(連載31)「障害のある先生」への支援、理念と現実のはざまで(その1)


超えるのを難しくするハードル

ここまで車椅子の中学校教師三戸学さん、途中から視覚をすべて失い、学校教員から大学の研究者に転じた中村雅也さんなど、障害当事者の方たちへの取材を続けながら「障害のある先生」の問題を考えてきました。間もなく新年度が始まります。三戸さんは、念願の担任希望がかなえられるかどうか、私信で期待と不安を語っていました。お伝えしてきたように、管理職は、それは三戸さんへの「配慮」に基づく決定である、と色々と理由を述べていました。しかし私には、その「配慮」に合理性は感じられませんでした。

また(これまでの2回の記事では書き留めていませんが)、取材のなかで個人史について尋ねたとき、中村さんは次のように述べていました。自分は教師という仕事が好きで、人並み以上に打ち込んできた人間だと思っている。弱視ではあったが、生徒にも積極的にかかわったし、視覚教育の専門的な勉強もしたし、肢体不自由の養護学校に転勤になったときは、その方面の勉強にも取り組んできた。教師集団の中心的存在として仕事ができて、とても充実していた。そう言います。ところが、家庭の都合で他県に移ったところで事情が変わっていきます。新しく赴任した病弱の養護学校時代に視力が急速に落ちていき、全盲の教員として盲学校に異動しますが、そこで同僚教員の自分への見方や対応が、がらりと変わったのを感じたといいます。病気休暇に入り、間もなく退職。

「ごく普通に教員をやってきて、視覚障害者になってごく普通に色々と困ったことが起きて、ごく普通に排除されて教員を辞めた。そういうありがちな話です」

インタビューの冒頭、中村さんから、障害当事者ではなく、研究者・中村雅也として話したい、そこはきっちりと分けておきたいという要望が伝えられていたので、それ以上の質問を重ねることは控えました(私自身は、こうした考えは理解できます。研究者はその研究内容が問われるのであって、それを書いた人間に障害があるかどうかとか、どういう人間かといった問題は、二義的以下のことに過ぎない。障害があろうとなかろうと研究者は対等である。そういう基本的な考えを持っているのだろうと推察され、私は強く同意します)。そして中村さんは、ありがちな話だと述べるにとどめていましたが、教員集団のなかにあって、関係のあり方に相当苦慮されたであろうことは推測されます。

ここまでの取材を通し、私がいま強く感じていることは、「障害のある先生」と同僚教員との「関係」という問題です。「健常」の同僚たちが、「障害」や「障害者」という存在をどう理解し、日常的にどんなかかわりをつくろうとしているのか。教育行政の職員、管理職など、教職員に対して指導的な立場にある人についても同じことが言えます。いや、もっと重要なはずです。文科省が障害者雇用についてのさまざまな方針を打ち出すことは、もちろん大事です。法や制度を整えていくことは、何をなすべきかの根拠が示されることですから、それもまた重要です。しかし、法や制度や方針をどこまで命の通ったものにするか、骨抜きにして形骸化させるか、あるいは悪用するか、それは「ひと」次第です。やはり「ひと」という課題が最後まで残るようなのです。そこにどんな「関係」がつくられているか。

そしてこの課題は、日常的なかかわりの積み重ねである分、微妙ななかに置かれます。関係はあくまでも個別性です。「合理的配慮」という言葉にしても、それをどう受け止め、具体的な関係のなかでどんな形で示されるかは、一人一人によってさまざまなニュアンスを帯びるはずです。逆に言えば、当事者たちにとっては、言いたいことはあるけれども、この人にはどう伝えればいいのか難しいと感じたり、これは言わないほうがいいと考えたり、言っても理解してもらえないだろうと思ったり、なかなか口にしにくい事情が必ずそこには付随しているだろうと思います。

