったいま、「生涯を通しての」というこのアイデアは、いろいろなところで応用できるのではないか。このような長いスパンで患者を見ることは、視野狭窄に陥らないための重要な要因である。宇都宮看護師は言う。

「入院前の暮らしがあって、入院時のスクーリングがあって、急性期があって亜急性期があって、退院後も2週間はしっかりフォローしましょう、という認識をみなが持つようになっている。そうやって退院に向けた方向性を共有する。どんな思いで生活をしてきた人が入院し、治療を受けているのか。患者さんだけではなく、家族の思いもあります。その上で療養環境の準備・調整をどうするか。それを整えることが私たちの仕事です」

 かねてよりのこうした考えを具体化する機会が訪れた。

「東京都で「退院支援マニュアル」を作ることになり、私も参加させてもらいました。まず、その人がどんなふうに家庭で暮らしていたのか。入院前の暮らしがとても大事です。それまでの暮らしがどうだったかをきちんとアセスメントすること。それを、マニュアルのスタートに入れたのです」

 フロー図の横軸(時間軸)には、次のような項目がある。

 「(入院時から48時間以内)地域での暮らし・生活状況・情報収集・アセスメント「スクーリング」」「入院時から●日以内」「治療開始から安定期」「退院に向けての調整期間」「退院時」「退院直後からの移行期(退院後2週間まで)」

 縦軸は「意思決定支援、方向性の共有」、「療養環境の準備・調整「医療上の課題」「生活・ケア上の問題」」
「医療はどうするのか。ケアはどうするのか。長い間、退院支援は社会福祉士がやっていたのですが、彼らは生活から入ります。しかし私たちは、やはり医療から入ります。その人がどんな病気で、目指す状態像はどこか。療養するとしても、この人の状態からすると医療面はどうなるか。たとえばインシュリンを1回にして、昏睡を起こさないようなケアをきちんとする、というように医療面をきちんとサポートするのがナースです。生活介護の問題にあっても、どんな問題があってADLが落ちたのか。入院したことによって落ちてしまったのか、他に何か原因があるのか。そこをナースはきちんと見ておかないといけないのです。退院支援は、入院し、治療が開始されたと同時に始まっています」

 入院と同時に退院支援は始まる――これは、筆者には新しい発見だった。この考えが共有されるまでは、病院内の医療関係者にあっても意識改革を要したのではないか。

 また、先のフロー図は医療者の視点で作ったものなので、経済的な困窮があるとか虐待があるといった生活上の問題については、細かな記載はしなかった。どういう家族関係で生活していた人にせよ、その人のもつ課題を病院がすべて担うのは無理であり、社会福祉士や精神保健福祉士と連携できるところは連携した方がいい。

「病院は自分たちの医療をしっかりとおこない、あとは相談窓口につないでいくことです。東京都と作り上げたマニュアルは、東京都のほうで各医療機関に配布し、看護師の研修に取り入れてくれました。今年は三つの病院をモデル病院として選び、私たちもサポートに入って、このマニュアルを使って退院移行支援のお手伝いするつもりです」。

地域包括ケアシステムにおける退院支援看護師の役割

 宇都宮看護師の言葉で、退院支援とは、患者が自分の人生を再構築するためのお手伝いだ、と述べたことも、印象深いフレーズの一つだった。退院後も長い生活が待っている。どう過ごすか。いいかたちで再出発ができるのか。

 また、退院支援には3段階のプロセスがあるという。この点をもう少し詳しく見てみる(宇都宮氏の前記論文から抜粋して引用)。

「第1段階は、外来・入院から48時間以内→外来・病棟看護師がこれを担う」

 ここでは退院支援の必要な患者の把握が、最初の課題になる。どのような患者か。

「①医療管理・医療処置などが継続する。②ADL・IADLが低下し、自立した生活に戻れない。③がんや難病のように、進行する症状を抱えながら在宅療養を迎える。④在宅療養における病状管理が不十分なため再入院を繰り返していた。」

 このようにまとめられている。ここで留意すべきこと。
「・医療情報・患者の生活背景から予測する。医療チーム間で共有する。・患者・家族と退院準備の必要性を共有する」

 そして第2段階。
「(入院)1週間以内→生活の場に戻るためのチームアプローチ」
ここでは「病棟スタッフを中心に、「退院カンファレンス」を企画・開催」する。どんなことがテーマとなるか。
「① 患者・家族の退院への自己決定支援を行う。②治療経過における「退院時の状態をイメージし、継続する医療・看護は何か、患者・家族で自立できるかを検討し、必要な介入を行う。」

 そして第3段階。「退院調整」である。
「退院を可能にするための制度・社会資源への調整を行う。」とあり、「地域包括支援」という本稿のテーマからいえば、ここが重要なポイントになる。「医療管理上の課題」と「生活・介護上の課題」をサービスにどうつなぐか。

 このとき、退院調整看護師には大事な役割がある。
「退院までに、誰が、何を、いつまでに準備・調整するのかを明確にし、全体のタイムキーパーとしての役割を果たすことになる」

 退院支援看護師がなぜ必要か。何を、どうすればよいのか。趣旨の明快な、よく理解出来るお話だった。では医師はどうだろうか。総合診療医としての専門性を高めようとしているが、宇都宮看護師にはどう映っているだろうか。

「開業医や病床数の少ない病院の医師の方々が、総合診療医を担っていくことになると思いますが、まず、きちんと患者さんその人を診ていただきたいということですね。それから、何でも自分一人でできるとは思わないで、看護師だけではなく、ソーシャルワーカーであったり、ケアマネであったり、いろいろな職種の方々と、フラットな関係でやっていってほしい。そのためには、色々な方とのコミュニケーションが必要になります」

 宇都宮看護師はそう述べる。もう一つ課題があった。看取りの問題である。

「総合診療医の方には、最期を穏やかに行けるような在宅医療をきちんとつくっていただきたいですね。これまでにも緩和医療には力を入れてやってこられたと思うし、たとえば人工呼吸器は付けないと選択をした患者さんが、亡くなるプロセスで穏やかに逝ける、それを支える医療を、ということですね。家で亡くなったのだからそれでよい、ということになったら、これはやはりまずい。最期まで自宅で過ごすことが厳しい状況であれば、病院へ入るのも一つの選択肢としてあると思います。このあたりは看取りをする総合診療医の判断になりますからね」
看取り直前の2,3日を病院で、というケースは増えるだろう。病棟でも家族が看取りのためのケアができるような、看取りを支える役割が病院にはあっていい。宇都宮看護師はそう述べた。

 筆者が父親を看取ったときはそうだった。4,5日前から家族総出で病室に詰め、夜通し付き添っていた。普通はそんなことをさせてもらえないのだ、と後になって知った。

「健康保険」2014年10月号「高齢者の医療・介護の現場から」(第112回)

飢餓陣営42号 編集後記

【編集後記】
 ■最も弱いもの(障害をもつ人、高齢者、弱者などのマイノリティ)を、真っ先に考えた生存の環境や社会の仕組みをどこまで作ることができるか。作ろうとするか。そこに思い至らないとき、強者の独善的エゴイズムと押し付けが前面に出てくることになる。最初の声なき訴え悲鳴は、最も弱いものから上がってくる。

●沖縄の言論界に大きな影響を与えてきた新川明の『琉球処分以後』の文章を「取材日記」で引いているが、一方、評論集『沖縄・統合と反逆』では、E・W・サイードの『知識人とは何か』から、次の言葉を、新川は引用している。

「★知識人とは亡命者にして周辺的存在であり、またアマチュアであり、さらには権力に対して、真実を語ろうとする言葉の使い手である。/★知識人には、どんな場合にも、ふたつの選択しかない。すなわち、弱者の側、満足に代弁=表象(レプリゼント)されていない側、忘れ去られたり黙殺された側につくか、あるいは、大きな権力をもつ側につくか」(p222)。

新川は、自分はこの「知識人概念」を認める、と書く。「(本土)同化主義」批判の文脈での引用だが、新川が、どちらにつく思想家であるかは言うまでないだろう。ただし冷徹な認識のない〝弱者寄り添い〟の思想は、あっという間に堕落することも新川は示唆している。

●もう一つ。「七〇年続いた平和」という言葉を、わたくしは気楽に口にはできなくなった。せめて「七〇年間の平和は、沖縄の存在抜きにはあり得なかった」と、そう言うべきではないのか。

■そんな思いをもちながら飢餓陣営四二号をお届けしたい。前号発行が昨年11月。今号もみなさんの力添えを得て、充実した内容にすることができた。心より感謝申し上げます。

