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zoom RSS 「相模原殺傷事件」について」 その3−1

<<   作成日時 : 2016/08/06 14:58   >>

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その「排除の思想」はどこから出てきたのか
(1)

 今回の相模原の事件も、起訴されたのち、「裁判員裁判」として裁かれるのでしょうか。
 この事件を引き受ける裁判員の人たちは、はたして現れるのでしょうか。引き受けて、審理にあたったときの心身のダメージは大丈夫なのでしょうか。
 つい、そんなことを思ってしまいます。
 司法のえらい部署のひとたちも、いろいろと、対応策を考えているだろうとは思いますが、50人近い被害者にたいし、証拠調べをして、事実認定をして、反対尋問や弁論をして、量刑の判断をしていくことになるわけで、地獄そのものの現場写真も、何百枚と見なければならない。裁判官に選ばれた人たちは、耐えられるんだろうか。

 もうひとつ、本来ならば、今この時点では、推定無罪です。
 判決が出るまで(日本は、ご存知のように三審制です)、犯人視した言説は、できるだけ控えなくてはならない。容疑者をこの段階で犯人(有罪)だと決めつけて、あれこれと述べてしまうことは、じつは、とても危ういことです。それはわたし自身も本に書いてきたし、今回いただいた複数の方ノメールからも、行間での無言のメッセージとなっていることを、感じています。
 しかし今回ばかりは、原則を破ってでも、いま、リアルタイムで発信しなければならないことがある、と強く感じています。

 10日が過ぎて、新たな情報はほとんど報道されなくなっているのですが、もう少し植松容疑者という人物の「実像」(と私に見えるもの)について迫ってみたいと思います。
 第1回目のブログで、わたしは次のように書きました。
 「だから(「知的障害者」が)、植松容疑者には、「意思疎通のできない人間たち」「何もできない人間」としか受けとめられなかったかもしれませんが、それはむしろ、植松容疑者自身の問題です。」
 「植松容疑者自身の問題」とはなにか。
 それに関する記述はここで止まっていますが、じつは続きがありました。

 そもそも≠フ話をすれば、植松容疑者が、なぜ、「障害者はいないがいい、だから殺した方がいい」などという考え方に取り憑かれてしまったのか、わたしなりにその筋道を知りたい、できる範囲でたどってみたい。そう考えたことによっていました。
 そして引用の文章の後、「重度重複知的障害者」と呼ばれる人たちが、どんな人たちか、彼らとの交流がどんなふうになされていくか、わたしの知る限ここから必要なことを読み取り、りのことを書きました。

 ここから本題に入りますが、「障害者なんていない方がいい、だから殺してもいいんだ、家族のためになるんだ」という言葉から、なにを読み解く≠アとができるか、ということです。
 どうしてこんな愚劣な考えを身に着けていくことになったのか、この言葉を読み解くことで、何事かを拾い上げていくことができるのではないか。

 ひとつめ。
 ほんとうは、そのはじまり≠ヘ、自分自身に向けられていたものではなかったろうか。
 心理学の「いろは」になりますが、他者は自己の鏡像です。
 したがって、「何もできない重度重複障害者」とは、「自分が一番恐れていた自分の姿」の暗喩(あるいは写し鏡)だ、ということになります。そこには自分の姿≠ェ重なっていた。
 だから、「障害者はいない方がいい、だから殺してもいいんだ。家族のためなんだ」という考え方は、まずは自分に向けられたものだった。
 「自分のような人間はいない方がいい、だからいなくなってもいいんだ、それが家族のためなんだ」
 そのような言葉として読み替えられるのではないか。
 そうした直感が、この言葉を聞いた時に沸いてきました。

