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zoom RSS 「相模原殺傷事件」について

<<   作成日時 : 2016/07/30 10:48   >>

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「重度知的障害者」とはどんな人たちか
 


 相模原の事件から、5日が過ぎました。
 衝撃があまりに大きすぎて、何も考えられない状態が続いていたのですが、いまの時点で考えられる限りのことを書き留めておこうと、なんとか思うようになってきました。

 「学際的な専門家チームをつくって、深く掘り下げた解明を!」といった意見も出ており、これはこれでもっともなのですが、そういう大上段からの見解よりも、もう少し身近なところから考えていくことが、いまはだいじなのではないか。そう考えた次第です。

 おととい、昨日の報道によれば、加害者は「重度重複障害者をねらった」といい、彼らは「意思疎通ができず、何を言っても分からないし、何を言っているのかも分からない」とも言っていたといいます。そんな人間は、「生きていても、家族を疲れさせるだけだから、死んだ方がいい」、という発言もあったとも。
 
 このような報道を最初に目にしたとき、曲がりなりにも施設の支援職員として働くことを自分から希望した人間が、最初からこんな考えをもっていたのだろうか。生きていても意味がない、とそう考えながら、日々の支援業務にあたっていたのだろうか。そう考えました。あるいは途中から、何かきっかけがあって、このような考えをもつようになったのだろうか。
 被害を受けた方々や家族の無念さに突き動かされるなかで、まずはこうした疑問が湧いてきたのです。

 そして、たいへん素朴に、素朴なことを考えました。
 どんなに「重度の重複障害」をもつ人たちでも、「まったく意思疎通ができない」とか、「まったく交流が成りたたない」などということが、はたしてあるのでしょうか。5年、10年、20年と我が子に付き添ってきた親御さんたちは、「意思疎通ができない」と感じているでしょうか。
 あるいは施設職員たち。なんの意思疎通もできず、感情交流さえもないと日々感じながら、障害を持った人たちと過ごしているのでしょうか。

 私には、信じられません。

 どんなに言葉がなくて、重度と呼ばれるひとであっても、交流がまるで成り立たない、などということはありえない。

 表情が柔らかだから今日は機嫌がいいようだとか、体調がよさそうだとか、目が少しきついからきょうは怒っているのだろうかとか、どこか体調不良なのだろうかとか、表情、しぐさ、行動の様子汗ばみ方などの様々なシグナルから、彼らの感情や意思を受け取り、声をかけ、関わっていく。
 そういうやりとりをくりかえし、職員ひとりひとりがそれぞれのやり方で、意思疎通(らしき交流)をし、感情交流(気持の通いあい)をし、日常の様ざまな身辺活動(食事、入浴、排泄、着替えなど)や、散歩や、レクリエーションが、なされていく。
 かならずそこには、交流は生まれます。
 そうやって支援する側の姿勢がつくられ、援助技術が上がるにつれて、交流は深まっていく。

 だから、植松容疑者には、「意思疎通のできない人間たち」「何もできない人間たち」としか受けとめられなかったかもしれませんが、それはむしろ、植松容疑者自身の問題です。
 つまりは、「障害をもつ人たちとの、感情交流」という、支援職員としてまずは身に付けるべきスキルを、ついにもてなかった、もとうとしなかった、ということを示しています。けっして「障害」をもつひとたちが、「何もできない」ゆえに、ではないのです。

 犯行にいたる事実関係は、あくまでも報道によるものですが、仕事に就いて間もなく、「思い通りにならない、腹が立つ」と考え、「生きていても役に立たない人間は、死んだ方がいい」と考えるようになった、といいます。
 こんな優生思想≠どの時点で持つようになったか、現時点で詳しいことは分かりません。

 いつ、なぜ、どんなふうに、このような愚劣な考えをもつようになったのか、その解明が、今回の事件の最大のポイントではないかと、わたしは考えているのですが、ひょっとしたら、やまゆり園での仕事に就き始めた当初は、「障害」をもつ人たちと、うまく関われるんじゃないか、自分にも彼らにたいして何かできるんじゃないか、そう考えていた可能性は、皆無ではないような気がします。
 ところが、それが、まったく歯が立たなかった。なにをやっても、先輩職員のようにはできない。
 こんなはずじゃない、と思えば思うほど、交流がうまくできなくなっていく。そしてやがて怒りに変わってくる。