●森山公夫氏と小倉清氏に本誌にご登場いただくことができ、臨場感溢れる心理臨床の世界を示すことができたと自負しています。

●さらには瀬尾育生氏の吉本反原発論議の解読。意見を厳しく二分する原発問題であり、賛否の分かれるところかもしれませんが、吉本論にあっても、原発論議にあっても、重要な位置をもち、反原発派・推進派、どちらにも試金石だと直感しました。

●「高倉健と菅原文太」。偶然の一致とはいえ水島、築山の両氏、響き合いを生じさせています。高倉・菅原は、まさに時代とともにある俳優だと改めて感じます。

●さらには連載執筆の各氏には、長い年月を厭わずにお付き合いいただいています。三〇年近い交流になる執筆者の方もおられます。感謝。

●次号は10月末を締め切りとし、年内には刊行したいと思います。「沖縄と島成郎」にさらに踏み込み、飢餓陣営なりの「沖縄問題」の切り口が提示できるよう心がけたい。加えて、斬新な企画も用意してみたい。乞うご期待。メールマガジンも始めています。こちらはホームページをご覧ください。ではまた次号で。15・5・2(幹)■

【取扱い書店】池袋・リブロ/神田・東京堂/高田馬場・芳林堂
 神田・三省堂/東京・八重洲ブックセンター/京都・三月書房
 大阪・りょうざんはく/池袋・ジュンク堂/長野・平安堂

飢餓陣営最新42号の予告

近刊のお知らせ。5月下旬刊行予定
○「飢餓陣営42号」編集・佐藤幹夫
   A5判200頁  1000円+税 発行・飢餓陣営発行所
   (ホームページ http://www5e.biglobe.ne.jp/~k-kiga/

 *主な内容

  【巻頭エッセイ】高倉健と菅原文太
   水島英己■残された銃弾の行方-菅原文太を好きになる
   築山登美夫■行き場のない苦悩の表情
          -映画『昭和残侠伝 死んでもらいます』の高倉健

  【聞き書きシリーズ 第2回】島成郎と沖縄
   森山公夫氏を訪ねて■島成郎・吉本隆明・精神医療

  【吉本隆明を読む】
   瀬尾育生■世界倫理と反原発の思想
         -吉本隆明『「反原発」異論』について
   北明哲+佐藤幹夫■「神戸少年A“家裁決定”全文」と「母の物語」
       -吉本隆明〈未収録〉講演集『心と生命について』を中心に

  【特集】子ども臨床のリアル
   1.小倉清の臨床世界
    小倉清■面接で語られる乳幼児体験
    小林隆児■乳幼児期の母子関係からみたこころの病の成り立ち
    小倉清+小林隆児■乳幼児体験とこころの臨床
   2.子どもの暴力とジェンダー
    藤岡淳子■愛着・暴力・セクシュアリティ
    愛甲修子■子どもの暴力の低年齢化を考える
   3.子どもはいま、どんな時代を生きているのか
    内海新祐■その心性に届く支援とは
          -『女性たちの貧困』を読みながら
    阿久津斎木■「未来のリーダー」たちの憂愁
    赤田圭亮■学校という空間、教師と生徒という関係
         -池谷孝司『スクールセクハラ』を読みながら

  【追悼】弁護士・副島洋明
   大石剛一郎■副島洋明弁護士を悼んで
   高岡健■副島洋明小論
   山本譲司■社会への扉を開いてくれた大恩人
   村山正司■「カネを払って弁護士を雇え」
   石川恒■副島さんから教えられたこと
   佐藤幹夫■副島弁護士のこと

  【連載】
   木村和史■家を作る(7)-母の退院と再入院、父の施設探し
   宗近真一郎■柄谷行人論(3)-柳田国男、遍在する局地の鏡
   浦上真二■吉本隆明と「群小社会主義者」たち
   夏木智■原発というエネルギー問題-東日本大震災個人的体験記(6)
   添田馨■吉本隆明「超資本主義論」ノート(4)-エコノミーの終焉
    (中)トマ・ピケティ『21世紀の資本』からの離陸

  「沖縄取材日記」

退院支援看護師と地域包括ケアシステム 

 読売新聞3月23日の夕刊に、「在宅復帰支援病棟1割」という見出しとともに、次のような記事が見られた。

 今度の診療報酬改定で、新たに導入された「地域包括ケア病棟」を、全体の1割、900を超す病院が設けたという(厚生労働省の調べ)。この病棟は、理学療法士、作業療法士、社会福祉士を1名以上配置することを義務付けており、退院後の生活の場所や、リハビリの施設などとの連携が図られていくのだという。

 なるほど、と思った。

 そもそも「地域包括ケアシステム」の導入は、とくに現今の病院医療のある部分に、少なくない意識改革を求めている制度改革ではないか、とわたしは考えてきた。病院と生活の間には、大きな「狭間」があり、「溝」となっている。これまで、在宅医療や訪問看護がその「溝」を埋めようとしてきたわけだが、しかしもっと病院の側も、それを埋めるべく試みがなされてよいのではないか。そんな要請は出されてきたのだろうと思う。なければおかしい。そしてその一つが、上記の「在宅復帰支援病棟」、という制度になったのだと推測される。

 昨年来、わたしが「地域包括ケアシステム」の取材を始めて感じてきたことは、看護師さんの役割がとても大事になる、ということだった。以前、秋山正子さんを取材させていただいた時に、病院しか知らない看護師と訪問看護師とでは、意識差がたいへんに大きい、というお話を伺ったことが強く印象に残っていた(『ルポ認知症ケア最前線』に収録・岩波新書)。

 病院の変化、看護師さんの役割。どうあればよいのだろうか。……そんなことを考えていた時に、「退院支援看護師」という言葉を目にして、キーワードはこれじゃないかという直感が働いた。そして、すぐに取材をお願いしたのが宇都宮宏子看護師だった。少し時期を経ているが、採録させていただく。

     
続ルポ高齢者ケア(第111回) 『健康保険』(2014年9月号)より転載
在宅ケア移行支援研究所 宇都宮宏子看護師への取材から(その1)

いま、看護職に求められていること

 宇都宮宏子氏は、入院患者が退院し、在宅ケアへと移行する際のマネジメントを中心に取り組んできた看護師である。本稿は、引き続き地域包括ケアシステムと総合診療医をテーマとしているが、なぜ宇都宮看護師に白羽の矢を立てさせていただいたか。地域包括といい、地域連携というが、筆者はかねてより「移行」の時期をどう切れ目なく支援できるか、そこに地域包括システムのポイントの一つがあると考えてきた。

 移行期の切れ目ない支援。言い換えれば、本人の環境をいきなりごっそりと変えてしまうのではなく、事前に丁寧に説明し、できれば足を運んでみるなどの準備をする。身体や認知機能の衰えの進んだ高齢者であればあるほど、こうした取り組みは重要になる。まして在宅医療・ケアへの流れが必須になっている昨今、退院支援の重要性は増すだろう。そこで、目下精力的に全国を駆け巡り、退院支援看護師の養成に尽力している宇都宮看護師に取材依頼を差し上げた次第である。

 あらかじめそのメッセージの結論めいたことをお伝えしておくならば、医療と生活をつなぐためのマネジメントが、どう、医療の側からできるかということ。そしてこれからの看護師は、いわゆる医師の補助的業務だけではなく、医師(医療)、家族と地域資源、患者本人の状況から、どうよりよい療養生活をコーディネートし、プロデュースできるか。そうしたマネジメント能力が求められているのだ、ということであった。

 筆者は強く同意する。看護のみならず、人を援助(ケア)する職業にある人びとにこれから求められていくことは、まさに宇都宮看護師の言われるようなマネジメント能力の高さではないか、と筆者にも思われる。ちなみに東京都看護協会のホームページに「教育・研修計画」の詳細がPDFファイルで掲載されているが、その「教育方針」には、以下のような記載がある。

① 自から考えて行動できる看護職の育成(実践・自主性・責任・義務・思考・根拠)
② 組織的役割を遂行できる看護職の育成(責任・義務・思考・役割モデル・組織化)
③ 戦略的に行動できる看護職の育成(新しい・組織化・思考)

 これからの時代の看護職の方々に何が要求されているか、明瞭にその方向が示されている。筆者にはそう感じられる。さらに、ここで求められているものは、地域包括ケアシステムを運営していく上での、ハードウエア(いわゆる地域資源)に対するソフトウエアにあたるものだ、とも言えるのではないか。――いささか〝翻訳〟のしすぎかもしれないが、これが、宇都宮看護師からいただいた最大のメッセージだった。
 
