南砺市で地域包括ケアシステムを作るまで

 選挙戦、真っ盛り。
 「自民党が300議席を超える勢い」、などと報じられている。1党独裁を、日本国民は望んでいるのか? どうしてそんなことになるのか、わたしには、にわかには信じがたい。

 元の同僚たちに聞けば、「選択肢が、他にないからじゃないか」という。民主党はそこまで信頼を失墜してしまったのか、とは思うものの、国民の多くの人たちは、貧困も、高齢になってからの生活破綻も、格差化していくだろう社会保障への危惧も、まだまだピンと来ないのだろうか。あるいは、自分だけはそんなことにはならない、という確信があるのだろうか。

 けれども、日本国債の国際的信用がなくなってしまったら、年金も、貯蓄してある退職金も、一発でアウトじゃないか。自公が3分の2の議席取ったら、こんなふうにして、呑気にブログなんか書いていられなくなるかもしれないじゃないか・・・と思うのだが。

 そんな選挙戦のさなか、長いこと放っておいた「(続)高齢者ケア」の連載原稿を、下記に張り付ける。



「地域医療・ケア包括システム」を作るまでの30年(その2)
 富山県南砺市民病院前院長 南眞司医師への取材から


南砺市の「地域包括・医療ケア局地域包括課顧問」として

 南砺市民病院の前院長・南眞治医師は、現在、市の「地域包括・医療ケア局地域包括課顧問」という立場になり、まさにいま、南砺地域全体の医療とケアの包括的なシステムづくりの総仕上げに入っている。それが住民参加型システムのさらなる整備であり、住民自身による互助作りである。談話の中で、筆者の印象に強く残ったのはこのことだった。

 南医師の歩みをひと言で言えば、苦境にあった南砺市の医療を、訪問診療と医師の養成に重点化しながら立て直し、住民の意識を啓発し、地域医療再生の一翼を担ってもらうというプロセスそのものだった。市民からすれば、医療や保健の良質な情報に触れることは、それ自体が介護予防となり、リハビリになる。つまりは「老い支度」であり、それは自助意識の涵養ともなる。

 「介護予防」だ「老い支度」だ、などと書けば、自分は生涯現役である、介護予防も老い支度も不要、と反論する熟年読者の方が、あるいはおられるかもしれない。「老い」という言葉がネガティブなイメージを与えかねないことも、十分に危惧されるところだ。しかしそうではない。人生80年(90年?)時代にあって、その人なりの活力を長く維持するための、早めの「支度」であり、その必須アイテムの一つが信頼できる情報である(詳細は、拙著『ルポ高齢者ケア』をぜひご覧になっていただきたい)。

 さて、先ほど南医師にとっての総仕上げ、などと書いた。どういうことか。「地域包括ケアシステム」とは、専門職同士を結んでいくことだけを目的とするのではなく、市民自らが、それぞれの生活を支え合う仕組みをつくりあげていくことも、重要な課題として含まれるはずである。〝障害や病気〟のある人もない人も、熟年核家族を営む人も独居の人も、それぞれがそれぞれを、どう支え合うか。支え合いが本人の活力となり、地域の活性化にもなるような、そんな地域をどうつくるか。それは、自由な立場になったからこそ、さらに力を入れて取り組んでいく宿題である、そう南医師には受け止められているように筆者には思えた。

 これまでにもお伝えしてきたが、どれほど素晴らしいケアシステムを作ったとしても、それが「住民依存型」である限り、人的資源においても経済コストにおいても、負担の削減はさほど大きくはないのではないか。どう住民参加型・互助型システムに転換していくか。あるいはそれらをどう組み合わせていくか。そのことも、これからの重要な課題になる。そんな印象もまたもったのだった。

南砺市民病院と地域住民との信頼関係

 南医師は1983(昭和58)年に、現在の南砺市民病院に赴任した。南砺市民病院は国保直診病院であり、その先駆的存在である公立みつぎ総合病院は〝みつぎ方式〟と呼ばれ、医療だけではなく、保健、リハビリ、介護訪問診療、福祉などと連携した、包括的なケアを基本理念としていることで早くから知られていた。南砺市民病院も、みつぎ方式をモデルとして地域医療を学んできたといい、なかでも訪問診療に万全を期してきたという。

「ここに来て、すぐに不定期の訪問診療を始めたのですが、私の患者に変性疾患の方がいて、在宅療養をしながら通院していましたが、熱が出たら来られないと言う。そういうことなら家まで往診に行こう、と看護師さんと一緒に行くことになりました。最初は不定期だったのですが、やがて定期的に看護師を出し、リハビリを出し、医師も定期的に往診し始めました。患者さんにとって必要があれば、その必要なサービスは作ればいい。それだけのことなのですよ」

 あっさりとそう言われたが、これがなかなか大変だろうことは、筆者にも推測できる。

 南医師にはまた、次のようなエピソードもあった。

 70歳くらいの一人暮らしの男性が、退院して家に帰ることになった。そのとき、食事(治療食)がどうにもならないと言う。それなら病院から出そうという話になって、配食サービスを始めようとしたところ、県から待ったがかかった。厚生省まで上がり、そこでOKが出された。以後、配食を続けてきたという(現在は民間移譲している)。