同僚教員の支持的なかかわりをどう引き出していくか。〝仲間外れ〟を導くような排除的なかかわりを、どう防いでいくことができるか。この問題を考えていきたいというのが、今回以降のテーマになります。

教員採用試験における「障害者特別選考」について

私の脳裏に真っ先に浮かんだのは、横浜市の公立中学校で教員として定年まで勤務していた赤田圭亮さんでした。赤田さんと岡崎勝さんが編者となった『わたしたちのホンネで語ろう 教員の働き方改革』(日本評論社)については、以前、紹介しています。その際のメールのやり取りに、50代の発達障害のある先生のサポートをした経験があるということが書かれており、いつか詳しい話を聞かせていただきたいと機会を待っていたのでした。

赤田さんについて簡単に紹介しておきます。著書を拝見するたびに、私は教員としての腕の確かさを受け取ってきました。学校現場の労働問題についてのエキスパートでもあり、少人数の独立系の教職員組合を立ち上げ、その代表を務めるなど、組合活動にも長く専心してきました。とは言っても、イデオロギーを前面に出して論難していくタイプとは異なっています。教育の現場は矛盾の塊であり、理念やイデオロギーで押し通そうとするだけではいかんともしがたい局面がたくさんあることを、熟知している実践者です。著書の記述はそのことを十分に伺わせるものでした。

先のメールを読むと、窮地に陥った50代教員へのサポートが、そうとう踏み込んだところまでなされていることを感じさせました。赤田さんがどんなかかわりかたをしたのか。同僚教員はどんな反応を示していたのか。管理職はどうだったのか。この点について話していただきたいというのが、私の問いの1点目です。2点目は、学校という現場で、あるいは教員集団のなかで、「障害のある先生」と一緒に仕事をするにあたって何をどう考えていくことが大事なのか。こうした二つの質問を用意していたのでした。

赤田さんは中学校を退職した後、ある大学の教職課程で「教職実践演習」を担当しています。今年度はオンラインでの授業を続けてきたのですが、なかに聴覚障害のある学生がいました。その学生から、教員になりたいのだが、受け入れの現状がどうなっているか、どんな準備が必要か教えてほしい、という依頼があったと言います。

「彼は4年生で間もなく卒業していきますが、ある競技のアスリートとして一般企業への就職が決まっています。そこで何年か働いた後、教
職に就きたいという希望を持っているのです。私は聴覚障害のある教員とは一緒に働いた経験がないものですから、佐藤さんの連載を紹介して、「今から準備しておいたほうがいいよ」と伝えてきました。佐藤さんが書かれていた奈良県や熊本県のように、進んだ取り組みをしているところがあるということは私も知りませんでした。そこで、横浜市の選考試験の受験案内を見てみました。選考の方法自体が遅れているというか、旧態依然というか、そんな印象を受けました。様々な特別選考枠のなかで、取ってつけたように最後に書かれているのです」

横浜市の選考区分を紹介してみます。一般選考(通常の選考枠)と特別選考とに、大きく分かれます。特別選考の①が教職経験者。資格を満たすための取り決めがありますが、こちらは省略。一次試験は学習指導案の提出のみ。②は社会人経験者と国際貢献活動経験者。やはり学習指導案の提出のみ。③が大学推薦。一次試験は免除。書類選考で不合格の場合は一般選考に回る。④スポーツ推薦。指導案のみ。⑤横浜市教育委員会が設置するアイカレッジ卒塾者という枠。一次試験は免除。

そして⑥が障害者特別選考です。受験資格は、一般選考区分を満たすこと。障害者手帳、療育手帳(知的障害者であることの判定書)、精神障害者保健手帳が交付されていること。一次試験は「各選考区分に従う」とあります。また〈配慮の具体例〉としては 〇視覚に障害のある方(具体例は抜粋(以下同):点字による出題、盲導犬の同行、問題用紙の拡大、試験時間の延長など) 〇聴覚に障害のある方(説明文の書面による配布、手話通訳者の配置(二次試験)など) 〇下肢等に障害のある方(スロープ、エレベーターの利用できる試験会場、車椅子が使用できる試験会場)、といった内容が記載されています。