なぜ「退院支援」だったのか

 宇都宮看護師は福井の出身であり、大学で看護を学びたいと考え、受験の準備をしていたという。ところがそのさなか、父親にがんが発見された。手術を施すも腎臓から肺へと転移し、5年後には他界。まだがん告知がなされない時代だった。自分の病名を知らされず、人生の残り時間をも知らされないまま病院で他界していった父親、最期はこれでよかったのか。宇都宮看護師には大きなしこりが残ったという。

 さらに数年後、実家に入ってくれていた義兄が、同じようにがんで他界する。まだ若く40代。やはり何の告知もないままの死去だった。看護師になって間もないころの宇都宮氏は、このとき、病院医療の何であるかに疑問を抱いた。それが訪問看護師になるきっかけだったという。

 1991年、高松の病院で訪問看護を。92(平成4)年には京都の医療法人が経営する訪問看護ステーションに勤務し、その運営、看護師の教育、採用などを任されるようになる。介護保険の始まる前で、ケアマネジメントが対価の対象とは考えられていない時代だった。こうした経験を経るなかで、病院医療への疑問が、はっきりと形になっていった。

 退院後、患者たちの多くは自宅へは戻らない。同じ法人の施設入所となる。病棟の看護師たちも、自宅へ戻ることは想定していない。むしろ、最初からあきらめているようにさえ見えた。病院の医療とは、医療者の側が〝必要〟だと感じる医療であり、言ってみれば管理するための医療ではないか。

 2000年、京都大学付属病院の中に「地域ネットワーク医療部」が開設されたことを契機に、02(平成14)年にはそちらに移った。ケアマネジャーや患者家族との相談の窓口はできていたが、うまく機能できずにいた。

「外来や病棟のナースが訪問看護を知らないのは当たり前ですから、相談してくれればいいと考えていたのですが、患者が相談に来るころには医療が入りすぎていて、生活の場に戻せない状態になっているのです。入院前に比べADLは落ちている。外来や病棟の看護師は、どんな医療を受けるために入院したのか、その医療によって目指す状態像はどうだったのか、それらを忘れている。家族もその人のいない生活に慣れ、いっそう在宅生活から遠ざかってしまう。そんな状態でした」

 さらに宇都宮看護師は指摘する。

 ドクターは病気の治療には関心を持っても、在宅での暮らしをどうすればより充実したものにできるか、といったことに関してはほとんど興味を示さない。まして、すでに病状が「障害」として固定してしまっている患者からは、できれば避けたいと感じている。そう思わせるドクターも少なくなかった。

「患者の状態と医療者側の意識に、大きなギャップがあったのです。退院に向けて、準備していかないとならないのですが、それがなされず、退院支援なき退院調整をやっている病院が、圧倒的に多かったのです」

 患者や家族は、せっかく入院して治療を受けるのだから、快癒し、元の状態に戻れるだろうと期待している。しかし医師は退院にあたり、次はリハビリ病院に移ってリハビリをがんばりましょう、と伝えはするが、それが具体的にどんなプロセスを経て、生活の場に戻ったときにどんな状態になるか、という点までは説明しない。

 転院の目的がきちんと説明されないまま病院環境が変わることは、患者本人からすれば簡単に受け入れられるものではない。しかし苦情めいたことを言うと、クレイマーのように扱われかねないから、不本意なまま転院を受け入れる。ところがそのことは、譫妄や幻覚など、精神的に不安定な状態をもたらしかねない。それなりに活動性があり、筋力も残っており、自宅もバリアフリー仕様で十分に帰れるはずの人までも、帰れない状況になっている。

「せっかくリハビリを頑張ってきて、杖をついて歩けるまでになったのに、家族も病院側も、施設に入っていれば安心だから施設でもう少し頑張りましょう、と施設入所させてしまう。そこが自宅と離れている場所であれば、あっという間に家族の足は遠のいていきます」

広がりつつある退院支援看護師の重要性

 今ならば過剰医療と言われかねない治療行為や薬剤の投与が、当時は日常的に行われていた。その結果、退院できない大量の患者を作りだしてきたのではなかったか。宇都宮看護師の求める医療は、もっと違うものだった。

 治療補助も看護師にとって大事な業務であるのは当然だが、患者その人が望む生活をどう取り戻すことができるのか。医療の側からそのマネジメントをし、ケアすることも、間違いなく重要な仕事のはずである。そのためにも看護師としての立場から、患者本人への明確な情報提供は不可欠になる。

「患者さん自身が、まず自分の病状をきちんと知ること。老いがもたらしている変化を知ること。場合によっては、治らないという事実や、治療の限界、人生の最終段階であることなどを伝えなくてはならないこともあります。けれどもどの患者さんも、最後までその人らしく生きる強さを持っています。在宅でそれをどう支えるか。私はそのことを、訪問看護をやっているときに教えられたと思っています。ドクターは医師としての事実を伝え、ナースはどんなふうに生活がしにくくなるか、看護やリハビリやケアを受けながら生活することがどのようなものか、具体的に伝えます。医師と看護師が、両輪でかかわることが大事なのです」

 宇都宮看護師が勤務していた京都大学付属病院でも、3,4年も経つころには医師に変化が見られるようになり、看護師たちも自分たちのやりたい看護はなんだったのか気付いていったという。退院支援は、看護師の望む看護そのものだった。

 04(平成16)年、厚生労働省は、医療と介護が連携するためには、病院の中に患者の在宅生活が理解できる看護師を育てなくてはならない、そう考え、退院調整看護師養成プログラムを作成することになった。どんな教育に内容にするか、宇都宮看護師はその立案者の一人として招かれた。そこで作られたプログラムは、都道府県、国立病院機構、全国社会保険協会連合会などによって、看護師向けの研修会に用いられている。

 退院支援という役割の重要性が、どれくらい病院に理解されているか、どれくらい広がりをもつようになっているのか。そうした質問を、筆者はぶつけてみた。

「多くの病院が取り組むようになり、看護学の専門雑誌に、その報告が出ています。私が京都大学の「地域ネットワーク医療部」に行ったのが02(平成14)年、退院調整看護師の養成プログラムができたのが05(平成17)年です。私と同じような思いを持ちながら訪問看護に取り組み、再び病院に戻ったナースも何人かいたのです。そうしたナースたちが、現場で影響力をもってくるようになりました」

 宇都宮看護師によれば、ここには西高東低の傾向があるという。京都、大阪、兵庫、広島では、医療機関による差があるものの、看護協会によるバックアップも相まって、ナースたちの取り組みの積極的な地域であり、それに比べると東京はやや活発さに欠けるのではないかという。少なくとも、以前まではそういう傾向が感じられたのだが、先に紹介したように、東京都でも詳細な研修計画を作成し、新時代に向けた看護師の養成に本格的に取り組み始めた。

 一方で宇都宮看護師は、地域特性というものはたしかにあるようだ、とも述べる。

「病院の問題だけではなく、在宅医療の推進状況など、地域に行けばそれぞれ歴史があり、文化があります。都市部は病院が多いので、特性を考える前に選べてしまうということがありますが、病院の少ない地域ほどいろいろな試みをする必要がある。その中で、住民自身が、これでいい、というものを選んでいくことになるのかもしれませんね」

 次号では、退院支援の実際について報告したい。
佐藤幹夫(フリージーナリスト)

「人が育つ」地域包括ケアシステムを作るために

 
 昨日(20日)、『健康保険』連載の原稿を仕上げ、担当のTさんに送付。
 そのあと夕方から、次の原稿へ。目下、ふるさとの会と佐藤の共同企画として、メールマガジンを準備中で、その原稿の執筆が入っている。今日、昼過ぎまでかかって、一応形にし、ふるさとの会の事務局に送付。終わったところで、このブログの更新に取り掛かる
 (来週月曜からは大阪へ。「かりいほ」講演会と、もう一つは取材。立て込むときは、どうして?と思うほど仕事が立て込む)。  

 ところで、ある医療法人が経営する介護施設での「虐待」問題が、NHKによってスクープされた。
 まだこんなことをやっている施設があるのか、と感じる一方で、いや決してなくなってはいないし、これからさらにこうした介護施設が増える、と二つのことを同時に思った。
 現在の高齢者をめぐる政策や制度と、現場が抱え持っている諸矛盾が、これから次々に表面化してくるはずである。こういう問題はもぐらたたきのようなもので、避けがたい苛立ちと徒労感を覚えてしまうが、根気よく訴えていかなくてはいけない問題であることを、改めて感じた次第である。 

時間を経てしまったが、南砺市の取り組みの最終回をアップする。


(第110回)「人が育つ」地域包括ケアシステムを作るために(その3) 
富山大学医学部総合診療部 山城清二医師への取材から


南砺地域医療の崩壊と山城医師の応援

2004年、富山大学医学部に総合診療部門が創設された。地域医療や家庭医療、総合医療の専門医の養成を目的としており、まだ全国的にも少数だった。山城清二医師は、この富山大学総合診療部教授として赴任して10年目。南砺市にかかわるようになってからも、6年目になるという。

