『小林秀雄の悲哀』『江藤淳は甦る』を読む ―飢餓陣営編集日記

盆休み明けから、この間の読書。「飢餓陣営」次号では、加藤典洋さんの特集を予定しています。原稿の依頼もあらかたすみました。その準備として、小林秀雄と江藤淳を取り上げた以下の2冊を読んできました。私の文芸批評家のマップでは、小林秀雄‐吉本隆明‐江藤淳ときて、次が加藤典洋になるのです。

両著は、方法が全く対照的。橋爪さんの著書は、古事記、宣長『古事記伝』、小林『本居宣長』をテクストとして、徹底して読み解いていくというスタイルです。もちろん、橋爪さんのこれまでの言語ゲーム理論、法理論、朱子学、儒学、古学、神道などの江戸思想(これは前著、『丸山眞男』でも取り上げられました)が、動員されます。小林秀雄が宣長をどう読んだか、あるいはどこが読めなかったのかが、これでもかというくらい「丸裸」にされます。

橋爪さんが何をしたかったか。維新以降、近代(と近代的科学主義や客観主義)を身に付けていったはずの日本が、なぜ天皇を頂点とする超国家主義になだれ込んでいくのを阻止できなかったか。その元凶が宣長にある、と橋爪さんは見立てます。宣長もその学問の方法を実証性や客観性を体現しながらも、『古事記伝』は天皇至上のカルト的解読の著書となっており、しかもその両者が、宣長のなかで矛盾なくつながっている。それはまさに維新以降の、日本の姿でもある。そこを突き止めきれなかったことが、小林の『本居宣長』の最大の弱点だったというのが、橋爪さんの裁断です。これは粗雑な紹介ですが、「超一級の知識人」とはこのようなものか、と読みながら、何度も鳥肌が立ちました。前半はテキストクリティックに費やされますが、後半、一気にドライブがかかっていき、怖いくらいでした。

平山さんの評伝は、文壇、論壇の内情に精通し、そこでの人間関係を調べ上げていること。それは、江藤淳のプライベートな人間関係であり、学者・研究者として、論文・批評文を発表するにあたっての、背景事情であり、アカデミズムのヒエラルキーがどのようなものか、それらが精査されています。取り上げる文献資料も、単行本として刊行された著作物だけではなく、文芸誌に発表され、単行本未収録となっているエッセイ、対談での発言などが、文壇内部にいた人ならではの資料収集力となり、それを裏打ちするリアリティに、満ち満ちている。そのことで、江藤淳という巨大な知性の内側(孤独と苦悩)が描き出されていく。そんな評伝です。

江藤淳の文芸時評を読むと(上下巻として新潮社から刊行されています)、その遠慮のない批判は、ここまで書いて大丈夫かというくらいの激しさを持っています。やはり、暗に陽に遠ざけられ、孤立していた様子が(江藤淳は〝生き埋め〟になった」という言葉で)如実に描かれている。文句なしの圧倒的評伝でした。

両著ともに、現代日本の政治状況や社会状況への直接の言及はありませんが、なぜここにきてカルト的な国家主義の揺り戻しが来ているのか。なぜ日本は「近代」を体現できないのか(橋爪)。敗戦と占領統治に対する江藤のアメリカへの激しい言論を通し、日米関係がなぜこのようなことになっているのか(平山)。それらがおのずと炙り出されてくる。そのような読みも可能だ、という感想ももった次第です。

貯めこんである雑誌や新聞類から、加藤さん関係の記事を探索していますが、どうやって整理し、どうやって飢餓陣営の誌面に反映させるか、思案中です。著作も読み進めていかなければならない。手始めに『9条入門』の再読。(と考えていたら、『教育過程』よりゲラが出てきて、なんと25行もオーバー。頭を抱えながら、削除作業に追われています。ちょっと昼寝もしちゃいましたが・笑・)。

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