赤田さんの指摘に示唆を受け、他県の「障害者特別選考」についても調べてみました。それぞれ特徴があり、主な点のみの記載ですが、以下のようになっていました。

秋田県。「一般選考に示した受験資格を有する者。身体障害者手帳(1級から6級)の交付を受けている者、また指定医による診断を受けている者」とありますが、療育手帳や精神障害者保健手帳の記載はありません。留意事項には「申し出により障害の種類や程度に応じて、受験方法や設備面での配慮をする」旨が書かれています。

東京都。教育委員会の選考試験に関するホームページには、「障害に配慮した選考」と題されたページが2ページ費やされ、他県にはない特徴になっていますが、「配慮の具体例」の欄は「視覚」「聴覚」「下肢」の3区分だけです。目を引いたのが、「過去の実施状況」として、平成27年度から令和元年度に実施された配慮事項、そこでの受験者数と合格者数が表になって示されていることです。配慮区分は、点字、拡大文字、手話、車椅子、その他とされ、各年度の申込者数と合格者数は次の通りです。合計数のみを(申込者/合格者)として示します。27年度(43/5)、28年度(47/9)、29年度(32/8)、30年度(34/10)、元年度(32/2)。

ちなみに大阪市の受験資格は、身体障害者手帳、療育手帳、精神保健福祉手帳の交付を受けている者、となっています。身体障害だけか、療育手帳や精神保健福祉手帳も記載されているか、このあたりで分かれるようです.

(ここには厄介な問題があって、私は6、7年ほど前に大学や高等専門学校を回り、「発達障害の学生」にどんな支援がなされているか、取材をさせてもらったことがあります。九州のある高専(高専の卒業生は即戦力としての期待が高く、採用率は非常に高いものでした)では、受験学生に発達障害があることを事前に伝えてしまうと採用にあたって不利になる、そのあと受験していく卒業生にとってもいい印象は持たれない、それで伏せたままの受験となっているが、それがアフターケアの難しさにつながっている、という話を担当者より聞きました。残念ながらそれが当時の現状でした)。

教員採用の「障害者特別選考」を詳細に見ていくと、ユニークな受験資格を定めている教育委員会や、全国の範例となるようなケースが見つかるかもしれません。「障害のある学生」に対しこうした情報がどこまで届いているか、その点が気になるところですが。

場を変える、方法を変える、関係を変える、視点を変える

赤田さんの話に戻りましょう。最初に若い先生2名について話し始めました。いずれも障害者手帳はもっておらず、発達障害という診断は受けていません。しかし、そうした傾向を強く感じた人たちだったと言います。
「教員生活の最後に出会った若い人は、理系の国立大学を出ている正規採用の教員です。能力的に高く、パソコンはとても詳しい。ところが相手の気持ちを察することが難しい。ときに、自分の理解の範囲だけで行動してしまうことが見られ、そのことが、同僚には協調性がないと思われてしまうのですね。厳しく指摘されるとパニックになったり、自信を喪失して激しく落ち込んだりするのです。一部の生徒とはうまく付き合うことができましたが、30人以上もの生徒を一斉に相手をする授業は、厳しいところがあると私は感じていました」。

管理職は「あなたは正規職員として採用されたのだから、できて当たり前でしょう、これくらいのことはできないと困るよ」というような、きつい対応が多かったといいます。周りの教員も同じことが何度か続くといらだち、この仕事に向いていないんじゃないか、とそんな言葉を向けることもあったといいます。

「あからさまな排除はしないけれども、軽視するという感じは明らかにありました」

赤田さんはどうしたか。「私は他の学年で主任をしていたので、私の学年に来てもらうように管理職と交渉しました。そして入ってもらったのですが、飲み会も含めて、とにかく彼の話を聞こうというところから始めました。ときには奥さんも呼んで一緒に話を聞いたのです」