医師教育を専門とすると言え、まずは自身が診療できないといけない。山城医師はそう考え、当初の2年間は大学の付属病院で外来をしていた。その傍ら、地域で活躍する若い医師を育てたいと考え、富山県全域を講演して歩きながら研修のフィールドとなるような診療所や病院を探していた。

富山大学に来て5年目になったとき、南砺市民病院の前々院長から、南砺市の地域医療の応援にきてくれないかという依頼があった。山城医師はすぐに引き受けたのだが、それが前号で紹介した南眞治医師との出会いだった。当時の南砺市は市町村合併の後で、富山県で最初に「医療崩壊」が報じられた地域だった。3つの公立病院のうち、50床あった福野厚生病院が診療所化されて南砺家庭・地域医療センターになり、3人いた常勤医が1人になった。産婦人科が閉鎖され、小児科は縮小された。

「ぼくは外来に入るようになりましたが、在宅医療が進んでいる地域だったので、外来は水曜だけにし、多いときは5人くらい在宅の患者さんを担当しました。時々、若い先生も連れて行って診ていました。それが最初です。ぼくとしては、しっかりとした地域医療の中で若い医師を育てたいと考えていたのだけれど、医療崩壊先進地域に応援に来ることになったわけです」

その間、山城医師は、地域を活性化するためにはどうしたらいいか。住民と、どうかかわっていけばよいか、考えつづけていた。住民に対してセミナーをしよう、講演活動をしよう、といった案が出された。ちょうどその頃、「住民とともに地域医療を考える」という特集記事のなかで、岩手県藤沢町民病院の医師が、住民と対話をしよう、これからは住民とかかわることが大事だと書いており、また別の医師が、町の病院を守るには住民の力が必要だ、と訴えていた。

「地域に出て行って講演活動をしようということになり、最初、「在宅医療推進セミナー」という名前で講演会を」始めました。その後、人材育成に力を入れようということで、この、南砺家庭・地域医療センターを会場として人材育成をします、とアピールしたのです。それが2008年です」

そう山城医師は振り返る。

地域医療再生マイスター養成プロジェクト
南砺市民病院のホームページには、富山大学との連携として次の内容を掲げている。

「南砺市の地域医療を守り育てる活動の発展:医療専門職と住民への啓発活動」
「1)「在宅医療推進セミナー」:7回開催」。

山城医師は言う。
「セミナーはテーマが二つでした。1つは医療の話をしようということで、まず発熱について。小児科救急なども交え、急に発熱があったときにはどうすればいいか。もう1つは地域医療の現状や課題について。医者が足りないが、地域に魅力がなければ医者はすぐには来ません、と伝えました」

そして山城医師は、住民がともに地域医療を考えるような地域にしていきたいと思い、「地域医療再生マイスタープロジェクト」を提案した。これまで、講演活動をしながら、みんなで何かやってみませんかと誘ってきたが、誰もがどうしていいか分からず、動きだすことができずにいた。このとき山城医師は、人は、講演会活動を聴いているだけでは動かないのだということが分かったという。何か新しい試みをしなくてはならない。

ちょうどそのとき、「地域再生システム論」を知る機会があった。国立政策大学院大学に産学連携の地域再生システムの講座があり、その教官が富山大学に異動してきた。そこで、地域と企業の活性化の方法論を教えてもらうことができるようになった。

「これを医療に使えないかと考えました。そして、地域医療再生マイスター養成講座という名前で始めてみたのです」

再びホームページの記載から。
「2)南砺市地域医療再生マイスター養成講座」

「平成21年に隔週で5回開催された。「医療、福祉関係者や市連合婦人会員などが参加し、有限な医療資源を有効利用し、地域住民参加型の地域医療システム構築と人材育成を目標に在宅介護、終末期医療、医師不足などについて自らの課題や市全体の取り組みを構築しました。活動は毎年継続し、今年度も9月開催が決定されています」とある。(2010年)

山城医師は言う。
「マイスター養成講座は50名募集し、終了者44名でした。そのあと、婦人会議員、医師、作業療法士、ケアマネなど、それぞれのパートのエース級を出して、研究会をしましょうと呼びかけ、50名弱の人が集まって勉強会をしました。テーマは、意識改革の方法。二回目は、参加者自身に地域の課題を見つけてもらうこと」

それぞれの職種の人が自分の課題を作ってみた。山城医師たちは、地域で総合診療医をどう育てるか。訪問看護師をどう育てるか。婦人会の人は、認知症予防をどうしようか。自分たちの地域の医療をどうしようか。それぞれ発表した。

「地域と地域医療を守り育てる会」
山城医師はそのあと、せっかくだから、これを発展させて「地域と地域医療を守り育てる会」を作らないかと提案してみた。

「皆さんはいま1つ積極的ではなかったけれども、ぼくが会長をやりますからと言ったら賛成してくれました。3カ月おきにいろいろな講師を呼んで勉強会をしました。規約を細かくすればするほど人は集まらなくなるし、お金を集めると来なくなります。細かい規則を止めて、7項目に絞りました」

「①学びましょう。
②討論しましょう。
③連携しましょう(医療・保健・福祉・介護、行政・住民・医療関係者)
④〝自分ごと〟として行動しましょう。
⑤若い人を育てる「教育空間」を作りましょう。
⑥子どもとお年寄りに優しい地域を作りましょう。
⑦住みやすい街にしましょう。」

これらの7項目だった。山城医師は言う。

「だんだん医療者と住民の意識の違いが分かってきました。医者がなぜ忙しいか、地域の人から理解されていきました。我々も、住民はこんなことで困っていたのか、福祉や行政の人は、こんなことで困っていたのかということが分かり、少しずつギャップが埋められる会になってきました」

「南砺市の地域医療を守り育てる会」は、年3回のペースで、第13回まで開催されている。各グループの取り組みを見ると(提供資料「南砺市モデル:地域・大学パートナーシップモデル」より)、

1)地域で医師養成:家庭医養成プログラム
2)地域で訪問看護・リハ養成:ナースプラクティショナー的ナース養成講座
3)なんと住民マイスターの会(住民グループ)思いでガイド養成講座
4)五箇山グループの取り組み(住民グループ)
5)認知症ケアの取り組み(地域包括支援センター)
6)包括医療・ケアWGの取り組み(行政)
7)その他(南砺中央病院薬剤部の取り組み)

「地域医療崩壊から始まり、人材育成を始め、だんだん育ってきて、地域包括ケアシステムの方向に動き出しました。市の職員が生き生きしていますし、訪問看護師が一番元気になりました」

課題もある。活動や地域を守るという意識が、まだ末端にまで広がっていないことだ。しかし前号で述べたように、南医師が、南砺市民病院長を退職したことでつなぎ役になった。医療だけではなく、社協や老人会などにも少しずつ広がってきた。市も、マイスターの資格を取った人が、たとえば講演会を企画したいとき、それが地域包括ケアに対して役に立つものであれば、助成金を出すようになった。そこまで理解が深まった。

「初めから住民参加型でやろう、と考えていたわけではないのです。ここに来て、地域を見ながら課題は何かと必要に迫られ、こうすればいいのではないかとやってきて、それがうまく回ったということです。キーワードとして「住民」を入れたことが成功だったと思いますね」

現在富山市には、南砺市のモデルを使って都会型モデルをつくっていく計画があるという。住民参加型のシステムはどうしても地域特性と表裏一体であり、富山市は、富山市のやりかたを試行錯誤するしかない。

「作り上げるまで南砺では5年かかかりました。アップダウン方式でやろうとしてもだめですし、5年かけたものを2年でやろうというのは、難しい課題もあります。でも、基本的なやり方は同じです」

山城医師はそう結んだ。地域包括ケアシステムの領域でも〝富山型〟と呼ばれる新たなスタイルに、私たちは触れることができるようになるかもしれない。(このシリーズ了)


「老いる」ことと「死ぬこと」の尊厳に向き合うために     佐藤幹夫(フリージーナリスト)
(第110回)「人が育つ」地域包括ケアシステムを作るために(その3)
 富山大学医学部総合診療部 山城清二医師への取材から
『健康保険』2014年8月号より