 なぜうまくできないのか。
 「自分の思い通りにならない」からです。
 言い換えれば「自分の思い通りにできる(はずだ)」と考え、「(〜〜をしなさい、〜をしなさい、と)思い通りにすること」が、支援するということだ、それが自分の仕事だ、そう思いこんでいた節がある。
 植松容疑者が考える「障害」を持つ人への支援とは、「こうしなければならない」という信念をもってそれを実行すること。そのような、初心者にありがちな間違った思い込みを、ついに訂正できなかった。
 そして、ますます負のスパイラルに落ち込んでいった。

 どんなに「重複障害者」と呼ばれる重度の「障害」をもつ人であろうと、自分の好き嫌いがあります。人に対してもそうです。
 この人(援助者)は嫌いだ、合わないと思えば、かたくなになりますし、支援者の側からすれば、ますます「思い通り」にならなくなる。「知的障害者だから」などとみくびっていたら、とんでもないしっぺ返しを食らいます。
 とても丁寧に、気を配りながら接してくれる職員には、しっかりと心を開いてくれるし、逆に、無雑作にしか扱ってくれない職員には、横を向いてしまいます。間違いなく、彼らなりに相手(支援職員)を見ています。

 相手が何をしてほしいか、そのことを丁寧に探りながら、確かめながら、やり取りを繰り返していく。その地道な作業が、いわゆる「支援」とか「援助」とか呼ばれる行為だ、ということを、植松容疑者は、ついに気づくことができなかった。
 そこに最初の、大きな不幸があったのではないでしょうか。

 思い通りならないストレスが、どんどん溜まり、そのいら立ちが怒りになり、ほんとうは自分自身にたいする苛立ちや怒りのはずなのに、それが相手のせいにし、「障害」をもつ人たちに向けていった。
 おそらく植松容疑者は、いたくプライドを傷つけられたはずです。「なぜ、障害者に自分がバカにされなくてはならないのか」とも感じたはずです。
 このことが、あれほどの多くの人たちの命を奪う、という行為に直接つながっていくわけではないにしても、大きな要因だったのではないでしょうか。

 措置入院の制度の見直し云々、などという方向でこの事件が語られていますが、そんな問題なのですか。

 施設の管理職や、法人を経営する人、施設運営を指導する行政の人にお願いです。
 現場の支援職員の人たちが、せめて、孤立という迷路のなかで仕事をすることのないような、職場の環境を作ってください。
 うまくできなかったらいつでもだれかに相談できる、アドバイスを受けることができる、そんな人間関係の職場にしてください。

 もうひとつは、支援スキルをしっかりと身につけ、上達していけるような勉強(研修)の機会を、できるだけつくってください。腕が未熟なままノルマだけは増えていく、拘束される勤務時間だけが増えていく、というのでは、人を支援する、ケアするという職場にあっては、ひとたまりもないことだと思います。

 職員の人員不足が解消できない、給料を上げようにも予算が足りない。
 そうした過酷な条件のなかで運営を強いられていることは、わたしも重々承知です。もちろん、好条件のなかで仕事ができるようにしてほしい、と切に願ってはいるのですが、それが難しいのであればこその、お願いです。
 精神的なゆとりを奪わない、自分は支えられているという実感がもてる、当たり前のことですが、この二つの条件が、支援の現場では、とても重要になる。
(これは、高齢者の介護施設でも同じです)

 職員同士の横のつながりと、自由に意見交換ができる(孤立しない)職場環境を。
 支援技術、支援論などについての、スキルの向上の機会をつくる。
 この二つならば、明日からでもできるはずです。
 
 繰り返しますが、このことが、あのような「戦後最悪」といわれる事件の解明に直接役に立つとは、私自身も考えてはいません。しかし、支援現場をどうよいものにしてゆくか。このことを、様ざまな立場の人たちが、それぞれの立場から考えることは、少なくとも措置入院制度の見直しを、などという意見よりも有益ではないでしょうか。

 まずは、こんなことを書き留めておきたくなりました。

(*8月7日、本文章にタイトルを付し、若干の加筆訂正を施す)

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