赤田さんがやったのは、まず場を変えること、所属する学年を変えること。そしてとにかく話に耳を傾ける。そういうことだったといいます。
「同僚や管理職からお前はだめだとか、こういうときにはこうしなければいけない、といくら言われても、できないのは仕方がないわけです。それならばどうするかという話です。次に心がけたことは、彼の生徒に対する対応の優れている点をきちんと評価し、それを伝えていくことです。自信を持ってもらうことですね。それから、何かをするときには誰かと一緒にやる。あなたは一人ではないというメッセージでもありますが、要するに取り組むときの方法を変える。そして最後は視点を変えるということ。彼に、変わるようにと要求するのではなく、こちら側の視点を変えていく。こちらがどう自分の視点を変えていくか」

話に耳を傾け、関係を変えていくことを赤田さんは心がけたわけですが、おそらくここでの「関係の変容」は、若い教員と赤田さんたちとのあいだに信頼関係ができあがっていった、そういう変容だったろうと思います。もう一つ、次の指摘にも強く納得しました。

「集団のリーダーがどういう対応をするか、そのことで若い教員たちはずいぶんと変わります。だからこちらは、具体的な彼の失敗にこだわって感情的に受け止めるのではなく、一般化して受け止めるようにしました。これが生徒だったらどう考えるか。自分の家族だったらどうか。いろいろな視点で考えながら、思考を深めていくように心がけたのですね。私は「視点の転換」と言っていました」

障害をもつ人たちに対し、リーダーがどういう対応をするか。学校では管理職が、また学年主任が、教室では担任がどんな対応するかによってそれぞれの場に大きな影響を与えるという指摘は、まさに我が意を得たりです。場を変える、方法を変える、関係を変える、視点を変える。これが赤田さんがとったスタイルです。私は、「支援」という関係のポイントは、いかにして相互変容のきっかけを作っていくことができるか、そこにあると考えていますから、まったく異論がありません。強く賛同します。

「結果的に彼は教員を辞めていくのですが、私は、個人的な教授関係では優れたものを持っていると思っていたので、知り合いの個人塾を紹介し、そこで1,2年働いたのです。そのあと川崎の町工場に行き、工員として働き始めます。小さな町工場で働いている昔からの職人さんは、できれば食事は一人でしたい、一人でじっと機械に向かっているのが好きという個性的な人たちが多いですね。彼にはそんな環境が合っていたようで、そこでの仕事を何年か続け、いまは家族で生まれ故郷に帰り、別の仕事に就いているようです」

当時の学年の教員たちとはメールでのやり取りが続いているといいますから、良好な関係は保たれているようです。教職を辞めるにあたって何が原因となったのか、私は気になりました。校長との話し合いの中で、退職を決めないといけないところに追い込まれたということはないですか。そんなことを尋ねてみました。

「最後は副担任として私の学年で一年間勤めたのですが、管理職との話合いのなかで決めたとだけ本人は言いました。辞めると決めた後で私は聞かされ、相談に乗るとか翻意させるとか、そういう状況ではなかったですね。教員を続けていてもこれ以上の期待は持てない、そういうことではなかったかなと思います」

これが一人目の報告でした。身体に障害のある人たちとはまた異なる難しさが、如実に表れているケースでした。最後に赤田さんはこんな言葉で締めくくっています。

「彼の発達障害的な面を中心にお話しましたが、学生時代からバンドをやっていたこと、教員を辞めてからは全く畑違いの日本舞踊を習い始め、同僚の何人かが発表会を見に行ったこと。今でも日本舞踊を続けていること。そんなエピソードもあります。「発達障害」は彼のごく一部です。教職は挫折してしまったけれど、やった意義はあったし、再挑戦することがあってもいいと思っています。なにより受け止める側にとって、重要な提起をしてくれました。そんなことを感じています」

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