発達障害について、最近思うこと

 
 暮れに依頼をいただき、書き上げた原稿を以下に転載する。

 依頼は、シェアの 本田徹医師。氏の関係する学会のホームページでも読むことができるはずだが、短いものであり、当ブログにも転載しておきたい。

 発達障害(自閉症スペクトラム障害)について、ここに書いた内容を、どう深め、広げていくかが今年の課題のひとつである。もうひとつは、あくまでも現場の取材と報告にこだわること。幸いにして、目下私が関わりを持たせてもらっている現場は、既成の「福祉」や「支援・援助」の枠を、どんどん超えて、新しい支援論を創り出そうとしている現場である。今年中には何とかしてまとめたいとも考えているのだが、はたしてどうなることやら。

 もちろん、取材内容をどういうコンセプトにし、どう構成していくかは、あくまでも作品によって異なる。二つの現場報告のほかにも進めている企画はいくつかあるが、もう少し具体化してから、ホームページなどでお知らせしていきたいと思う。
 ホームページ http://www5e.biglobe.ne.jp/~k-kiga/

 では以下、お読みいただきたい。
 

1.
 本田徹氏に声をかけていただいて、「マイノリティと健康」というテーマのもと、発達障害の部会に参加する機会をいただいた。

 キャリア、個性、考え方は、当然ながらパネリストの皆さんは、まったく異なる。年齢にも幅がある。どんな進行ができるか不安が大きかったが、皆さんのご協力のおかげで大変に有意義な会とすることができた。
まず、発達障害当事者の方の声をじかに聞けたこと。そして本音で論議できたこと。得難い体験だった。治療を診察室に限らず様ざまな場所にアウトリーチして、みずからが患者さんを求めるように医療ケアを提供しようとしている医師。フットワークの軽さは学びたいと思った。そして旧知の医師の方々の、年季の入った応答。やはり安心感があった。
 
 論議のときにはうまく言葉にできなかったが、発達障害像が、多様化し始めているのではないかという印象をもっていた。当然のことかもしれないが、発達障害が広く認知されるにつれ、その内容や概念は少しずつ軸を移していく。あるいは純粋型から混在型へと同心円の外周を移していく。どこを発達障害と見るか。自ずと多様性を帯びる。そういうことは、起こりうるのではないか。

 そんなこと考えていたのだが、議論の途中から、そもそも多様な像を見せることこそ発達障害の特徴の一つではないか、と考えるようになった。ここでの「多様な像」とは、これまで言われてきたような「一人ひとり異なる個性」といったこととは、違うことを言いたいのだが、うまい言葉を見つけられずにいる。

2.
 筆者はここ10年ほど、都内台東区に本部を置くあるNPO法人の、事例検討会議に参加してきた。元々ホームレスを支援する団体だったが、支援対象者の高齢化や実態の多様化により、高齢困窮者だけではなく、二〇歳前後の若い人たちの支援を求められる機会がいっきに増えてきたのである。

 若年層の現状は、ほんとうに様ざまで、知的・発達障害やそのほかの精神疾患を抱える人(複数の診断名をもつ人もいる)、児童養護施設や刑事施設を出所した人。保護者が高齢化し、要介護化し、世帯分離をして生活保護を受給し、そこから自立へ向けようとしている人。ハローワーク経由で就労支援の枠に入って支援を受けている人など、ほんとうに各人各様である。そこに、特別支援学校の卒業生が、数名ほど含まれている。家庭での養育不能が著しいために、不和、暴力、貧困などの要因が重なり、児童養護施設へ。

 詳細は省かせていただくが、事例検討会から得る彼らの印象は、統合失調症の純粋型、双極性障害の純粋型、発達障害・自閉症スペクトラム障害の純粋型、といったタイプが減少しているように見えることだ。さまざまの混合タイプ、一つ一つの症状は重篤というほどではないが、それぞれが複雑に組み合わさって(合併して)多様な症状をつくりあげ、全体としては決して小さくない「生きづらさ」を作りあげている。そんなタイプなのである。
抑うつ的なネガティブモードに入れば、部屋を出られなくなり、思いがけなくも回復に長期間を要する。ハイテンション期に入ると、それこそ休息することを知らず、倒れるまで(これは比喩ではない)働き続ける。このサイクルが繰り返されながら、へとへとになっていく。

 支援する側には、一つの典型的障害への支援パターンだけではなく、多軸的な支援や配慮が求められることになる。もちろんよりきめ細かな観察や見守り、声かけは、何よりも重要である。重装備をした重量級の支援というよりも、小さなケアを、丁寧に、きめ細かに継続していくことがとても重要のようなのだ。
素人の勝手を言えば、医師の方々にとっては、おそらく診断を付けにくい、という患者さんたちを多く診るようになっているのではないかと、ひそかに推測しているのだが。

 私たちの社会は、おそろしく複雑なシステムと人間関係の網の目をつくりあげた。このことは、あるタイプの人たちにとっては、彼らの生きづらさ自体がとても複雑になってしまったことを意味しないか。この生きづらさは、まずマイノリティの人たちを直撃する。それが何か。「マイノリティと健康」の会に参加して以降の、筆者の宿題となっている。

                                        フリージャーナリスト 佐藤 幹夫

南砺市で地域包括ケアシステムを作るまで

 選挙戦、真っ盛り。
 「自民党が300議席を超える勢い」、などと報じられている。1党独裁を、日本国民は望んでいるのか? どうしてそんなことになるのか、わたしには、にわかには信じがたい。

 元の同僚たちに聞けば、「選択肢が、他にないからじゃないか」という。民主党はそこまで信頼を失墜してしまったのか、とは思うものの、国民の多くの人たちは、貧困も、高齢になってからの生活破綻も、格差化していくだろう社会保障への危惧も、まだまだピンと来ないのだろうか。あるいは、自分だけはそんなことにはならない、という確信があるのだろうか。

 けれども、日本国債の国際的信用がなくなってしまったら、年金も、貯蓄してある退職金も、一発でアウトじゃないか。自公が3分の2の議席取ったら、こんなふうにして、呑気にブログなんか書いていられなくなるかもしれないじゃないか・・・と思うのだが。

 そんな選挙戦のさなか、長いこと放っておいた「(続)高齢者ケア」の連載原稿を、下記に張り付ける。



「地域医療・ケア包括システム」を作るまでの30年(その2)
 富山県南砺市民病院前院長 南眞司医師への取材から


南砺市の「地域包括・医療ケア局地域包括課顧問」として

 南砺市民病院の前院長・南眞治医師は、現在、市の「地域包括・医療ケア局地域包括課顧問」という立場になり、まさにいま、南砺地域全体の医療とケアの包括的なシステムづくりの総仕上げに入っている。それが住民参加型システムのさらなる整備であり、住民自身による互助作りである。談話の中で、筆者の印象に強く残ったのはこのことだった。

 南医師の歩みをひと言で言えば、苦境にあった南砺市の医療を、訪問診療と医師の養成に重点化しながら立て直し、住民の意識を啓発し、地域医療再生の一翼を担ってもらうというプロセスそのものだった。市民からすれば、医療や保健の良質な情報に触れることは、それ自体が介護予防となり、リハビリになる。つまりは「老い支度」であり、それは自助意識の涵養ともなる。

 「介護予防」だ「老い支度」だ、などと書けば、自分は生涯現役である、介護予防も老い支度も不要、と反論する熟年読者の方が、あるいはおられるかもしれない。「老い」という言葉がネガティブなイメージを与えかねないことも、十分に危惧されるところだ。しかしそうではない。人生80年(90年?)時代にあって、その人なりの活力を長く維持するための、早めの「支度」であり、その必須アイテムの一つが信頼できる情報である(詳細は、拙著『ルポ高齢者ケア』をぜひご覧になっていただきたい)。

 さて、先ほど南医師にとっての総仕上げ、などと書いた。どういうことか。「地域包括ケアシステム」とは、専門職同士を結んでいくことだけを目的とするのではなく、市民自らが、それぞれの生活を支え合う仕組みをつくりあげていくことも、重要な課題として含まれるはずである。〝障害や病気〟のある人もない人も、熟年核家族を営む人も独居の人も、それぞれがそれぞれを、どう支え合うか。支え合いが本人の活力となり、地域の活性化にもなるような、そんな地域をどうつくるか。それは、自由な立場になったからこそ、さらに力を入れて取り組んでいく宿題である、そう南医師には受け止められているように筆者には思えた。

 これまでにもお伝えしてきたが、どれほど素晴らしいケアシステムを作ったとしても、それが「住民依存型」である限り、人的資源においても経済コストにおいても、負担の削減はさほど大きくはないのではないか。どう住民参加型・互助型システムに転換していくか。あるいはそれらをどう組み合わせていくか。そのことも、これからの重要な課題になる。そんな印象もまたもったのだった。