 ただし、少しだけ言い換える必要がある。
 「障害者はいない方がいい」
 →「役に立たない人間は生きている価値はない。価値のない人間はいない方がいい」

 報道を振り返ってみると、人当たりがよくて、気立てのよい、場を明るく仕切る、というような人物像が、知人たちの言葉として聞かれます。それは植松容疑者が、モットーとしていたことだったでしょう。
「仲間たちの役に立ちたい、彼らが困っているときには、サポートできるような人間になりたい」
 強くそう望んでいたはずです。そして言葉通り、仲間たちの役に立つ人間として、振る舞っていた。ひょっとしたらそこでは、中心的存在ですらあったかもしれない。

 しかし同時に、植松容疑者のこころのなかでは、「役に立たない人間は生きている価値はない。死んだ方がいい。そのほうが家族のためだ」という声が、絶えず彼自身を脅かしていた。脅かされればされるほど、植松容疑者は、必死になって仲間たちの間でも、そして施設職員として働き始めてからも、「役に立つ」人間になろうとしていた。
 しかし第1回目に書いたように、「障害者福祉施設」という支援現場では、歯が立たなかった。
 援助者として身に着けておかなくてはならないスキルを(これは広く、援助技術、心構え、支援観、障害観、死生観など)、ついに身に着けることができなかった。そこで自分が生きていく基盤を作ることができなかった。

 そのとき「役に立たない人間」という感情が、どこに向けられるようになったかといえば、「障害」を持っている人たちだった。自分自身ではなく、「障害」を持ち利用者の人たちに、自分への怒りや苛立ちが、激しく責任転嫁されていった。「役に立てないのは自分じゃない、この人間たちのほうだ」というように。
 そしてその怒りを、一気に「障害者」の人たちに向けるようになった。
 
 それまで明るく、まじめに仕事に励もうとしてきた(かもしれない)植松容疑者が激しく変貌していくのは、このあたりのことに事情があったのではないか。
「入れ墨」を掘り、髪を染めたのは、明らかに、「もうよい子はやめた」「おれは悪くない」というサインではなかったしょうか。
 薬物にいつから手を染めはじめたのか、いまのところ確かな事実は分かりませんが、大麻にも手を染めるようになった。
 これも、いろいろなことを我慢して頑張ってきた自分は「もうなし」、ということの表れでしょう。

 もちろんこれらは、わたしの推量です。仮説とも呼べない憶測です。しかし手持ちの情報を一つずつ積み上げて推測していけば、とりあえずは、このような大まかな精神風景を思い描くことができるのではないか。

 そうすると、次の問題が出てきます。
 「役に立たない人間は、存在しない方がいい」という言葉(あるいはそうした考え方)が、植松容疑者の中にどこからやってきたのか。それをもたらした者はだれか、という問いです。
 始まり≠フ、もう一つその先の始まり≠フ問題、といってよいでしょうか。

 一般的に、人がどうやって言葉を身に着けて(習得して)いくかといえば、周りにいる大人(多くは親)の、絶え間のない、たくさんの話しかけによってです。赤ちゃんのほうは、にこにこし、キャッキャッと返し、さらにまた話しかけられ、そうやっておびただしい言葉と感情の交流がくりかえされる。
 説明しなくてはならないことは、まだまだたくさんあるのですが、ざっとこんな筋道を踏んで、言葉は習得されていくのだと指摘しておきましょう。

 さて、わたしが述べたいことは次のことです。
 心的な土台が何もないまっさらな状態にあるとき、そこに、何らかの言葉が自然発生的に、あるいは自らの力によって沸き上がってくる、ということはまずありえない。

 先の言語習得の筋道からも、「障害者は殺してもよい」という言葉(あるいは「役に立たないものは生きている価値がない」という言葉)は、植松容疑者の中に、彼自らの手で自然発生的に浮かび上がってきたもの、というよりも、おそらくは大人の誰かによって、さまざまな形をとりながらもたらされていったものではないか、そのような蓋然性が高いのではない、という推量を呼び起こすことになる。

 幼少期の生育歴や家族歴に関する情報は、今のところほとんど見られません。
 だから、一般論として推測してよいのはここまででしょう。
ここからどう進めればいいでしょうか。(続く)


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