「病気の後、重い障害が残っても、家に帰りたいという人は圧倒的に多かった。ですから訪問看護や在宅支援に関しては、30年間取り組み続けてきました。気が付いたら非常に手厚い訪問看護体制が作られています。人口5万の市で、いまフルタイムで16人ほどの訪問看護師がいますし、リハビリにも10人ほど出しています。苦労話はたくさんあるのですが、ここまで推進できたのは病院のみんなの思いが一緒になっていたこと。合併前も現在の南砺市になってからも、市長さん町長さんはじめ、行政の皆さんの理解と協力が深かったことです」

 そして、退院したからと言って、病院の役割は終わりではない、退院後、地域でどう幸福な生活をしてもらうか、それが医療の最大の目標だ、とも強調する。様々な社会サービスが整っている都市圏とは事情が異なるから、病院にとっては専門外ではあっても、必要なサービスは自分たちで作らなくてはならなかった。認知症の人も、17,8日入院した後は地域に帰るから、その対策にも力を入れてきた、とも言う。こうした柔軟な対応がどれほどできるかも、これからの地域包括ケアシステムにとって重要な課題となるだろう。

「たとえば退院前に、患者さんと家族を交えて「退院カンファレンス」をします。20年以上前からやってきたのですが(厚労省が最近お金を付けました)、それによって本人の状況を家族が知ることができるし、本人の思いも知ることができます。99パーセント以上の人が家に帰りたいわけですから、その気持ちを述べてもらいながら、家族はどこまで応援できるか確認し、足りないところは病院がバックアップするから可能な限り家族も見守ってほしい、そう伝えることで、家族とのきずなを結ぶようにしてきました」

 退院の際に誰もが心配することは、再発した時に再び受け入れてもらえるかどうかだという。

「それは絶対に大丈夫だ、という約束はずっと守ってきたのです。このことが病院と住民との信頼関係の構築になるわけです。それには時間がかかるし、一度約束を破ってしまったら全て壊れる。そういう積み重ねをしてきました。それが、自助を支える公助の役割です」

生活支援と互助作り

 先ほどもお伝えしたように、医師の養成と、住民参加型のスタイルをつくりあげたことが、南砺市の特徴だった。その着眼がどこからきたものか、筆者には大きな関心事だった。ここで富山大学の山城清二医師がもう一人のキーパーソンとなるのだが、山城氏については次号で紹介させていただこう。南医師は言う。

「危機感は嫌でも持たざるを得ませんでしたが、住民の方が関心を持ってくれたのは、山城先生が上手に旗を振られたことが一つです。そして前の婦人会の会長さんの意識が高くて、地域の医療が壊れそうだという危機感を強く持っておられ、婦人会という大きなパワーとして結集しながら一緒に歩もうとしてくれたことです。こんなふうに人が集まってくれた、そういうことだと思います」

 そして南医師は、南砺市は若い医師を育てるための重要なフィールドとしての条件をそろえている、しかしフィールドを作ることができても、医師をどう育てていくかというノウハウは持っていない。それを持っているのは大学だが、大学はフィールドがない。そこで大学とコミュニティが共同することによって、最良の医師育成の場となる。そう述べる。
 
「私が南砺市民病院の院長になったのは09年ですが、08年から医師が減ってきました。それから、人づくりをしないといけないということで、初期研修医が来てくれるようになりました。そのまま後期研修医となり、総合診療医過程の後期プログラムに入ってくれたのです」

 医師育成については前稿で触れたので繰り返さないが、富山県の中で、もっとも危機感の強い所が南砺市だったのだろうと言う。

 さて、南医師にとっての最終的な課題である互助づくりについて、最後に報告しよう。

「最後は、住民同士が支え合っていかないといけないわけですが、それが「マイスター養成講座」や「地域医療を守る会」といった取り組みとなり、前へ進んでいます」

 しかしそれでもまだ十分ではないという。

「私は院長を辞した後、地域包括センターの顧問として残り、そこで半日働かせてもらっています。医療、訪問看護というプロのネットワークはできたのですが、足りないのは、在宅介護と生活支援サービスです。これから圧倒的に老老介護が増える。どう互助の仕組みを作るか。私には、いろいろな立場の人と会える利点があるので、その人たちをつなぐことが、現在の最大の仕事です」

 今までは家族介護ができたからこそ、どんなに重度な人でも訪問医療・看護、リハビリを組み合わせながら生活を成り立たせることができた。しかし一人暮らしになると、それでは成り立たない。早朝、朝昼晩、寝る前など、必要なときに介護職が行き、一人暮らしの人や老老家族を支える。これからは、そういうプロの介護力が必要である。そう強く言う。

 その一つが、生活支援サービスの充実だった。生活支援には、食事、移動の際の送迎、ごみ出しなどたくさんあるが、それこそ医療では代替できない。生活支援には多くの役割が期待でき、南砺市には、生活支援サービスを作ることで、介護予防につなげている地域もあると言う。

「畑仕事をみんなでやり、食べ物をつくって回すとか、ちょっと弱っていて出不精な人に声をかけ、外出できるようにしたら要支援から自立してしまった、というケースもあります。傾聴ボランティアもありますし、地域には文化や歴史があり、それらも組み合わせて生活支援サービスを作り、課題を見つけ出しいくことが介護予防につながります。それをこの1年から3年で作っていこうとしているのです」

 地域の人が互助で支え合う。そうした南砺市をこれから作っていきたいというのが、いま最大の課題だ、と南医師は締めくくった。

「健康保険」2014年7月号より転載
(第109回)「地域医療・ケア包括システム」を作り上げるまでの30年(その2) 富山県南砺市民病院前院長 南眞司医師への取材から

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