南砺市民病院と地域住民との信頼関係

 南医師は1983(昭和58)年に、現在の南砺市民病院に赴任した。南砺市民病院は国保直診病院であり、その先駆的存在である公立みつぎ総合病院は〝みつぎ方式〟と呼ばれ、医療だけではなく、保健、リハビリ、介護訪問診療、福祉などと連携した、包括的なケアを基本理念としていることで早くから知られていた。南砺市民病院も、みつぎ方式をモデルとして地域医療を学んできたといい、なかでも訪問診療に万全を期してきたという。

「ここに来て、すぐに不定期の訪問診療を始めたのですが、私の患者に変性疾患の方がいて、在宅療養をしながら通院していましたが、熱が出たら来られないと言う。そういうことなら家まで往診に行こう、と看護師さんと一緒に行くことになりました。最初は不定期だったのですが、やがて定期的に看護師を出し、リハビリを出し、医師も定期的に往診し始めました。患者さんにとって必要があれば、その必要なサービスは作ればいい。それだけのことなのですよ」

 あっさりとそう言われたが、これがなかなか大変だろうことは、筆者にも推測できる。

 南医師にはまた、次のようなエピソードもあった。

 70歳くらいの一人暮らしの男性が、退院して家に帰ることになった。そのとき、食事(治療食)がどうにもならないと言う。それなら病院から出そうという話になって、配食サービスを始めようとしたところ、県から待ったがかかった。厚生省まで上がり、そこでOKが出された。以後、配食を続けてきたという(現在は民間移譲している)。

「病気の後、重い障害が残っても、家に帰りたいという人は圧倒的に多かった。ですから訪問看護や在宅支援に関しては、30年間取り組み続けてきました。気が付いたら非常に手厚い訪問看護体制が作られています。人口5万の市で、いまフルタイムで16人ほどの訪問看護師がいますし、リハビリにも10人ほど出しています。苦労話はたくさんあるのですが、ここまで推進できたのは病院のみんなの思いが一緒になっていたこと。合併前も現在の南砺市になってからも、市長さん町長さんはじめ、行政の皆さんの理解と協力が深かったことです」

 そして、退院したからと言って、病院の役割は終わりではない、退院後、地域でどう幸福な生活をしてもらうか、それが医療の最大の目標だ、とも強調する。様々な社会サービスが整っている都市圏とは事情が異なるから、病院にとっては専門外ではあっても、必要なサービスは自分たちで作らなくてはならなかった。認知症の人も、17,8日入院した後は地域に帰るから、その対策にも力を入れてきた、とも言う。こうした柔軟な対応がどれほどできるかも、これからの地域包括ケアシステムにとって重要な課題となるだろう。

「たとえば退院前に、患者さんと家族を交えて「退院カンファレンス」をします。20年以上前からやってきたのですが(厚労省が最近お金を付けました)、それによって本人の状況を家族が知ることができるし、本人の思いも知ることができます。99パーセント以上の人が家に帰りたいわけですから、その気持ちを述べてもらいながら、家族はどこまで応援できるか確認し、足りないところは病院がバックアップするから可能な限り家族も見守ってほしい、そう伝えることで、家族とのきずなを結ぶようにしてきました」

 退院の際に誰もが心配することは、再発した時に再び受け入れてもらえるかどうかだという。

「それは絶対に大丈夫だ、という約束はずっと守ってきたのです。このことが病院と住民との信頼関係の構築になるわけです。それには時間がかかるし、一度約束を破ってしまったら全て壊れる。そういう積み重ねをしてきました。それが、自助を支える公助の役割です」

生活支援と互助作り

 先ほどもお伝えしたように、医師の養成と、住民参加型のスタイルをつくりあげたことが、南砺市の特徴だった。その着眼がどこからきたものか、筆者には大きな関心事だった。ここで富山大学の山城清二医師がもう一人のキーパーソンとなるのだが、山城氏については次号で紹介させていただこう。南医師は言う。

「危機感は嫌でも持たざるを得ませんでしたが、住民の方が関心を持ってくれたのは、山城先生が上手に旗を振られたことが一つです。そして前の婦人会の会長さんの意識が高くて、地域の医療が壊れそうだという危機感を強く持っておられ、婦人会という大きなパワーとして結集しながら一緒に歩もうとしてくれたことです。こんなふうに人が集まってくれた、そういうことだと思います」

 そして南医師は、南砺市は若い医師を育てるための重要なフィールドとしての条件をそろえている、しかしフィールドを作ることができても、医師をどう育てていくかというノウハウは持っていない。それを持っているのは大学だが、大学はフィールドがない。そこで大学とコミュニティが共同することによって、最良の医師育成の場となる。そう述べる。
 
「私が南砺市民病院の院長になったのは09年ですが、08年から医師が減ってきました。それから、人づくりをしないといけないということで、初期研修医が来てくれるようになりました。そのまま後期研修医となり、総合診療医過程の後期プログラムに入ってくれたのです」

 医師育成については前稿で触れたので繰り返さないが、富山県の中で、もっとも危機感の強い所が南砺市だったのだろうと言う。

 さて、南医師にとっての最終的な課題である互助づくりについて、最後に報告しよう。

「最後は、住民同士が支え合っていかないといけないわけですが、それが「マイスター養成講座」や「地域医療を守る会」といった取り組みとなり、前へ進んでいます」

 しかしそれでもまだ十分ではないという。

「私は院長を辞した後、地域包括センターの顧問として残り、そこで半日働かせてもらっています。医療、訪問看護というプロのネットワークはできたのですが、足りないのは、在宅介護と生活支援サービスです。これから圧倒的に老老介護が増える。どう互助の仕組みを作るか。私には、いろいろな立場の人と会える利点があるので、その人たちをつなぐことが、現在の最大の仕事です」

 今までは家族介護ができたからこそ、どんなに重度な人でも訪問医療・看護、リハビリを組み合わせながら生活を成り立たせることができた。しかし一人暮らしになると、それでは成り立たない。早朝、朝昼晩、寝る前など、必要なときに介護職が行き、一人暮らしの人や老老家族を支える。これからは、そういうプロの介護力が必要である。そう強く言う。

 その一つが、生活支援サービスの充実だった。生活支援には、食事、移動の際の送迎、ごみ出しなどたくさんあるが、それこそ医療では代替できない。生活支援には多くの役割が期待でき、南砺市には、生活支援サービスを作ることで、介護予防につなげている地域もあると言う。

「畑仕事をみんなでやり、食べ物をつくって回すとか、ちょっと弱っていて出不精な人に声をかけ、外出できるようにしたら要支援から自立してしまった、というケースもあります。傾聴ボランティアもありますし、地域には文化や歴史があり、それらも組み合わせて生活支援サービスを作り、課題を見つけ出しいくことが介護予防につながります。それをこの1年から3年で作っていこうとしているのです」

 地域の人が互助で支え合う。そうした南砺市をこれから作っていきたいというのが、いま最大の課題だ、と南医師は締めくくった。

「健康保険」2014年7月号より転載
(第109回)「地域医療・ケア包括システム」を作り上げるまでの30年(その2) 富山県南砺市民病院前院長 南眞司医師への取材から

飢餓陣営せれくしょん2 のご案内

「飢餓陣営せれくしょん 2」が12月刊行予定となりました。
目次と「編集後記」を下に貼り付けます。

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飢餓陣営せれくしょん 2           佐藤幹夫・飢餓陣営編   2014年12月刊行予定
                               A5判/並製/208頁 予価1800円+税  言視舎
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『宅間守 精神鑑定書』を読む
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【第1特集】 臨床と鑑定をどうつなぐか 『宅間守 精神鑑定書』を読みながら

パート1■岡江晃『宅間守 精神鑑定書』を読む

1.岡江晃■(遺稿)刑事責任能力と精神鑑定
2.〈討議〉 精神鑑定と臨床診断 ―― 岡江晃氏を囲んで
  (出席者)滝川一廣・小林隆児・竹島正・清水邦光・香月真理子・阿久津斎木・水田恵
       ・愛甲修子・佐藤幹夫(司会)
3.(インタビュー)浜田寿美男氏と『宅間守 精神鑑定書』を読む
4.高岡健■岡江晃の遺した『宅間守 精神鑑定書』
5.林幸司■『宅間守 精神鑑定書』読後雑感

●パート2■岡江晃氏を悼む
岡江正純/滝川一廣/竹島正/水田恵/香月真理子/佐藤幹夫

(以上、飢餓陣営40号・2014年春号より)

●パート3■医療と司法のはざまで
1.高岡健■「人格障害」問題と新しい責任能力論(「樹が陣営」28号より)
2.〔特別掲載〕滝川一廣■人格障害は医療の対象か(「精神看護」より転載)
3.林幸司■精神鑑定とは(「樹が陣営」28号より)

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第2特集 生きづらさを支援する本

1.内海新祐■〝自閉症論〟を読む
(取り上げている本)
滝川一廣『新しい思春期像と精神療法』/綾屋紗月・熊谷晉一郎『発達障害当事者研究』/田中千恵子(編)『発達障害の理解と対応』/佐藤幹夫『自閉症の子どもたちと考えてきたこと』/村田豊久『子ども臨床へのまなざし』・神田橋條治他『発達障害は治りますか?』/滝川一廣『「こころ」はどこで育つのか 発達障害を考える』、黒川新二『自閉症とそだちの科学』(同39号)/高橋みかわ『大震災 自閉っこ家族のサバイバル』、佐藤繭美『自閉症の人の死別経験とソーシャルワーク』

2.山竹伸二■〝臨床と哲学〟の本
(取り上げている本)
小林隆児編著『「甘え」とアタッチメント』/佐藤幹夫編著『発達障害と感覚・知覚の世界』

3.栗田篤志■〝こころの本質〟を思索する本
(取り上げている本)
滝川一廣『「こころ」の本質とは何か』/浜田寿美男『「私」をめぐる冒険』/村瀬学『初期心的現象の世界』

4.佐藤幹夫■〝様ざまな支援〟の本(書き下ろし40枚)
(取り上げている本)
北島行徳『無敵のハンディキャップ』/河合香織『セックスボランティア』/山本譲司『獄窓記』『累犯障害者』/岡江晃『宅間守 精神鑑定書』

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【編集後記】

「飢餓陣営せれくしょん2」を、お届けします。
 今号はタイトルを「『宅間守 精神鑑定書』を読む」とし、特集の柱を、岡江晃氏の『宅間守 精神鑑定書』を読み解く作業に据えました。

 精神鑑定がどういう作業か、それは臨床での診断とどう異なるのか。そこで導かれる「責任能力」や「責任無能力」なるものがどのような概念か、など、編集人にとっては、20年間、いまだ解くことのできない宿題となっています。加えて、医師が下した「責任無能力」の判断が、法廷にあって、裁判所が示す「心神喪失」と、必ずしも等号で結ばれないときがあり、ますますシロウトは頭を痛めることになります。

 鑑定する医師は、患者ではない被疑者や被告人に対し、どのような考えのもとで鑑定作業を進めるのか。このことも、編集人には大きな関心事でした。鑑定書の詳細は、シロウトでは目にすることはほとんど不可能です。岡江氏による『宅間守 精神鑑定書』が上梓されたとき、まさか公にされるとは考えていませんでしたから、真っ先に買い求め、一気に読み終えました。編集人の感想も、読了後、岡江氏を東京にお招きして、講演と討議が本書のような形になるまでの経緯も、本文に記載してあります。是非ご一読ください。

 ご覧の通り、第1特集では、鑑定と診断を分けるものは何かという問いが、中心テーマです。司法精神医学に精通する医師と、児童精神臨床を専門とする医師やセラピストによる直接、間接のセッションは、「飢餓陣営せれくしょん」ならではの企画ではないかと、大いに自負しています。

 岡江晃氏による講演、討議など、今回の「飢餓陣営せれくしょん」への転載にあたっては、弟である岡江正純氏にお願いを申しあげて実現しました。心よりお礼を申し上げます。また、滝川一廣氏の論文を医学書院の「精神看護」より転載させていただきましたが、担当編集者の白石正明氏にも感謝します。

 第2特集では、臨床や、支援の現場を支える本をまとめてみました。この企画は、じつは、第1特集の討議からの続きです。少なくとも編集人の心づもりは、延長戦です。

 岡江氏による鑑定書を読み、編集人のみならず討議に参加された方の過半が、かりにこの宅間守のような人物と人生の途中であいまみえることになり、何らかの介入や支援をしなければならないという立場に立たされたならば、どうしただろうか、こうした人間をどう支援できただろうか、と一度は問いただしたというのです。もちろん、本人がそれを望む気持ちをわずかなりとももちあわせていななければ、どんな支援も無意味に終わるでしょうが、討議の後半は、では生活支援の現場は何ができるのか、という問いが投げかけられています。したがって第2特集でのテーマは、治療とは何か、支援とは何か、です。

 というわけで、今号は、せれくしょん1とは入口と出口の向きを逆にして、構成してみました。
 *
 「飢餓陣営」本体について。
 この、せれくしょん2が刊行される頃には、「飢餓陣営」本体の方は、42号の編集に入っているはずです。「あとがき」執筆のいま現在、41号の発送作業の真っ最中です(前号でもお伝えしたように、企画、依頼、編集、発送、営業……。すべて個人作業ですので、宛て名書きや袋入れも編集・発行人の仕事です。このせれくしょんと合わせ、雑誌の発行などという編集人の道楽に皆様よりお付き合いいただき、お礼の申しようもないくらいです。これで、どん! と数が出てくれると申し分ないのですが、欲を出せばきりがないですし、忙しすぎるのも困りものですし、まあほどほどに)。

 ともあれ「飢餓陣営」41号を、本誌との関連で少しだけ宣伝を許していただけるなら、「佐世保事件の緊急特集」がひとつの柱。6名の執筆者にご登場いただきました。もう一つが、『セラピスト』を刊行した最相葉月氏をお招きし、講演、討議など、特集名を「『セラピスト』をセラピストたちが読む」として企画しました。他のラインアップの方々も、目覚ましいほど充実しています。こちらも是非ご一読下さい。詳しくは

ホームページ http://www5e.biglobe.ne.jp/~k-kiga/

をご覧ください。

 おかげさまで前号『木村敏と中井久夫』は、じりじりと調子を上げ、予想以上の手ごたえがありました。未読の方は、手にしてみて下さい。
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 書籍や雑誌の凋落をめぐる指摘が、ますますかまびすしいご時世。
 最後まで紙でしかできないことがあると考えることは、オカルト的な思い込みだ、すぐに冷静になったほうがいい、と若手のある評論家センセイが申しておりました。おっしゃるとおりなのでしょう。ただし「映画でしかできないことがある」も、「絵には油でしかできないことがある」も、オカルト的な思い込みといえば、そうに違いありません。CG がここまで興隆する時代になっても、映画も油絵も廃れません。趣味とか好みというものは、そんなものです。紙もスマホもパソコンも、それぞれを好む人たちで、それぞれの場所に棲み分けていけばよいことではないか。

 そんなわけで、この『飢餓陣営せれくしょん』も『飢餓陣営』本体も、どこまで行けるかは分かりませんが、続けられるところまでやっていきます。同行して下さる方、大歓迎。第3弾の特集企画が決まった折には、ホームページにてお知らせします。(幹)

緊急特集「2014年夏 佐世保で何が起こったのか」より 「少年事件についての引用と私註」から 

立ちのみ「飢餓陣営」41号

「緊急特集 2014年夏 佐世保で何が起こったのか」
                  少年事件、引用と私註 北明哲
(冒頭部分の抜粋)


1.
佐世保での事件の後、赤坂真理の『東京プリズン』を読んでいたら、ストーリーが本格的に駆動し始めたところで主人公の次のような独白にぶつかり、ちょっと驚いた。

  「なぜ面と向かうとあまり話せないのかと考えて、あることを思い出した。/どうして忘れられていたのだろう。/私は母を殺しそうになった。/私が母のもとを後にしたのは、一緒にいると殺すかも知れないと思ったからだ。/アメリカに行った一九八〇年から十八年。今、二〇一〇年からは遡ること十二年。/嘘やたとえ話ではない。本当に殺すと思った。殺すというのはそういうとき、非常に即物的なことで、「殺してやる」という感情なんかはない。実感も、あるとしたら殺した後だろう。人を殺した人が殺すとき実感がなかったと言うと、それを聞いた人は、ありえないという反応をこれでもかとする。でも私にはその感じが少しわかる。」(P131・河出文庫・二〇一四年)

 『東京プリズン』は、敗戦国日本の存在証明を、「私」のそれと重ね合わせるようにして描こうとした作品である。構成やテーマは非常に手が込んでおり、アメリカの地で東京裁判を疑似的に執り行う、という設定が、すでにして米日両国に対する強い批評性を放っている。そこに至り着くきっかけが主人公(マリ)が学校に(つまりは日本国に)生きる場所を失くしたことであり、家族のなかにも居場所を失くしてしまうことであった。それを作家は、引用のように描く。いわば自己と家族の決壊、日本国の崩壊(敗戦)という三者の回復を、同時進行させていくという手法が採られている。回想が複雑に編み込まれ、イメージが氾濫し、決して平易に読める作品ではないのだが、作家の強い意思が最後まで貫かれ、読者をして結末まで引っ張って行く。

 敗戦とともに日本は「女」になった、「女」になってアメリカを迎え入れた、という強烈なメッセージが後に書かれるから、「母を殺しそうになった」という一節は、きわめて象徴的なフレーズである。敗戦国日本は、戦後、アメリカを深く受け入れながらも、しかし一方では深く押し隠しながら殺したいほどアメリカを拒んでいた、という暗喩とも読めるからだ……というように、全編、精神分析の手法によって描かれていくのが特徴である。

 ともあれ、すぐれた作家の想像力の何であるかを、引用は示している。ほんとうは、「ちょっと驚いた」どころか、本を落としそうになるほどの衝撃だった。ただし作家が想像力を駆使することと、頭に取り憑いた妄想を実行に移してしまうこととは、決定的にべつのことだ。言うまでもない。作家の想像力には、ため息とともに感嘆する。しかし、現実でのそれは、ただただやり切れない思いばかりを残す。

 少年の事件に限らないが、裁判の傍聴に通い続け、結審を迎え、判決を聞く。やっと終わったという安堵と疲労に混じって、何とも言えない虚しさや、徒労感、やりきれなさがこみあげてくる。どんな事件も、すっきりと飲み込めるということはない。神戸少年Aの事件を追い、『地獄の季節』(一九九八年・新潮社)を著した高山文彦も、最後に次のように書きつけている。

  「最終審判を終えて、弁護団も声明を出した。少年Aに関することのみしるせば、膨大な回数となったであろう少年Aとの接見や、五回にわたる審判を通じて、結局はなにもわからなかったということが示されているだけである。/〈少年が何故このような事件をひきおこしたのか、どうすればこれをくい止められたかについては、残念ながら確信をもっていえることはありません。(略)しかし、このことは少年に対するご両親の育て方や、学校の指導方法において、特に問題があったことを意味するものではありません〉/わざわざ付け加えられたと しか思えない最後の一文が、審判のむなしさを物語っている。乾いた砂を手でつかむような感触がある。」(「エピローグ」より。単行本p258)

 およそ信じがたい方法で少年が少年の命を奪う。佐世保の加害少女にもいずれ審判が下されるだろうが、どのような裁きであれば私たちは納得するのか。彼らを「裁く」ことで、納得が訪れるのか。「乾いた手で砂をつかむ」ことが、繰り返されるのではないか。何一つ明瞭な答えをもてないまま多くの「事件」に関心を寄せてきたが、それにしても、なぜ、いつから、殺人事件などに首を突っ込むようになったのか。……

                 (立ちのみはここまで。以下は「飢餓陣営」本誌41号をお読みください)

                 ホームページ http://www5e.biglobe.ne.jp/~k-kiga/

飢餓陣営最新41号について

飢餓陣営最新刊のお知らせ

最新号が出来上がりました。
特集は、「『セラピスト』をセラピストたちが読む」。著者の最相葉月さんにもご登場いただいています。
緊急特集として、佐世保の事件を取り上げました。他にも豪華な執筆陣です(下記をご覧ください)。
ぜひこ購読ください。

「飢餓陣営41号」編集・佐藤幹夫
   A5判/約200頁 1000円+税 発行・飢餓陣営発行所


【ボロ酔い日記 4】
二〇一四年一〇月七日~一〇月八日
編集後記のことなど

一〇月七日(日)
●編集作業がひと通り終わり、あとがきを書いたら終了、というところにこぎつけたとき、衝撃的なニュースが飛び込んできた。佐世保の加害少女の父親が、自らの命を絶ったという。心のうちなど分かる由もないが、二つの相反する気持ちが同時に湧いてきた。

●自分の命に代えて詫びたいと、もし思い詰めてのことならば、それは親として痛いほど分かる。しかし、とも思った。加害少女はやがて社会に戻る。そのとき、一人、両親のいない孤独に置かれ、地獄のなかを誰にどう支えられて生きていけばよいのか。……そんな二つの思いが頭の中を駆け巡っていた。

●特集を継続させるべきかどうか、夜のあいだ考えた。特集の主旨はもとより、いただいてあるどなたの原稿も、双方の死者や遺族を侮辱するようなことは書かれていない。興味本位で取り上げたわけでもない。このまま進める、と判断した。夜が明けかかっていた。

一〇月八日(月)
●作業再開。もうひとつの特集は最相葉月氏。だめ元で「人間と発達を考える会」にお招きしたところ、了解のご返事をいただいたのがご縁だった。話のどこかで、次のテーマは決まっており、準備を始めておられるという。お忙しい中、ご登場いただいたことに深く感謝します。

●また那覇の中山勲氏とはある方を通じて知遇を得る僥倖を得たが、十分な準備ができないままのインタビューだった。帰宅後、急ぎ沖縄関連の本に目を通していくと、すぐに、これは大変なところに足を突っ込んでしまうと感じた。しかし、退路は断った。沖縄は、もはや私にとって観光の地ではなく(観光旅行という観念自体が、もともと私にはないが)、もっと別の何かになった。ともあれ、これから、長い旅になるだろう。

●そして、いつもいつもご協力いただいている執筆者の方々。今号でも力強い原稿を掲載することができた。ただただ、感謝です。ありがとうございました。

●お詫びしなくてはならないのは、前号で、私の作業ミスで瀬尾育生さんの原稿の、後半部分が残ったままになっていることです。瀬尾さんからは「再掲載には及ばない、いずれ本になるだろうから」というメールをいただき、私の方も了承させていただいた次第です。改めて瀬尾さんにはお詫び申します。

一〇月九日(火)
●そして書店さんへも深謝です。取り扱ってくださっている書店は以下。●池袋・リブロ、神田・東京堂、高田馬場・芳林堂、神田・三省堂、東京・八重洲ブックセンター、京都・三月書房、新宿・模索舎、大阪・りょうざんはく、池袋・ジュンク堂、長野・平安堂。ついネット書店で本を求める昨今ですが、まずは皆様、書店にたくさん足を運びましょう。

●次回は二〇一五年の四月刊行を目指します。二月いっぱいをとりあえずの締め切りといたします。お待ちします。●これが終わったら、「飢餓陣営せれくしょん2」の準備と、書き下ろし原稿の執筆に。二つとも、年内には仕上げたい。読者の皆さまにあっても、くれぐれもご自愛のうえ、ご健闘下さい。(幹)

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*主な内容
 1 シリーズ聞き書き(第1回)
     中山勲氏を訪ねて‐島成郎と沖縄- 

  2 国家と法と社会思想
     竹田青嗣■重力という思想から目覚めること
         井崎正敏『〈戦争〉と〈国家〉の語り方』を読みながら
     橋爪大三郎■憲法・民主主義・「国家緊急権」について 

  3 【緊急特別特集】2014年夏 佐世保で起こったこと
     佐藤幹夫■2014年夏 佐世保で何が起こったのか 
     村瀬学■幾何学の精神について 佐世保・高一同級生殺害事件から
     高岡健■佐世保高一殺害事件覚書 
     赤田圭亮■「誰でもいい、殺してみたかった」
     井原裕氏に聞く■佐世保高一殺害事件をどう受け止めるか 
     北明哲■クリップボード 少年事件についての引用と私註

  4 【特集】『セラピスト』をセラピストたちが読む 
     最相葉月■『セラピスト』が書かれるまで
      最相葉月さんを囲んで■『セラピスト』をセラピストたちが読む
       香月真理子、富樫健太郎、大迫久美恵、滝川一廣、佐川眞太郎、小川正明、
       清水邦光、尾上義和、的場由木、竹島正、佐藤幹夫(司会)
        リポポートを終えて(香月真理子、富樫健太郎)
      内海新祐■二人に流れる静謐な時間 
       最相作品の独断的ご案内■編集部編

     阿久津斎木■10年前より大変かもしれない乳幼児期の子育て
     木村和史■家を作る(7)

  5 詩と思想の批評学
     神山睦美■知的障害と神的暴力 
        佐藤幹夫〈法廷ドキュメント三部作〉を読む
     宗近真一郎■柄谷行人、うたの訣れの起源へ(新連載)
     添田馨■エコノミーの終焉(上)
        吉本隆明「超資本主義論」ノート(3)
     倉田良成■鉄斎山河 日本の絵師たち(7)

  6 エッセイと連載
     水島英己■異変を抱く心、腐った野の物語 映画日和(4)
     築山登美夫■揺らぎのなかの生と大地
     井崎正敏■「私記」であることの可能性
         近藤洋太『人はなぜ過去と対話をするのか』を読みながら
    夏木智■原発を論じるとはどういうことか
        東日本大震災個人的体験記5
     浦上真二■吉本隆明とフリードリッヒ・リスト 古書会読(20)
       ボロ酔い日記